藤田博史は渥美清だった。
2010/09/25/Sat
ああ、あとわかった、藤田が勘違いしてそうなところ。
分析家は、謎めいた存在じゃなきゃならないんだよな。夢の中でマジシャンとして現れるような存在じゃなきゃならない。謎めいているから対象aとなる。
だから藤田は前のコメントで「コトバハコトバノコトバカリ」なんて言い方をする。
結構こういうの藤田の癖なんだよな。禅問答のような、ふざけたようなことを言いたがる。短文で。
一方、著作ではそんなところ一切見せない。
これなー、どっちが本音か、って考えてみよう。
基本的に精神分析の考え方「冗談や錯誤行為に無意識は表出する」ってのは、要するに「人間は日常的に無自覚的に演技している」ってことだ。演技しきれない部分が冗談や錯誤行為だ、ってこと。
ラカン風に言えば、「想像的な自我」を自分だと思い込んで、自己催眠のような構造で、「想像的な自我」を演じているんだ。人間は。日常的に。
だから(精神分析用語としての)「仮面」が本当の自分かわからなくなったりする。もともとの自我が実体のない想像的なものだからな。
んじゃこの「想像的な自我」の原因はなんだ、となるとそれこそ鏡像段階だよな。
つまり鏡像的他者が原因となっている。鏡としての他者が原因となっている。
となると、他者のいないディスクールの方が、つまり独り言の方が、精神分析の考える「本音」、無意識の表出に近い言葉だと、わたしは考える。
なので、どれが本音か、を考えるとき、どれが一番独り言っぽいかで判断する。わたしは。
いやこれむりくり精神分析理論引いたけど、わたし昔から直感で思ってたことなんだよな。まあいいけど。役者って素顔を隠して役を演じきる仕事なわけだから、どうしても「そいつの本音、本性は?」ってことを考えちゃうんだ。
役者が素顔を見せるのは、他者がまなざす舞台の上か、誰もいない一人きりの楽屋か。
答えは明らかだろ?
となると、藤田がBBSなどでする「禅問答のような、ふざけたような短文」と、その著作、どっちが独り言っぽいか、となるが、わたしにはその著作の方が独り言っぽく思える。
著作で彼よくエスカレートしたりするじゃん、日本人のフェティッシュ志向に対する批判や、ルイス・キャロルへの批判や。
あれは、それを書いているとき、彼の主観世界の他者は希薄だった、ってことになる。
なので「禅問答のような、ふざけたような短文」と、その著作なら、著作の方が本音だ、とわたしは判断する。
「禅問答のような、ふざけたような短文」を言っているときの彼の方が、他者の影響は強く受けている。
他者の影響を強く受けているから、それは本音たりえない、ってわけ。
となるとなあ、この記事でも書いたけど、渥美清になるんだよねえ。
渥美自身はすんげえ生真面目な人だったらしいんだな。「寅さんとは正反対の人」とかって。
それでいてフーテンの寅さんを演じている。
これ藤田と同じなんだ。
本性は著作のそれのように、いたって真面目な、言葉の罠に素直にはまってしまうポスト・フェストゥム者なんだけど、BBSなどでは「禅問答のような、ふざけたような短文」を言って「遊び人」(わたしの言葉じゃねえぞ? 木田原形而が言ってたんだぞ?)を演じている。
まあこんな風に言い訳めいたこと言ってるけど、たまたまちょっと前の夢に渥美清が出てきたから、「あ、藤田って渥美清じゃん!」ってピーンときちゃっただけなんだよな。
なんかな、藤田っていじりたくなるんだ。わたしの性格として。
というのはこの「本性は真面目なのに遊び人を演じているけど演じきれていない感じ」のせいなんだよな。
演じきれていない初心者の役者と絡んだりすると、アドリブ入れたくなったりしね? そんな感じ。
だからな、前記事コメント欄で書いたような、
=====
>むしろ「(本職ぞろいだから)マジレスしあえる向井グループを羨望していたんじゃないか」とか勘ぐっちゃうわ。
こう考えたら納得できる箇所があるな。
あのときのお前の、向井グループへの批判という文脈と関係なしに「精神病者は転移するかしないか」なんて論点を提出した症状とか。
いやあたし前後の文脈知らないんだけど、
「え? どういうつもりでいきなりこんな話してんの?」
って思ったんだよな。
あれお前、自分ちで「マジレス」できない憂さを、狂気について真面目に議論したいのにできない憂さを、向井グループで晴らしたかったんじゃないか?
