「考えすぎ」は「考えすぎ」とは限らない。
2010/10/01/Fri
バイク乗ってたのは田舎の工場に勤務してたとき。車やバイクがないと移動手段がないって土地だったから。東京に戻ってからは乗ってない。
スクーターでもよかったんだけど、なぜか危ない気がしたんだよね。
いろいろ安全設計はされてるんだろうけれど、むしろ逆にそれが危ない気がした。機械設計者の発想?
まあぶっちゃけ考えすぎなんだけどね。
バイクの方がかっこいいなと思ったのもあるし。
あんま考えてなかった。
考えてないのに考えすぎ。
不思議だ。
「ありうる危険」を考えることがなべて「考えすぎ」ってなるのが変。
考えてなくても「なんとなく危険っぽい」って思えばそれは「考えすぎ」じゃない。
わからん。わからん。
「考えすぎ」? 別に考えてないよ。なんとなくそう思っただけ。
わかんねえ。
わかんねえ。
あ、まあ実際にバイクで一回事故ったことあるけどね。コケただけ。かすり傷で済んだ。基本安全運転よ? 同じバイク乗りの社員がいたけど、「ノロノロ走りすぎ」って怒られたわ。
「バイクはかっこいいから乗っている」って人はそう思うんだろうね。
確かにそっちのがかっこよさげだとは思ったけど、別に「かっこいいから」って理由はそんなに重要じゃないんだもん。
むしろかっこつけで飛ばす方がわけわかんない。それがなんでかっこつけになるのか。顔なんて見てないだろうし。
なんだろうなあ。
機械部分がむき出しだから? 見てそうだとわかるから安心する? この部品はこういうためのものだ、となんとなくわかるから。ほんと機械設計者の発想だな。
スクーターって機械部分全然隠してるじゃん。いや大体のイメージだけど。
ちゃんと作ってるなら隠さなきゃいいのに。まあ確かにオイルが飛び散ったりするのは困るけどさ。こちとら仕事で作動油まみれになるの普通だし。大道具やってた頃は小汚い汗臭い仕事着のまま電車に乗ったりしてたし。いやさすがに満員電車は勘弁だったけど。他の人のスーツとか汚しそうで。工場とか私服通勤だったしね。大体そうなんじゃない?
ああそういうことっぽ。
「オイルが飛び散ったら困る」と「かっこいいからバイクに乗る」って同じことだよな。
そういうのがわたしにはまったくないとは言わないよ? ただ他の人たちよりあんまし重要な要素じゃない、ってだけ。
「もっと隠喩の多い作品が読みたい」なんてマン汁垂れ流しババアとかはわかんねえんだろうなあ。
そういう話だよな、と思ったので。
基本工場の中なんてさ、見た目なんてどうでもいいわけだから、いろいろオープンなんだよ。
いや品質管理にはすげえ気を遣ってるし、クリーンルームとかは逆に街中より清浄な環境にいることになるんだけど、見た感じ全然「きれい」じゃない。機器が雑多に置かれている。まああんま雑多すぎると仕事に影響が出るから整理整頓はされているけれど。だけどそれは現場の人から見た「整頓」であって、一般的な感覚の「整理整頓された印象」ではない。仕事内容を知らない人から見れば「雑多」に思われるかもしれないが、作業を考えればその配置がもっとも「整頓」された状態となる。
いろいろオープンだから「企業秘密ですので」なんつって部外者を入れない。現場の人間からすればめんどくさいだけだったけどね。いろんなセキュリティ。
あれだろ、北朝鮮で話題になった核開発の視察なんか工場の中を見ているわけだろ。
隠喩はそういうことを隠しちゃうんだ。
機能主義だけで作りあげたシステムを、隠喩は隠す。
隠喩連鎖は「オイルが飛び散ったら困る」や「かっこいいからバイクに乗る」などという人間の非機能的な性質を、ラカン的な意味での幻想を、促進している。その傾向が隠喩連鎖となり、隠喩連鎖がその傾向を促進している。
いわば自慰。
ファルスって基本自慰なんだろ?
そういう隠喩を、機能主義的な、科学的な態度で分析するのが精神分析なんじゃないのかい?
