「天使病」
2010/09/19/Sun
ある精神医者がその著作で、冗談まじりに「天使病」という名称を使った。
具体的な症例も書かれていた。ある女性の場合。日常生活は、やや抑鬱症状にも似た消極さが見られるが、客観的に言えばいたって健常な毎日を送っている。しかしその内面では、「私は天使である」と思い込んでいる、というのだ。
これ以外の症例も記されていた。その男性の場合は「天使」ではなかったが。前述の女性と同様に、社会的活動には消極的な性格であった。アルバイトはしていたが、それ以外はずっと家の中で過ごすことが多い。世間一般で言われる「ひきこもり」に含まれるタイプであろう(著者自身がそう書いていた)。
彼の場合は、あるアニメに登場する、主人公にいつもつき従っている小さなドラゴンが自分であると思い込んでいた。そのアニメの設定では、ドラゴンは神族が人間族に使わしたということになっている。神の使徒だから「天使」だ、というわけだ(そう著者が言っているのである)。
著者はここでユングの元型理論を引き、「天使という元型」理論を展開するが、専門的な話になっているので割愛する。
著者の論を引き続き要約する。
こういった、自分が神や天使だと思い込むのは、一種の精神病の典型として昔からある。昔の方が多かった。それが「科学が神を殺してしまった現代」において、このような形で復活している、とも言えよう。
いや、いくら「科学が神を殺してしまった現代」だとはいえ、「自分は神だ」と思い込む事例は、まったくなくなったわけではない。著者はオウム真理教などと言った新興宗教の教祖たちも、こういった精神病の一種だ、と言い切る(この部分、一般的な感覚を述べているだけなのだが、一読者として多少心配してしまった)。著者は触れていなかったが、そこまで有名な事例でなくとも、自分を「唯一神だ」と称し、さまざまな選挙に出馬し落選し続けているある政治運動家の事例もある。
こういったいわば「神族妄想病」と、この「天使病」には明らかな違いがある、と著者は言う。その違いとは。
簡単に言えば、「神は宗教団体を作れるが、天使は作れない」である。
事例を見ればわかるように、「神族妄想病」は、その妄想を他者に伝染させることに過剰に積極的である。一方、「天使病」の二人は、抑鬱症状的な性格、ひきこもりと言ってよいような性格であり、その妄想を他者に開陳することすらしない。著者がそれを聞き出せたのも、彼らと長い間やり取りをして、やっとのことでできたことだ、と言う。
しかし、と著者は続ける。
そもそも妄想とは誰しもが持っているものである。「自分はこういう人間だ」ということ自体が妄想と言えないだろうか。単に他者と合意できた妄想であるかないかの違いだけで。
二つの「天使病」を見ればわかるように、彼らの「自分はこういう人間である」という妄想は、他のどの他者とも共有できていない、と言えるだろう。
印象的には、「神族妄想病」の人たちより、「天使病」の方が、一般的な、ごく普通の性格をしている、と彼は言う。一方「神族妄想病」はどんな人間でも一目見れば異常だとわかる、と。確かにそうだろう。
だが、「神族妄想病」の妄想は、他者と共有されている場合も多い。それこそ新興宗教の信者たちはその妄想を信じているだろう。彼の妄想は他者と共有されている。
それはむしろ、正常と呼ばれている人たちに近い精神構造なのではないか、と。
正常な私たちと、新興宗教の教祖は、何が違うのか、と。
著者はこう言う。
「人間は神でも天使でもない。宗教自身がそのように言っている」
であれば、「自分は神だ」「自分は天使だ」という妄想を、他者から共有されていない「天使病」の人たちの方が、むしろ健全な精神なのではないか、と。
ミカ自身もそういうところがあった。自覚していた。「自分はどこかで自分を天使のような非人間的な存在ではないかと思っている」と。
ミカは風俗嬢だった。このように書くと何か悲劇のヒロインのような話が膨らみそうなのでいやなのだが、そう言うしかないのでそう言っている。
ミカは自分の仕事を恥ずかしいものではないと感じている。いやもちろん世間一般の感覚で言えば蔑まれる職業なのはわかっている。この仕事を胸を張って語るつもりなんかない。
胸を張れるようなものではないが、かと言って恥ずかしいものでもない、という感じ。
ただ性的な仕事をしてお金をもらっているだけ。
先のことを考えると安定した職業とは言えないし、もっといい仕事があればそっちに就きたい。この仕事に思い入れがあるってわけじゃない。