藤田グループではお前は「遊び人」の仮面をかぶってなきゃいけないから、「マジレス」できない。
そんな仮面なしに「マジレス」しあってる向井グループが羨ましかった。
あんたは「分析家とは屑である。それは遊び人のようなものである」って思っているから、「遊び人」の仮面を、「ネタにマジレス乙www」の仮面を脱げない。
あのさあ、多分、あんたの「分析家とは屑である。それは遊び人のようなものである」っていうのが、完全に間違ってるとは言わないけど、微妙に違うと思うんだよ。
新宮の言葉の方が正しいと思うよ、あたしゃ。
真面目でいいんだよ? 真面目に仕事していても「人間から隔たってい」たりするだろ? むかーし「エコノミックアニマル」とか言われてたじゃん。
ここでの事例なら学者なんてのもそうだよな。傍から見れば彼らは真面目だ。
その実自分の幼児的な知的好奇心にしたがっているだけなんだがね。
ガキが昆虫を解剖しているときとか、奴らすげー真面目だろ?
「真面目に遊んでいる」んだよ。
「ネタにマジレス乙www」って遊び方じゃない。「本気じゃない」という意味で「遊んで」いるわけじゃない。
なんかこの辺の言葉の罠に、お前はまってたりしないかい?
=====
って風に考えちゃうんだよね。
どう? 藤田のおっさん。わたしの「妄想」。
ほら、あたし分析主体なわけで、分析するのは自分だけで他人は「妄想」で語っていいんでしょ?
そうしないとあなたたちは分析家じゃなくなっちゃう。
藤田さー、語っていいんだよ? 語っても謎めくことはあるんだよ? マシンガントークしているアスペだとか謎めいているだろ? 何考えてるかわかんねえだろ?
いやま治療を考えたら分析内容をクライエントに語っちゃいけないってのはわかる気がするけど、分析家グループでは語っていいんじゃよ? ヒステリーはしゃべくり倒さないか? 向井グループなんて語りまくってただろ? それこそ独り言みたいに。他人を気遣わずしゃべっている。他者の影響を受けずに(とは言えないが、弱い状態で)語っている。自分が気になったことを自分勝手に語っている。「分析家グループにおいては分析家は分析主体でありヒステリー的主体でなければならない」って向井のコラムにも合致している。
とか言いながら確かに藤田が殴り込んだ瞬間一気に団結したけどな(笑)。彼らは、分析家として甘いんじゃなく、分析主体として甘かったんだ。つまりヒステリー的主体になりきれていなかった。キチガイになりきれていなかった。ここは向井グループの批判されるべきところだろう。
これ一応、マジモンのメンヘラであるわたしの意見な。
むしろさ、「謎めいている自分を演出するために、禅問答のような、ふざけたような短文を吐いている」ように見えて、わたしには全然謎めいて見えないんだ。
それってただの「無意識を抑圧している、本音を言えない神経症者」じゃん、って。
つかわたし言ったろ? 日常生活が外国語の翻訳状態だって。その人の人格自体が謎めいているかどうかより、その言葉自体などといった、その人の人格以外の謎に囚われちゃうんだ。それこそ「コトバハコトバノコトバカリ」になる。だから自閉症研究家のそらパパくんなんかから「脂さんの論は発散している」などと言われたことがある。
なんかな。
ぎこちないんだよな、藤田の「遊び人」って。
ほら一応演劇畑にいたからそういう風に見ちゃうんだよ。
