水上雅敏へ質問
2010/10/08/Fri
水上さんととりとめのないダベリ(議論ですらないよな)をして、なんかうんこを出しきれてないようなすっきりしなさがあった。
なので読み返してみた。
当該記事でわたしはこう言っている。
「藤田一派の人たちは「藤田博史という症状」解釈をしていたりするのだろうか。議論してたりするのだろうか。もししているなら、それの一部でいいから教えてくれないだろうか。わたしがした「藤田博史という症状」解釈はここに開陳している。あ、わたしの勝手な根拠もない印象論だけど、水上雅敏さんはあたりはしてそう。「藤田博史という症状」解釈を」
そこへ水上雅敏登場。
「なぜ脂さんは「藤田博史という症状」解釈をしたいのかな、という疑問もわきました」
わたし答える(そこのコメント欄参照のこと)。
水上、「なぜ「藤田博史という症状」解釈したいか、の疑問に対する応答ありがとうございます」と言う。
以降まったく別の話題に。
……あれ、あたしこれ「話を巧みにそらされた」って状態じゃね?
気づくの遅すぎるが。
水上はこう言っている。
=====
いずれにしても、藤田先生の自由連想聞かないと推測巡らすだけ、ということになりますが、
=====
これは、少なくとも「自由連想を聞いて症状を解釈するという正統的な精神分析の手順」を踏んで、「藤田博史という症状」解釈をしたことはない、という意味だろう。
いやまあしてないならしてないでいいんだよ。「水上雅敏さんはあたりはしてそう」なんてなあたしの勝手な妄想でしかないんだから。
じゃあさ、してなかったんなら、これからこっそりやってみそ。藤田がなんかえらそうに語っている横で、斜に構えた見方で彼を観察してみそ。
おもしろいと思うけどなー。
藤田って結構かわいいタイプのおっさんだと思うんだよ。いやわたしの主観にすぎないが。
ほーんと「おもしろきこともなき世をおもしろく」だよ?
楽しいよー。村八分視点。
世の中がどれほど多様性に満ちているかわかる。
これほどまでに過剰な世界になぜ気づかなかったのか、と思うだろう。
そのとき、あなたにとってすべての事物は、精神分析家になっているだろう。
迷子になって不安になりすぎてパニックに陥っている状態となるだろう。
谷山浩子『魔法使いの恋人が逃げた』より。
=====
みんな ねえみんな 出てきておくれ
今ならば一人きりさ 祭りもできる
みんな ねえみんな 出てきておくれよ
暗い夜空に身を投げて 踊り明かそうよ
=====
一人きりのお祭り。グアヤキ族のお祭り。
とまあ悪ふざけはこれぐらいにして、あれだ。してないなら別にいいのよね。
でも、ここでそのとっかかりみたいな話はしてるじゃん。
=====
>向井先生のところへの藤田先生の書き込み、あれは別にストレス発散でなくともありえるだろうな(向井先生の書き込み内容から)、とは思います。
これ聞きたい。
わたしちょっと遅れて祭り参加したから詳しい経緯を知らないのだよ。
向井のこのコラムが発端だってのは知人から聞いたが。
http://psychanalyse.jp/columns.html#dire
=====
まずこれについて議論しないか? 水上さんや。
「向井先生のところへの藤田先生の書き込み」は、「ストレス発散」ではない別の理由がある、とあなたは言っている。それは「向井先生の書き込み内容から」だと。
わたしはそこで述べている通り、この一件の発端はリアルタイムで見ていたわけじゃない。なので詳しい経緯を知らない。聞いたところによるとそこに貼っている向井の「毛沢東うんぬんのコラム」が発端らしい、としか。
まず、あなたが言っている「向井先生の書き込み内容」とは、そのコラムのことで間違っていないか。
次に、藤田はなぜああいった書き込みをしたのか、についてのあなたの推測を聞きたい。
こういった議論を踏み台に「藤田博史という症状」解釈へと進めればな、とわたしは思っている。
それとも、あなたは「藤田博史という症状」解釈をしたくないのか。
もししたくないのなら、それはなぜか。
藤田博史の機嫌を損ねるから?
