ソウカナ
これがもし精神分析の用語なら「欲動」と「防衛」は同じではありませんね。
『死の欲動に対する防衛のひとつが「飽きる」こと』
ならわからないでもないですが、、、、
2010-09-24 金 11:51:53 /
URL /
フジタ /
編集
本物かどうかしらんが
「だったりするのかもしれない」
って書いてるだろ。よく読めよ低脳。
そもそも「防衛」って言えばすべて「死の欲動からの防衛」ってなるのがおかしいだろ。言語的に。
「死の欲動側から、非死の欲動を防衛する」
って意味は成り立たないってわけじゃない。
まあ精神分析ジャーゴンの「防衛」ってのはそういう意味だってのはわかるけどさ。
だから精神分析って他人を切り刻む道具としてしか使えないんだよな、あたし。
「死の欲動側から、非死の欲動(まあ生の欲動とかになるんだろうが)的な何かを防衛する」
これが「自我とは別物の防衛機制たるサントーム」だったりするんじゃねえの、って思うわ。
少なくとも、自閉症の「多重人格じゃないキャラを演じること(ドナ症例からな)」とか「エコラリアやエコプラクシア」は、「死の欲動からの防衛」だとは思えない。
だからと言ってそれを「死の欲動(エントロピー増大則)側からの非死の欲動(ネゲントロピー)に対する防衛」ってするのは、正常人の防衛機制を逆にしただけで浅はかな気もする。
そもそも「生の欲動(ネゲントロピー)/死の欲動(エントロピー増大)」って二項対立が、違和感がある。
自閉症を臨床してるとな。
統失なんかは「いやそれはエントロピーだ、死の欲動だ、それに固執しているんだ」って言ってもよい症例もあるんだろうが。
自閉症おもろいぞ、自閉症。
わたしの言う「華厳の極楽」とか何の思い込みもなく考えてくれる。いや非公開コメントしてきてるアスペ当事者がいるんだけどな。
2010-09-24 金 12:09:28 /URL /脂 /
編集
「飽きること」が、わたしと周りの多くの人で違うのはなんとなく気づいている。
前記事のコメント欄で書いたように、わたしは「飽きること」が怖い。
「怖い」という言葉もあれだが、まあ他に妥当な言葉がないのでそう言っておく。
あれじゃん、こういうことじゃねえの?
「飽きる」ことがすべてになってしまった状態って、いわば抑鬱状態だろ? デプレッションだ。
精神分析治療は、クライエントを一旦デプレッションにさせるんだろ。
そこで「あの感動的な一瞬(by十川幸司)」たる「ファルスの再発見」、「分析家のディスクール」における「余剰物の位置にあるファルス」が生じるわけだ。
ファルスのある、ファルス再発見が可能な「飽きる」と、わたしの「飽きる」は別物なんじゃね。
そうだよな、多くの人の「飽きる」って、なんか「いいもの」として語られてるじゃん。「飽きてないこと」は「必死だなwww」とか「粘着うぜえ」とか叩かれる。
そこがわかんねえんだよなあ。
「飽きる」ってそんなにいいことか? って。
わたしにとっては「飽きること」こそがそのまま「死」なんだが。
そうだろ、すべてのものに飽きた状態とは、生命活動が停止した状態だ。
2010-09-24 金 12:16:16 /URL /脂 /
編集
だからあたしゃ抑鬱症者が嫌い。
ゾンビだろ、あいつらこそが。
顕教が称揚するような「もののあはれ」「わびさび」の極地的な「聖人のイメージ」も嫌い。嫌いっつかわたしは聖人と思えない。
ゾンビじゃん、ただの。「生ける屍」。
2010-09-24 金 12:19:25 /URL /脂 /
編集
>少なくとも、自閉症の「多重人格じゃないキャラを演じること(ドナ症例からな)」とか「エコラリアやエコプラクシア」は、「死の欲動からの防衛」だとは思えない。
これについて補足。
解離性同一障害の複数の人格なんかは、「死の欲動に対する防衛」でいいよ。
2010-09-24 金 12:21:35 /URL /脂 /
編集
てんかん患者の中には、てんかん発作を自慰的に楽しむ人がいる。ドストエフスキーのギャンブル好きなんかはそういうもんだと思うぜ。株とかやってる人ならわかるはず、『カイジ』とかで言われている「あのひりひりとした感じ」。
んじゃさ、PTSDの人の中にも、トラウマが回帰した状態を、「別に好きでやってるわけじゃないけどそれに自慰的に進んでしまう」って人がいるかもしれない。
つかこれが死の欲動だよな。「本当に、単純完璧にトラウマが不快なものなら、思い出したりしないはず」ってな。ここが説明できないから「死の欲動」なんて風に口が滑っちゃったわけだ。フロイトは。
でもさー、PTSDはわからんが、ドストエフスキーのギャンブル好きって、わたしも株やってるからわかる気がするんだよね。わたしも子供の頃てんかんだったらしい(親はいまだ口を割ってないから本当かどうか知らない)。
ドストエフスキーのギャンブル好きは、てんかん症者が自慰的に楽しむ発作は、「「飽きること」からの防衛としての、死の欲動的なもの」だと思うんだ。
ってこう書くとただの倒錯だな。
おっさんが本物かどうか知らんが、あなたが目をきらきらさせて書いている倒錯者たち。
あれだ、この記事はネトゲ文化の話で、あなたのような人間からのツッコミは「うざい、実際にネトゲ文化をフィールドワークしてからコメントしてくれ」って思っちゃうんだが、そういうわけでネトゲの話をする。
ネトゲ板で「萌え絵うぜえ、飽きた」って言う奴の多くは、洋ゲと言われる西洋産のMMOを好む傾向があるんだな。
洋ゲってのは、アジア産MMOと比べると、PK(めんどいからぐぐってね)やらがメインになったりしている。
つまり、アジア産MMOと洋ゲを比較すると、洋ゲの方が死の欲動的な要素が顕著なんだ。
まあ、そういう話だ。
2010-09-24 金 12:40:26 /URL /脂 /
編集
プレイヤーキャラ同士が殺しあいしたりスリやったりする「殺伐とした」ゲーム(『ウルティマオンライン』がそうらしい。中坊俊平太って人がUO厨らしいから話聞いておいで)を求めるのは、一種動物的だ。野性的な動物。
実際そういったゲームの正統的な後継作と認められている『Mortal Online』なんかは、ちんちん丸出し、パイオツ丸出しのゲームキャラからスタートする(なので18禁らしい)。
これとさ、東浩紀が描く「コンサートを楽しく聴くカエル」みたいな「動物」とはまったく別物だよな。
2ちゃんにもある「殺伐を好む傾向」が説明できない。
2010-09-24 金 12:48:20 /URL /脂 /
編集
なんかさ、「死の欲動」っていうエントロピー増大状態を、「静的なもの」って思っちゃう傾向があるよな。pikarrrたんとかもそんな風に書いてた。
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20051214
これ間違ってるよな?