ゴールデン街にいるならわかんね? こう、ほんと犬が腹を見せているような感じのまま生きている飲んだくれ。卑屈すぎてすべてのことに受動的になる。多分君が目指している「遊び人」ってああいう感じの人たちだと思う。何も持ってない人たち。捨てるものがない人たち。未来すらない人たち。安酒を煽ってちょっとだけよかった過去を思い出すことだけが生命活動のような人たち。
いやあたしゴールデン街はメインじゃなかったけどさ。御苑とか二丁目とかが多かった。バイト先がそっちだったから。
あなたはそこまでなれない。あなたはお医者様だ。責任のある立場だ。
だからね、ただの神経症に見えちゃう。ただの「ネタにマジレス乙www」強迫症に見えちゃう。彼の「禅問答のような、ふざけたような短文」は、禅問答のように考え込ませる、面壁に導くような短文じゃない。
あ、そうそう、知ってる? 禅問答って、当初はほんっとーに意味不明なことばかり言ってるんだ。「仏性とはなんぞや」「糞べらだ」とか、「悟りとはなんぞや」って聞いてくる師匠を殴り飛ばしたら「然り」とか。
でもな、それが一般化して上流階級に浸透してって、だんだんと「風流な遊び」になっていったんだよな。
君の短文って、「当初のほんっとーに意味不明な禅問答」じゃなくて、「上流階級が風流な遊びとしてやっていた禅問答」なんだよ。
ただの「隠喩という圧縮」なんだな。
だから鏡として機能しない。「人間から隔たっている」レベルに意味不明な言葉じゃないから。
だからさ、もうちょっとちゃんと意味不明なことを言えるような、「分析主体」に、「ヒステリー的主体」になってから、またおいで。
ルイス・キャロルだかの評論であんた言ってたじゃん、「無意味とはそんな簡単なことじゃない」って。
あんたは確かに本職の分析家だけど、わたしは本物の分析主体だ。
そゆこと。
じゃあね。
読み返すと誤解が生じそうなので一応言っておくと、藤田に「語ってほしい」わけじゃないからね?
それこそ「演じきれていない初心者の役者に対しアドリブいれてみる」って感じ。悪戯心? みたいな?
だから返事はいらんよ。
むしろ書かないでくれ。
わたしの言いっぱなしジャーマンで、すげー卑怯なことだと思うけど、お医者様ならこのぐらいのわがまま聞いてよね。
つかほんとあんたらと話すと心的苦痛が増すんだ。しんどい。
今はいないから普通にしゃべってるけど。
つかさ、ほんとネトゲ文化について思考めぐらしてて、実際書きかけの記事があるんだけど、それを邪魔しにきたのはお前らだからな?
それを自覚してくれよ。
お前らはわたしにとっては邪魔者なんだ。
あーそうだ。忘れてた。自称日本ラカン協会の木田原形而くんには教えてあげたんだけどさ、ラカン派ってこういうのほっとくの?
今見たらサイトリニューアルしたみたいだけどさ、以前は「LAKAN精神科学研究所」とか書いてたんだよね。それは単なるミスかもしれないけれど、「インテグレーターって何?」とか聞かれたら、本職の精神分析家としてどうするつもりなの?
いやどうでもいいレベルなのかもしれんけどさー。
ごめ、こういう胡散臭いのに弱いんだ、あたし。なんかすげー興味湧いちゃう。パッチモン系とかと学会とかに。
だからさ、ちょっと遊んできなよ、こいつらと。
多分観客はあんたの味方につくと思うし。わたしみたいな誰からも理解されるはずがない「一人マイノリティ」いじめても意味ないっしょ?
