ブログを書いている自閉症児親たちへ。
2010/09/18/Sat
ふと思い出した。
まあ一種のネタ話で本当かどうか知らないんだけど。
熱狂的なジャニーズファンの母親がいたんだな。
あるときその母親、何を思ったか、友人たちに「うちの息子、ジャニーズのオーディションに受かった」って言っちゃったんだ。
んでどうしたか。
小学生の息子をジャニーズに受からせるよう猛特訓させて、ノイローゼにしちゃったらしいんだな。
その母親の言い分。
「ジャニーズになれば息子も人気者になる。息子のためを思ってやったことなんです」
子供とかこういう嘘つくよな。
それはともかく、この母親は(実在していれば)なんらかの人格障害ってされてもおかしかないと思うけど、はたして彼女だけが異常なのだろうか。
ママさんちのコメント欄から。
=====
大体ここにコメントしている「計算マコちゃん」な自閉症児親たちのブログもそうだよな。
「自閉症者との負の側面」をまったく隠蔽してブログを書いている。
だから同じ自閉症で字の読めるアスペから「その子自閉症じゃないじゃないか」とか言われるんだよ。
自分自身の「無自覚な快楽主義」という精神疾患的症状のせいで、自分が不愉快な面をブログに書かない。
そのせいで、お前たちが無自覚につく嘘のせいで、子供たちがいわれのない批判にさらされる。
このことを肝に銘じておけ。
=====
わたしにはこういった自閉症児親たちと、先のジャニーズファンの母親は、同じ精神構造をしているように思えるんだが。
ブログで子供のことをいいように書けば書くほど、親は「いい子供」を子供たちに強制してしまっていないだろうか。
無自覚的に。
ジャニーズファンの母親がついた嘘と、自閉症児親たちが書く「とても自閉症には思えないほどよくできた子供」についてのブログは、彼女ら自身の心に、無意識に、同様の作用を及ぼしてはいないだろうか。
この点を踏まえて、自閉症児親たちは、自分の心を振り返ってほしい。
わたしアスペじゃないし他人事だしどうでもいいんだけど、「あんた大丈夫? 子供じゃなくてあんた自身が。現実逃避具合ハンパなくない? なんかの精神疾患にかかってなくない?」ってレベルのブログもちらほらあるのは事実。
まあこんな指摘「ネタにマジレス」なのかもしれないが。
それほんとにネタで済んでる? ジャニーズ親だって、ネタのつもりが回り回ってそんな嘘になっちゃったのかもしれないぜ?
ま、そんな揶揄。
でも、このジャニーズ親の嘘も、自閉症児親ブログの「自閉症には思えないほどよくできた子供」像も、「親の愛」なんだよね。
その子供もノイローゼにならず本当にジャニーズになってれば、母親のそうした「愛」に感謝するかもしれない。
「ミームによる伝染」なあ。
「フォリアドゥの物語は、多くの場合、愛についての物語なのである。」なあ。
いわゆるうまくいってる状態の親子関係こそが、「感応精神病」なんじゃねえの。
「ミームによる伝染」が成功している状態。
りゅりゅりゅりゅーりゅりゅ。
「親の愛」だから世間的に許されている、むしろ推奨されている「感応精神病」。
厄介だねえ。
自閉症は、「感応精神病」における「ミームによる伝染」たる「感応」が不得手な個体である。
「Folie a deux」は、感応できている間は、外部からの接触を考慮しなければ、当事者たちはそれなりに幸福なのである。
自閉症児の苦しみは、正常人ならば少なからず成り立っているはずの「親子関係という感応精神病」が成り立っていない苦しみなのだ。
風野の記事から。
=====
それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。
これは、狂気に感染した家族よりもはるかに悲惨なんじゃないだろうか。
=====
これは、自閉症児のことなのである。
しかし、正常人ならば、家族の外に理解者はいる。自分という正気と同じ正気を保っている人間がいる。別に「捨てる」までしなくとも相談は可能である。実際にこういった事例の多くは、「感応」し損ねた正気な家族が正気な医者に相談して発覚する。
自閉症児には、それさえもいない。
同じ自閉症者同士であっても、ミームは伝染しない。