ラカン派で死の欲動をエントロピー増大として考えられているのはわたしあなた一人しか知らないんだけど、あなたはどう思う?
死の欲動というエントロピー増大は、「静」か「動」か。
エントロピー増大則こそが「動」だろ、ってわたしは思うんだが。
そうだろ? 物性物理学におけるエントロピー増大則のイメージ的な代表例は、ブラウン運動だ。
2010-09-24 金 12:58:46 /URL /脂 /
編集
エントロピー増大則とは「動」だ。
「生/死」は「動/静」だ。
だとしたら、死の欲動こそが、「科学的な意味での生」なんじゃねえの?
2010-09-24 金 13:00:09 /URL /脂 /
編集
わたしはこのブログで、
「死の欲動こそが、生まれたばかりの赤ん坊している「生きるやり方」だ」
と述べているが、これはクライン論にあてはまるよな。妄想分裂態勢ってなそうなんだろ?
ぶっちゃけると、
「死の欲動こそが、本当の(と言うと言いすぎなので)、科学的肉体がする、生だ」
とわたしは思ってるんだけど。
どうよ?
2010-09-24 金 13:07:22 /URL /脂 /
編集
この記事のコメント欄で
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-783.html
あたし「うわああああ」ってなってるけど、「精神疾患にかかりにくい(かかりにくそうな)人」として、あるアイドルの卵を思い出したからなんだよな。
「中心気質」なんて言ってるけどこの辺自信ないのでスルーしてくれ。
で、自閉症は。
自閉症も「自然体」なんだよな。「無邪気」だ。「自閉症とは自開症である」って巷の言葉はそういう意味だ。
これな、わたしがその記事で描いている「中心気質」「精神疾患にかかりにくそうな人」ってのは、「生の欲動というネゲントロピーにおいて自然体な人」だと思うんだ。
一方自閉症は、「死の欲動というエントロピー増大において自然体な人」。
人間には生の欲動も死の欲動もある。
だからどっちかに必死になったりする。自然体じゃなくなる。
それが神経症なわけだろ。
2010-09-24 金 13:13:27 /URL /脂 /
編集
>一方自閉症は、「死の欲動というエントロピー増大において自然体な人」。
ああ、こりゃ違うな。
去勢済み主体は死の欲動について過剰反応するから(それこそあんたの言う「精神分析ジャーゴンとしての「防衛」」)、不自然になる。
「精神疾患にかかりにくそうな人」ってのは、死の欲動をなんらかの機制によって、主観世界から排除しきれた主体だから、自然体となる。
自閉症は死の欲動に対して、正常人ほど過剰に身体的反応を催さない人たちだ、って感じかな。厳密には。
だから「生の欲動、死の欲動両方あることについて不自然にならない」となる。
いや成人アスペなんかは不自然極まりないんだがね。子供の自閉症が、ってこと。あとカナーとか。
わたしは過剰だなw
そうだろ?
「発作を自慰的に楽しむてんかん症者」は発作状態に対して自然体と言えるだろうか?
わたしゃこっちだな。
いやこれが自然体なんだがな。体がそうしてしまうだけ。
あれだ、猿にオナニー教えたら死ぬまでやっちゃうんだろ? オナニーし続ける猿にとってすれば、オナニーする体は自然体だ。
2010-09-24 金 13:17:49 /URL /脂 /
編集
ああごめん、最初の罵倒は
>この記事はネトゲ文化の話で、あなたのような人間からのツッコミは「うざい、実際にネトゲ文化をフィールドワークしてからコメントしてくれ」って思っちゃうんだが、
って意味。
明らかにあなたのコメント、ネトゲの話をするつもりのコメントじゃないでそ?