向井んちに殴り込んだときの藤田よかったと思うよー。一般的には「小学生レベルの脊髄反射」とか言って呆れられてたらしいけど。あんたんちのゼミ生じゃないわたしがよかったって言ってあげてんだよ? とってもヒステリー的主体っぽかった、って。
あれあれ、ああいう感じでさ、こいつらんち乱入してきてよ。BBSないっぽいけど。
ねー、頼むよお。
そういう趣味もあるんだよね、カルト宗教オタ、みたいなところが。そういう家系だからってのもあるだろうけど。
ねー、お願いー。
分析家は、謎めいた存在じゃなきゃならないんだよな。夢の中でマジシャンとして現れるような存在じゃなきゃならない。謎めいているから対象aとなる。
だから藤田は前のコメントで「コトバハコトバノコトバカリ」なんて言い方をする。
結構こういうの藤田の癖なんだよな。禅問答のような、ふざけたようなことを言いたがる。短文で。
一方、著作ではそんなところ一切見せない。
これなー、どっちが本音か、って考えてみよう。
基本的に精神分析の考え方「冗談や錯誤行為に無意識は表出する」ってのは、要するに「人間は日常的に無自覚的に演技している」ってことだ。演技しきれない部分が冗談や錯誤行為だ、ってこと。
ラカン風に言えば、「想像的な自我」を自分だと思い込んで、自己催眠のような構造で、「想像的な自我」を演じているんだ。人間は。日常的に。
だから(精神分析用語としての)「仮面」が本当の自分かわからなくなったりする。もともとの自我が実体のない想像的なものだからな。
んじゃこの「想像的な自我」の原因はなんだ、となるとそれこそ鏡像段階だよな。
つまり鏡像的他者が原因となっている。鏡としての他者が原因となっている。
となると、他者のいないディスクールの方が、つまり独り言の方が、精神分析の考える「本音」、無意識の表出に近い言葉だと、わたしは考える。
なので、どれが本音か、を考えるとき、どれが一番独り言っぽいかで判断する。わたしは。
いやこれむりくり精神分析理論引いたけど、わたし昔から直感で思ってたことなんだよな。まあいいけど。役者って素顔を隠して役を演じきる仕事なわけだから、どうしても「そいつの本音、本性は?」ってことを考えちゃうんだ。
役者が素顔を見せるのは、他者がまなざす舞台の上か、誰もいない一人きりの楽屋か。
答えは明らかだろ?
となると、藤田がBBSなどでする「禅問答のような、ふざけたような短文」と、その著作、どっちが独り言っぽいか、となるが、わたしにはその著作の方が独り言っぽく思える。
著作で彼よくエスカレートしたりするじゃん、日本人のフェティッシュ志向に対する批判や、ルイス・キャロルへの批判や。
あれは、それを書いているとき、彼の主観世界の他者は希薄だった、ってことになる。
なので「禅問答のような、ふざけたような短文」と、その著作なら、著作の方が本音だ、とわたしは判断する。
「禅問答のような、ふざけたような短文」を言っているときの彼の方が、他者の影響は強く受けている。
他者の影響を強く受けているから、それは本音たりえない、ってわけ。
となるとなあ、この記事でも書いたけど、渥美清になるんだよねえ。
渥美自身はすんげえ生真面目な人だったらしいんだな。「寅さんとは正反対の人」とかって。
それでいてフーテンの寅さんを演じている。
これ藤田と同じなんだ。
本性は著作のそれのように、いたって真面目な、言葉の罠に素直にはまってしまうポスト・フェストゥム者なんだけど、BBSなどでは「禅問答のような、ふざけたような短文」を言って「遊び人」(わたしの言葉じゃねえぞ? 木田原形而が言ってたんだぞ?)を演じている。
まあこんな風に言い訳めいたこと言ってるけど、たまたまちょっと前の夢に渥美清が出てきたから、「あ、藤田って渥美清じゃん!」ってピーンときちゃっただけなんだよな。
なんかな、藤田っていじりたくなるんだ。わたしの性格として。
というのはこの「本性は真面目なのに遊び人を演じているけど演じきれていない感じ」のせいなんだよな。
演じきれていない初心者の役者と絡んだりすると、アドリブ入れたくなったりしね? そんな感じ。
だからな、前記事コメント欄で書いたような、
=====
>むしろ「(本職ぞろいだから)マジレスしあえる向井グループを羨望していたんじゃないか」とか勘ぐっちゃうわ。
こう考えたら納得できる箇所があるな。
あのときのお前の、向井グループへの批判という文脈と関係なしに「精神病者は転移するかしないか」なんて論点を提出した症状とか。
いやあたし前後の文脈知らないんだけど、
「え? どういうつもりでいきなりこんな話してんの?」
って思ったんだよな。
あれお前、自分ちで「マジレス」できない憂さを、狂気について真面目に議論したいのにできない憂さを、向井グループで晴らしたかったんじゃないか?