なぜなら「ミームが伝染しにくい」「感応しにくい」障害なのだから。
ある自閉症当事者は言った。
「自閉症の生活とは、ガラスの箱の中で必死にわめいているようなことなのです」
一方、正常人は。前記事から。
=====
そもそもミームとはなんぞや。
文化とは伝播するものだ。
それは生物が自己複製するのと同じようなことと考えられないか。
たとえば、Aという文化があり、隣接地域に類似するA'という文化が生じた。文化が伝播した。
このとき、Aを親と考えれば、A'は子だ、ということになる。
文化というものをこういう風に考えよう。
生物ならば、自己複製性の原因である遺伝子がある。
こういった「文化の遺伝子」を仮定しよう。
これがミームである。
(中略)
ともかく、これを見ればわかるように、「ミームによる伝染性」は、正常人同士でもありえる、ということである。ミームにより伝染される文化を生きる人たちは、全員異常者なのだろうか。否。多くは「精神的に正常」とされる人々だろう。その文化に適応している心だからこそ、正常とされるのである。
であるならば、「ミームにより「精神的な正常さ」が伝染する」というわたしの主張は、何もおかしくない。
むしろ「精神病がミームにより伝染する」という風野春樹の主張の方が誤っている。ミームという概念の定義を考えれば。
むしろミームにより伝染されるのは、「精神的な正常さ」の方なのである。
=====
正常人は、こういった本来の定義でのミームに、最初から伝染させられているのである。
だから、いくら家族が別のミームに感染しようとも、家族の外側に同じミームを持つ別の個体が必ずいる。
正常というミームを。
あ、一応義理立てで言っておくと、精神分析なら「転移の袋小路」って言われてることやね。この「Folie a deux」って。
「ミームによる伝染」たる「感応」とは、精神分析用語なら「転移」だ、ってことか。
堀江どぅーん!
いや意味ない。
やべ、りゅりゅりゅりゅーりゅりゅが頭の中で止まらない。
こういう科学教養アニメやんねえかな。
いや今もあるけど、『ミーム』とか大人が見ても雑学学習レベルにおもしろかったと思うのに。今の科学教養アニメってくっだんねーテーマばっかりだろ? まだ『科学くん』や『学校では教えてくれないそこんトコロ』の方がおもれーわ。いやこういうのをアニメでやれっつってんの。バラエティじゃなくて。ストーリー仕立てで。
現在唯一そういう「科学教養物語」としてあるのは『京極堂シリーズ』ぐらいだわ。『シルクロード少年ユート』あたりとかおしかったけどなあ。
学問的教養と、妄想たる物語の接合。
学問的教養なんて、学術用語なんてのもしょせんただの言葉だぜ? つまりは妄想だ。
こういった「学問的教養に対する軽やかさ」が今の若者にはない。「ゆとり教育」とか、2ちゃんで「ゆとり」って言葉が侮蔑語として成り立っている事実を考えると、若者たちの「学問的教養に対するコンプレックス、なんらかの妄想的な思い入れ」をより促進している状態だと考えられる。
「ミーム」だって学術的用語としてじゃなくてあの奇形クリーチャーを連想していいんだよ。
ミームの中の人って『ドリモグ』とか「ああ」って思うのもあるけど『北斗の拳』のマミヤとか「ええ」ってのもやってるのな。すげーわ。
あたし声優目指すべきだったな。舞台役者なんてしないで。
アンパンマンに似てるらしいよ、声。
あ、風野春樹ってこことかで「自分はスキゾイドだ」みたいなこと言ってるが(まあネタだろうけど)、わたしの診断では彼はポスト・フェストゥムでいわゆる抑鬱症者だよ。中坊俊平太と同種の人間。
こういう奴がさー、自分の抑鬱症症状をスキゾイド症状と勘違いするからややこしいんだよな。いやまあ確かに似てるんだけどね。抑鬱症症状とスキゾイド症状って。この記事でもそう書いた。
うぜえ。
未去勢者たちはまずこういった人間を殺せ。
あ、ここでの「殺す」は「親殺し」とかそういった意味よ(ニヤニヤ)。
2ちゃんメンヘラ板のスキゾイド当事者が集まるスレから。
「で、結局スキゾイドって何が欠けてる病気なの?」
「愛」
風野のその記事とか「愛」で溢れてるじゃん。「精神的な正常さ」に対する。
「いや愛じゃない、俺は精神科医だからだ」って?
