馬鹿ってほんとなんにも考えてないのな。
おめでてーな。
お前コメ禁。
2010-10-05 火 19:44:13 /URL /脂 /
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もうお前と会話する気はないのでしゃしゃり出てこないでくれるかな。
つか「ニドトコネーヨ」って自分で言ったんだからくんなよ。2ちゃんの痛いコテかお前は。
2010-10-05 火 19:45:50 /URL /脂 /
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つかお前のIPってもともと広告コメント多かったホストなのでちょうどよかったわ。
2010-10-05 火 19:58:23 /URL /脂 /
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この気持ち悪いガキンチョがいるならいかない。
なんで好き好んでストレス溜めることを自ら進んでやらなあかんねや。
つかなんであたしフジタゼミいかなあかんってことになってんねん。
誘われてるだけだよな。あたし拒否する権利あるよな。
んで理由を言って拒否したんだが、なんでこう何度も誘ってくるんだ? この馬鹿は。
2010-10-05 火 20:04:48 /URL /脂 /
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そら「未来永劫一切いかない」ってわけじゃないけどさ。
「現状はいけない」で済む問題だろうが。
理由もちゃんと言ったわけだし。
わけわからんわほんま。こういう思考回路が。
2010-10-05 火 20:10:05 /URL /脂 /
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あれだ、中野くんは、本当にわたしに来てほしいなら、
ほっとけ。
放置しろ。
そしたらたまたまめぐりあわせでいってみる場合だってありうるだろう。
偶然を祈っておけ。
2010-10-05 火 20:12:25 /URL /脂 /
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ほんとあれだな。
こんな目にあうなら理由なんか説明しないで「いけたらいくかもねー」で終わらせとけばよかったのか。
しつこくされるのは我慢して。
つかリアルではそうしてたな、多分。
うぜえよほんとに、こういうの。
2010-10-05 火 20:28:31 /URL /脂 /
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いやもうほんとあれだ、このブログで誘ったのが間違いだ。
いやだから中野は悪くないんだが。馬鹿だが悪いことはしていない。
このブログはそういったことをさらけ出そうとわたしが勝手に決めているからな。それでこじれたのはある。
ほんとな、こんなんリアルなら
「いけたらいくかもねー」
「待ってまーす^^」
で終了なんだよ。
ここでぐだぐだ書いているようなことは部屋に戻って考えるだけ。
わたしが一方的にストレスを抱え込むだけ。そういう人間だから、であって「お前が悪い」って言っているんじゃなくな。おそらく誘った方はストレスを感じていないだろう。わたしは感じる。だから「一方的」と書いただけ。
つかその程度のストレスならやりくりできる。社会人だってやってたわけだからな。
このブログではいわばわたしは丸裸なんだ。
だからストレスが直に影響する。
そういうことだよ、ほんとに。
2010-10-05 火 20:32:09 /URL /脂 /
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脂さん、はじめまして。
>「解離や憑依」的な「他者を気にしない発言」ができない状態にストレス感じてたんだろうなあ、って。 ねえ、この辺、水上さんはどう思う?
向井先生のところへの藤田先生の書き込み、あれは別にストレス発散でなくともありえるだろうな(向井先生の書き込み内容から)、とは思います。
「他者を気にしない発言」ができない・・、それはそうかも知れない。立場上というのもあるかも知れない。それはまずい??
いずれにしても、藤田先生の自由連想聞かないと推測巡らすだけ、ということになりますが、他方、なぜ脂さんは「藤田博史という症状」解釈をしたいのかな、という疑問もわきました。
2010-10-07 木 03:16:43 /URL /水上雅敏 /
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お前らは「警戒心」ってものがないのか。
いやこれはギャグ(揶揄)として受け取ってくれていいよ。
つかほんと脳内お花畑だなあ。
いや水上さんはそういうタイプだろうなとは予測していたからストレスは少ないが。
中野くんだって「警戒している」って言っただろ、だから彼とは「精神分析なしなら飲んでやってもいいかな」と思ったんだ。
>他方、なぜ脂さんは「藤田博史という症状」解釈をしたいのかな、という疑問もわきました。
正直に答えたいのでちょっと待って。
今別の思考してたから。
「ごまかすための時間」じゃなくて、「わたしはなぜそうしたいのか」を考える時間をくれ。
まあものの数分だが。
つかごめん、君の名前見たとたんおなかぎゅるぎゅるしてうんこいきたい。
2010-10-07 木 05:16:12 /URL /脂 /
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>他方、なぜ脂さんは「藤田博史という症状」解釈をしたいのかな、という疑問もわきました。
その1。悪ノリ。
どうしてもわたしはなぜか藤田というおっさんに対しては「いたずらしてやりたい」気が起きる。
それはなぜか。
なぜだろう。
多分な、「人間としてはつまんない(そこらにいるような)人だ」と思ってるからなんだよな。
でもそれを認めちゃうとさ、つまんないじゃん。「おもしろきこともなき世をおもしろく」だ。嘘、適当に言った。
多分な、「藤田は普通の人間そうだ」って思っている自分への否認でもあるんだろうな。
もっと「もっと正直になってみてよ、それ見て判断するから」って意味での「揶揄」であり「挑発」。
「もっと本性さらけ出してみてよ」って感じ。
藤田って「隠したがり屋」だと思うんだよ。「いや普通レベルの「隠したがり」だろ」って言われるかもしれないが、少なくともわたしが生きてきた中では「過剰な隠したがり」だと思える。ほら、女で演劇畑とかいるとさ、本音がんがんぶつけあって、そいつの本性が丸出しになるもんなんだよ。
だって彼の言動ってすごくぎこちないじゃん。このちょっとした会話一つ取っても。コメント消したり復活させたりするところとか。
「わたしのことなんてどうでもいいから、あなたはどうなの?」ってなもんだ。
わたしの「藤田博史はポスト・フェストゥムであり強迫症的人格である」ってのは間違ってないと思えるんだよね。
新しく記事書いたけど、途中だけどうpるわ。
その2。
分析家って分析家グループ内では「そいつという症状」を分析しあいされあっているのが普通なんじゃないの?