揚げ足取りにしか思えないんだよな。
だから罵倒した。
2010-09-24 金 13:22:33 /URL /脂 /
編集
とか思ったがこの記事「未分類」のままだったな。
すまんな、このブログ、デフォカテゴリが「未分類」なんだよ。
「ゲーム」に直した。
2010-09-24 金 13:26:48 /URL /脂 /
編集
わたしが「「魔女としての学者」と言ってあげてもいいかもしれない」としている、複雑系研究をしている金子邦彦の言葉。
「複雑なものを複雑なまま理解する」
これ、あんたがケンカした向井が書いているこのコラムと共鳴しているとわたしは思えるんだが
http://psychanalyse.jp/columns.html#Theorie_et_pratique
=====
つまり精神分析理論の紆余曲折はその対象の紆余曲折と同一なのだということである。
=====
あなたはどう思う?
死の欲動をエントロピー増大だとして、口だけじゃなくそれをベースに精神分析論を組み立てているあなたは、「魔女かどうかはわからんが、「魔女がする学問としての科学」をやっていることにはなる」と判断している。
しかしBBSにいる連中はだめだ。
ああいう奴が魔女としての学者を、金子邦彦みたいな「社会的に自閉的な学者」の居場所を奪うんだよ。研究室をな。
ああいう人間たちが、魔女を、「死の欲動という科学的な生」を殺しているんだよ。
2010-09-24 金 13:33:56 /URL /脂 /
編集
コトバハコトバノコトバカリ
2010-09-24 金 13:43:05 /URL /フジタ /
編集
わたしから言えば
「エントロピー増大を「静的なもの」と思っちゃう感覚」
の方こそが精神疾患なんだけど。キチガイの考え方だ、と。
いやわたしの方がキチガイなんですよね。
死の欲動に取り込まれたのがキチガイなんでしょ?
だからわたしはキチガイでいいよ、つってるの。
でもわたしから見たら、科学的に明らかに間違っているのに「エントロピー増大を「静的なもの」と思っちゃう」人ってのが、キチガイに思えるのは事実。
事実だからそう言っているだけ。
「キチガイ」って「自分の主観じゃ理解不能な人」って意味なんだな、きっと。わたしにとって。
2010-09-24 金 13:43:57 /URL /脂 /
編集
>コトバハコトバノコトバカリ
ああ、それが自閉症のエコラリアだよ。
アスペだってエコラリアしてるもんだ。
アスペには何かスイッチ入ったら「自分が興味あることについてマシンガントークする」って症状あるだろ?
言葉を信用しているわけじゃないが、ただの道具として用いているんだよな。
ブリコラージュだよ。
正常人にとっての言葉は言葉じゃない。だから大文字の他者になる。
わたしは自覚してるよ、「言葉は言葉としての言葉しか喋れない」って。
だから谷山浩子のこのセリフの意味がわかる。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-377.html
=====
それにしてもわたし、こんな口の聞き方いつの間に覚えたんでしょうね
「嘘のように漂っている耳障りのいい言葉」だなんて
ほんとに耳障りのいい言葉
申し分のない活字の言葉
わたしはどうしてもこの紙の上から自由になれません
もうめんどくさい 黙ってしまえ
世界一くだらない人間になって、立派なものをいちいちやっかんで、そして
=====
さて、おっさんはこれどう分析すんの?
言葉は言葉だろ、jk。
科学が研究しているのは「言葉」じゃない、「物」だ。
いやま、「物としての言語」を研究しているならありだがな。言語学は。
言葉は言葉としてのことばかりな方が、科学者なんじゃね。
あんたのやってる精神分析は、科学なの?
2010-09-24 金 13:48:11 /URL /脂 /
編集
あんた「精神分析はメタ科学だ」つってるけど、科学がどういうものかわかってないんじゃね?
メタじゃねえじゃん、それ。
「非科学だ」って言った方が正確だ。
2010-09-24 金 13:50:43 /URL /脂 /
編集
科学者なんてな言葉を信用してないだろ、数式ですら。
そらそうだ。
物の方が重要なんだから。
だから物の性質が、それまでの言葉や数式をひっくりかえすようなことがあれば、それまでの言葉や数式は「間違いだった」となる。
2010-09-24 金 13:54:47 /URL /脂 /
編集
不真面目だな、あんた。
不真面目でもいいが、それでコメントすんなよ。
あたしが飽きちゃうから。
2010-09-24 金 13:56:03 /URL /脂 /
編集
つかゲームの話をしている記事なのにゲームじゃない話をしてこられて、だから一応それらをつなげる説明をしてやったわけだが。
わざわざゲームじゃない、精神分析もちょくちょく触れてるドストエフスキーの話をしてな。
めんどくせえなあ、もう。
2010-09-24 金 14:08:26 /URL /脂 /
編集
いやまああれだ、このタイトルの「防衛」は精神分析ジャーゴンとは正反対だっていうのはその通りだと思うよ。そういう機制の総体的なものが「自我」だと。
正常人がするキチガイからの防衛、な。
キチガイがする正常人からの防衛は、存在しないのか?
ドナがする「複数の人格を演じること」は、「他者とつながりたくて」やってることなのか?
そう考えたらこの記事で述べているたまきんのごとき精液垂れ流しな思考になるだろうな。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-613.html
本当にそうなのか?