ふうん、木村敏とかも精神科医で自称ポスト・フェストゥムだけど「正常であることがいやんなる」みたいなこと言ってるぜ? つかこの言い訳こそが「役割同一性」じゃん。ってただのわたしの妄想だけど。
それって「ネタにマジレス強迫症」と同じ症状じゃねえの。
スキゾイドの「心的距離の遠さ」は「ネタにマジレス」なんかじゃないんだよ、バーカ。
この記事から。
=====
たとえばスキゾイドを考えてみよう。スキゾイドは、その情動を定型人たちのように「(自分と同じ形をした)人間(という総体)的なもの」に限定して向ける傾向がないだけで、自然物や人工物や断片的なものに拡散的に向いているのであり、情動がないわけではない。それがスキゾイドの特徴たる「心的距離の遠さ」という表出になっているのであり、そもそもわたしたちが「心的距離」という言葉を考える場合、人間対人間の心的距離しか想像できないから、「遠い」という表現になっているだけなのだ。
=====
そゆこと。
あ、「堀江どぅーん!」の記事から。
=====
妻は、医師に対して「宇宙語を喋るのがなぜいけないのか。人間のレベルが高くなったからしゃべるのだ」と反論し、
=====
これなー。もし彼女の「宇宙」が、わたしの言う「華厳の極楽」だったとすれば、こう言いたくなる気持ちわからなくないんだよ。ここのコメント欄から。
=====
わたしが住んでいる、住んでいた、かもしれないが、少なくともパニック障害と診断されている現在、わたしの主観世界に近接している「その世界」は、「極楽」でも「天国」でもない。
いやまあ、「善/悪」や「快/不快」などといった、人間精神における重大な二項区分ですら、あほらしくなるほど圧倒的で過剰な世界だから、「超越している」という意味でそんな風な表現になるのはまあわからなくもないが。
でも正常人ってバカだから、「極楽」とか「天国」って言うと、そいつの主観で勝手に連想して、「善」や「快」に引き戻しちゃうでしょ?
その世界を劣化してでしか想像できない。
正常人たちは。
=====
もしその「宇宙」がわたしの言う「華厳の極楽」だったら。
もしかしたら彼女は「宇宙」を本当に実感したのかもしれない。もちろんそれは科学的な意味での「宇宙」ではない。しかし、その世界を示す言葉は、少なくともわたしのボキャブラリーにはない。本で読み齧った「華厳思想が表現する極楽」が一番似ていると思えたので、「華厳の極楽」と述べているだけ。
言葉がないゆえ、こういった言語体系を築いてきた、築いている多くの人たちは、この世界を知らないんだ、と推測できる。合理的な推測。
まあ華厳思想は若干わかってそうかな、と。確かめるすべはないけど。ジル・ボルト・テイラーの「天国」も同様。そこに貼られてあるジルおばちゃんの動画だって言ってることは「「天国」を知っている私のような高度な人間にナリナサーイ」じゃん。ぶっちゃければ。
ともかく。
それは圧倒的で過剰な世界だ。
圧倒的だからこそ、周りの多くの人間が執着する、あるいは煩わされている、さまざまな思考、それは大体「快/不快」や「善/悪」というニ項対立に帰着するんだけども、そういった思考回路がな、バカバカしく思えるんだ。それが圧倒的すぎて。
すべての物がただそうであるだけの世界。何もかもがそのものである世界。いわば無意味な世界。しかしそれは抑鬱症的な沈鬱した世界ではない。
無意味なそのものがただそうであるだけなのに、圧倒的で過剰。そんな世界。
それを知っているわたしから見れば、お前たちはバカバカしいことに煩わされている低レベルな人間なんだと思える。
