「普通」というファシズム
2010/09/10/Fri
「普通」という言葉が重い。
わたしの、精神的な面における「普通」は、他の多くの人の「普通」と違う。
「普通」ってなんだ?
自閉症療育専門家であるそらパパくん曰く、「普通が大事」。
大事な「普通」とはなんだ?
科学的な意味での「普通」とは、「常態」である。その状態である確率が高いことを言う。「常態」ではない、つまり確率の低い状態は「突発的」、「異常」となる。
わたしの「普通」はそういう意味だ。わたしにとっての「常態」が、他の多くの人と違う。
しかし、ヒトという動物の群れたる社会においては、そうなっていない。
科学的な意味での「普通」と、社会的な意味での「普通」は違う。
同様の思考回路を持っている人間を「普通の人間」と呼ぶ。
「普通」の思考回路を持っている人間の方が個体数は多いのだから、それは「常態」である。科学的な意味での「普通」と重なる。
しかし、だ。
科学の対象である自然の「常態」すなわち「普通」は、非「常態」たる「突発的」「異常」を排除したりしない。
「常態なるもの」と「突発的なるもの」は、発生する確率の違いだけで、どちらも存在する。
しかし人間の「普通」は、非「普通」を襲ってくる。
まるで「すべては普通であるべき」といわんばかりに、非「普通」を虐殺し蹂躙しレイプし自分たちの言いなりにさせ、「普通」であらせようとする。
個体数の多さを権力にして。
これはもうやりすぎなのである。
これはもう独裁だ。ファシズムだ。
「普通」というファシズム。「多数決」というファシズム。「民主主義」というファシズム。
これはすでに集団心理異常だ。
社会的な「普通/異常」という意味と、物性物理的な「常態/異常」という意味の違いが、その症状である。
ヒトという種は自然の中のほんの一部でしかない。この「「普通」が「異常」をレイプする」状態は、たとえばサルの社会にもそういった状態が見られるのかもしれないが、あくまでそれは一部である。「人の世界」たる社会は「動物の世界」の一部であり、さらにそれさえ「物の世界」の一部である。
つまり、ヒトの社会におけるこの状態の方が、「突発的」「異常」なのである。
「正常な精神」とは、この集団心理異常に罹患している精神状態を言うのである。
異常者は、正常人たちの方なのである。
「普通」は大事なんかじゃない。当然「異常」だって大事じゃない。
物性の「常態」と「突発性」は、どちらが大事などという話ではない。どちらも大事などという話でもない。
どちらもただそうであるだけだ。そういう状態なだけ。
これが科学者の物の見方である。
したがってそらパパは科学者とは言えない。
いや、もうこの際、「わたしがそうだと思っている(科学者をはじめとした)「学者なる精神」」という意味での「魔女」、と換言してやってもいい。「科学者」というシニフィアンはお前たちに譲ってやろう。
そらパパは魔女ではない。
いろいろ頭の中を整理している。ついでに思いついたことを価値のない人間のブログに放り込んでおいた。コピペしとく。
脂 より:
2010 年 9 月 10 日 5:24 AMあなたのコメントは管理者の承認待ちです。
大学時代のことがトラウマのように思い出されている状態でな。
で思ったんだが、お前、わたしがただのちょっとした記憶で「アスペフレーバーなんじゃね」つってる金子邦彦に似てるのかもしれないな。
ただしこの「アスペフレーバー」はイコールアスペではない。金子さんは立派な正常人だ。わたしの記憶だけの診断なら。
というのは、金子さんがも少し若くてブログ書いたなら、このブログみたいな「痛みのない脱力系」のブログを書くんじゃないか、と思ったからだ。
しかしもう少し考えると、金子さんはオタクでそれ系のサークルの顧問もやってるんだが、自身がオタクであることを隠さない。倒錯をあっけらかんと語るタイプだ。
この点はどちらかと言うとイタバシさんっぽい。
いや今でこそオタク趣味は隠すもんじゃないって空気になっているが、昔は違ったからな。宮崎勤事件もまだ記憶に残っていた時期だし。
で、一つのポイントがあると思えた。
君のナンセンスさは、わたしは「痛みのない無意味さ」だと考えている。それは本当の精神疾患的な意味での「無意味さ」ではない。それは「痛みのともなう無意味さ」だ。
君は「そうそう、ボクもそう」を、「特に反論はない」という意味で言っているだけ、と書いたよな。
それ以上「そうそう」たる相手との共通点を探ろうとしない。分析しようとしない。
多くのアスペはこれを分析する。
だから「そうそう」と言った共通点を持つ相手ともケンカになる。ケンカにならなくても不愉快になる。
この共通点とはいわば「意味の裏打ち」だ。シニフィアンスの面影。
それを分析しないところが、君の「無意味」が痛みをともなっていない症状と通じている。
一方、アスペたちは「無意味が苦痛」だから、その共通点を、まるでおもちゃをいじり倒して壊してしまうかのように、赤ん坊の子犬をいじくり倒して殺してしまうかのように、分析してしまう。
わたしは「未去勢者はエポケーがわからない」と主張しているが、君の「そうそう、ボクもそう」についての言い訳を読むと、要は「共通点であるその地点をエポケーにしている」ってことじゃないか?