確かに解離性同一障害の複数の人格なんかは、「他者とつながりたくて」「他者としての人格」を作りあげたのだろう。
自閉症はそうではないんじゃないか。
この「人間が持つ他者とつながりたがる傾向」を、わたしが宗教施設などで実感した「ねばねばしたもの」と考えるならば、彼ら彼女らに「ねばねばしたもの」はない。
であるならば、彼ら彼女らは、むしろ逆に、「多くの人間が持つ他者とつながりたがる傾向を持たない自分の肉体」を防衛するために、そういった人格を演じているのではないか。
わたしにはそう思えるんだがな。
たまきんの論文から。
http://homepage3.nifty.com/tamakis/%8D%D6%93%A1%8A%C2/HugBoxor.html
=====
彼女がおそれる具体的な行為を挙げてみよう。それはまず相手と視線を合わせることであり、抱きしめられることであり、体に触られること、指示されること、そして優しくされることである。例えば「やさしさ、親切、愛情には身がすくむp.58」とある。これら彼女の嫌いなものに、どんな共通点があるだろうか。
おそらくこれらはいずれも、心的組織を主体へと凝集させる契機にほかならず、それゆえ彼女はこの契機を逃れるためにあらゆる努力を惜しまないのである。例えばまなざしや親密さは、それを受けるものに対して、ほとんど暴力的に同一性や主体性を強いてくる。ドナにとって、愛や親密さが恐ろしいのは、それが暴力にほかならないためだ。われわれはこうした暴力に、たんに慣れ親しんでいるに過ぎない。心的主体を意識しなければいけない場面は、彼女にカタストロフを予感させるのである。
彼女が直接的な暴力に対していかにも無頓着であることも、逆の方向からそれを裏付ける。暴力は身体感覚には訴えてくるが、疎外される感覚はむしろ安心をもたらしたのではないか。彼女が主体化を避けるために作り出したキャラクター、「キャロル」と「ウィリー」のエピソードはその意味で興味深い。なるほどこうした局面では彼女はあたかも多重人格者のように、仮の人格で身を守っている。そして仮の人格があらわれる危機的状況とは、通常考えられるような暴力や虐待の場合に限らず、むしろ愛や親しさの告白などといった場合に生ずるのである。
=====
ここで書かれていることは、わたしが臨床したアスペにも合致する。
たとえばアスペ当事者が集う某スレでは、「親しさを全面に振りまく定型発達者」のことを「うふ定型」などと呼んで叩いている。拒否反応を示している。そのスレでの名言(うろ覚えだが)。
=====
自閉症の子供は抱っこをいやがると言うが、うふ定型たちはいやがるアスペたちを無理矢理抱っこしようとしているようなものだ。
=====
こういった「愛や親しさ」ってのはリビドーなわけだろ? 生の欲動だ。
ならば、ドナにとっての「キャロル」や「ウィリー」は、「生の欲動からの防衛」だと言えないだろうか。少なくともたまきんの文章はそう書いていることになる。
2010-09-24 金 14:32:14 /URL /脂 /
編集
つかたまきんとかここまで分析できておいてなんであんなこと言ったんだろうな。
まあ「精液垂れ流し野郎」「マン汁垂れ流しババア」が多いからな、圧倒的多数だ。世間ってな。
こう言っときゃそいつらの精液やマン汁も叩いてこないだろう、って感じか。
わかるわ。わたしこの記事コメント欄とかで、
http://ameblo.jp/repenter/entry-10636294404.html
「笑顔の顔文字」を多用している奴を「笑顔強迫症」とか言って批判しているが、わたしネトゲ内では「笑顔の顔文字」使ってるもんなw
「笑顔強迫症」はむしろわたしだ、いや、「笑顔恐怖症」と言うべきか。
それこそ「ねばねばしたものから身を守るために」「そういう奴らに襲われないために」。
「キャロル」や「ウィリー」は、わたしがネトゲで使う「笑顔の顔文字」と同じなんじゃないのか、って話。
こういった「生の欲動に対する防衛」も、現実にはある。
確かにそれによる総体は自我じゃないが。
2010-09-24 金 14:39:23 /URL /脂 /
編集
あれだ。ラカンジャーゴンなら、「現実界とは生命のしかめっ面である」の「しかめっ面」がこの「生の欲動に対する防衛」なんじゃねえの。
いや「そう考えたら?」って言ってるだけであんま本気じゃない。適当に言った。
2010-09-24 金 14:41:22 /URL /脂 /
編集
なあ、わたしがここで書いたような「生の欲動に対する防衛」が、精神分析ジャーゴンにおける「防衛」じゃないことは、わたしも同意するが、じゃあ、自閉症者の、たとえばこのドナの防衛機制は、なんて呼べばいいんだ?
本職の精神分析家が名づけてくれよ。
なんでもいいよ。
わたしは適当に「サントームじゃね?」つってるけど。
2010-09-24 金 14:52:30 /URL /脂 /
編集
ジョイスだって、(娘ルチアの主観世界たる)死の欲動側から、生の欲動を防衛するために、あんな小説書いたんじゃないか? 奴の小説こそ「言葉は言葉のことばかり」だろ。わたしの主観で言えば、だが。
ルチアとともに沈んでいった「川の底」から、自分を引き上げようとするリビドー丸出しな面をした人間たちの手を振り払うために、あんな小説を書いたんじゃないのか?