そう思ってしまうのも仕方ないだろ、っていう。
「じゃあそんな低レベルな俺たちに対し「殺す」なんて必死になんなよwww」
うん。でもな、そうなったら、あたしこの妻になっちゃうだろ。ジルおばちゃんだって、知識がある人間だからこそそう診断されはしないだろうが、症状として見ればあの動画の彼女は一種の精神病だと言えなくない。
つまり、わたしは正常でいるために、お前らという低レベルな人間に対し必死になってるんだよ。
その圧倒的な世界について、「そんなに持ちあげるほどいいものじゃない」と言ってる。ここでしているようにわざと貶めて書いている。実際それは圧倒的なだけで気持ちいい世界などではない。「天国」や「極楽」なんかじゃない。むしろ「宇宙」の方が正しいのかもな。凍えるし窒息するし迷子になるし。
この「圧倒的で過剰な世界」と、「精神的な正常さという妄想」を天秤にかけて、バランスを取っている。その妻やジルおばちゃんみたいに「圧倒的で過剰な世界」を優先したりしない。
ま、そういうことにしといてくれ。
めんどくせ。
でも、もうちょっと年取ったら、「もういいよね、僕疲れたよパトラッシュ」的に、その妻やジルおばちゃん化しちゃうかもしれないけどね。
いやだなー。キモイなー。
まあ一種のネタ話で本当かどうか知らないんだけど。
熱狂的なジャニーズファンの母親がいたんだな。
あるときその母親、何を思ったか、友人たちに「うちの息子、ジャニーズのオーディションに受かった」って言っちゃったんだ。
んでどうしたか。
小学生の息子をジャニーズに受からせるよう猛特訓させて、ノイローゼにしちゃったらしいんだな。
その母親の言い分。
「ジャニーズになれば息子も人気者になる。息子のためを思ってやったことなんです」
子供とかこういう嘘つくよな。
それはともかく、この母親は(実在していれば)なんらかの人格障害ってされてもおかしかないと思うけど、はたして彼女だけが異常なのだろうか。
ママさんちのコメント欄から。
=====
大体ここにコメントしている「計算マコちゃん」な自閉症児親たちのブログもそうだよな。
「自閉症者との負の側面」をまったく隠蔽してブログを書いている。
だから同じ自閉症で字の読めるアスペから「その子自閉症じゃないじゃないか」とか言われるんだよ。
自分自身の「無自覚な快楽主義」という精神疾患的症状のせいで、自分が不愉快な面をブログに書かない。
そのせいで、お前たちが無自覚につく嘘のせいで、子供たちがいわれのない批判にさらされる。
このことを肝に銘じておけ。
=====
わたしにはこういった自閉症児親たちと、先のジャニーズファンの母親は、同じ精神構造をしているように思えるんだが。
ブログで子供のことをいいように書けば書くほど、親は「いい子供」を子供たちに強制してしまっていないだろうか。
無自覚的に。
ジャニーズファンの母親がついた嘘と、自閉症児親たちが書く「とても自閉症には思えないほどよくできた子供」についてのブログは、彼女ら自身の心に、無意識に、同様の作用を及ぼしてはいないだろうか。
この点を踏まえて、自閉症児親たちは、自分の心を振り返ってほしい。
わたしアスペじゃないし他人事だしどうでもいいんだけど、「あんた大丈夫? 子供じゃなくてあんた自身が。現実逃避具合ハンパなくない? なんかの精神疾患にかかってなくない?」ってレベルのブログもちらほらあるのは事実。
まあこんな指摘「ネタにマジレス」なのかもしれないが。
それほんとにネタで済んでる? ジャニーズ親だって、ネタのつもりが回り回ってそんな嘘になっちゃったのかもしれないぜ?