淡々と、そういう仕事なだけ、と思う。
口で言えば簡単だが、この仕事をそういう風に思える人間はほんと少ないように思える。
風俗で働いていると言うだけで何かしら同情的な目を向ける同性の人間たちすら、変な妄想を持っている。
他人事なんだよな、とミカは思う。
そう、他人事。だから「天使」も他人。自分だと思うけど、「他人としての自分」だ。
それより重要なのは、「天使たちが住んでいる妄想世界」なんだ。
その世界の中に仮に入り込むための着ぐるみとして、「天使」がいる。
なんでこう人間っていつもいつも、キャラクターとか人間っぽいことをメインにして考えるんだろうな。
キャラクターが大事なんじゃないんだよ。
そんなことを考えていると、その本がむかついてきた。
ファンタジーゲームでもやってた方がましだった。
味噌汁が沸騰している。ガスを切る。天使はこんなこと気にするのか、と自嘲する。
天使なんてただの妄想だ。天使自身がそれを自覚している。だから天使はいつもびくびくしている。物理的な影響を受けないところは確かにあなたたち人間とは違う。だけど、他の妄想の影響は受けるんだ。妄想だから。
少しばかりすれてしまった天使は、そうひとりごちた。
「ぶっちゃけさ、僕なんて誰でもいいんだよ。アイドルでもお嫁さんでもなんでもいい。その人のいやな部分さえなければいい。いやな部分がない妄想の人型。ただそれだけ」
違うよ、とミカは口に出してしまう。
誰でもいいわけじゃない。君という人型はさほどたいした問題じゃないから。たいした問題じゃないから、誰でもいいってわけじゃない。歌で言えばアレンジのようなこと。同じメロディ、同じ歌詞でも、アレンジが違えば違う曲に聞こえる。
そうじゃないでしょ、と思ったところで、まるで天使に説教しているみたいだ、と笑ってしまう。
「僕は僕じゃなくちゃいけないんだ。だけど僕はそれほど重要じゃない。だから神じゃない。天使なんだ」
そう、そういうこと。
「わかった、わたし?」
うん、そういうことにしといてあげる。
だから黙ってて。これから仕事だから。
小雨が降っていた。この程度だと逆に傘を差したくない。
「小雨って無重力状態みたいじゃん?」
そう口に出してしまったことに気づいて、周囲を見渡す。
恥ずかしい。
怖い。
具体的な症例も書かれていた。ある女性の場合。日常生活は、やや抑鬱症状にも似た消極さが見られるが、客観的に言えばいたって健常な毎日を送っている。しかしその内面では、「私は天使である」と思い込んでいる、というのだ。
これ以外の症例も記されていた。その男性の場合は「天使」ではなかったが。前述の女性と同様に、社会的活動には消極的な性格であった。アルバイトはしていたが、それ以外はずっと家の中で過ごすことが多い。世間一般で言われる「ひきこもり」に含まれるタイプであろう(著者自身がそう書いていた)。
彼の場合は、あるアニメに登場する、主人公にいつもつき従っている小さなドラゴンが自分であると思い込んでいた。そのアニメの設定では、ドラゴンは神族が人間族に使わしたということになっている。神の使徒だから「天使」だ、というわけだ(そう著者が言っているのである)。
著者はここでユングの元型理論を引き、「天使という元型」理論を展開するが、専門的な話になっているので割愛する。
著者の論を引き続き要約する。
こういった、自分が神や天使だと思い込むのは、一種の精神病の典型として昔からある。昔の方が多かった。それが「科学が神を殺してしまった現代」において、このような形で復活している、とも言えよう。
いや、いくら「科学が神を殺してしまった現代」だとはいえ、「自分は神だ」と思い込む事例は、まったくなくなったわけではない。著者はオウム真理教などと言った新興宗教の教祖たちも、こういった精神病の一種だ、と言い切る(この部分、一般的な感覚を述べているだけなのだが、一読者として多少心配してしまった)。著者は触れていなかったが、そこまで有名な事例でなくとも、自分を「唯一神だ」と称し、さまざまな選挙に出馬し落選し続けているある政治運動家の事例もある。
こういったいわば「神族妄想病」と、この「天使病」には明らかな違いがある、と著者は言う。その違いとは。
簡単に言えば、「神は宗教団体を作れるが、天使は作れない」である。