つかさ、むしろバタイユとかって工場の中だろ。お笑いで言えばありゃ電撃ネットワークだ。いやあたしバタイユって本気でギャグ小説だと思っている節があるからさ。
「隠喩の多い作品が読みたい」つってるから隠喩を駆使してるわけだけど、わかるかな? マン汁ババアよ。
藤田も反論したいなら、こないだみたいな「風流な遊びとしての禅問答」的な「ネタにマジレス乙www」的な短文じゃなく真面目に議論したいってなら、アク禁解いてやんよ。お前まだ見てるじゃんこのブログ。アクセス解析でわかるんだよ。邪魔だよお前。
わたしはそのババアに対し殺意を持っている。
「お兄ちゃんどいて、そいつ殺せない」だわ。一種の。
なんか読み返して思った。言ってること『アンチ・オイディプス』と一緒じゃんって。
うぜえ。
あの本は「舞台女優」と「工場」を二項対立にした時点でわたしの中で終わった。
舞台女優だって裏では工場作業者と同様に、いやそれ以上に、「器官なき身体」してるんだよ。
舞台上のアイドルだけを見て判断してるのと同じだ。
アイドルだって舞台裏じゃ汗水垂らしてんだ。いや最近のは知らないが、少なくともわたしが知ってるアイドルの卵は稽古すげえ真面目だったよ。
だからあの本はダメだ。
実際の工場の中と舞台裏、両方を知っているわたしから言わせれば。
少なくともドゥルーズ=ガタリは工場の中で皮膚が炎症するまで油まみれになったことなどないだろう。人体に危険な作動油とか普通にあるからな。
ドゥルーズ=ガタリは工場作業者の実体を知らない人間だ。『アンチ・オイディプス』はそういう人間の文章だ。そういう人間が「機械」を語るからややこしくなる。目をきらきらさせる。『銀河鉄道999』の鉄郎になる。
中野雅哉も死ねよ。お前のせいで予期不安や希死念慮が出るようになってしまった。
死んで詫びろ。
何も考えずにわたしを誘ったことをな。
お前みたいに直感的に「危ないかも」と思えない奴は「考えすぎる」くらいに考えろ。
お前は馬鹿だ。脳内お花畑だ。
藤田はこの件について何にも言わないのか? 精神分析家としてではなく精神科医として。お前のゼミ生がわたしの症状を悪化させたことについて。
お前も死ねよ。邪魔。
つかこの記事で「バイク」って書いただけで速攻ブログ管理ページの宣伝にバイク王が出るようになった。これまではネトゲ系が多かったのに。そういうスクリプト使ってんのかな。グーグルアドみたいな奴。すげえなIT技術って。
ネトゲのままにしといてくれよ。今はバイクなんて全然興味ねえし。
精神分析は、機能主義側から、科学的な態度で、隠喩という対象物を研究する。
研究対象物として「隠喩がもっとあった方がいい」と言っているのなら、わからなくもない気がする。研究対象のない科学者なんておもちゃを取り上げられた子供とおんなじだからな。
しかしそれは、そいつ自身がちょっとヒステリー的主体になれば、解離性障害的な主観世界になれば、済む話なのだ。
さすればそいつは、社会には隠喩が満ち満ちていることに気づくだろう。人間関係と言われている現象すべてが隠喩に支配されていることに気づけるだろう。
被害妄想や「大文字の他者に欲望される」などといった症状として。
だからわたしは最初にこういう風に書いているわけだが。
これでもわからないか? マン汁ババアよ。
向井雅明の言う「分析家は、分析家グループにおいては分析主体で、すなわちヒステリー的主体でなければならない」とはそういうことなんじゃないのか?
普段は気づいていない研究対象物としての隠喩を発見するために、分析家はヒステリー的主体をふるまうのではないか?
おい、ババア、わかるか?
死ねよ、まずお前。それかレイプされろ。
そしたらすべての人間関係に隠喩を読み込めるようになるだろうよ。
解離性障害になれるだろうよ。
お前の望み通り、隠喩に満ち満ちた主観世界になるだろうよ。
なあ、マン汁ババアや。わたしゃお前が「ラカンやってる女だから」語っている部分は、多少なりとある。しかもバタイユ読んでるとかなら、わかる部分があるはずだ、と。
この記事でも書いているだろ。
=====
つかさー、「隠喩という装飾」だとか「重荷」だとか大仰に言ってるけどさー、女ならわかるはずだろ?