という現場を知らない人の単なる思い込み。
その3。
精神分析飽きてきたから。飽きるのが怖いわたしとしては今回の事件は非常に助かっている。
だから実は「藤田という症状」じゃなくてもいい。実際「マン汁ババアという症状」についても分析しているだろ。「わたしという症状」の分析にもなっているが。
その1が50%、その2が5%、その3が10%ぐらいで、残りは惰性。
「人類みな精神疾患者であり、臨床素材として症状分析されるべき」
というのがこのブログの一時期のテーマだったから。
「ああ、あたし惰性で言ってるなあ」と自覚しながら書いた部分はある。この件については。だからごめんね、ほんとあれだ、ただの言い訳だ。「昔言っていたわたしの主張が使える」って程度。
最近は「一人一人やってったらきりがないだろ、文化人類学みたいに「おおまかに区分した人間集団」を分析してもいいじゃん」って気にもなってる。
以上。
うんこもう水しか出ねえや。
ほんとお前ら訴えてやりたいわ。もちろんわたしが負けるだろうけど。
PTSDの二次被害とか多少賠償金取れるみたいなのにパニ障はダメなのかな。
いやこれも「揶揄」な。じゃれあい程度の「挑発」だ。
2010-10-07 木 05:36:25 /URL /脂 /
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>向井先生のところへの藤田先生の書き込み、あれは別にストレス発散でなくともありえるだろうな(向井先生の書き込み内容から)、とは思います。
これ聞きたい。
わたしちょっと遅れて祭り参加したから詳しい経緯を知らないのだよ。
向井のこのコラムが発端だってのは知人から聞いたが。
http://psychanalyse.jp/columns.html#dire
このコラムはわたしもキモイ。
ちげえだろ、って思う。
いやまあ、ここで述べている通り「解離や憑依」としての「独り言」「モノローグ」を主張している人から言えば、だけど。
「ダイアローグ主義者」同士の「ダイアローグはどうあるべきか」って議論ならあんま興味湧かない。
2010-10-07 木 05:40:17 /URL /脂 /
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多分藤田の発言から察するに、向井自身が「毛沢東主義というレッテル貼り」って言っていたが、「毛沢東主義」じゃなくても、「向井雅明は支配者になりたがっている」ってことを批判したかったんじゃないか、と思ったんだ。
「「分析家グループにリーダーはいない」と口で言っておきながら、本当にそうか? お前の無意識はリーダーになりたがっていないか?」
って主張だと。
わたしから言えば2ちゃんスレの藤田とかまさに「リーダーになりたがり屋さん」なんだけどな。
むしろそう思ってしまった藤田自身の「リーダーになりたがり屋」症状の自白じゃないか、って思っちゃうわ。
いやあたし向井って人よく知らないからね。
リアルの言動に「リーダーになりたがり傾向」があるのかもしれない。
でもわたしから見れば2ちゃんの藤田だってry。
まあこういった自己矛盾はそれこそポスト・フェストゥム者にはありがちなので「ふんふん」ぐらいだけど。
2010-10-07 木 05:44:10 /URL /脂 /
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ちなみに「女の会話」にゃリーダーがいない、なんてのは嘘だよ。
「女の会話」にもリーダーと下僕がいる。ただ男性と比べて、傾向的に、リーダーと下僕が入れ替わるのが激しいだけ。どっちが、誰がリーダーか、が固定されやすいのが「男性の会話」ってだけ。
どっちも「主人のディスクール」だよ。
本当にリーダーのいない場は、それこそここで言っている「喪女同士がとりとめのない愚痴をさらしあうパジャマッコリ」ぐらいだ。女同士でも。
この小説とか読んでくれ。あたしは好きだ。自分で。あ、もちろん宣伝だ。
http://ameblo.jp/phallicgirl/entry-10448614938.html
2010-10-07 木 05:50:20 /URL /脂 /
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つか2ちゃんの哲学板か心理板か忘れたけどラカンスレに常駐していた「フジタ」ってコテハン藤田博史だよね。論旨も似ていたし。
今調べたけどログ消えてるわ。前のPCだったか。
2010-10-07 木 05:53:21 /URL /脂 /
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つかさー、物性物理とかやってたら、どんな実験観測機器にも、それぞれ一台一台に「微妙なクセ」ってのがあるんだ。「考慮しなくていい」って意味の「誤差」じゃなく、「きちんと因果を特定して排除しなければならない」という意味での「誤差」がある。
だからさ、「藤田という観測機械」について、まずそのクセを認識して、「排除しなければならない誤差」を探し出すのが、観察以前の手順としてあるわけだ。
もちろんそれはわたしにもある。だからわたしは「分析主体」であろうとしている。
そういうわけ。
「そのものという正しさ」
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-667.html
これを観測するには、常人には思いつかないような問題がある。物性物理の世界では。
人間が人間を観測するのだって同じだろう。
むしろ、それには「人間が機械化する」というハードルが加わっている分、より困難だろう。
そういう話だ。
2010-10-07 木 06:02:40 /URL /脂 /
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つかさ、中野くんに対しても藤田に対しても、こうやって「真面目に」「必死に」答えてやってるのに、お前ら適当にしか読まないんだよな。
だったら聞いてくるなよ。
「ただ会話したいだけ」ならカフェ・フジタでやってろ。
2010-10-07 木 06:03:57 /URL /脂 /
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ああそうか。
=====
最近は「一人一人やってったらきりがないだろ、文化人類学みたいに「おおまかに区分した人間集団」を分析してもいいじゃん」って気にもなってる。
=====
について。
わたしちょっと前までは「一人一人分析しないと意味ないだろ」って思ってる人だったんだけど、こういう風に主旨変えしつつある。
で、ちょっと前まではわたし「カチカチの構造主義者」だったんだけど、今では「機能主義」よりになっている。
それと関係してるのかもね。
2010-10-07 木 06:09:36 /URL /脂 /
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>つかさー、物性物理とかやってたら、どんな実験観測機器にも、それぞれ一台一台に「微妙なクセ」ってのがあるんだ。
こういった大学研究の要望に応えられる企業なんてやっぱ大手だけでな。うちの学科はアドテスとか来てたんだが、わたし会社説明会行ったんだよな。んでOBの話聞くに、そういった大学との取引はやっぱそんな儲かんないみたいなんだよ。赤ではないが、大きな黒にはならない。金払いはいいが少量しか注文してこない、って感じだと思う。
じゃあなんでそんな取引してるか、って言うとな、やっぱ「箔がつく」からなんだってよ。一種の宣伝効果も期待して、そんな儲からない仕事してるんだとさ。
……「機能主義と構造主義」に関連づけようと思ったがめんどくさくなった。
2010-10-07 木 06:14:45 /URL /脂 /
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つかさ、ラカン派では「分析するのは分析家ではなく分析主体だ」ってなってるんだが、藤田の「アブラブログという症状」についてのコメントは矛盾してねえか?
ああ、「経験豊富な精神科医」って言ってるな、ちゃんと。「精神分析家じゃなくて精神科医としてのコメント」か。
やるぢゃん、藤田。
2010-10-07 木 06:19:06 /URL /脂 /
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ああごめん。
>「他者を気にしない発言」ができない・・、それはそうかも知れない。立場上というのもあるかも知れない。それはまずい??