事例を見ればわかるように、「神族妄想病」は、その妄想を他者に伝染させることに過剰に積極的である。一方、「天使病」の二人は、抑鬱症状的な性格、ひきこもりと言ってよいような性格であり、その妄想を他者に開陳することすらしない。著者がそれを聞き出せたのも、彼らと長い間やり取りをして、やっとのことでできたことだ、と言う。
しかし、と著者は続ける。
そもそも妄想とは誰しもが持っているものである。「自分はこういう人間だ」ということ自体が妄想と言えないだろうか。単に他者と合意できた妄想であるかないかの違いだけで。
二つの「天使病」を見ればわかるように、彼らの「自分はこういう人間である」という妄想は、他のどの他者とも共有できていない、と言えるだろう。
印象的には、「神族妄想病」の人たちより、「天使病」の方が、一般的な、ごく普通の性格をしている、と彼は言う。一方「神族妄想病」はどんな人間でも一目見れば異常だとわかる、と。確かにそうだろう。
だが、「神族妄想病」の妄想は、他者と共有されている場合も多い。それこそ新興宗教の信者たちはその妄想を信じているだろう。彼の妄想は他者と共有されている。
それはむしろ、正常と呼ばれている人たちに近い精神構造なのではないか、と。
正常な私たちと、新興宗教の教祖は、何が違うのか、と。
著者はこう言う。
「人間は神でも天使でもない。宗教自身がそのように言っている」
であれば、「自分は神だ」「自分は天使だ」という妄想を、他者から共有されていない「天使病」の人たちの方が、むしろ健全な精神なのではないか、と。
ミカ自身もそういうところがあった。自覚していた。「自分はどこかで自分を天使のような非人間的な存在ではないかと思っている」と。
ミカは風俗嬢だった。このように書くと何か悲劇のヒロインのような話が膨らみそうなのでいやなのだが、そう言うしかないのでそう言っている。
ミカは自分の仕事を恥ずかしいものではないと感じている。いやもちろん世間一般の感覚で言えば蔑まれる職業なのはわかっている。この仕事を胸を張って語るつもりなんかない。
胸を張れるようなものではないが、かと言って恥ずかしいものでもない、という感じ。
ただ性的な仕事をしてお金をもらっているだけ。
先のことを考えると安定した職業とは言えないし、もっといい仕事があればそっちに就きたい。この仕事に思い入れがあるってわけじゃない。
淡々と、そういう仕事なだけ、と思う。
口で言えば簡単だが、この仕事をそういう風に思える人間はほんと少ないように思える。
風俗で働いていると言うだけで何かしら同情的な目を向ける同性の人間たちすら、変な妄想を持っている。
他人事なんだよな、とミカは思う。
そう、他人事。だから「天使」も他人。自分だと思うけど、「他人としての自分」だ。
それより重要なのは、「天使たちが住んでいる妄想世界」なんだ。
その世界の中に仮に入り込むための着ぐるみとして、「天使」がいる。
なんでこう人間っていつもいつも、キャラクターとか人間っぽいことをメインにして考えるんだろうな。
キャラクターが大事なんじゃないんだよ。
そんなことを考えていると、その本がむかついてきた。
ファンタジーゲームでもやってた方がましだった。
味噌汁が沸騰している。ガスを切る。天使はこんなこと気にするのか、と自嘲する。
天使なんてただの妄想だ。天使自身がそれを自覚している。だから天使はいつもびくびくしている。物理的な影響を受けないところは確かにあなたたち人間とは違う。だけど、他の妄想の影響は受けるんだ。妄想だから。
少しばかりすれてしまった天使は、そうひとりごちた。
「ぶっちゃけさ、僕なんて誰でもいいんだよ。アイドルでもお嫁さんでもなんでもいい。その人のいやな部分さえなければいい。いやな部分がない妄想の人型。ただそれだけ」
違うよ、とミカは口に出してしまう。
誰でもいいわけじゃない。君という人型はさほどたいした問題じゃないから。たいした問題じゃないから、誰でもいいってわけじゃない。歌で言えばアレンジのようなこと。同じメロディ、同じ歌詞でも、アレンジが違えば違う曲に聞こえる。
そうじゃないでしょ、と思ったところで、まるで天使に説教しているみたいだ、と笑ってしまう。
「僕は僕じゃなくちゃいけないんだ。だけど僕はそれほど重要じゃない。だから神じゃない。天使なんだ」
そう、そういうこと。
「わかった、わたし?」
うん、そういうことにしといてあげる。
だから黙ってて。これから仕事だから。
小雨が降っていた。この程度だと逆に傘を差したくない。
「小雨って無重力状態みたいじゃん?」
そう口に出してしまったことに気づいて、周囲を見渡す。
恥ずかしい。
怖い。