わたしはそんな風に思ってしまう。
2010-09-24 金 14:55:52 /URL /脂 /
編集
あ、あたしリアルでは、初見の人に対してはすげー「いい子ちゃん」よ。「几帳面で気が利く人」とか言われる。
でしばらくすると「なまわく(なぜか変換できない)なB型だ」とか言われるけど。
まあ要するにネット弁慶なわけだけど、最初から本性さらけ出した方がいいでしょ? めんどくさくない。
2010-09-24 金 15:01:18 /URL /脂 /
編集
あ、ちなみにこの「ねばねばしたもの」を俗な言い方で換言するなら、「いやよいやよも好きのうち思考」だ。
2010-09-24 金 15:05:24 /URL /脂 /
編集
まあ普通の思考回路だと、
「いやドナだって心の奥底では「他者とつながりたい」と思っているはずだ。拒否しているのはただの否認である」
とかなっちゃうんだろうな。
それこそ「いやよいやよも好きのうち思考」じゃん。
わたしは否認してないよ。その「ねばねばしたもの」は、おそらくわたしの中にもあるがわたしはそうと認識できないだけの「生の欲動」だと思っているから。
わたしが「愛や親しみ」などという風に認識できないネゲントロピー的な身体反応は、ある。
ただそういう物としてしか思えない、ってこと。
だからわたしは自閉症じゃないと自分で思っている。
「生の欲動に対する防衛」は共通しているんだろう、とは思っているが。
2010-09-24 金 15:09:49 /URL /脂 /
編集
さて、このおっさんはわたしをどう分析するんだろうねえ。
にやにやしてしまうわ。
まあわたしには報告しないんだろうな。
「精神疾患者に分析内容を言っても無駄だ」
ってのは精神分析の基本ですもんね。
それを公表する学会はただの陰口大会。
それでいいよ。わたしも飽きてきたから。
こんな憎まれ口叩くのは、わたしの中で飽きてきている状態がいやだから。不愉快だから。
2010-09-24 金 15:13:56 /URL /脂 /
編集
つか本物か?
ホスト東京じゃないんだけど。
クレなんとかに住んでるわけじゃないんだ。
そらそうか。
つか「コトバハコトバ」あたり藤田が言いそうなセンスだと思った。
偽者ならよく研究してる。
2010-09-24 金 15:15:22 /URL /脂 /
編集
つかさー、冷静に考えたらネゲントロピーの方が「静的」だろ。どう考えても。卑しくも物性物理を専攻してたわたしがそう思う。
ここがわけわからんのだよな。
2010-09-24 金 15:42:00 /URL /脂 /
編集
赤ん坊は妄想分裂態勢に「飽きて」抑鬱態勢に移行するのかもな。
ここだけクラインはバカだと思うわ。「罪悪感」とかって(笑)。
赤ん坊が罪悪感なんて感じるわけねえだろ。
罪悪感なんて調教されて植えつけられるもんなんだから。
2010-09-24 金 15:43:58 /URL /脂 /
編集
書き込み、楽しく拝見しています。動か静かの議論については、そもそも、エントロピー自体が熱量の時間微分なので、ネゲントロピーもエントロピーも時間が経過してスカラーが填る限り「動的」といわなければなりませんね。
2010-09-24 金 15:55:31 /URL /フジタ /
編集
あ、わかった。これをタイトルにしたからまずかったのか。
藤田は、わたしがこのタイトルのことをまず思いついて、それでゲームの話に持ち込んだ、と思っていたりするのか。
逆だよ。
最近わたし2ちゃんネトゲ板に常駐しててな。『ファイナルファンタジー』というゲーム界のビッグタイトルが爆死してるのを「メシウマ」してたりするんだ。
まあ2ちゃん怖い人だから書き込まないけどね。うちのホストすぐアク禁されるし。
んでだな。
そういったネトゲ文化では、最近のMMORPGってのはほんと「かわいいキャラ」いわゆる「萌え絵」が主体なんだ。たとえばこれとか。
http://www.econline.jp/
「ハートフル」なんてところがいかにも生の欲動的だろ?
でもな、こういったゲームに対して「萌え絵ばっか、うぜえええええ」って言う奴らもいるんだ。
で、そういう奴らって大体西洋産のMMORPG、さっき言ったのなら『ウルティマオンライン』とか『Mortal Online』とかを挙げてくるのね。
こういったゲームはさっき言ったようにPKが普通だ。キャラ同士で殺しあう。スリしたりする。そういうロールプレイを楽しんでいる。世間的に言えば「悪」となることをゲーム内で楽しんでいる。
キャラ同士で殺しあうのなんか、いかにも死の欲動的だろ?
こういったことを考えての、タイトルの言葉なんだよ。
あれだ、精神分析論を考えてこういった言葉を言ったなら、確かに藤田の言葉は「あ、ごめんなさい、間違えてました」ってなるんだけど、わたしはわたしが今フィールドワーク(笑)しているネトゲ文化という実物を考慮してたんだ。
いやおもしろいぞネトゲ、精神分析にとっては。2ちゃんに次ぐ、いやそれ以上のネタ庫だ。
言葉は言葉なんだよ。
科学はそうだろ、それまでの言葉(や数式)と反する物性があれば、それまでの言葉を書き直す。それが反証主義って奴だろ。
言葉は言葉、それより実物の方が大事、ってわけ。
だから、このタイトルの言葉が「いや言葉として間違っている」って言われても、「そらあんた精神分析理論の方が間違ってるんだろ」ってわたしは言っちゃうんだよな。
そうゆう話。
だから「ゲームの話じゃないこと」を話されても「うぜえ」ってなるわけ。
おわかり?