ここが違うんだよ。
君はわたしとは違う。
違うなら共通点を探るのは当然のことだろ? お前さん以前「ジャガイモ農家」ってたとえでそのようなことを言っていたよな? 「文化の違う相手とは理屈的に述べないと通じない」と。
それとおんなじことだ。
しかしお前は、そこをエポケーして、「ジャガイモ農家」になっている。
これは以前わたしが指摘した、「お前は対象aの実体を無意識的にしかしらんが徹底的に避ける」ということと同じことだと思う。
あれだ、わたしの分析に理屈的に辻褄があうんだよな。
脂 より:
2010 年 9 月 10 日 5:24 AMあなたのコメントは管理者の承認待ちです。
わたしがこのようなことを考えてしまうのも、「共通点を子犬を殺すがごとくいじくり倒す」症状だと言えるな。
いじょ。
まあこいつもあれだ。「普通」であることにあぐらをかいている人間だ、ってことだ。
あ、「違うなら共通点を探るのは当然のことだろ?」ってのは「正常人は大体そうするだろ?」って意味な。
わたしの立場で言えば、なんの裏の意味もなく述べた「わたしの思考実況」を、こいつが勝手に「そうそう、ボクもそう」と言ってきただけだが。
あ、わかった。
わたしの「共通点を「ほんとにそうなのか」といろいろいじくり倒すこと」が、こいつからすれば「ツレション」に見えたのかもしれないな。
それが(わたしの言う意味での)「ツレション」だったらこんな「腫れ物」にならんわ(笑)。
ドサクサまぎれのドクサ。
単なるダジャレ。
わたしの、精神的な面における「普通」は、他の多くの人の「普通」と違う。
「普通」ってなんだ?
自閉症療育専門家であるそらパパくん曰く、「普通が大事」。
大事な「普通」とはなんだ?
科学的な意味での「普通」とは、「常態」である。その状態である確率が高いことを言う。「常態」ではない、つまり確率の低い状態は「突発的」、「異常」となる。
わたしの「普通」はそういう意味だ。わたしにとっての「常態」が、他の多くの人と違う。
しかし、ヒトという動物の群れたる社会においては、そうなっていない。
科学的な意味での「普通」と、社会的な意味での「普通」は違う。
同様の思考回路を持っている人間を「普通の人間」と呼ぶ。
「普通」の思考回路を持っている人間の方が個体数は多いのだから、それは「常態」である。科学的な意味での「普通」と重なる。
しかし、だ。
科学の対象である自然の「常態」すなわち「普通」は、非「常態」たる「突発的」「異常」を排除したりしない。
「常態なるもの」と「突発的なるもの」は、発生する確率の違いだけで、どちらも存在する。
しかし人間の「普通」は、非「普通」を襲ってくる。
まるで「すべては普通であるべき」といわんばかりに、非「普通」を虐殺し蹂躙しレイプし自分たちの言いなりにさせ、「普通」であらせようとする。
個体数の多さを権力にして。
これはもうやりすぎなのである。
これはもう独裁だ。ファシズムだ。
「普通」というファシズム。「多数決」というファシズム。「民主主義」というファシズム。
これはすでに集団心理異常だ。
社会的な「普通/異常」という意味と、物性物理的な「常態/異常」という意味の違いが、その症状である。
ヒトという種は自然の中のほんの一部でしかない。この「「普通」が「異常」をレイプする」状態は、たとえばサルの社会にもそういった状態が見られるのかもしれないが、あくまでそれは一部である。「人の世界」たる社会は「動物の世界」の一部であり、さらにそれさえ「物の世界」の一部である。
つまり、ヒトの社会におけるこの状態の方が、「突発的」「異常」なのである。
「正常な精神」とは、この集団心理異常に罹患している精神状態を言うのである。
異常者は、正常人たちの方なのである。
「普通」は大事なんかじゃない。当然「異常」だって大事じゃない。
物性の「常態」と「突発性」は、どちらが大事などという話ではない。どちらも大事などという話でもない。
どちらもただそうであるだけだ。そういう状態なだけ。
これが科学者の物の見方である。
したがってそらパパは科学者とは言えない。