ま、そんな揶揄。
でも、このジャニーズ親の嘘も、自閉症児親ブログの「自閉症には思えないほどよくできた子供」像も、「親の愛」なんだよね。
その子供もノイローゼにならず本当にジャニーズになってれば、母親のそうした「愛」に感謝するかもしれない。
「ミームによる伝染」なあ。
「フォリアドゥの物語は、多くの場合、愛についての物語なのである。」なあ。
いわゆるうまくいってる状態の親子関係こそが、「感応精神病」なんじゃねえの。
「ミームによる伝染」が成功している状態。
りゅりゅりゅりゅーりゅりゅ。
「親の愛」だから世間的に許されている、むしろ推奨されている「感応精神病」。
厄介だねえ。
自閉症は、「感応精神病」における「ミームによる伝染」たる「感応」が不得手な個体である。
「Folie a deux」は、感応できている間は、外部からの接触を考慮しなければ、当事者たちはそれなりに幸福なのである。
自閉症児の苦しみは、正常人ならば少なからず成り立っているはずの「親子関係という感応精神病」が成り立っていない苦しみなのだ。
風野の記事から。
=====
それでは、狂うことができなかった家族はどうなるのだろう。
家族を正気に戻すために戦う? 家族を捨てて逃げる? 映画ならともかく、現実にはどちらもよほどの覚悟がないとできそうにない。それに、もし、戦うことも逃げることもできない無力な子どもだとしたら? 家族は狂気を共有することを強要するだろう。暴力も振るうかもしれない。狂うこともできない子どもは家族からの虐待に耐えつつ、ただひとり孤立するほかあるまい。狂気に陥っている集団の中では、正気を保っている人物こそが狂人なのである。
これは、狂気に感染した家族よりもはるかに悲惨なんじゃないだろうか。
=====
これは、自閉症児のことなのである。
しかし、正常人ならば、家族の外に理解者はいる。自分という正気と同じ正気を保っている人間がいる。別に「捨てる」までしなくとも相談は可能である。実際にこういった事例の多くは、「感応」し損ねた正気な家族が正気な医者に相談して発覚する。
自閉症児には、それさえもいない。
同じ自閉症者同士であっても、ミームは伝染しない。
なぜなら「ミームが伝染しにくい」「感応しにくい」障害なのだから。
ある自閉症当事者は言った。
「自閉症の生活とは、ガラスの箱の中で必死にわめいているようなことなのです」
一方、正常人は。前記事から。
=====
そもそもミームとはなんぞや。
文化とは伝播するものだ。
それは生物が自己複製するのと同じようなことと考えられないか。
たとえば、Aという文化があり、隣接地域に類似するA'という文化が生じた。文化が伝播した。
このとき、Aを親と考えれば、A'は子だ、ということになる。
文化というものをこういう風に考えよう。
生物ならば、自己複製性の原因である遺伝子がある。
こういった「文化の遺伝子」を仮定しよう。
これがミームである。
(中略)
ともかく、これを見ればわかるように、「ミームによる伝染性」は、正常人同士でもありえる、ということである。ミームにより伝染される文化を生きる人たちは、全員異常者なのだろうか。否。多くは「精神的に正常」とされる人々だろう。その文化に適応している心だからこそ、正常とされるのである。
であるならば、「ミームにより「精神的な正常さ」が伝染する」というわたしの主張は、何もおかしくない。
むしろ「精神病がミームにより伝染する」という風野春樹の主張の方が誤っている。ミームという概念の定義を考えれば。
むしろミームにより伝染されるのは、「精神的な正常さ」の方なのである。
=====
正常人は、こういった本来の定義でのミームに、最初から伝染させられているのである。
だから、いくら家族が別のミームに感染しようとも、家族の外側に同じミームを持つ別の個体が必ずいる。
正常というミームを。
あ、一応義理立てで言っておくと、精神分析なら「転移の袋小路」って言われてることやね。この「Folie a deux」って。
「ミームによる伝染」たる「感応」とは、精神分析用語なら「転移」だ、ってことか。
堀江どぅーん!