2010-09-24 金 16:13:29 /URL /脂 /
編集
>ネゲントロピーもエントロピーも時間が経過してスカラーが填る限り「動的」といわなければなりませんね。
あ、そうそう、わたしにとっては両方動的なんだよ。
そういう微分の話だろ? って。
だからどちらかを「静」にするのかがわからない。
そもそも「静」ってなんだ?
わからない。
わからないから、「静」→「飽きる」という連想において、「飽きる」が怖い、となるのかもな。
ネゲントロピーってわけわからんわ。
2010-09-24 金 16:16:51 /URL /脂 /
編集
なんか「お前そう言われたから「両方動だ」って言ってるだけだろ」とか言われかねないので一応。
ああはい、被害妄想です。
この記事から。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-417.html
=====
去勢されてない赤ん坊にとって死の欲動即ちエントロピー増大も生の欲動即ちネゲントロピーも両方ある。せめぎ合っている。たとえば宇宙空間を考えてみよう。エントロピー増大の法則に従って粒子たちはエントロピーの大きい状態にあるが、局所的に見れば、たとえば複数の粒子が衝突し大きな質量の粒子になり万有引力によって他の小さな粒子を引き寄せ星になることがある。この星周辺に限ってはエントロピーが減少している。ネゲントロピーが存在する。エントロピー増大とネゲントロピーがせめぎ合っている。
=====
この比喩においては、明らかに「エントロピー増大もネゲントロピーも動だ」ってことになるよな。
わたしの無意識は「エントロピー増大もネゲントロピーも動だ」と思っている証拠だ。
2010-09-24 金 16:20:16 /URL /脂 /
編集
わたしが上に出した問題提起は、「え、死の欲動ってpikarrrたんが言っているように静的なものじゃないだろ? むしろ動的だろ? 違うの?」だから、「両方動」であっても矛盾しない。
そうだよな。
「ねばねばしたもの」もわたしにとっては「わずらわしい物」だもんな。
んでわたしは「静的」なるものとしての「飽きる」を「抑鬱状態」に連鎖しているわけで、つまるところ「抑鬱状態が静だろ」って言ってるわけだ。
抑鬱状態は生の欲動ではない。
なので「生の欲動は静的だ」と言っているわけではない。
おおすげえな。
こんな言い訳考えないまま思考実況してるだけなのに、つじつまがあってないわけじゃない。
2010-09-24 金 16:23:27 /URL /脂 /
編集
>ネゲントロピーってわけわからんわ。
あ、これわたし物性物理畑だから、「ネゲントロピーなんてただのトンデモ概念だろ」って思ってるところがあるからさ。
エントロピー増大則はわかるんだよ。イメージとして。ブラウン運動観察したし。
2010-09-24 金 16:30:28 /URL /脂 /
編集
「万物流転」を無意識からそう思えないのが、正常人なんじゃね。
だから、「物質」というと「固体」しか連想できないんだろうな。
これあたしトラウマみたいになってるんだよな。わたしにとっては空気も水も人間も「物質」だ。
話が微妙に食い違う。子供の頃からそうだった。
わたしは相手の、まあほとんどの人間に「物質とは固体だ」って固定観念があるんだけど、それにあわせて会話してあげている。
ときにはこういう風に長たらしく説明して。
そらー病むわ。
2010-09-24 金 16:34:55 /URL /脂 /
編集
物理畑にも多かったからな。
「物」って言うと「固体」しか連想できない奴。
2010-09-24 金 16:37:32 /URL /脂 /
編集
>これあたしトラウマみたいになってるんだよな。わたしにとっては空気も水も人間も「物質」だ。
これについてはこの記事で書いた。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-620.html
昨日テレビでアンタッチャブルの山崎が「子供の頃なぜだかわからないけど無性にガラスを突き破りたくなった」って話をしてたけど、そういうことかもしれないな、って思うわ。
わたしだけじゃないんじゃないか。
子供の主観世界の方が、「物とは固体に限らない、水や空気もそうだ」や「物とはすり抜けられる」という具合に、量子力学的には間違っていない「物質観」を持っているんじゃないか?
大人が固定観念に縛られているだけで。
つまり、大人の方がバカってこと。
わたしはそういった物理学的に誤った固定観念を、なぜか植えつけられなかっただけ。
だからどっかにも書いたけど、物理学はとってもいい言い訳として重宝できたわ。
「お前らがバカなんだよ」
って言えた。
2010-09-24 金 16:42:18 /URL /脂 /
編集
>それにあわせて会話してあげている。
から、「言葉は言葉だろ」ってなっちゃうんだよ。
毎日が外国語の翻訳状態だ。
2010-09-24 金 16:44:40 /URL /脂 /
編集
あ、もう独り言になってるからおっさんはコメントしなくていいよ。ここでコメントされたら「茶々うぜえ、死ね」って思うだろうから。
2010-09-24 金 16:47:57 /URL /脂 /
編集
んでおっさんや。これは独り言じゃなくて。
すべて「死の欲動に対する」となる精神分析ジャーゴンとしての「防衛」じゃなくて、たとえばそのドナのような「生の欲動に対する防衛」について、なんか言葉を与えてやれよ。本職の精神分析家なら。わたしは勝手に「サントームじゃねえの」って思ってるけどつじつまあわないところもあるし、そもそも「サントームって概念」自体明確じゃないだろ。
ああ、これに言葉を与えちゃいけないのか。
「(ファルスのない人間としての)女は存在しない」
わけだから。
まあ変に名づけても劣化されるだけだろうしな。人間ってそういうもんだ。
ごめ、このコメント撤回。
2010-09-24 金 16:53:15 /URL /脂 /
編集
「女は存在しない」までが、それに対する名づけか。
「女」じゃなくて。
「存在しなくなるべき女」。
ファルスのない人間。
やっぱラカンは治療者だよな。
ナラティブセラピーみたいなもんだが、甘ったれてない。ナラティブに甘えていない。
2010-09-24 金 17:04:30 /URL /脂 /
編集
「静」自体が妄想なんじゃね。
2010-09-24 金 17:07:48 /URL /脂 /
編集
「両方とも動」なら、「生の欲動/死の欲動」ってニ項対立は、なんのためにあるの?