「なんで化粧なんてめんどくさいことしなきゃなんないんだ」って。
それと同じだよ。
=====
化粧を落とした顔を見て男は幻滅する。それはそいつの抱いていた幻想が死んでしまうからだ。
隠喩には常に「幻想の死」がこびりついている。
そもそも「幻想は幻想だろ」と思うわたしなんかは、それこそ「化粧なんてどうでもいいと思っていた」わたしなんかは、「隠喩という化粧」を機能的に分析できる。理系脳でのアプローチ、っつうかね。
この「幻想の死」とビオンの言う「β要素」は別物なんだが(根っこは同じ、っつかコインの裏表みたいなもんかね。ラカン理論なら近いのは「大文字の物の殺害」になるのか。「β要素」は「大文字の物に殺害される」って意味になる)、ここも藤田はわかってそうにないよな。まあいいんだよ、彼精神病専門じゃないし。つかラカン派は逆にそうであれと思う。藤田をけなしているんじゃない、って言い訳。
んー、簡単に誤解を恐れず言えば、強迫神経症の「死に対する不安感」が隠喩にまとわりつく「幻想の死」で、精神病や境界例の被害妄想が斜線のほころんだエスからにじみ出てくる「β要素」たる「死の恐怖」だ。前者はモラトリアム(退却神経症)者が「社会に出るのヤダナー」って言ってるのとかがあたる。後者はもっと即物的な迷子感覚のごときものだ。パニックの方が近い。
わたしは前者の感覚が理解できない。むしろこれについては鈍感な方だろう。
藤田が隠喩にまとわりつくそれを「シノフアン」なんて言ってうまいこと言ったつもりでいたみたいだけど、そんなたいしたことじゃないんだよ。具体を考えれば。それは強迫症やモラトリアムの「漠然とした不安感」で、精神病や境界例の恐怖感のような生々しさがないものだ。
「考えすぎ」て感じる不安か、「考えすぎ」てなんかいないまま感じる恐怖か。
簡単なことだよ。
こんな簡単なことがなぜお前はわからないのか。
お前の「らかんりろん」には具体が伴ってないからだ。
精神疾患という具体がな。
お前が「学者という肩書き」を持っていようがいまいが、わたしにとってお前は「男に喜んでもらうために化粧する」「マン汁垂れ流しババア」だ。
だから「死ねよ」と言っている。
出てこいよ糞ババア。お前「学者という肩書き」は持ってないんだろ? なら学者村の妙なしがらみは考えなくていいよな。わたしとおんなじで。
罵りあおうぜ。向井んちで藤田がやったように。
ああ、藤田は「ヒステリー的主体をふるまっていた」だけかもしれないが、わたしマジモンだからね。診断はパニック障害だけど解離性障害のケも精神科医から指摘されたことがある。日本ラカン協会の木田原形而には境界例だと言われた。
わたしがあなたに抱いている殺意は本物よ?
本物じゃないとあなたも「人間関係すべてに隠喩を読み込んでしまう」状態にはならないでしょ?
「もっと隠喩が多い作品が読みたい」んでしょ?
小説なんかに限らず、人間関係すべてに隠喩を読み込めるようにしてあげるっつってんの。
殺しあおうぜ。
中野雅哉もわたしの分析を「ミス・ショット」だと言うならそのババアここに連れてこいよ。
文字だけのこの場で、そいつのシニフィアンを、「隠喩連鎖」を、「意味構造」を、すなわち「言語のように構造化されている無意識」を分析してやっからよ。
そうしてそれまでの分析が誤りだとわたしが思うこともあろうよ。
なぜこう多くの人間って単なる自分の主観にこんなに自信満々になれるんだろう? 理解できん。
わたしは自信がないから、ババア出てこいよ、っつってるんだが。
わたしの症状が悪化したのは、お前らのせいではあるわけだからな。お前らのせいにはしきれないが、一つのきっかけであることは間違いない。
そういう風に「ヒステリー的主体としてふるまう」ことはできる。
おら出てこいよ糞ババア。
お前ってさ、結構、周囲のわたしみたいな人間から、反感買ってるタイプじゃないかい?
陰でひそひそ叩かれてたりしてるんじゃないかい?
「男の前でだけ賢い顔する」
とかなんつってな。
ここにも書いた「不倫の子」とはよくそういう話したなあ。陰口だけど単なる印象論じゃないんだよな。今思えば精神分析理論が小難しく言っているようなことを、それこそ「欲望とは他者の欲望である」を前提に陰口言ってたな。「男の前でだけブリッコする」なんてのはまさにそうじゃんか。
おい、ババア出てこいよ。
お前のその無意識の化粧ズタズタにしてやんよ。
そうやってはじめてエスが露出する。
「ヒステリー者のディスクール」ってどんなんだった?
つか今気づいたけど「世界は劇場、人生は夢」なんてもろ解離症状じゃん。
『ラストコンカー』がちょっとおもしろい。はじめたばっかだけど。
つかアエリアって『ギロチンハウス』といいこう、「売れる王道的なネトゲ」から言えば、どストライクを微妙にはずしたゲームばっか持ってくるよな。買いつけ担当のセンスがいい。わたしにとって。
まあ「売れる王道的なネトゲ」なんてネトゲ板じゃ「萌えグラ量産クリゲ」とか言って叩かれてっけど。
萌えグラなんてのは「ユーザーを欲望させるため」にそうしてるわけだろ。「欲望とは他者の欲望である」原理に則って欲望は伝染する。実際にいたら宇宙人グレイになるような目のでかい二次元少女でオタクたちはオナニーしている。現実的にはただのデータでしかないNPCキャラのパンツを見て喜んでいる。
まさに「ギャルゲはギャルゲでやってろ」。
だけどそんなどストライクはだめだからと言って暴投するのも違うんだよ。それはどストライクを投げるのと同じだ。「欲望とは他者の欲望である」という伝染病からは逃れていない。
微妙にずれているだけからこそ、「男の前でだけブリッコする」なんて「他者の欲望である欲望」でマン汁垂れ流しているメスブタを馬鹿にできる。飲み屋で陰口を叩ける。
わたし竹書房系の四コマ漫画雑誌が好きなんだけど、あれも「巷の「萌えパターン」に一見則ってはいるんだけど、微妙にずれている」感じがある。だからおもしろい。ネタの内容も「まったくモテないってわけじゃないけど微妙にイケてない女性たちが飲み屋でする陰口」みたいな感じのが多いだろ?