藤田グループではお前は「遊び人」の仮面をかぶってなきゃいけないから、「マジレス」できない。
そんな仮面なしに「マジレス」しあってる向井グループが羨ましかった。
あんたは「分析家とは屑である。それは遊び人のようなものである」って思っているから、「遊び人」の仮面を、「ネタにマジレス乙www」の仮面を脱げない。
あのさあ、多分、あんたの「分析家とは屑である。それは遊び人のようなものである」っていうのが、完全に間違ってるとは言わないけど、微妙に違うと思うんだよ。
新宮の言葉の方が正しいと思うよ、あたしゃ。
真面目でいいんだよ? 真面目に仕事していても「人間から隔たってい」たりするだろ? むかーし「エコノミックアニマル」とか言われてたじゃん。
ここでの事例なら学者なんてのもそうだよな。傍から見れば彼らは真面目だ。
その実自分の幼児的な知的好奇心にしたがっているだけなんだがね。
ガキが昆虫を解剖しているときとか、奴らすげー真面目だろ?
「真面目に遊んでいる」んだよ。
「ネタにマジレス乙www」って遊び方じゃない。「本気じゃない」という意味で「遊んで」いるわけじゃない。
なんかこの辺の言葉の罠に、お前はまってたりしないかい?
=====
って風に考えちゃうんだよね。
どう? 藤田のおっさん。わたしの「妄想」。
ほら、あたし分析主体なわけで、分析するのは自分だけで他人は「妄想」で語っていいんでしょ?
そうしないとあなたたちは分析家じゃなくなっちゃう。
藤田さー、語っていいんだよ? 語っても謎めくことはあるんだよ? マシンガントークしているアスペだとか謎めいているだろ? 何考えてるかわかんねえだろ?
いやま治療を考えたら分析内容をクライエントに語っちゃいけないってのはわかる気がするけど、分析家グループでは語っていいんじゃよ? ヒステリーはしゃべくり倒さないか? 向井グループなんて語りまくってただろ? それこそ独り言みたいに。他人を気遣わずしゃべっている。他者の影響を受けずに(とは言えないが、弱い状態で)語っている。自分が気になったことを自分勝手に語っている。「分析家グループにおいては分析家は分析主体でありヒステリー的主体でなければならない」って向井のコラムにも合致している。
とか言いながら確かに藤田が殴り込んだ瞬間一気に団結したけどな(笑)。彼らは、分析家として甘いんじゃなく、分析主体として甘かったんだ。つまりヒステリー的主体になりきれていなかった。キチガイになりきれていなかった。ここは向井グループの批判されるべきところだろう。
これ一応、マジモンのメンヘラであるわたしの意見な。
むしろさ、「謎めいている自分を演出するために、禅問答のような、ふざけたような短文を吐いている」ように見えて、わたしには全然謎めいて見えないんだ。
それってただの「無意識を抑圧している、本音を言えない神経症者」じゃん、って。
つかわたし言ったろ? 日常生活が外国語の翻訳状態だって。その人の人格自体が謎めいているかどうかより、その言葉自体などといった、その人の人格以外の謎に囚われちゃうんだ。それこそ「コトバハコトバノコトバカリ」になる。だから自閉症研究家のそらパパくんなんかから「脂さんの論は発散している」などと言われたことがある。
なんかな。
ぎこちないんだよな、藤田の「遊び人」って。
ほら一応演劇畑にいたからそういう風に見ちゃうんだよ。
ゴールデン街にいるならわかんね? こう、ほんと犬が腹を見せているような感じのまま生きている飲んだくれ。卑屈すぎてすべてのことに受動的になる。多分君が目指している「遊び人」ってああいう感じの人たちだと思う。何も持ってない人たち。捨てるものがない人たち。未来すらない人たち。安酒を煽ってちょっとだけよかった過去を思い出すことだけが生命活動のような人たち。