何を観察するためにこういうものさしを作ったの?
2010-09-24 金 17:09:45 /URL /脂 /
編集
ああ、あと中野くんや、君ここにコメントしないでくれな。混乱する。
2010-09-24 金 17:12:39 /URL /脂 /
編集
あ、一応。
なぜ上記のようなコメントを言ったのか。
わたしの妄想では中野くんは「ニ項対立大好きくん」だから。
「ウヨク」とか「サヨク」とかって語りたがる奴って大体そうだもん。
めんどくせ。
ニ項対立ってな便利なコミュニケーションの道具にすぎん。対正常人のな。
2010-09-24 金 17:14:59 /URL /脂 /
編集
あ、そういう意味では、「素の主観世界が脱構築(笑)されてるのが未去勢者だ」なんてことにもなるかもな。
ニ項対立という思考パターン自体が、ドナの「キャロル」や「ウィリー」と似たようなもの、ってことか。
2010-09-24 金 17:15:56 /URL /脂 /
編集
そういや「川の底」で思い出した。
昨日かおとといか三日前かもうちょい前かに見た夢。
たくさんの子供がおぼれてるんだな。
わたしはそれを遠目で見ている。水中から。
で、夢の中で「ああわたしこういう役なんだな」と思うことがあると思うが、そういった感覚で、「ああわたしは怪奇現象番組とかでよくある水死した霊の役だな」と思ったんだ。
そらそうだろ、水中でおぼれるのを見てるんだから。
そういう役なんだからと、子供たちをおぼれさそうとするんだな。
でも子供たちの足をつかめない。
そらそうだろ(しつこい)、水に粘性はまったくないわけじゃないが、粘度は低い。だから多少圧力を高くしたぐらいじゃ滑ってしまう。
子供の体をつかもうとしてもつるつる滑ってしまう。
なんかもうパニクってもうたわ。
わたしは足を引っぱってるわけじゃないが、子供は勝手におぼれている。むしろわたしの体の上で暴れているようだ。
霊というより川の水そのものだな、今思いついただけだが。
でな、なんだかんだあって、まあ何人か子供は死んで、水の底でカラフルなたくさんのゴムボールになってたりしたんだが、まだおぼれている子供はいる。
そこへ渥美清が飛び込んできた。子供を助けるために。まあ他にも助けようとした大人はいたのかもしれんが。
で、わたしは子供はどうせつかめないからと(渥美清もつかめるわけがないんだが)、渥美清をおぼれさそうとする。
でも助けちゃう。何人も何人も。
そのくせにな、頭を川の底のヘドロに埋めたゴムボールは拾わないんだ。
お前が助けようとしている子供の実物はこっちだろ、と。死体の方だろ、と。
バカだろお前、と。
まあ渥美清だからそう思えたのかもしれないが。
余計に腹が立ったわ。
藤田のおっさん、この渥美清かもな。両方「遊び人」だし。
あ、いや、寅さんが「遊び人」だけで実際の渥美さんはすげー生真面目な人だったらしいが。
演技なわけだ。「遊び人」は。
まあ根っからの「遊び人」なら子供を助けたりしないわな。
無理すんなよ、おっさんも。
2010-09-24 金 17:41:33 /URL /脂 /
編集
あ、そうそう、あたしおぼれたことはないんだけど、小学生の頃、プールの授業で、「水に顔つけて息を止めましょう」ってあってな。すげー長く止めてたらしく、気を失ったことあるんだよな。
この記事でも書いたけど、
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-259.html
普通の人にはある「歯止め」みたいなんがないんだよ。
で気を失っちゃう。
で。
そのときどうなっていたか。
パニクってはいるんだよな。でも硬質なパニック。
あれは「静的なるもの」と言ってやってもよいと思う。
2010-09-24 金 18:24:54 /URL /脂 /
編集
つか「息を止めすぎて気を失うこと」と「笑いすぎて気を失うこと」ってのがあれだ、「てんかん症者が自慰的に発作を楽しむこと」な気がするな。
わたしはそれを楽しもうなんて思ってなかったけど、そうしてしまう、と。
だから歯止めが効かない、と。
2010-09-24 金 18:31:28 /URL /脂 /
編集
「治療してあげたい」という精液、あるいはマン汁。
「治療してやりたい」という征服者的な欲望。
2010-09-24 金 22:16:00 /URL /脂 /
編集
あ、そだ。忘れてた。
>書き込み、楽しく拝見しています。
おいキチガイども、これ読んだか?