『ドフス』にしろそうだよな。ありゃフランス人にとっての「萌え」であって、日本人の「萌え」とは微妙に違う。微妙に違うだけだからこそ「萌え」に対し分析的な態度となる。あたし戦闘だるいのだめだからすぐアンスコしたけど。『ラストコンカー』みたいに自動戦闘ができればやったかもしんない。
結局、比較対照物としてそれを取り扱えるかどうかなんだよ。
「どストライクはだめだからするって暴投」なんてな比較対照にならんだろ。ただの逃避だ。問題点のすりかえだ。
それを見なきゃ済むって話じゃない。そんなことしてもお前の主観世界はお前から離れない。
それを一歩離れて見ればいいだけ。
ま、そういう話。わかんないだろうけど。
とか言いながらアエリアって「重課金する糞運営」って評判なんだよな。あたしゃ無課金厨だからカンケーないけど。飽きるのも早い人だし。ハナっから「定住」なんて求めてまへん。
どうでもいい話ですた。
2ちゃんでいろいろ晒されてる。たとえばこんなん。
=====
254 :ほんわか名無しさん :2010/02/16(火) 22:13:18 0
フランス文学って何だっけと思ってぐぐってたら
ガタリは中二病である。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-328.html
このブログ書いてるやつが厨二病だよw
=====
はあ。わたし中二病どころかメンヘラだと公言しておりますが。
おそらくこの名無しは、大人目線から「お前も中二病だろ」と言っているのだろう。
わたしは中二病でもあるし、それどころかメンヘラだ。
彼はおそらく、わたしが「ガタリは中二病である」と言っていることに、「この脂という奴はガタリを大人目線で見下している」などという妄想を付加させているのだろう。
逆だ。
わたしは「ガタリは中二病だからキチガイとして甘い」と言っているのだ。現役メンヘラとして。
そもそもこやつは『アンチ・オイディプス』など読んでないのだろう。この本は、ぶっちゃけ要約すれば、
「中二病(エディプスコンプレックス)なんて糞だ。もっと幼児化しちまえ。分裂症になってしまえ」
というアジテーション本だ。
しかしガタリは明らかに症状として分裂症ではない。「お前自身が中二病、エディプスコンプレックスだろ」と言っているわけだ。要するに大人目線、上から目線とは逆に、中二病のさらに下から目線でこう言っているのだ。「言ってることとやってることがあってないだろ」と。日本ラカン協会会員から境界例だと言われたわたしがな。ちなみに精神病と神経症の境界が境界例だ。
こういった自分勝手な妄想だけで勝ち誇る奴が妙にわたしの周りに多くて困る。
これだよ、「欲望のシーソー」ってな。
こういうのが「大人になること」ならなる価値ないな。「欲望のシーソー」で上にくることが「大人になること」なのである。
馬鹿らしいよな。
わかったか? 中二病の馬鹿ども。
やるなら徹底的にやれ。
落ちるとこまで落ちろ。落ちれなくなったらそれがお前の限界だ。あきらめて大人になれ。お前はつまらない大人になるしかないのだ。
わたしはそう言っているのである。
こういう馬鹿は今すぐ死ね。生きている価値ないんだから。
つか中島みゆきファンも馬鹿ばっかだな、この動画コメントから。
=====
思い出は綺麗 本当より綺麗
本当にその通りですね。
「本当より綺麗」なものに誘われて、
人は「迷子」になってしまうんですね。
=====
アホか。「本当より綺麗」だと気づいてしまったから迷子になるんだよ。「本当に綺麗」だと信じ込んでいたら迷子にゃならない。
=====
ここで待っておいで すぐ戻ってくるよ
言われたようにそのままでここにいるのに
気にかかってふらり 待てなくてふらり
歩き出してそのせいで なおさら迷子
=====
「本当に綺麗」だったらそのままそこで待っていれただろう。
「本当より綺麗」と疑うようになってしまったから「気にかかって」迷子になり「歩き出して」なおさら迷子になるのだ。
こういう「本当にその通りですね」=「俺はちゃんと現実を見れているぜ」なんて大人ぶった顔をしたがるのなんかさっきの奴とおんなじだ。
そういった「俺はちゃんと現実を見れているぜ」なんて顔が「本当に綺麗」とお前は信じ込んでいる。
だから迷子にならない。
迷子からの脱出方法は、こういった非合理的な妄想を確信することだ。
そういった人間精神の性質をシステム化したのが宗教だ。
ただそれだけのことだ。
本当の現実は、みんな誰しもが迷子なんだ。
生まれたばかりの赤ん坊は右も左も上下もわからない迷子なんだ。
ほら、これが隠喩の作用だよ。
こんな糞なもんが多くて何が楽しいのやら。
隠喩とは「嘘」なんだ。
お前は「もっと嘘つきがいてほしい」と言っているんだ。
ホストにでも貢いでろよ糞ババアが。
スクーターでもよかったんだけど、なぜか危ない気がしたんだよね。
いろいろ安全設計はされてるんだろうけれど、むしろ逆にそれが危ない気がした。機械設計者の発想?