いや意味ない。
やべ、りゅりゅりゅりゅーりゅりゅが頭の中で止まらない。
こういう科学教養アニメやんねえかな。
いや今もあるけど、『ミーム』とか大人が見ても雑学学習レベルにおもしろかったと思うのに。今の科学教養アニメってくっだんねーテーマばっかりだろ? まだ『科学くん』や『学校では教えてくれないそこんトコロ』の方がおもれーわ。いやこういうのをアニメでやれっつってんの。バラエティじゃなくて。ストーリー仕立てで。
現在唯一そういう「科学教養物語」としてあるのは『京極堂シリーズ』ぐらいだわ。『シルクロード少年ユート』あたりとかおしかったけどなあ。
学問的教養と、妄想たる物語の接合。
学問的教養なんて、学術用語なんてのもしょせんただの言葉だぜ? つまりは妄想だ。
こういった「学問的教養に対する軽やかさ」が今の若者にはない。「ゆとり教育」とか、2ちゃんで「ゆとり」って言葉が侮蔑語として成り立っている事実を考えると、若者たちの「学問的教養に対するコンプレックス、なんらかの妄想的な思い入れ」をより促進している状態だと考えられる。
「ミーム」だって学術的用語としてじゃなくてあの奇形クリーチャーを連想していいんだよ。
ミームの中の人って『ドリモグ』とか「ああ」って思うのもあるけど『北斗の拳』のマミヤとか「ええ」ってのもやってるのな。すげーわ。
あたし声優目指すべきだったな。舞台役者なんてしないで。
アンパンマンに似てるらしいよ、声。
あ、風野春樹ってこことかで「自分はスキゾイドだ」みたいなこと言ってるが(まあネタだろうけど)、わたしの診断では彼はポスト・フェストゥムでいわゆる抑鬱症者だよ。中坊俊平太と同種の人間。
こういう奴がさー、自分の抑鬱症症状をスキゾイド症状と勘違いするからややこしいんだよな。いやまあ確かに似てるんだけどね。抑鬱症症状とスキゾイド症状って。この記事でもそう書いた。
うぜえ。
未去勢者たちはまずこういった人間を殺せ。
あ、ここでの「殺す」は「親殺し」とかそういった意味よ(ニヤニヤ)。
2ちゃんメンヘラ板のスキゾイド当事者が集まるスレから。
「で、結局スキゾイドって何が欠けてる病気なの?」
「愛」
風野のその記事とか「愛」で溢れてるじゃん。「精神的な正常さ」に対する。
「いや愛じゃない、俺は精神科医だからだ」って?
ふうん、木村敏とかも精神科医で自称ポスト・フェストゥムだけど「正常であることがいやんなる」みたいなこと言ってるぜ? つかこの言い訳こそが「役割同一性」じゃん。ってただのわたしの妄想だけど。
それって「ネタにマジレス強迫症」と同じ症状じゃねえの。
スキゾイドの「心的距離の遠さ」は「ネタにマジレス」なんかじゃないんだよ、バーカ。
この記事から。
=====
たとえばスキゾイドを考えてみよう。スキゾイドは、その情動を定型人たちのように「(自分と同じ形をした)人間(という総体)的なもの」に限定して向ける傾向がないだけで、自然物や人工物や断片的なものに拡散的に向いているのであり、情動がないわけではない。それがスキゾイドの特徴たる「心的距離の遠さ」という表出になっているのであり、そもそもわたしたちが「心的距離」という言葉を考える場合、人間対人間の心的距離しか想像できないから、「遠い」という表現になっているだけなのだ。
=====
そゆこと。
あ、「堀江どぅーん!」の記事から。
=====
妻は、医師に対して「宇宙語を喋るのがなぜいけないのか。人間のレベルが高くなったからしゃべるのだ」と反論し、
=====
これなー。もし彼女の「宇宙」が、わたしの言う「華厳の極楽」だったとすれば、こう言いたくなる気持ちわからなくないんだよ。ここのコメント欄から。
=====
わたしが住んでいる、住んでいた、かもしれないが、少なくともパニック障害と診断されている現在、わたしの主観世界に近接している「その世界」は、「極楽」でも「天国」でもない。
いやまあ、「善/悪」や「快/不快」などといった、人間精神における重大な二項区分ですら、あほらしくなるほど圧倒的で過剰な世界だから、「超越している」という意味でそんな風な表現になるのはまあわからなくもないが。
でも正常人ってバカだから、「極楽」とか「天国」って言うと、そいつの主観で勝手に連想して、「善」や「快」に引き戻しちゃうでしょ?