少なくとも向井雅明の主張する「あるべき分析家グループ」、「分析家グループにおいて分析家は分析主体、ヒステリー的主体でなければ、「新しい知」を発見できない」には反するな。
「そうなんだから仕方ないぢゃん」なんて言いながら分析家グループに分析家(資格持ちかどうか問わずな)として参加したら向井グループでは批判されるんじゃね。
で、わたしは向井の意見を支持している(向井の発言全部支持ってわけじゃないよもちろん)。
わたしの意見。
=====
研究対象物として「隠喩がもっとあった方がいい」と言っているのなら、わからなくもない気がする。研究対象のない科学者なんておもちゃを取り上げられた子供とおんなじだからな。
しかしそれは、そいつ自身がちょっとヒステリー的主体になれば、解離性障害的な主観世界になれば、済む話なのだ。
さすればそいつは、社会には隠喩が満ち満ちていることに気づくだろう。人間関係と言われている現象すべてが隠喩に支配されていることに気づけるだろう。
被害妄想や「大文字の他者に欲望される」などといった症状として。
だからわたしは最初にこういう風に書いているわけだが。
これでもわからないか? マン汁ババアよ。
向井雅明の言う「分析家は、分析家グループにおいては分析主体で、すなわちヒステリー的主体でなければならない」とはそういうことなんじゃないのか?
=====
新宮が言うところの「社会的な意味構造」たる隠喩連鎖パターンじゃない隠喩を読み込む場合があったりするから、「社会的な意味構造」たる隠喩連鎖パターンがどういうものか認識できる。相対的に見れる。
文化人類学で言われる、
「研究対象の文化に属する構成員たちとは確かに友好的な関係を築かねばならないが、学者の視点を忘れてはならない」
と同じことじゃね。
多くの人類にとって無意識に、つまり無自覚になっている「言語のような構造」、つまり「隠喩連鎖パターン」を、相対的に見るには、そこからこぼれ落ちたヒステリー的主体になるのが、実際問題として選択可能な方法だ、って話。
まあSFチックな会話が許されるなら、「いやヒステリーにならなくてもそれを相対的、俯瞰的に見れるはずだ」なんて言えるだろうけどね。
わたしゃんなの信じてない。
つかそれこそ「神」になるしかないんじゃね、ってぐらいに思うわ。
つか藤田って「俯瞰」とか「メタ」って言葉の罠にはまってると思うんだよな。
http://atratith.blog19.fc2.com/blog-entry-167.html
別にそれを相対的に見るには、「俯瞰」「メタ」に限る必要はないんじゃよ?
下から見上げてもいいし、横から一歩離れて見てもいい。
「ヒステリー的主体になる」ってのは社会的立場で言えば「下になる」ってことだが、別にその視点で見てもいいじゃん、って話。
社会的な上か下かってのは「社会的な意味構造」に縛られた「人類」という研究対象がそう決めているだけにすぎん。
2010-10-07 木 06:43:52 /URL /脂 /
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つか向井も矛盾してるよな。
http://psychanalyse.jp/columns.html#dire
と
http://psychanalyse.jp/columns.html#groupe
で。
=====
オブザーバーによると当時毛沢東の軍隊は大混乱を起こしていて、まったく信じられない様相と呈していた。とにかく皆がめいめい好き勝手なことをして、一兵卒が士官を平気で批判したり、通常の軍隊の規律からすると考えられないような状態が起きているということだ。
=====
このときの「一兵卒」は明らかに「ヒステリー的主体になっている」とは言えないだろうが。
「言語のような構造」という無意識、「社会的な意味構造」から外れてなんかいやしないだろ、その「一兵卒」は。
むしろ(当時の軍隊という)「社会的な意味構造」そのものになってるだろう。
だから矛盾してる。
つか本気で「ヒステリー的主体」になってたら「兵士」として働けるわきゃねえじゃん。
そもそもの「自我」が壊れているんだから「国」なんてのは同一化対象として成り立ちえないだろう。
でも藤田の殴り込みのおかげで下の方のコラムみたいなことが書けたわけだから、向井にとっちゃ「知の発見」になったわけだ。
上のコラムのときは、「おおまかな知」についての「大雑把な比喩」として「毛沢東軍の一兵卒」としか説明できなかったが、藤田の殴り込みのおかげで「分析家グループにおける分析家とは」という知の厳密化が可能になった、ということだ。
藤田はどうかしらんが。これについての発言あんまないしなんとも言えん。リアルタイムでの「ガキの言い訳」みたいなコメントはBBSで見たけど。
2010-10-07 木 06:54:10 /URL /脂 /
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水上さん、あんたは中野くんみたいな「自分の都合で勝手に人の意見を要約する」ようなことはしないと思って話している。
いやそうである可能性も十分にあると思っているが。
だから今回は中野くんに対してのときよか「必死」じゃない。あのときよか適当にごまかして話している。だから中野くんに対するコメントよか「発散」は少ないだろう。
「適当にごまかす」=「要約」だよ、わたしにとっちゃ。
わたしも「要するに」とか言うが、「適当なごまかし」のつもりはあるもん。やっぱ。「めんどくせえなあ、細けえこたいいんだよ」だろ、「要するに」なんて。
ほんとあれは不意打ちだったわ。わたしの警戒不足。わたしブログの読者ならわかってくれてるもんだと思い込んでた。
2010-10-07 木 07:06:35 /URL /脂 /
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>あのときよか適当にごまかして話している。
ここのコメントに関しては、他より「観念連合の弛緩」は少ないんじゃね。
いややれって言われればできるけど。あんなんでよければ。
つか今下痢で死んでるからな。
正直今この瞬間はこの件についてより肛門の方が気になる。ヒリヒリ痛い。
うんこ出ないのにちびりそうだからトイレいかなくちゃ、ってなる。これって強迫症? 多少水便で汚れても「細けえこたどうでもいいんだよ」でいいのにな。
着替えりゃいいんだし。
2010-10-07 木 07:07:55 /URL /脂 /
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つかさ、藤田一派でネトゲやんない? ネトゲおもろいよ。精神分析のネタの宝庫。「あ、これもあの理論だなあ、あ、これもだwww 精神分析すげえwww」ってなると思うよ。
バタイユ研究すんのよかこっちのがよっぽど「知の発見の喜び」があると思うんだけど。
斎藤環とかが「オタク文化やひきこもりの分析にラカン理論は相性がいい」とか言ってたけど、まあそういったパターンだと思うけど(ゲーム文化もオタク文化と近いっちゃー近いからな)、今のメジャー化したオタク文化よりラカン理論適用しやすいと思うぜ。ネトゲ。
斎藤がした「オタク文化へのラカン理論の適用」って『戦闘美少女の精神分析』だからもう十年以上前だろ?
このブログの一テーマにもなっている自閉症は、ラカン派自身が「鏡像関係の組み込みの失敗例」としているわけで、いわばラカン理論の限界ぎりぎりの症状なんだよな。
これもおもしろいが、水上さんタイプは才能なさそうなので薦めない。
2010-10-07 木 07:15:59 /URL /脂 /
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あ、わかった、まとめ。
わたしがこのブログでやっていることは、「究極のパジャマッコリ(喪女限定)」だ。
ほんといっぺん喪女同士の「パジャマッコリ」覗いてみなよ。「あいつチョーウザイ、まじで死んでくれないかな」とかフツーに言ってるから。冗談交じりに。冗談交じりだからこそ「無意識の発露」つまり「本音」だろ?