まあぶっちゃけ考えすぎなんだけどね。
バイクの方がかっこいいなと思ったのもあるし。
あんま考えてなかった。
考えてないのに考えすぎ。
不思議だ。
「ありうる危険」を考えることがなべて「考えすぎ」ってなるのが変。
考えてなくても「なんとなく危険っぽい」って思えばそれは「考えすぎ」じゃない。
わからん。わからん。
「考えすぎ」? 別に考えてないよ。なんとなくそう思っただけ。
わかんねえ。
わかんねえ。
あ、まあ実際にバイクで一回事故ったことあるけどね。コケただけ。かすり傷で済んだ。基本安全運転よ? 同じバイク乗りの社員がいたけど、「ノロノロ走りすぎ」って怒られたわ。
「バイクはかっこいいから乗っている」って人はそう思うんだろうね。
確かにそっちのがかっこよさげだとは思ったけど、別に「かっこいいから」って理由はそんなに重要じゃないんだもん。
むしろかっこつけで飛ばす方がわけわかんない。それがなんでかっこつけになるのか。顔なんて見てないだろうし。
なんだろうなあ。
機械部分がむき出しだから? 見てそうだとわかるから安心する? この部品はこういうためのものだ、となんとなくわかるから。ほんと機械設計者の発想だな。
スクーターって機械部分全然隠してるじゃん。いや大体のイメージだけど。
ちゃんと作ってるなら隠さなきゃいいのに。まあ確かにオイルが飛び散ったりするのは困るけどさ。こちとら仕事で作動油まみれになるの普通だし。大道具やってた頃は小汚い汗臭い仕事着のまま電車に乗ったりしてたし。いやさすがに満員電車は勘弁だったけど。他の人のスーツとか汚しそうで。工場とか私服通勤だったしね。大体そうなんじゃない?
ああそういうことっぽ。
「オイルが飛び散ったら困る」と「かっこいいからバイクに乗る」って同じことだよな。
そういうのがわたしにはまったくないとは言わないよ? ただ他の人たちよりあんまし重要な要素じゃない、ってだけ。
「もっと隠喩の多い作品が読みたい」なんてマン汁垂れ流しババアとかはわかんねえんだろうなあ。
そういう話だよな、と思ったので。
基本工場の中なんてさ、見た目なんてどうでもいいわけだから、いろいろオープンなんだよ。
いや品質管理にはすげえ気を遣ってるし、クリーンルームとかは逆に街中より清浄な環境にいることになるんだけど、見た感じ全然「きれい」じゃない。機器が雑多に置かれている。まああんま雑多すぎると仕事に影響が出るから整理整頓はされているけれど。だけどそれは現場の人から見た「整頓」であって、一般的な感覚の「整理整頓された印象」ではない。仕事内容を知らない人から見れば「雑多」に思われるかもしれないが、作業を考えればその配置がもっとも「整頓」された状態となる。
いろいろオープンだから「企業秘密ですので」なんつって部外者を入れない。現場の人間からすればめんどくさいだけだったけどね。いろんなセキュリティ。
あれだろ、北朝鮮で話題になった核開発の視察なんか工場の中を見ているわけだろ。
隠喩はそういうことを隠しちゃうんだ。
機能主義だけで作りあげたシステムを、隠喩は隠す。
隠喩連鎖は「オイルが飛び散ったら困る」や「かっこいいからバイクに乗る」などという人間の非機能的な性質を、ラカン的な意味での幻想を、促進している。その傾向が隠喩連鎖となり、隠喩連鎖がその傾向を促進している。
いわば自慰。
ファルスって基本自慰なんだろ?
そういう隠喩を、機能主義的な、科学的な態度で分析するのが精神分析なんじゃないのかい?