いやあたしゴールデン街はメインじゃなかったけどさ。御苑とか二丁目とかが多かった。バイト先がそっちだったから。
あなたはそこまでなれない。あなたはお医者様だ。責任のある立場だ。
だからね、ただの神経症に見えちゃう。ただの「ネタにマジレス乙www」強迫症に見えちゃう。彼の「禅問答のような、ふざけたような短文」は、禅問答のように考え込ませる、面壁に導くような短文じゃない。
あ、そうそう、知ってる? 禅問答って、当初はほんっとーに意味不明なことばかり言ってるんだ。「仏性とはなんぞや」「糞べらだ」とか、「悟りとはなんぞや」って聞いてくる師匠を殴り飛ばしたら「然り」とか。
でもな、それが一般化して上流階級に浸透してって、だんだんと「風流な遊び」になっていったんだよな。
君の短文って、「当初のほんっとーに意味不明な禅問答」じゃなくて、「上流階級が風流な遊びとしてやっていた禅問答」なんだよ。
ただの「隠喩という圧縮」なんだな。
だから鏡として機能しない。「人間から隔たっている」レベルに意味不明な言葉じゃないから。
だからさ、もうちょっとちゃんと意味不明なことを言えるような、「分析主体」に、「ヒステリー的主体」になってから、またおいで。
ルイス・キャロルだかの評論であんた言ってたじゃん、「無意味とはそんな簡単なことじゃない」って。
あんたは確かに本職の分析家だけど、わたしは本物の分析主体だ。
そゆこと。
じゃあね。
読み返すと誤解が生じそうなので一応言っておくと、藤田に「語ってほしい」わけじゃないからね?
それこそ「演じきれていない初心者の役者に対しアドリブいれてみる」って感じ。悪戯心? みたいな?
だから返事はいらんよ。
むしろ書かないでくれ。
わたしの言いっぱなしジャーマンで、すげー卑怯なことだと思うけど、お医者様ならこのぐらいのわがまま聞いてよね。
つかほんとあんたらと話すと心的苦痛が増すんだ。しんどい。
今はいないから普通にしゃべってるけど。
つかさ、ほんとネトゲ文化について思考めぐらしてて、実際書きかけの記事があるんだけど、それを邪魔しにきたのはお前らだからな?
それを自覚してくれよ。
お前らはわたしにとっては邪魔者なんだ。
あーそうだ。忘れてた。自称日本ラカン協会の木田原形而くんには教えてあげたんだけどさ、ラカン派ってこういうのほっとくの?
今見たらサイトリニューアルしたみたいだけどさ、以前は「LAKAN精神科学研究所」とか書いてたんだよね。それは単なるミスかもしれないけれど、「インテグレーターって何?」とか聞かれたら、本職の精神分析家としてどうするつもりなの?
いやどうでもいいレベルなのかもしれんけどさー。
ごめ、こういう胡散臭いのに弱いんだ、あたし。なんかすげー興味湧いちゃう。パッチモン系とかと学会とかに。
だからさ、ちょっと遊んできなよ、こいつらと。
多分観客はあんたの味方につくと思うし。わたしみたいな誰からも理解されるはずがない「一人マイノリティ」いじめても意味ないっしょ?
向井んちに殴り込んだときの藤田よかったと思うよー。一般的には「小学生レベルの脊髄反射」とか言って呆れられてたらしいけど。あんたんちのゼミ生じゃないわたしがよかったって言ってあげてんだよ? とってもヒステリー的主体っぽかった、って。
あれあれ、ああいう感じでさ、こいつらんち乱入してきてよ。BBSないっぽいけど。
ねー、頼むよお。
そういう趣味もあるんだよね、カルト宗教オタ、みたいなところが。そういう家系だからってのもあるだろうけど。
ねー、お願いー。