ミームにより伝染されるのは「正常さ」である。
2010/09/17/Fri
前記事のコメント欄の続き。
あーそうそう、前記事中、適当に「中心気質」だなんて言ってるけど、これ保留にしといて。そこ全部「精神疾患にかかりにくい人」って脳内変換しといて。わかんなくなったから。あたしが。
んで。
=====
「folie a deux」ってなんだと思ったらこれか。
http://psychodoc.eek.jp/abare/folie.html
「宇宙語で話す夫婦の話」は知ってた。
=====
についてなんだが。
このブログは「狂気の伝染」を一つのテーマとしている。
これも「伝染性の精神病」ということで、同じテーマだ、と思われるかもしれないが、これはまったく別だ、ということを断っておきたい。
わたしは「精神的な正常さ」を精神疾患だとして考えているが、この「正常という精神疾患」も伝染性である。伝染するから正常な精神の人間が大多数なのである。
で、それは何によって伝染するか、と言うと、それが伝染する時期は、ラカンの言う鏡像段階であり、伝染した瞬間の状態が、クリステヴァの言うシニフィアンスである。
鏡像段階とはいわばボロメオの輪が組まれる段階である。ボロメオの輪が組まれて、象徴界と想像界の間にある意味が生じる。
シニフィアンスとは意味生成性である。
これってな、別の言葉で言えば、まさに、
=====
精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。
=====
と同じことなんだよな。「ミームによって」を「意味によって」と言い換えれば、わたしの述べる「正常という精神疾患の伝染性」とまったく同じ伝染性である、と言える。
となると、ここで述べられている「伝染性の精神病」とは、わたしがこのブログで述べている「正常という精神疾患」と等しいものだ、となる。
そうなのだよ。同じ。
であるならば、わたしの言う「狂気の伝染」とは、この記事の「精神病」や「正常という精神疾患」の、伝染性を防ぐワクチンを伝染させよう、ということになる。
要するに、ここで述べられている「狂気の伝染」とわたしの言っているそれは、意味がまったく別物だからね、というかまったく逆、というわけ。
そもそもミームとはなんぞや。
文化とは伝播するものだ。
それは生物が自己複製するのと同じようなことと考えられないか。
たとえば、Aという文化があり、隣接地域に類似するA'という文化が生じた。文化が伝播した。
このとき、Aを親と考えれば、A'は子だ、ということになる。
文化というものをこういう風に考えよう。
生物ならば、自己複製性の原因である遺伝子がある。
こういった「文化の遺伝子」を仮定しよう。
これがミームである。
これって要するに「精神的なオートポイエーシス」と同じことだと思うんだけどな。わたしは。ラカン派の十川幸司がバカの一つ覚えみたいにこの言葉を使っているが、文化人類学的には「いやそんな力説するほどのことじゃないだろ」ってレベルなのよね。ポモ思想って文化人類学が結構重要な位置にあるし、「ごめ、十川くん、(同じラカン派として)見てるこっちが恥ずかしい」って感じ。
ともかく、これを見ればわかるように、「ミームによる伝染性」は、正常人同士でもありえる、ということである。ミームにより伝染される文化を生きる人たちは、全員異常者なのだろうか。否。多くは「精神的に正常」とされる人々だろう。その文化に適応している心だからこそ、正常とされるのである。
であるならば、「ミームにより「精神的な正常さ」が伝染する」というわたしの主張は、何もおかしくない。
むしろ「精神病がミームにより伝染する」という風野春樹の主張の方が誤っている。ミームという概念の定義を考えれば。
むしろミームにより伝染されるのは、「精神的な正常さ」の方なのである。
となると風野のこの文章は、厳密には、「精神的な正常さの伝染性により、精神病が伝染する場合が、ごくまれにある」ということになる。