2010-10-07 木 07:35:35 /URL /脂 /
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あと水上さん、あたし個人的に一行ごとに行空けする人きらいなんだ。
いや「やめろ」とは言わないが、それが癇に障って攻撃態勢に移行することは十分ありえる。
なんせ「究極のパジャマッコリ(喪女限定)」なわけですから。
2010-10-07 木 07:38:47 /URL /脂 /
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>向井先生のところへの藤田先生の書き込み、あれは別にストレス発散でなくともありえるだろうな(向井先生の書き込み内容から)、とは思います。
あ、そうだ。藤田自身の言葉か忘れたけど、それこそあなただったかもしれないけど、
「精神分析に政治的要素を絡めるのはいかがなものか」
みたいなことも言われてたよな。うろ覚えだけど。
えーと。
あたしそもそも政治にそれほど興味湧かないんだよな。一時期湧いたことあって、それこそ某カルト宗教政党の政治家のお手伝い(単なるなりゆきよ)したこともくらいだが、大学生時代のことで、それ以降はほんととんとないんだよ。
でもこんなわたしでも政治に関する発言をすることがある。最近なら「事業仕分け問題」。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-599.html
これに関係するが「東大改革」についての発言も政治っちゃー政治になるのか。
でもさ、それはたまたま「むかつく相手」が政治的な相手だったから、にすぎないんだよな。
このブログを読めばわかるように、わたしは中高生相手にも本気になって口論している。そのときむかついた相手を叩いている。
そのときはたまたま相手は政治関係の何かだった、ってことにすぎない。
そういう感じでさ、向井自身が政治全体についてそれほど興味持ってなくて、たまたま見かけた「毛沢東軍についてのエピソード」にピンときたから発言しただけ、って場合もありえると思うんだよ。
これはいわば幼児的な性質だ。わたし的には褒め言葉になるんだけど。ブログ読み返してくれな。
そうであるならば、「別に政治的要素を精神分析に介入させるつもりはなかった。単に「いい感じの比喩」として使えるからそれを利用しただけ」って言い分は、成り立つんじゃないかと思うんだ。言い訳や否認じゃなくて、彼がそういった幼児性のある人なら、本当にそうである可能性はあると思う。わたしはよく知らないからわかんない。向井ってネット上の発言少ないのよね。
それは確かに社会的には無責任な、あるいは不用意な発言だ。ま、だから「幼児的」なんだけど。
もし仮にそうであったなら。向井は幼児的な性質の人であったなら。
その場合、むしろ、その発言に対し過剰に「政治的なるもの」に反応する方が、そいつ自身の無意識が「政治的なるもの」に執着している証拠だ、となる。
わたしそう思うもん。先ほども言ったようにほんのときどき政治について触れたりするが、そこだけ抜き取られて「精神分析に政治的要素を絡めようとしている」とか言われたら「はあ?」ってなるわよ、そりゃ。
あ、ちなみにわたしは自分を幼児的だと言ってるよ、このブログ上で。
つか「未去勢者」なんてな「精神分析的には本当の意味でのガキ」ってことになっだろ?
ただ向井のそのコラムも言葉足らずだった。
そのコラム内で、そのあとの分析家グループについてのコラムに書いてあることまで思考を深めるべきだった。政治的な配慮関係なしに、精神分析理論的に誤っているからだ。「その「一兵卒」は分析主体やヒステリー的主体ではありえない」から。ああまあ中にはいたかもしれんがね、解離性障害の兵士も。ごく少数は。
深めようとしていたがその前に突っ込まれた、って可能性もあるがな。
まあどっちにしろ向井の不手際はあると思う。
2010-10-07 木 07:53:39 /URL /脂 /
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>「他者を気にしない発言」ができない・・、それはそうかも知れない。立場上というのもあるかも知れない。それはまずい??
むしろ人間的に「まずい」のは、社会生活上「まずい」のは、「他者を気にしない発言しかできない」人たちだろうが。
それこそアスペなんかは「他人の気持ちを配慮する能力が欠けている」。この記事参照のこと。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10226491555.html
だからこそアスペは「精神障害」と認定されてるんだ。「人間としてどうか」などと言われ(2ちゃんのアスペ攻撃スレなんかすげえぞ。あたってる部分もあるからおもしろいんだが)、社会生活上、人間関係が常にうまく行かない。
それは彼らの無意識において「ラカン的な意味での他者」が希薄だからだ。大文字、小文字問わない他者。
そらそうだ。ラカン派の自閉症解釈は「鏡像関係の組み込みの失敗例」だからな。鏡像段階で他者を認識し「想像的な自我」が定立すんだろ?
「「他者を気にしない発言」ができない」あんたみたいな人の方が、「人間として立派な人」で、「そういった点において社会生活に困難がない人」だよ。
ぜーんぜん「まずく」なんかない。
2010-10-07 木 08:19:40 /URL /脂 /
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もし「向井雅明は精神分析に政治的要素を絡めようとしている、それはいかがなものか」 と言うなら、それこそ精神分析家らしく、向井の人格傾向を分析して、彼が本気で、無意識レベルから、「精神分析に政治的要素を絡めようとしている」のかどうか議論すべきだったんじゃね。
分析家同士ならそういういろんな情報入ってるだろ。少なくともわたしよか。
もしそれで、このコラム以外に、彼が「精神分析に政治的要素を絡めようとしている」ケースが多々あれば、その批判は正当だな、とわたしは思うだろう。
それだけの話にすぎないよ。
つかわたし本人が「政治ってそれほどどうでもいい」って人だから、「精神分析に政治的要素を絡めること」自体が何が問題なの? って思う。ほんとそういう仕事ばっかしてる人なら批判すべきだとは思うけど、まあそのケースによるかな。
まさに「むかついたら叩く」。
2010-10-07 木 08:25:17 /URL /脂 /
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つかさ、こんなに「真面目に」かつ「(あくまでわたしなりに)他人に気遣って」(なのでこのコメントは以前ほど「必死」ではない)書いているのに、「分裂病者、とは言わなくても境界例の妄言だ」とか言って相手にしないのかね。
それでいいよ。
それも一つのお前の症状だ。
2010-10-07 木 08:33:05 /URL /脂 /
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>藤田先生の自由連想聞かないと推測巡らすだけ、ということになりますが、
自由連想じゃなくてもそいつの無意識が表出する場合だってある、というのがフロイトの「冗談や錯誤行為にこそ無意識は表出する」だろうが。
だから自由連想じゃない場面における精神分析は常にいわゆる「揚げ足取り」となる。
「自由連想していない相手は精神分析してはならない」なんて決まりあるのか?
バタイユは自由連想として小説を書いていたのか?