つかさ、むしろバタイユとかって工場の中だろ。お笑いで言えばありゃ電撃ネットワークだ。いやあたしバタイユって本気でギャグ小説だと思っている節があるからさ。
「隠喩の多い作品が読みたい」つってるから隠喩を駆使してるわけだけど、わかるかな? マン汁ババアよ。
藤田も反論したいなら、こないだみたいな「風流な遊びとしての禅問答」的な「ネタにマジレス乙www」的な短文じゃなく真面目に議論したいってなら、アク禁解いてやんよ。お前まだ見てるじゃんこのブログ。アクセス解析でわかるんだよ。邪魔だよお前。
わたしはそのババアに対し殺意を持っている。
「お兄ちゃんどいて、そいつ殺せない」だわ。一種の。
なんか読み返して思った。言ってること『アンチ・オイディプス』と一緒じゃんって。
うぜえ。
あの本は「舞台女優」と「工場」を二項対立にした時点でわたしの中で終わった。
舞台女優だって裏では工場作業者と同様に、いやそれ以上に、「器官なき身体」してるんだよ。
舞台上のアイドルだけを見て判断してるのと同じだ。
アイドルだって舞台裏じゃ汗水垂らしてんだ。いや最近のは知らないが、少なくともわたしが知ってるアイドルの卵は稽古すげえ真面目だったよ。
だからあの本はダメだ。
実際の工場の中と舞台裏、両方を知っているわたしから言わせれば。
少なくともドゥルーズ=ガタリは工場の中で皮膚が炎症するまで油まみれになったことなどないだろう。人体に危険な作動油とか普通にあるからな。
ドゥルーズ=ガタリは工場作業者の実体を知らない人間だ。『アンチ・オイディプス』はそういう人間の文章だ。そういう人間が「機械」を語るからややこしくなる。目をきらきらさせる。『銀河鉄道999』の鉄郎になる。
中野雅哉も死ねよ。お前のせいで予期不安や希死念慮が出るようになってしまった。
死んで詫びろ。
何も考えずにわたしを誘ったことをな。
お前みたいに直感的に「危ないかも」と思えない奴は「考えすぎる」くらいに考えろ。
お前は馬鹿だ。脳内お花畑だ。
藤田はこの件について何にも言わないのか? 精神分析家としてではなく精神科医として。お前のゼミ生がわたしの症状を悪化させたことについて。
お前も死ねよ。邪魔。
つかこの記事で「バイク」って書いただけで速攻ブログ管理ページの宣伝にバイク王が出るようになった。これまではネトゲ系が多かったのに。そういうスクリプト使ってんのかな。グーグルアドみたいな奴。すげえなIT技術って。
ネトゲのままにしといてくれよ。今はバイクなんて全然興味ねえし。
精神分析は、機能主義側から、科学的な態度で、隠喩という対象物を研究する。
研究対象物として「隠喩がもっとあった方がいい」と言っているのなら、わからなくもない気がする。研究対象のない科学者なんておもちゃを取り上げられた子供とおんなじだからな。
しかしそれは、そいつ自身がちょっとヒステリー的主体になれば、解離性障害的な主観世界になれば、済む話なのだ。
さすればそいつは、社会には隠喩が満ち満ちていることに気づくだろう。人間関係と言われている現象すべてが隠喩に支配されていることに気づけるだろう。
被害妄想や「大文字の他者に欲望される」などといった症状として。
だからわたしは最初にこういう風に書いているわけだが。
これでもわからないか? マン汁ババアよ。
向井雅明の言う「分析家は、分析家グループにおいては分析主体で、すなわちヒステリー的主体でなければならない」とはそういうことなんじゃないのか?
普段は気づいていない研究対象物としての隠喩を発見するために、分析家はヒステリー的主体をふるまうのではないか?
おい、ババア、わかるか?
死ねよ、まずお前。それかレイプされろ。
そしたらすべての人間関係に隠喩を読み込めるようになるだろうよ。
解離性障害になれるだろうよ。
お前の望み通り、隠喩に満ち満ちた主観世界になるだろうよ。
なあ、マン汁ババアや。わたしゃお前が「ラカンやってる女だから」語っている部分は、多少なりとある。しかもバタイユ読んでるとかなら、わかる部分があるはずだ、と。
この記事でも書いているだろ。
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つかさー、「隠喩という装飾」だとか「重荷」だとか大仰に言ってるけどさー、女ならわかるはずだろ?