それが「主人のディスクール」なんですけど。
つかさ、バタイユとか反撃してこない対象ばっか精神分析適用させても、つまらないでしょ? 死体をいじくってても限界はあるよ? やっぱ生体解剖しなきゃ。
「おもしろき……」ってしつけえわ。
というわけで水上さん、コメントお待ちしております。
ちなみに藤田博史は毎日このブログを覗いております。
ごめんね、君ほんとに真面目なんだね。
なんか、ちょっと悪い気がしてきた。いや揶揄とかじゃなくて本気で。
ほどほどにした方がいい?
ごめん、はっきり言ってくれないとわからないんだよ。「もうこれ以上の挑発はやめてくれ」とか。
もし本気で怒っているんなら、そう言ってね。
「通用してないってことは気にしていないってことでしょ? わたしは通用していないこの状態が楽しいからしているわけだから、別に続けても問題ないってことになるよね」
とか考えちゃうのよ、本気で。
あ、ごめんアク禁してたんだった。
適当に串刺して書き込んで。
「なぜ脂さんは「藤田博史という症状」解釈をしたいのかな、という疑問もわきました」についての答え。
その1。
一種の「揶揄」「挑発」、わたしから言えば「じゃれあい」。
50%。
その2。
分析家同士は普通そうしているものだという素人の思い込み。
5%。
その3。
わたしが精神分析飽きてきたのでいいネタだから。
10%。
その4。
このブログで主張してきた理屈と合致するから。
35%。
このうち、「藤田博史という症状」解釈でなければならないのは、その1だけだ。
あとは藤田博史じゃなくてもいい。精神分析を学んでいる人間、あるいは分析家は、誰彼構わず誰かを解釈すればいい。
……これもアナーキズムだよなあ。
自分の単純さに呆れた。
あとなんか木田原形而っぽいホストが最近よくきてる。まあラカン村住人ならありえるか。
いえーい、木田原くん見てるぅ?
お前の書き込みいちいち癇に障るのでコメ禁解除はしないけどな。
つか、なんだな。
ラカン村オヤジたち結構見てたりするんだろうか。
やだなー。怖いなー。エロオヤジうざいなー。
ラカン村オヤジたちに宿題。
『パーフェクトブルー』についての感想文をレポート用紙5枚以内で書け。
あるいは「ネトゲ文化への精神分析の応用」をテーマに同枚数で書け。
エロオヤジたちに注目されていると妄想したら急に萎えてきた。
なので読み返してみた。
当該記事でわたしはこう言っている。
「藤田一派の人たちは「藤田博史という症状」解釈をしていたりするのだろうか。議論してたりするのだろうか。もししているなら、それの一部でいいから教えてくれないだろうか。わたしがした「藤田博史という症状」解釈はここに開陳している。あ、わたしの勝手な根拠もない印象論だけど、水上雅敏さんはあたりはしてそう。「藤田博史という症状」解釈を」
そこへ水上雅敏登場。
「なぜ脂さんは「藤田博史という症状」解釈をしたいのかな、という疑問もわきました」
わたし答える(そこのコメント欄参照のこと)。
水上、「なぜ「藤田博史という症状」解釈したいか、の疑問に対する応答ありがとうございます」と言う。
以降まったく別の話題に。
……あれ、あたしこれ「話を巧みにそらされた」って状態じゃね?
気づくの遅すぎるが。
水上はこう言っている。
=====
いずれにしても、藤田先生の自由連想聞かないと推測巡らすだけ、ということになりますが、
=====
これは、少なくとも「自由連想を聞いて症状を解釈するという正統的な精神分析の手順」を踏んで、「藤田博史という症状」解釈をしたことはない、という意味だろう。
いやまあしてないならしてないでいいんだよ。「水上雅敏さんはあたりはしてそう」なんてなあたしの勝手な妄想でしかないんだから。
じゃあさ、してなかったんなら、これからこっそりやってみそ。藤田がなんかえらそうに語っている横で、斜に構えた見方で彼を観察してみそ。
おもしろいと思うけどなー。
藤田って結構かわいいタイプのおっさんだと思うんだよ。いやわたしの主観にすぎないが。
ほーんと「おもしろきこともなき世をおもしろく」だよ?