まあ確かにそれこそ詩なんかは「自由連想的」ではあるがな。
つかお前ら社会文化なんかも平気で分析しているだろうが。そのときの対象の文化は自由連想しているのか?
要するに、自由連想の場に限らなくても、そいつが「ぽろっと言ったこと」、つまり「冗談や錯誤行為」は、無意識の表出になる、ということだ。
自由連想なんかしていない日常生活においても、エアポケットのごとく、自由連想的な状態になる一瞬がある。それがたとえば「冗談や錯誤行為」の瞬間だ、ということ。
わたしは藤田について分析している要素は、ほとんど「彼はそう意識していないだろう」と思われる点についてだ。
今日の記事だってそうだろ? 彼が当該文章を逆接にしたのは、ほぼ無意識的にそうしたのだろう、と推測できるよな。その可能性が高いと判断できるよな。
彼が、一旦消していた「アブラブログという症状」のコメントを、わたしが読んでいると勘違いして復活させたことなんてのは、「錯誤行為」だろ?
2010-10-07 木 08:51:59 /URL /脂 /
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逆に言えば、向井の言う「ヒステリー的主体」は、「なるべく純粋な自由連想をしている主体」としてあると思う。
そらそうだろ、「ただの防衛機制でしかない」自我が壊れているんだから、ヒステリー的主体の思考は、大体ハナから(ラカン派が好きな「常にすでに」の厳密さをちょっと下げたバージョン)自由連想的になるだろうな。
わたしがこのブログでやっている「究極のパジャマッコリ(喪女限定)」も、「なるべく純粋な自由連想」を目指していることだ、と言える。
2010-10-07 木 08:55:56 /URL /脂 /
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つかむしろ、
連想のつながりパターンが、度を越えて「自由」度が高くなった状態こそが、「観念連合の弛緩」だ、
とも言えないか?
2010-10-07 木 08:57:37 /URL /脂 /
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つか自由連想を聞いてする分析だって「推測」の域を出ないよ。
精度は高くなるのかもしらんが。
2010-10-07 木 09:00:26 /URL /脂 /
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これもただの「理論武装」「知識武装」だよ。
キチガイの理論、知識だからと言って全部棄却するもよし、利用できるところは利用するもよし。
好きにしろ。
自由になさい。
そうしてお前はその瞬間だけ自由連想的な状態になるのだから。
わたしからすればお前の無意識を推測する情報が一つ手に入ったことになる。
2010-10-07 木 09:34:17 /URL /脂 /
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こうやって短いコメントにも一つ一つ丁寧に真面目に対応しているんだが、「要約しろ」とか言われるんだよなあ。
お前らが自分勝手に要約するからこっちは文章がたくさんになるんだよ。
人によって「要約の仕方」は違うだろ。同じ文章について、たとえば精神科医と法律家の要約の仕方は違うだろ。
だからこっちがいちいち一回展開してあげてんだよ。
「隠喩という圧縮」パターンすら人類において普遍なわけじゃないのに。
それが特殊な人たちが精神疾患者と呼ばれているだけで。
2010-10-07 木 09:40:32 /URL /脂 /
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>むしろ、その発言に対し過剰に「政治的なるもの」に反応する方が、そいつ自身の無意識が「政治的なるもの」に執着している証拠だ、となる。
もしこの仮説が正しいとするならば、わたしの「藤田博史はポスト・フェストゥムである」って推測の補強になるんだが。
あ、いやそう言ったのは藤田じゃないっけ。
まあルイトモでポスト人間が集まってるんじゃね、フジタゼミって。
ごめん適当。
2010-10-07 木 09:56:52 /URL /脂 /
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まあ水上さんにも都合あるだろうからさ、「今すぐ全部読め」なんては言わないが、「自分勝手にした要約」を、わたしに押しつけるような真似はしないでくれな。中野がしたみたいに。
あれはほんと殺意が湧く。
そんなのただのお前がした要約じゃねえか。ということはお前は「俺個人のために要約しろ」って言っていることになる。
何様だお前は、という話だ。
それぞれ一人ずつ隠喩連鎖パターンが違う。思考回路が違う。
それを確かめながらじゃないと、「そいつに適した要約」は無理だ。
だからわたしはな、長くつきあった、たとえば妖怪紳士などからは、「脂さんは精神分析の要約がうまい」などと言われたこともあるんだ。
彼の思考パターンがわかってたからな。そらー数年間も週に二日は夜通し議論したりしてたんだから。
ここのコメント欄のぬりかべって奴な。ハンドルネームはころころ変わる奴だからキニスンナ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-114.html
2010-10-07 木 10:11:06 /URL /脂 /
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これな、自閉症者と話しているとほんとそう思うぞ。
=====
それぞれ一人ずつ隠喩連鎖パターンが違う。思考回路が違う。
それを確かめながらじゃないと、「そいつに適した要約」は無理だ。
=====
発想が違うんだよ。根本的に。
かと言って自閉症者全員で共通するパターンがあるわけじゃない。それっぽいのはあることはあるが、確定的なものじゃない。
まあ正常人もおんなじだがな。
だからこそそんなに簡単に他人に向かって「要約しろ」なんて言うな、って話だ。
2010-10-07 木 10:13:34 /URL /脂 /
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なんかパジャマッコリ化してきたのでやーめよ。
ああいらいらするわ。
2010-10-07 木 10:29:44 /URL /脂 /
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ああ補足。
=====
だからさ、「藤田という観測機械」について、まずそのクセを認識して、「排除しなければならない誤差」を探し出すのが、観察以前の手順としてあるわけだ。
もちろんそれはわたしにもある。だからわたしは「分析主体」であろうとしている。
そういうわけ。
=====
これは「なぜ脂さんは「藤田博史という症状」解釈をしたいのかな、という疑問」の答えだが、これこそ「理論武装」だな。単なる。
その1~3の理由に入ってない、「惰性」に含まれる。それについての詳細な説明だ。
=====
「人類みな精神疾患者であり、臨床素材として症状分析されるべき」
というのがこのブログの一時期のテーマだったから。
=====
という主張について、わたしがよくした「理論武装」がそういうのだった、って話。
つか「惰性」は35%もあるのか。結構な割合だな。
2010-10-07 木 11:31:28 /URL /脂 /
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つかさー、わたしレベルを境界例だっつうなら、わたしの体感測定だと、世の女性の一、二割は境界例だと思うんだがな。いやまあわたしのルイトモもあるんだろうが。