そこに挙げられた事例からも、それが「ごくまれ」であることがわかる。その事例における「伝染させた狂人」「伝染させられた狂人」と、「そのミームに伝染していない正常人」の人数比を考えれば、前者の数は誤差程度であろう。
「そのミームに伝染していない正常人」には、その著者や風野自身や読者も含まれる。あなたたちは、たとえば最初の事例の夫婦が述べる「宇宙」を理解していないし信じていないだろう。それを理解し信じたのは夫だけである。子供三人を含む周囲の大勢の人間はそれに伝染していない。彼らは、夫婦のとは別の正常なミームにより、「正常という精神疾患」に伝染させられたままである。彼らの方が圧倒的に多数なのである。
わたしはと言えば、前記事のコメント欄で書いた通り、「妻の言う「宇宙」は、わたしが知っている「華厳の極楽」や、ジル・ボルト・テイラー博士の言う「天国」と同じ世界ではないだろうか」と推測している。
さて、風野のテクストから。
=====
妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。
=====
まずBは抵抗している。この抵抗を伝染させることこそが、わたしが述べている「狂気の伝染」である。
それは置いておいて。
このBの抵抗は、ミームの伝染から受けた被害だと言える。
この被害についても風野は言及している。
=====
それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。
=====
その通りである。
ではその考え方を、なぜ冒頭の「宇宙語を会話する夫婦」に適応できないのか。
妻が受け取った「宇宙からの通信」は、他の誰も理解できないものだ。このとき妻は「一人異文化」状態である。
おそらく妻は、周りの(はじめは夫もそうだったろう)多くの異文化の人間たちから、ミームの伝染という被害を受けている。
このときまさに妻の方こそが、「狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。」なのだ。
この妻は、「正常という精神疾患」なる狂気に陥っている集団の中、実際に感じた「宇宙からの通信」をそのまま述べているだけなのに、現実を述べているだけなのに、狂人扱いされていただろう。家族どころの騒ぎじゃない。会う人会う人全員が狂人なのだ。その妻にとっては。
このとき妻は、「正常という精神疾患」からのミームの伝染による被害を、周りの大勢の人間から受けている。それが、
=====
また、それと同時に近所の人々によって嫌がらせをされるといった被害妄想も感じるようになった。
=====
という症状なのである。
なぜ正常人は、自分が加害者である面を、これほどまで棚上げにするのだろう。
もちろんここに挙げられている狂人たちも加害者である。ある面において。彼らは自分たちの家族にミームを伝染させているのであろう。風野のこの主張にわたしは反駁するつもりはない。
人間関係においては、誰しもが加害者である面もあれば被害者である面もある。
それだけの話である。
それにも関わらず、正常人は、つねに自分たちが絶対正義だと言わんばかりに、自分たちの加害性を隠蔽する。
ほぼ全員がそうだ。
そんな「つねに自分たちの加害性を隠蔽し被害性のみを訴える」大多数の人間たちの中で、一人っきりになってみろ。
そりゃ被害妄想にもなるわ。いや加害妄想か。「被害性を訴えられる」という被害妄想。
ちなみにわたしは自分の被害妄想が加害妄想と区別つかない。
だから、わたしは素でこう言っている。
正常人は八割死ね、と。
わたしは素で狂人は正常人を殺していいと思っている。倫理的に間違っていないことだと。だから法律でもそうなっていると。
わたしは狂人か?
狂人の定義は「正常でないこと」だと思っている。
わたしは正常であることとはどういうことかわからない。
なのでお前ら正常人に聞いている。
わたしは狂人か?