この藤田って精神分析家はキチガイの苦悩を「楽しく拝見する」ような奴だ。
生きている資格ないよな。
2010-09-24 金 22:25:50 /URL /脂 /
編集
どうせあたしがフジタゼミ行って場を荒らすようなこと言ってもお前ら「楽しく拝見する」だけだろ。
行く価値ないな。
フジタゼミはただのサロンでした。
いじょ。
はい次。
2010-09-24 金 22:30:01 /URL /脂 /
編集
中野くんみたいなフリーターがサロンなあw
中野くん自分がすげー滑稽なことしてるのに気づけるんだろうか。
「おおよしよし」って感じで見られてるんだろうな。
サロン内部に爆弾しかけるぐらいのことしろよ。
ロケンローラーなら。
2010-09-24 金 22:31:28 /URL /脂 /
編集
うぜえ。
藤田一派「死ね死ねリスト」入りだ。
あのマン汁垂れ流しババアとか笑顔で迎え入れられてるんだろうな。
キモ。
2010-09-24 金 22:45:23 /URL /脂 /
編集
だーらコメントすんなって何度も言ってたんだが。
バカだろ、藤田って。
そっとしといてくれよ。それだけだ。
2010-09-24 金 22:56:39 /URL /脂 /
編集
精神分析家のグループは、へらへら笑いながら「楽しく拝見する」ようなサロンじゃないはずだ。
この点向井の方がわかってそうだな。
向井はわたしの方見てないが。
藤田の「黒い少女ラブ」とわたしが言っている傾向は、わたしの方(わたしとは限らないが)を見ているだろうな、という意味でもある。
実際向井じゃなくて藤田の方がわたしに声をかけてきた。
2010-09-24 金 23:00:16 /URL /脂 /
編集
あ、まあ「藤田博史」でぐぐったら結構上にくるんだよな。
すまんね。ただの独り言なのに。グーグルが悪い。
ネットってなそういう世界だとわたしゃ思ってる。
「コミュニケーションの場」なんかじゃない、「独り言がそのままで散乱している場」。
2010-09-24 金 23:03:33 /URL /脂 /
編集
ほんとバカだろ、もう。
「君子危うきに近寄らず」って言うだろ?
「危うき者」にとってもそいつ自身という「危うき物」は「危うき物」なんだよ。
分析家何年やってんだ、アホか。
2010-09-24 金 23:10:55 /URL /脂 /
編集
「華厳の極楽」をわたしの主観から抹消してくれよ。
だからジルおばちゃんがこんな風に言っているのが理解できない。
http://www.youtube.com/watch?v=AZZ1vXerxYQ
彼女の言う「天国」は、それの描写自体はわたしの「華厳の極楽」と似ているんだが、それを抹消するどころか称揚している。
ほんと理解できない。
華厳思想も理解できんわ。こんなのを「極楽」とか言ってるのが。もしそうなら。
統失だった兄貴への「愛」か。
愛ッテスゴイネー(棒)。
その愛は兄には届かないんだろうけどな。
ルチアが一人で沈んだように。
2010-09-24 金 23:13:43 /URL /脂 /
編集
人とつながるための「人格」。
人と距離を置くための「人格」。
後者のはむしろ「礼儀」に近い。
だから、正常人たちが精神疾患的に執着する(名誉毀損なんて法律自体が精神疾患だろ)「人格」ではなく、むしろ現代風に言えば「キャラ」となる。
アニヲタとか一応「礼儀」で「あたし○○くん派」とかって言うんだよな。まあ中にはこれにマジになってる奴もいるが。
単なる「礼儀」っつうかな、そういう「お約束」なんだよ。
自閉症の多重人格は、むしろこれに近い。
解離性同一性障害の多重人格は、多くのアニヲタが一種の「お約束」として「あたし○○くん派」などと言っているのに対し、マジで「あたしは○○くん命なの!」って言ってるようなもんだ。
だからわたしはどっかで書いたが、解離性同一性障害は「解離性障害+パラノイア」だと思う。直感的に。
2010-09-25 土 09:05:18 /URL /脂 /
編集
あ、『桜蘭高校ホスト部』ならあたし副部長派。
『戦国BASARA』なら明智様派。
『CSIシリーズ』ならホレイショ様派。
聞いてねーよ。
2010-09-25 土 09:08:05 /URL /脂 /
編集
まあそういう「礼儀としてのマーキング」「礼儀としての記号化」みたいなもんだな。
誰もそんなの集計して統計出したりしないんだが、まあ大体の「人気キャラ」ってのはそれでわかるわけで。
自分自身に対する「記号化」なんだよな。
「礼儀」としての。「他人とつながるため」ではなく「他人と距離を保つため」の。
まあ最近のオタク文化はそうとも言いきれないのがめんどうなとこだけどね。
「他人とつながるために」「わたし○○派」って言ってる奴も確かに多い。つかそっちのが多数派だろう。
オタク文化でも「生の欲動に対する防衛」がなくなっていった、ってわけだ。
2010-09-25 土 09:12:29 /URL /脂 /
編集
>「他人とつながるために」「わたし○○派」って言ってる奴も確かに多い。つかそっちのが多数派だろう。
こういうのの見分けがつくようになったら、中野くんも例のババアのマン汁臭に気づくかもしれないね。
いわば生の欲動臭だ、それは。
それは「愛や親しみ」と言ったようなあまーいものだ。
わたしは甘く思えないだけ。
むしろ臭い。
「サヨク/ウヨク」とかそういった劣化したものさしでしか計れないから、彼女のマン汁臭に気づかないだけだ。
2010-09-25 土 09:14:45 /URL /脂 /
編集