「隠れ境界例」っていうか。「仮面鬱」ならぬ「仮面境界例」。あ、あたし最初の診断「抑鬱状態」だったけど「仮面鬱」って言われたよ。
そら見た目はごまかしてるだろうさ。あたしだってごまかしてる。ごまかせてた。
あれごときを「観念連合の弛緩」だってされちゃうなら、精神病者は全然異常者だと思えないんだが。わたしは。
つか酔っ払い全員そうなるだろ。
2010-10-07 木 11:36:04 /URL /脂 /
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ヒステリー的主体ではないお前たちにとって、精神分析の研究対象物たる無意識とは、見えにくいものだ。無自覚的なものだ。
ヒステリー的主体はそれが感知できるだけ。いや感知して「しまう」。
それは決していいことなどではない。うらやましがられるようなことではない。
それに気づいてしまうことこそが、精神疾患である所以なのだから。
2010-10-07 木 11:47:08 /URL /脂 /
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って言うかな。
向井って人間はよく知らないからどうでもいいんだが。
「学者が政治的・社会的配慮を怠ってする発言が、「政治的・社会的配慮がない」と批判されること」
についてな、それ自体がおかしいと思うんだよ。
学者の本分は政治家ではない。社会活動家でもない。学者の研究は社会にためになることだけではない。基礎科学っていうのはそういうものだ。社会のためになることを目的とするなら基礎科学なんていらない。応用科学だけやればいい。
「知という自己満足」のために学者は仕事している部分もある。
それを学者自身も、周囲も認めるべきだ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-589.html
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-618.html
だから、学者に、そりゃあ最低限の政治的・社会的配慮は必要だが、必要以上にそれを求めるのは筋違いだと思うんだ。
向井がどうかわからんがね。金子邦彦って複雑系研究者がね、そういった議論に巻き込まれたことがあるんだ。
おそらく彼は政治的・社会的配慮を怠って発言した言葉が、「政治的・社会的配慮が足りない」と批判された。
つか複雑系研究でなんで政治的・社会的配慮が必要やねん、とすらわたしは思う。社会的影響なんて金子さんみたいな「社会的に自閉傾向のある人」にあるもんか。あったとしてもそれは「東大の学者さん」なんて愚民の妄想により生成された社会的影響だろ。自業自得やんけ。っていうか自慰? 他人の妄想まで面倒見切れるかドアホ。
こういったことが思い出されてな、むしろそういった指摘をする奴らの方に対して警戒感を覚えてしまう。わたしは。
向井がどうかしらんよ。
政治的・社会的活動が好きな人格なのかもしれない。
それならそういった批判はありなんじゃねえの、って思う。
つかどうでもいい。あたしは。
2010-10-07 木 12:50:11 /URL /脂 /
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つかこれこそが「隠喩されることの重み」じゃん。
自分が、他者なんて関係なく、自己満足で「これいいじゃん」と思った表現(隠喩)が、想定外の隠喩で解釈される。
別に一対一なら誤解は解ける可能性はあるわな。「そういった意味で言ったんじゃない」と。
しかしその「想定外の隠喩解釈」が大多数だったら?
「お前はそういうつもりで言ったのではないのかもしれないが、事実多くの人間がこのように受け取っている。だからわれわれのする解釈の方が正しいのだ」
隠喩構造ってのは民主主義なんだ。多数決なんだ。言葉の多義的な意味なんてそうだろ? 多数決で決まる。古語の意味と現代語の意味が違ったりするのはそういう変遷をしてきたからだ。
大多数にリンチされる。
ただ人数が多いだけで正しいとされた隠喩解釈にリンチされる。
隠喩は「表現の自由度を広げる技術」などではない。
マジョリティの暴力を裏に秘めた凶器である。「発想の自由度を狭める拘束具」なのだ。
2010-10-07 木 13:07:08 /URL /脂 /
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ああごめんね「パジャマッコリ」「度を超えた自由連想」しちゃったよ。
むしろあれだ。これがいやならわたしに話しかけるな。
わたしだって混乱(「観念連合の弛緩」って奴ですか(笑))するから、わたしなりの収束はしてたりするんだよ。
ただ一般より自由度が高いだけで。
2010-10-07 木 13:12:01 /URL /脂 /
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なぜ「藤田博史という症状」解釈したいか、の疑問に対する応答ありがとうございます。
以下は、上記とは直接は関係ありませんが、感想です。
>「あいつチョーウザイ、まじで死んでくれないかな」とかフツーに言ってるから。冗談交じりに。冗談交じりだからこそ「無意識の発露」つまり「本音」だろ?
・・とのことですが、どんな語りでもそれなりに真理はどれほどか語っているはず。逆に、こういう一見本音的にひびく語りによって、本来語るべき語りを隠すこともある、と思います。こういう語り方だからと、本音を語っているとは限らない、・・と。また「他者を気にしない発言」ってすごく難しいことだと思います。「私はできる」と思っていても、分析家の前で自由連想してみると、なんて私は他者を気にしていたのか、と思うことも多いと思います。それも乗り越えて、それがいつもできれば、本当すごいと思います。
2010-10-07 木 17:59:12 /URL /水上雅敏 /
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>逆に、こういう一見本音的にひびく語りによって、本来語るべき語りを隠すこともある、と思います。
「パジャマッコリ」においてそんなことをする(機能的な)理由はない。
>また「他者を気にしない発言」ってすごく難しいことだと思います。
ああうん、完全に他者がいなくなった状態なんてむしろないよ。だからわたしは妥協的に「他者が希薄な状態」などと言うことがある。「他者が希薄」でブログ内検索してみそ。
ただ、ここが多分あんたらにゃわかんないと思うんだが、(精神分析的な意味での)「他者」と(大文字の)「物」は別物だ。しかし人間だって「物」だ。「他者」は「物」になりうる。
たとえば対人恐怖症は「他者」を恐れている。
分裂病の症状にも同じく「他者」を恐れている症状がある。
しかし、それは確かに同じ「誰かという人間」だが、分裂病者はそれを「大文字の物」的な「物」として見ている部分があるのではないか、とわたしは思う。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-724.html
こういった分裂病者が恐れている対象も「他者」とするなら、神経症と精神病の区別はなくなるだろう。
こういった罠もあるんじゃないか?
その臨床素材は「他者」を「他者」として見ているのだろうかね?
お前がそれを「他者」として見ているだけじゃないだろうかね?
「他者」としてしか見れないお前という観測機械の誤作動なんじゃないのかね?
あとさ、
>また「他者を気にしない発言」ってすごく難しいことだと思います。「私はできる」と思っていても、分析家の前で自由連想してみると、なんて私は他者を気にしていたのか、と思うことも多いと思います。
あんたがそうだ、ってだけの話だろ? それをわたしに押しつけないでくれるかな。
確かにそういった場合が多いのは認めるが、まるで「自分こそが人間の基準だ」みたいに言っているような態度はやめてくれないか?