その世界を劣化してでしか想像できない。
正常人たちは。
=====
もしその「宇宙」がわたしの言う「華厳の極楽」だったら。
もしかしたら彼女は「宇宙」を本当に実感したのかもしれない。もちろんそれは科学的な意味での「宇宙」ではない。しかし、その世界を示す言葉は、少なくともわたしのボキャブラリーにはない。本で読み齧った「華厳思想が表現する極楽」が一番似ていると思えたので、「華厳の極楽」と述べているだけ。
言葉がないゆえ、こういった言語体系を築いてきた、築いている多くの人たちは、この世界を知らないんだ、と推測できる。合理的な推測。
まあ華厳思想は若干わかってそうかな、と。確かめるすべはないけど。ジル・ボルト・テイラーの「天国」も同様。そこに貼られてあるジルおばちゃんの動画だって言ってることは「「天国」を知っている私のような高度な人間にナリナサーイ」じゃん。ぶっちゃければ。
ともかく。
それは圧倒的で過剰な世界だ。
圧倒的だからこそ、周りの多くの人間が執着する、あるいは煩わされている、さまざまな思考、それは大体「快/不快」や「善/悪」というニ項対立に帰着するんだけども、そういった思考回路がな、バカバカしく思えるんだ。それが圧倒的すぎて。
すべての物がただそうであるだけの世界。何もかもがそのものである世界。いわば無意味な世界。しかしそれは抑鬱症的な沈鬱した世界ではない。
無意味なそのものがただそうであるだけなのに、圧倒的で過剰。そんな世界。
それを知っているわたしから見れば、お前たちはバカバカしいことに煩わされている低レベルな人間なんだと思える。
そう思ってしまうのも仕方ないだろ、っていう。
「じゃあそんな低レベルな俺たちに対し「殺す」なんて必死になんなよwww」
うん。でもな、そうなったら、あたしこの妻になっちゃうだろ。ジルおばちゃんだって、知識がある人間だからこそそう診断されはしないだろうが、症状として見ればあの動画の彼女は一種の精神病だと言えなくない。
つまり、わたしは正常でいるために、お前らという低レベルな人間に対し必死になってるんだよ。
その圧倒的な世界について、「そんなに持ちあげるほどいいものじゃない」と言ってる。ここでしているようにわざと貶めて書いている。実際それは圧倒的なだけで気持ちいい世界などではない。「天国」や「極楽」なんかじゃない。むしろ「宇宙」の方が正しいのかもな。凍えるし窒息するし迷子になるし。
この「圧倒的で過剰な世界」と、「精神的な正常さという妄想」を天秤にかけて、バランスを取っている。その妻やジルおばちゃんみたいに「圧倒的で過剰な世界」を優先したりしない。
ま、そういうことにしといてくれ。
めんどくせ。
でも、もうちょっと年取ったら、「もういいよね、僕疲れたよパトラッシュ」的に、その妻やジルおばちゃん化しちゃうかもしれないけどね。
いやだなー。キモイなー。