「なんで化粧なんてめんどくさいことしなきゃなんないんだ」って。
それと同じだよ。
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化粧を落とした顔を見て男は幻滅する。それはそいつの抱いていた幻想が死んでしまうからだ。
隠喩には常に「幻想の死」がこびりついている。
そもそも「幻想は幻想だろ」と思うわたしなんかは、それこそ「化粧なんてどうでもいいと思っていた」わたしなんかは、「隠喩という化粧」を機能的に分析できる。理系脳でのアプローチ、っつうかね。
この「幻想の死」とビオンの言う「β要素」は別物なんだが(根っこは同じ、っつかコインの裏表みたいなもんかね。ラカン理論なら近いのは「大文字の物の殺害」になるのか。「β要素」は「大文字の物に殺害される」って意味になる)、ここも藤田はわかってそうにないよな。まあいいんだよ、彼精神病専門じゃないし。つかラカン派は逆にそうであれと思う。藤田をけなしているんじゃない、って言い訳。
んー、簡単に誤解を恐れず言えば、強迫神経症の「死に対する不安感」が隠喩にまとわりつく「幻想の死」で、精神病や境界例の被害妄想が斜線のほころんだエスからにじみ出てくる「β要素」たる「死の恐怖」だ。前者はモラトリアム(退却神経症)者が「社会に出るのヤダナー」って言ってるのとかがあたる。後者はもっと即物的な迷子感覚のごときものだ。パニックの方が近い。
わたしは前者の感覚が理解できない。むしろこれについては鈍感な方だろう。
藤田が隠喩にまとわりつくそれを「シノフアン」なんて言ってうまいこと言ったつもりでいたみたいだけど、そんなたいしたことじゃないんだよ。具体を考えれば。それは強迫症やモラトリアムの「漠然とした不安感」で、精神病や境界例の恐怖感のような生々しさがないものだ。
「考えすぎ」て感じる不安か、「考えすぎ」てなんかいないまま感じる恐怖か。
簡単なことだよ。
こんな簡単なことがなぜお前はわからないのか。
お前の「らかんりろん」には具体が伴ってないからだ。
精神疾患という具体がな。
お前が「学者という肩書き」を持っていようがいまいが、わたしにとってお前は「男に喜んでもらうために化粧する」「マン汁垂れ流しババア」だ。
だから「死ねよ」と言っている。
出てこいよ糞ババア。お前「学者という肩書き」は持ってないんだろ? なら学者村の妙なしがらみは考えなくていいよな。わたしとおんなじで。
罵りあおうぜ。向井んちで藤田がやったように。
ああ、藤田は「ヒステリー的主体をふるまっていた」だけかもしれないが、わたしマジモンだからね。診断はパニック障害だけど解離性障害のケも精神科医から指摘されたことがある。日本ラカン協会の木田原形而には境界例だと言われた。
わたしがあなたに抱いている殺意は本物よ?
本物じゃないとあなたも「人間関係すべてに隠喩を読み込んでしまう」状態にはならないでしょ?
「もっと隠喩が多い作品が読みたい」んでしょ?
小説なんかに限らず、人間関係すべてに隠喩を読み込めるようにしてあげるっつってんの。
殺しあおうぜ。
中野雅哉もわたしの分析を「ミス・ショット」だと言うならそのババアここに連れてこいよ。
文字だけのこの場で、そいつのシニフィアンを、「隠喩連鎖」を、「意味構造」を、すなわち「言語のように構造化されている無意識」を分析してやっからよ。
そうしてそれまでの分析が誤りだとわたしが思うこともあろうよ。
なぜこう多くの人間って単なる自分の主観にこんなに自信満々になれるんだろう? 理解できん。
わたしは自信がないから、ババア出てこいよ、っつってるんだが。
わたしの症状が悪化したのは、お前らのせいではあるわけだからな。お前らのせいにはしきれないが、一つのきっかけであることは間違いない。
そういう風に「ヒステリー的主体としてふるまう」ことはできる。
おら出てこいよ糞ババア。
お前ってさ、結構、周囲のわたしみたいな人間から、反感買ってるタイプじゃないかい?
陰でひそひそ叩かれてたりしてるんじゃないかい?
「男の前でだけ賢い顔する」
とかなんつってな。
ここにも書いた「不倫の子」とはよくそういう話したなあ。陰口だけど単なる印象論じゃないんだよな。今思えば精神分析理論が小難しく言っているようなことを、それこそ「欲望とは他者の欲望である」を前提に陰口言ってたな。「男の前でだけブリッコする」なんてのはまさにそうじゃんか。
おい、ババア出てこいよ。
お前のその無意識の化粧ズタズタにしてやんよ。
そうやってはじめてエスが露出する。
「ヒステリー者のディスクール」ってどんなんだった?
つか今気づいたけど「世界は劇場、人生は夢」なんてもろ解離症状じゃん。
『ラストコンカー』がちょっとおもしろい。はじめたばっかだけど。
つかアエリアって『ギロチンハウス』といいこう、「売れる王道的なネトゲ」から言えば、どストライクを微妙にはずしたゲームばっか持ってくるよな。買いつけ担当のセンスがいい。わたしにとって。
まあ「売れる王道的なネトゲ」なんてネトゲ板じゃ「萌えグラ量産クリゲ」とか言って叩かれてっけど。
萌えグラなんてのは「ユーザーを欲望させるため」にそうしてるわけだろ。「欲望とは他者の欲望である」原理に則って欲望は伝染する。実際にいたら宇宙人グレイになるような目のでかい二次元少女でオタクたちはオナニーしている。現実的にはただのデータでしかないNPCキャラのパンツを見て喜んでいる。
まさに「ギャルゲはギャルゲでやってろ」。
だけどそんなどストライクはだめだからと言って暴投するのも違うんだよ。それはどストライクを投げるのと同じだ。「欲望とは他者の欲望である」という伝染病からは逃れていない。
微妙にずれているだけからこそ、「男の前でだけブリッコする」なんて「他者の欲望である欲望」でマン汁垂れ流しているメスブタを馬鹿にできる。飲み屋で陰口を叩ける。
わたし竹書房系の四コマ漫画雑誌が好きなんだけど、あれも「巷の「萌えパターン」に一見則ってはいるんだけど、微妙にずれている」感じがある。だからおもしろい。ネタの内容も「まったくモテないってわけじゃないけど微妙にイケてない女性たちが飲み屋でする陰口」みたいな感じのが多いだろ?