そんなつもりはない、と言うなら、
「私にとっては、そのように思えます」
とかきちんと書いてくれないかね。
すげえ傲慢にでうぬぼれているように見えてカチンとくる。
「あなたもそう気づくはずです」
みたいな行間を読み込んでしまうんだが。
こういうのにわたしは反応してしまう。
こういう態度に苦しめられ続けてきたわけだからな。
慢性的なトラウマみたいなもんだ。
自分の思い込みを必死に防衛しようとしているだけのコメントにしか読めない。
2010-10-07 木 18:17:37 /URL /脂 /
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>それも乗り越えて、それがいつもできれば、本当すごいと思います。
そらすごいよ。その状態は「ヒステリー的」とか言われているがごとく、精神疾患的状態なんだから。
心的苦痛があるに決まってるだろ。
心的苦痛があるから精神疾患なわけだから。
「できる」んじゃなくて「そうなってしまっている」のがヒステリーだよ。
他者がいる会話ができなくなって「しまっている」のが「解離や憑依」状態だ。
そしてそれは決して楽なことではない。むしろ苦痛に満ちている状態だ。
だから「ヒステリー的主体」であろうとした向井はあんな過剰な反応したんじゃないかね?
その状態は自我という防衛機制を故障させた状態なわけだから。防衛機制が弱まった状態である。
ああもう、わたしちゃんと書いてただろ、「それは丸裸で雹の降りしきる中にいるようなものである」とかなんとかって。
あのな、もうちょっとちゃんと考えてから感想言ってくれないかな。
2010-10-07 木 18:22:30 /URL /脂 /
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>なんて私は他者を気にしていたのか、と思うことも多いと思います。
つか去勢済み主体ならそうなるに決まっておろうよ。
そうじゃない状態がエアポケットのようにありえるんじゃないか、という話だ。
「なんて私は他者を気にしていたのか」ってことは過去の状態について言っているわけだろ?
そのエアポケット的な瞬間について言っているわけではない。
ヒステリーだって神経症だしな。発作が起きていない状態の方が多いだろう。それを考えればそら「私はなんて他者を気にしていたのか」と思うだろうよ。
発作以外のときは他者は存在している。
だからと言って「常に他者は存在している」という理屈にはならない。
2010-10-07 木 18:32:11 /URL /脂 /
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なんでこう「統合された私」を基準にしてしかしゃべれないのかな。
「主体は分裂している」んじゃないのか?
2010-10-07 木 18:33:59 /URL /脂 /
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たとえばわたしにとっての今の藤田は「ただ邪魔なだけの存在」であって、わたしは彼に人格を認めていない。「藤田虫」の集合体でしかない。
「藤田虫」に煩わされているわたしは、「他者」を気にしていることになるだろうか?
「他者」というのは「人間としての存在」だろ?
さあ、どうかね。
他人に人格を見い出さないでただの「物」として見ることは正常人だって普通にあるだろ。
それは(ラカン的な意味での)「他者」と言えるのだろうかね?
いや「物」であるのは一瞬で、すぐ「人格が備わった他者」に戻るんだろうけどさ。普通の人なら。
2010-10-07 木 18:39:14 /URL /脂 /
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ああごめん。
>それも乗り越えて、それがいつもできれば、本当すごいと思います。
これ向井の「分析家は分析家グループにおいてはヒステリー的主体としてふるまわなければならない」について言っているのか。
うん、正直「無理だろんなの」ってわたしは思う。「ふるまう」止まりだろ、と。
ちゃんと書いているじゃんけ。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-792.html
=====
まあ正直、「ふるまう」までもない分析主体から言わせれば、向井んちも藤田んちもどっちもどっちなんだよね。ぜーんぜん解離できてないじゃん、て。
=====
そーゆーことだ。
お前は、向井が理想として掲げている「分析家は分析家グループにおいてはヒステリー的主体としてふるまわなければならない」について、「それが本当にちゃんとできれば、「ふるまう」止まりではなく本当にヒステリー的主体になれるのならば、本当すごいと思います。」って言っているのかい?
それなら同意するよ、って話。
「本当のヒステリーになるのはそら困難やろ。人にもよるけど。素質の問題みたいなレベルで」
って感じ。あたしは。
2010-10-07 木 18:51:40 /URL /脂 /
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確認だ、水上さん。
>それも乗り越えて、それがいつもできれば、本当すごいと思います。
ってセリフは、実際の解離性障害者や分裂病者や境界例に対して言っているのではなく、向井の「分析家は分析家グループにおいてはヒステリー的主体としてふるまわなければならない」って「理想」について言っているわけか?
どうなんだ?
2010-10-07 木 18:53:34 /URL /脂 /
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つか「困難だからやらない」って話なのか?
それは向井のその理想についての反論にならないだろ。理屈的には間違っていないとわたしは思うから。
物理にしても理論には限界がある。
だからと言って理論を放棄するのはすでに研究者じゃない。
何、お前の言いたいことって、要するに、
「ああまあ、理屈としてはなんとなくわかったことにしてもいいけれど、実際難しいでしょ? そんなの……。できたら本当すごいよ('A`)」って感じで弱音吐いているだけなの?
いや別にどうでもいいけど。それはあくまでも向井の理論だからな。
ただそれ以外の道もないだろ、とはわたしは思うがね。
=====
多くの人類にとって無意識に、つまり無自覚になっている「言語のような構造」、つまり「隠喩連鎖パターン」を、相対的に見るには、そこからこぼれ落ちたヒステリー的主体になるのが、実際問題として選択可能な方法だ、って話。
=====
それは確かに困難なことであろうが、実際問題として、もっとも選択可能な方法であるのも事実だ。
代案があるなら言ってくれ。
きちんと理屈として整合性が取れているアイデアを。
いやあたしはカンケーないけどな。リアルメンヘラなわけだし。
2010-10-07 木 19:01:17 /URL /脂 /
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何度も言っているがわたしは分析家じゃない。分析主体だ。
2010-10-07 木 19:03:34 /URL /脂 /
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ごめん、ほんと意味がわからないんだけど。
いや言葉の意味はわかるけど、君の思考回路が理解できない。この会話でそのようなコメントをしてくる君の思考回路が。
説明してくれ。
君はなぜそのようなコメントをしたのか。
自分の内面を分析してみな。
分析主体になってみな。
2010-10-07 木 19:06:17 /URL /脂 /
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わたしからすれば君は、意味不明なことをしゃべっている精神疾患者だよ。
いやあたしがそうなんだけどね。
メンヘラから見れば正常人の方が精神疾患者だ。
2010-10-07 木 19:21:04 /URL /脂 /
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なああんであたしが向井派の代弁みたいなことしなきゃいけないんだよ!!!
向井も死ね、ドアホ。お前がきちんと決着つけないからこんなことになるんだ。
あ、「揶揄」です。
水上さんもさー、これはあくまで向井の理論だから、藤田派の君がそうするべき、って話じゃないんだよ?
なんでこうもっとさー、「あれ? 俺今向井の理論が正しいという前提で考えてね?」ってちょっと違うか、まあそんなみたいな「違和感」を覚えないの?