もしそうなら、わたしがお前たちを殺しても、倫理的に間違っていないな。
死ね、ほんと死ね、お前ら。
ミームなつかしーなー。つか普通こっち連想するだろjk。
りゅりゅりゅりゅーりゅりゅ。
EDの方が好きだったな。なんか子供心に自殺の歌だと認識していた気がする。
ミームの声もっとハスキーだと思ってたけどそうでもなかった。
子供向け番組で「胡蝶の夢」やるなんてある意味超サブカルだよな。
あーそうそう、前記事中、適当に「中心気質」だなんて言ってるけど、これ保留にしといて。そこ全部「精神疾患にかかりにくい人」って脳内変換しといて。わかんなくなったから。あたしが。
んで。
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「folie a deux」ってなんだと思ったらこれか。
http://psychodoc.eek.jp/abare/folie.html
「宇宙語で話す夫婦の話」は知ってた。
=====
についてなんだが。
このブログは「狂気の伝染」を一つのテーマとしている。
これも「伝染性の精神病」ということで、同じテーマだ、と思われるかもしれないが、これはまったく別だ、ということを断っておきたい。
わたしは「精神的な正常さ」を精神疾患だとして考えているが、この「正常という精神疾患」も伝染性である。伝染するから正常な精神の人間が大多数なのである。
で、それは何によって伝染するか、と言うと、それが伝染する時期は、ラカンの言う鏡像段階であり、伝染した瞬間の状態が、クリステヴァの言うシニフィアンスである。
鏡像段階とはいわばボロメオの輪が組まれる段階である。ボロメオの輪が組まれて、象徴界と想像界の間にある意味が生じる。
シニフィアンスとは意味生成性である。
これってな、別の言葉で言えば、まさに、
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精神病は確かに伝染するのである。細菌ではない。ウィルスでもない。それならなんなのか、というと「ミームによって」ということになるだろうか。
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と同じことなんだよな。「ミームによって」を「意味によって」と言い換えれば、わたしの述べる「正常という精神疾患の伝染性」とまったく同じ伝染性である、と言える。
となると、ここで述べられている「伝染性の精神病」とは、わたしがこのブログで述べている「正常という精神疾患」と等しいものだ、となる。
そうなのだよ。同じ。
であるならば、わたしの言う「狂気の伝染」とは、この記事の「精神病」や「正常という精神疾患」の、伝染性を防ぐワクチンを伝染させよう、ということになる。
要するに、ここで述べられている「狂気の伝染」とわたしの言っているそれは、意味がまったく別物だからね、というかまったく逆、というわけ。
そもそもミームとはなんぞや。
文化とは伝播するものだ。
それは生物が自己複製するのと同じようなことと考えられないか。
たとえば、Aという文化があり、隣接地域に類似するA'という文化が生じた。文化が伝播した。
このとき、Aを親と考えれば、A'は子だ、ということになる。
文化というものをこういう風に考えよう。
生物ならば、自己複製性の原因である遺伝子がある。
こういった「文化の遺伝子」を仮定しよう。
これがミームである。
これって要するに「精神的なオートポイエーシス」と同じことだと思うんだけどな。わたしは。ラカン派の十川幸司がバカの一つ覚えみたいにこの言葉を使っているが、文化人類学的には「いやそんな力説するほどのことじゃないだろ」ってレベルなのよね。ポモ思想って文化人類学が結構重要な位置にあるし、「ごめ、十川くん、(同じラカン派として)見てるこっちが恥ずかしい」って感じ。
ともかく、これを見ればわかるように、「ミームによる伝染性」は、正常人同士でもありえる、ということである。ミームにより伝染される文化を生きる人たちは、全員異常者なのだろうか。否。多くは「精神的に正常」とされる人々だろう。その文化に適応している心だからこそ、正常とされるのである。
であるならば、「ミームにより「精神的な正常さ」が伝染する」というわたしの主張は、何もおかしくない。
むしろ「精神病がミームにより伝染する」という風野春樹の主張の方が誤っている。ミームという概念の定義を考えれば。
むしろミームにより伝染されるのは、「精神的な正常さ」の方なのである。
となると風野のこの文章は、厳密には、「精神的な正常さの伝染性により、精神病が伝染する場合が、ごくまれにある」ということになる。