『ドフス』にしろそうだよな。ありゃフランス人にとっての「萌え」であって、日本人の「萌え」とは微妙に違う。微妙に違うだけだからこそ「萌え」に対し分析的な態度となる。あたし戦闘だるいのだめだからすぐアンスコしたけど。『ラストコンカー』みたいに自動戦闘ができればやったかもしんない。
結局、比較対照物としてそれを取り扱えるかどうかなんだよ。
「どストライクはだめだからするって暴投」なんてな比較対照にならんだろ。ただの逃避だ。問題点のすりかえだ。
それを見なきゃ済むって話じゃない。そんなことしてもお前の主観世界はお前から離れない。
それを一歩離れて見ればいいだけ。
ま、そういう話。わかんないだろうけど。
とか言いながらアエリアって「重課金する糞運営」って評判なんだよな。あたしゃ無課金厨だからカンケーないけど。飽きるのも早い人だし。ハナっから「定住」なんて求めてまへん。
どうでもいい話ですた。
2ちゃんでいろいろ晒されてる。たとえばこんなん。
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254 :ほんわか名無しさん :2010/02/16(火) 22:13:18 0
フランス文学って何だっけと思ってぐぐってたら
ガタリは中二病である。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-328.html
このブログ書いてるやつが厨二病だよw
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はあ。わたし中二病どころかメンヘラだと公言しておりますが。
おそらくこの名無しは、大人目線から「お前も中二病だろ」と言っているのだろう。
わたしは中二病でもあるし、それどころかメンヘラだ。
彼はおそらく、わたしが「ガタリは中二病である」と言っていることに、「この脂という奴はガタリを大人目線で見下している」などという妄想を付加させているのだろう。
逆だ。
わたしは「ガタリは中二病だからキチガイとして甘い」と言っているのだ。現役メンヘラとして。
そもそもこやつは『アンチ・オイディプス』など読んでないのだろう。この本は、ぶっちゃけ要約すれば、
「中二病(エディプスコンプレックス)なんて糞だ。もっと幼児化しちまえ。分裂症になってしまえ」
というアジテーション本だ。
しかしガタリは明らかに症状として分裂症ではない。「お前自身が中二病、エディプスコンプレックスだろ」と言っているわけだ。要するに大人目線、上から目線とは逆に、中二病のさらに下から目線でこう言っているのだ。「言ってることとやってることがあってないだろ」と。日本ラカン協会会員から境界例だと言われたわたしがな。ちなみに精神病と神経症の境界が境界例だ。
こういった自分勝手な妄想だけで勝ち誇る奴が妙にわたしの周りに多くて困る。
これだよ、「欲望のシーソー」ってな。
こういうのが「大人になること」ならなる価値ないな。「欲望のシーソー」で上にくることが「大人になること」なのである。
馬鹿らしいよな。
わかったか? 中二病の馬鹿ども。
やるなら徹底的にやれ。
落ちるとこまで落ちろ。落ちれなくなったらそれがお前の限界だ。あきらめて大人になれ。お前はつまらない大人になるしかないのだ。
わたしはそう言っているのである。
こういう馬鹿は今すぐ死ね。生きている価値ないんだから。
つか中島みゆきファンも馬鹿ばっかだな、この動画コメントから。
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思い出は綺麗 本当より綺麗
本当にその通りですね。
「本当より綺麗」なものに誘われて、
人は「迷子」になってしまうんですね。
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アホか。「本当より綺麗」だと気づいてしまったから迷子になるんだよ。「本当に綺麗」だと信じ込んでいたら迷子にゃならない。
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ここで待っておいで すぐ戻ってくるよ
言われたようにそのままでここにいるのに
気にかかってふらり 待てなくてふらり
歩き出してそのせいで なおさら迷子
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「本当に綺麗」だったらそのままそこで待っていれただろう。
「本当より綺麗」と疑うようになってしまったから「気にかかって」迷子になり「歩き出して」なおさら迷子になるのだ。
こういう「本当にその通りですね」=「俺はちゃんと現実を見れているぜ」なんて大人ぶった顔をしたがるのなんかさっきの奴とおんなじだ。
そういった「俺はちゃんと現実を見れているぜ」なんて顔が「本当に綺麗」とお前は信じ込んでいる。
だから迷子にならない。
迷子からの脱出方法は、こういった非合理的な妄想を確信することだ。
そういった人間精神の性質をシステム化したのが宗教だ。
ただそれだけのことだ。
本当の現実は、みんな誰しもが迷子なんだ。
生まれたばかりの赤ん坊は右も左も上下もわからない迷子なんだ。
ほら、これが隠喩の作用だよ。
こんな糞なもんが多くて何が楽しいのやら。
隠喩とは「嘘」なんだ。
お前は「もっと嘘つきがいてほしい」と言っているんだ。
ホストにでも貢いでろよ糞ババアが。