楽しいよー。村八分視点。
世の中がどれほど多様性に満ちているかわかる。
これほどまでに過剰な世界になぜ気づかなかったのか、と思うだろう。
そのとき、あなたにとってすべての事物は、精神分析家になっているだろう。
迷子になって不安になりすぎてパニックに陥っている状態となるだろう。
谷山浩子『魔法使いの恋人が逃げた』より。
=====
みんな ねえみんな 出てきておくれ
今ならば一人きりさ 祭りもできる
みんな ねえみんな 出てきておくれよ
暗い夜空に身を投げて 踊り明かそうよ
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一人きりのお祭り。グアヤキ族のお祭り。
とまあ悪ふざけはこれぐらいにして、あれだ。してないなら別にいいのよね。
でも、ここでそのとっかかりみたいな話はしてるじゃん。
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>向井先生のところへの藤田先生の書き込み、あれは別にストレス発散でなくともありえるだろうな(向井先生の書き込み内容から)、とは思います。
これ聞きたい。
わたしちょっと遅れて祭り参加したから詳しい経緯を知らないのだよ。
向井のこのコラムが発端だってのは知人から聞いたが。
http://psychanalyse.jp/columns.html#dire
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まずこれについて議論しないか? 水上さんや。
「向井先生のところへの藤田先生の書き込み」は、「ストレス発散」ではない別の理由がある、とあなたは言っている。それは「向井先生の書き込み内容から」だと。
わたしはそこで述べている通り、この一件の発端はリアルタイムで見ていたわけじゃない。なので詳しい経緯を知らない。聞いたところによるとそこに貼っている向井の「毛沢東うんぬんのコラム」が発端らしい、としか。
まず、あなたが言っている「向井先生の書き込み内容」とは、そのコラムのことで間違っていないか。
次に、藤田はなぜああいった書き込みをしたのか、についてのあなたの推測を聞きたい。
こういった議論を踏み台に「藤田博史という症状」解釈へと進めればな、とわたしは思っている。
それとも、あなたは「藤田博史という症状」解釈をしたくないのか。
もししたくないのなら、それはなぜか。
藤田博史の機嫌を損ねるから?
それが「主人のディスクール」なんですけど。
つかさ、バタイユとか反撃してこない対象ばっか精神分析適用させても、つまらないでしょ? 死体をいじくってても限界はあるよ? やっぱ生体解剖しなきゃ。
「おもしろき……」ってしつけえわ。
というわけで水上さん、コメントお待ちしております。
ちなみに藤田博史は毎日このブログを覗いております。
ごめんね、君ほんとに真面目なんだね。
なんか、ちょっと悪い気がしてきた。いや揶揄とかじゃなくて本気で。
ほどほどにした方がいい?
ごめん、はっきり言ってくれないとわからないんだよ。「もうこれ以上の挑発はやめてくれ」とか。
もし本気で怒っているんなら、そう言ってね。
「通用してないってことは気にしていないってことでしょ? わたしは通用していないこの状態が楽しいからしているわけだから、別に続けても問題ないってことになるよね」
とか考えちゃうのよ、本気で。
あ、ごめんアク禁してたんだった。
適当に串刺して書き込んで。
「なぜ脂さんは「藤田博史という症状」解釈をしたいのかな、という疑問もわきました」についての答え。
その1。
一種の「揶揄」「挑発」、わたしから言えば「じゃれあい」。
50%。
その2。
分析家同士は普通そうしているものだという素人の思い込み。
5%。
その3。
わたしが精神分析飽きてきたのでいいネタだから。
10%。
その4。
このブログで主張してきた理屈と合致するから。
35%。
このうち、「藤田博史という症状」解釈でなければならないのは、その1だけだ。
あとは藤田博史じゃなくてもいい。精神分析を学んでいる人間、あるいは分析家は、誰彼構わず誰かを解釈すればいい。
……これもアナーキズムだよなあ。
自分の単純さに呆れた。
あとなんか木田原形而っぽいホストが最近よくきてる。まあラカン村住人ならありえるか。
いえーい、木田原くん見てるぅ?
お前の書き込みいちいち癇に障るのでコメ禁解除はしないけどな。
つか、なんだな。
ラカン村オヤジたち結構見てたりするんだろうか。
やだなー。怖いなー。エロオヤジうざいなー。
ラカン村オヤジたちに宿題。
『パーフェクトブルー』についての感想文をレポート用紙5枚以内で書け。
あるいは「ネトゲ文化への精神分析の応用」をテーマに同枚数で書け。
エロオヤジたちに注目されていると妄想したら急に萎えてきた。