そこに挙げられた事例からも、それが「ごくまれ」であることがわかる。その事例における「伝染させた狂人」「伝染させられた狂人」と、「そのミームに伝染していない正常人」の人数比を考えれば、前者の数は誤差程度であろう。
「そのミームに伝染していない正常人」には、その著者や風野自身や読者も含まれる。あなたたちは、たとえば最初の事例の夫婦が述べる「宇宙」を理解していないし信じていないだろう。それを理解し信じたのは夫だけである。子供三人を含む周囲の大勢の人間はそれに伝染していない。彼らは、夫婦のとは別の正常なミームにより、「正常という精神疾患」に伝染させられたままである。彼らの方が圧倒的に多数なのである。
わたしはと言えば、前記事のコメント欄で書いた通り、「妻の言う「宇宙」は、わたしが知っている「華厳の極楽」や、ジル・ボルト・テイラー博士の言う「天国」と同じ世界ではないだろうか」と推測している。
さて、風野のテクストから。
=====
妄想を持った精神病者Aと、親密な結びつきのある正常者Bが、あまり外界から影響を受けずに共同生活をしている場合、AからBへと妄想が感染することがあるのだ。もちろんBはまず抵抗するが、徐々に妄想を受け入れ、2人で妄想を共有することになる。
=====
まずBは抵抗している。この抵抗を伝染させることこそが、わたしが述べている「狂気の伝染」である。
それは置いておいて。
このBの抵抗は、ミームの伝染から受けた被害だと言える。
この被害についても風野は言及している。
=====
それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。
=====
その通りである。
ではその考え方を、なぜ冒頭の「宇宙語を会話する夫婦」に適応できないのか。
妻が受け取った「宇宙からの通信」は、他の誰も理解できないものだ。このとき妻は「一人異文化」状態である。
おそらく妻は、周りの(はじめは夫もそうだったろう)多くの異文化の人間たちから、ミームの伝染という被害を受けている。
このときまさに妻の方こそが、「狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。」なのだ。
この妻は、「正常という精神疾患」なる狂気に陥っている集団の中、実際に感じた「宇宙からの通信」をそのまま述べているだけなのに、現実を述べているだけなのに、狂人扱いされていただろう。家族どころの騒ぎじゃない。会う人会う人全員が狂人なのだ。その妻にとっては。
このとき妻は、「正常という精神疾患」からのミームの伝染による被害を、周りの大勢の人間から受けている。それが、
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また、それと同時に近所の人々によって嫌がらせをされるといった被害妄想も感じるようになった。
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という症状なのである。
なぜ正常人は、自分が加害者である面を、これほどまで棚上げにするのだろう。
もちろんここに挙げられている狂人たちも加害者である。ある面において。彼らは自分たちの家族にミームを伝染させているのであろう。風野のこの主張にわたしは反駁するつもりはない。
人間関係においては、誰しもが加害者である面もあれば被害者である面もある。
それだけの話である。
それにも関わらず、正常人は、つねに自分たちが絶対正義だと言わんばかりに、自分たちの加害性を隠蔽する。
ほぼ全員がそうだ。
そんな「つねに自分たちの加害性を隠蔽し被害性のみを訴える」大多数の人間たちの中で、一人っきりになってみろ。
そりゃ被害妄想にもなるわ。いや加害妄想か。「被害性を訴えられる」という被害妄想。
ちなみにわたしは自分の被害妄想が加害妄想と区別つかない。
だから、わたしは素でこう言っている。
正常人は八割死ね、と。
わたしは素で狂人は正常人を殺していいと思っている。倫理的に間違っていないことだと。だから法律でもそうなっていると。
わたしは狂人か?
狂人の定義は「正常でないこと」だと思っている。
わたしは正常であることとはどういうことかわからない。
なのでお前ら正常人に聞いている。
わたしは狂人か?
もしそうなら、わたしがお前たちを殺しても、倫理的に間違っていないな。
死ね、ほんと死ね、お前ら。
ミームなつかしーなー。つか普通こっち連想するだろjk。
りゅりゅりゅりゅーりゅりゅ。
EDの方が好きだったな。なんか子供心に自殺の歌だと認識していた気がする。
ミームの声もっとハスキーだと思ってたけどそうでもなかった。
子供向け番組で「胡蝶の夢」やるなんてある意味超サブカルだよな。