いや、もうこの際、「わたしがそうだと思っている(科学者をはじめとした)「学者なる精神」」という意味での「魔女」、と換言してやってもいい。「科学者」というシニフィアンはお前たちに譲ってやろう。
そらパパは魔女ではない。
いろいろ頭の中を整理している。ついでに思いついたことを価値のない人間のブログに放り込んでおいた。コピペしとく。
脂 より:
2010 年 9 月 10 日 5:24 AMあなたのコメントは管理者の承認待ちです。
大学時代のことがトラウマのように思い出されている状態でな。
で思ったんだが、お前、わたしがただのちょっとした記憶で「アスペフレーバーなんじゃね」つってる金子邦彦に似てるのかもしれないな。
ただしこの「アスペフレーバー」はイコールアスペではない。金子さんは立派な正常人だ。わたしの記憶だけの診断なら。
というのは、金子さんがも少し若くてブログ書いたなら、このブログみたいな「痛みのない脱力系」のブログを書くんじゃないか、と思ったからだ。
しかしもう少し考えると、金子さんはオタクでそれ系のサークルの顧問もやってるんだが、自身がオタクであることを隠さない。倒錯をあっけらかんと語るタイプだ。
この点はどちらかと言うとイタバシさんっぽい。
いや今でこそオタク趣味は隠すもんじゃないって空気になっているが、昔は違ったからな。宮崎勤事件もまだ記憶に残っていた時期だし。
で、一つのポイントがあると思えた。
君のナンセンスさは、わたしは「痛みのない無意味さ」だと考えている。それは本当の精神疾患的な意味での「無意味さ」ではない。それは「痛みのともなう無意味さ」だ。
君は「そうそう、ボクもそう」を、「特に反論はない」という意味で言っているだけ、と書いたよな。
それ以上「そうそう」たる相手との共通点を探ろうとしない。分析しようとしない。
多くのアスペはこれを分析する。
だから「そうそう」と言った共通点を持つ相手ともケンカになる。ケンカにならなくても不愉快になる。
この共通点とはいわば「意味の裏打ち」だ。シニフィアンスの面影。
それを分析しないところが、君の「無意味」が痛みをともなっていない症状と通じている。
一方、アスペたちは「無意味が苦痛」だから、その共通点を、まるでおもちゃをいじり倒して壊してしまうかのように、赤ん坊の子犬をいじくり倒して殺してしまうかのように、分析してしまう。
わたしは「未去勢者はエポケーがわからない」と主張しているが、君の「そうそう、ボクもそう」についての言い訳を読むと、要は「共通点であるその地点をエポケーにしている」ってことじゃないか?
ここが違うんだよ。
君はわたしとは違う。
違うなら共通点を探るのは当然のことだろ? お前さん以前「ジャガイモ農家」ってたとえでそのようなことを言っていたよな? 「文化の違う相手とは理屈的に述べないと通じない」と。
それとおんなじことだ。
しかしお前は、そこをエポケーして、「ジャガイモ農家」になっている。
これは以前わたしが指摘した、「お前は対象aの実体を無意識的にしかしらんが徹底的に避ける」ということと同じことだと思う。
あれだ、わたしの分析に理屈的に辻褄があうんだよな。
脂 より:
2010 年 9 月 10 日 5:24 AMあなたのコメントは管理者の承認待ちです。
わたしがこのようなことを考えてしまうのも、「共通点を子犬を殺すがごとくいじくり倒す」症状だと言えるな。
いじょ。
まあこいつもあれだ。「普通」であることにあぐらをかいている人間だ、ってことだ。
あ、「違うなら共通点を探るのは当然のことだろ?」ってのは「正常人は大体そうするだろ?」って意味な。
わたしの立場で言えば、なんの裏の意味もなく述べた「わたしの思考実況」を、こいつが勝手に「そうそう、ボクもそう」と言ってきただけだが。
あ、わかった。
わたしの「共通点を「ほんとにそうなのか」といろいろいじくり倒すこと」が、こいつからすれば「ツレション」に見えたのかもしれないな。
それが(わたしの言う意味での)「ツレション」だったらこんな「腫れ物」にならんわ(笑)。
ドサクサまぎれのドクサ。
単なるダジャレ。