たとえばさー。向井が言っているのはあくまで「ヒステリー的主体としてふるまう」だ。
「ふるまっているだけの似非ヒステリーが知を発見する主体になれるのか?」とかって反論があるだろうよ。
そんな童貞が風俗行くのを断るような言い方しないでさ。
わたしはまあ無謀だと思うよ。「ふるまうだけの似非ヒステリー」がどれだけ「正常人が気づけない隠喩構造」に気づけるかどうか。
でも実験だと考えればおもろい実験じゃねえの。
必ず成功する実験だけをやるのはすでに実験じゃねえし。
2010-10-07 木 19:36:24 /URL /脂 /
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>それも乗り越えて、それがいつもできれば、本当すごいと思います。
ってセリフは、実際の解離性障害者や分裂病者や境界例に対して言っているのではなく、向井の「分析家は分析家グループにおいてはヒステリー的主体としてふるまわなければならない」って「理想」について言っているわけか?
念頭にあったのは、先走りもせず、遅れもせず、余分なものもつけずに、思い浮かんだものをその瞬間に言える自由連想の状態です。理想と言えばそうだけど、向井先生の件は浮かんではいませんでした。ちらりと浮かんでいたのは、ラカンが精神分析の終わりの状態として、「少し精神病や倒錯に近い状態」だったかなんだったかそんな旨のころを書いてたな~ということ(これは記憶曖昧なので間違いかも知れません)。これは、どういうことかよくは分かりませんが、―エディプスの三角形への篭絡を潜り抜けている、ということなのかどうか・・―、ともかく、欲望(エディプスに篭絡されたうえでの欲望ではなくて)をなるべくそのままで語れている、という状態が念頭にありました。「困難だからやらない」、ってことではないですよ。
2010-10-07 木 19:39:22 /URL /水上雅敏 /
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>エディプスの三角形への篭絡を潜り抜けている、ということなのかどうか・・―、ともかく、欲望(エディプスに篭絡されたうえでの欲望ではなくて)をなるべくそのままで語れている、という状態が念頭にありました。
あ、おもろい。
あーうん、確かにヒステリーの解離は生の欲動っぺえもんなあ。自閉症者が作り上げる「生の欲動に対する防衛としての人格」ではない。それによる言葉は。
んー。
ここはあれだ。うん。
「欲望(エディプスに篭絡されたうえでの欲望ではなくて)」なら、精神分析の研究対象物たる「無意識の隠喩構造」が相対的に見れるのかどうか、って話だな。
「エディプスに篭絡されたうえでの欲望」は見えてこないが、「欲望(エディプスに篭絡されたうえでの欲望ではなくて)」なら見えるのか。
うん。あたし正直解離性障害者も信用してねえしな。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-282.html
んー。
「そもそもヒステリーは知を発見していく主体たりえるのか。むしろそれは「精神分析の終わりの状態として」の「少し精神病や倒錯に近い状態」なのではないか」
って話なら、具体を考慮すると、「ああそうかもねえ」ってぐらいには思う。
つか成り行き上向井の論を主張する立場になったが、基本「ああ大体そんな感じだろ」って程度だからな、あたしも。
>思い浮かんだものをその瞬間に言える自由連想の状態です。
なら
>「あなたもそう気づくはずです」
はわたしの被害妄想だったな。すまんかった。
2010-10-07 木 19:53:01 /URL /脂 /
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いやむしろ「少し精神病や倒錯に近い状態」はそれこそ「観念連合の弛緩」だから「知の発見」にゃならんのじゃないか?
「大体似ているけど少し違う」からこそ、それについての知の発見になるのであって、そもそもが「似ている」という認識のできないたとえるならアメーバ状の何かだったら、「知の発見」たりえない、と。
うん、正直あたしがやってることも知の発見にならんだろうな、って思うし。
むしろ「知の蒸発」。
だから藤田から「観念連合の弛緩」とか言われたのか。
ああわかった。
あたしが代わりに主張する論ではないな、向井の論は。わたしにゃそんな資格はない。
2010-10-07 木 20:00:29 /URL /脂 /
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ってなんでこんな話になったんだっけか。
>「他者を気にしない発言」ができない・・、それはそうかも知れない。立場上というのもあるかも知れない。それはまずい??
「まずいまずくない」って話じゃないだろそもそもが。
向井の理論はそうなっている、ってだけで。
2010-10-07 木 20:03:40 /URL /脂 /
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>それはまずい??
この一言が元凶。
2010-10-07 木 20:04:54 /URL /脂 /
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わたしは向井じゃないし分析家でもないのでこれ以上この件について議論したかったら直接向井と議論しなさい。
わたしは「分析家は分析家グループでどうあるべきか」なんて議論どうでもいい。あたしゃ分析家じゃなくて分析主体だっつってんだろ。
2010-10-07 木 20:06:39 /URL /脂 /
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あー、要するに「確信」なんだと思うが。
わたしは差異を見出してそれについての「知になりうる物」は発見できるが、わたしはそれを「知」とできない。
わたしはそれを「確信」しきれてないから。
「知」になりそうなそれが蒸発する。
2010-10-07 木 20:13:49 /URL /脂 /
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ほんと一歩だと思うんだけどなあ。ワンステップ。
参考。
http://aburax.blog80.fc2.com/blog-entry-262.html
つかこれ最初から出せばよかったんだよアホウ、あたし。
それは怖いとかじゃなくて、なぜできないのかが自分でわからない。ないものをあると言われても信じられるわけがない。
そうだよな、「ごっこ遊び」ってな「あるものをないとする」んじゃなくて、「ないものをあるとする」遊びだもんな。
ここでは、「ある」はあなたたちの「ある」になる。
2010-10-07 木 20:25:16 /URL /脂 /
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=====
あえてクリステヴァ論の揚げ足を取るなら、彼女は「ヒステリー者のディスクールは非生産的である」と述べているが、これは正しくない。正しくは、「サバルタンのディスクールは非生産的である」だ。
=====
「サバルタン」を「精神分析の終わりの状態としての少し精神病や倒錯に近い状態」にしてもいけるかどうか。
2010-10-07 木 20:28:10 /URL /脂 /
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喉から出てくる手は自分の体全体を所有しようとしている。
2010-10-07 木 20:29:23 /URL /脂 /
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言葉が物性としての変化を握り固めるなら、なぜ子供は最初に名詞を覚えるのか。
それより先にあるはずの原動詞はなぜ言語ではないのか。
シニフィアンではないのか。
2010-10-07 木 20:32:00 /URL /脂 /
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まるで自分で鍵をわざとなくしといて飽かない箱を開けようとするみたいなことだな。
馬鹿だろ正常人って。
2010-10-07 木 20:33:45 /URL /脂 /
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父の名は動詞なんじゃね。
2010-10-07 木 20:39:12 /URL /脂 /
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つかそも精神疾患症状が生じていない主体が自由連想なんかしても意味ないだろ。
むしろそんときは「冗談や錯誤行為」の方が信頼性が高い気がする。
自由連想法はあくまでただのハシゴで、それを普通に立てるか(精神疾患症状がない主体)、さかさまに立てるか、の問題がある。
2010-10-07 木 20:41:47 /URL /脂 /
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