平たく、
2010/11/10/Wed
あたしにとって調子いい状態って馬鹿になることなんだよな。
馬鹿になれているときは、体が条件反射でコミュニケーションしてくれる。わたしをどっかに置いておいて「わたし」が一人歩きする。根っこにわたしがないわけだからあっちゃこっちゃ流されるけどね。たとえばこの記事の、
=====
実際その生産技術の先輩と議論する際、わたしは大体ユーザー様の側に立っていたぜ。先に書いた夢でもそうだろ、患者や職員たちのために奔走している。結果は出せてないけど。
=====
ってのがそういう状態だと思う。
わたしの意見なんてない。他人の意見の代弁者としての「わたし」しかいない。
でもな、こういう状態の方が、コミュニケーションはうまく取れるんだ。
「他人の意見の代弁者」ってことは、その他人そのままではないけど、その思考を「演じる」ようなことだと思う。
つまり、一種の舞台演劇。エチュード。
「この役はこういう風な反応をするだろう」=「ユーザー様はこういう反論をするだろう」ってこと。
こういうときの方が、わりあいコミュニケーション上手になるんだよ。なんせ演技なんだから。
わたしじゃない(たとえば)ユーザー様の意見を代弁する「わたし」だから、うまく話せる。
というかこういうときほど「仲間を増やしたがる」症状が出てたように思う。わたしが「正常という精神疾患」に顕著な症状と思っている症状が。
でもさ、ユーザー様なんて一人なわけじゃないし、自論の根拠が他人なわけだから、あっちゃこっちゃなっちゃうんだよ。
本当に「自分の意見がなく他人の意見に則って行動している」だけだから。
その他人が一人ならそうでもないけど、大概複数なわけだ。いや一人でも、人間一貫した意見を言ってる人なんていないわけじゃん。本人は「一貫している」と思っても論理的に考えるとまったく逆の主張をしてたりする。
だから「わたし」の意見はあっちゃこっちゃ行っちゃう。
でもこういうときってね、「難しい技術論を平たく話す」ってのがうまくなるんだよ。
この記事でも書いてたけどわたし技術営業やってたのね。技術営業の仕事の一つには、その技術について素人な客先に対し、(素人ゆえ)理解が困難な技術理論を、わかりやすく、平たく翻訳する、って仕事だ。
ああうん、翻訳者としてのわたしは、社会的生活をつつがなくすごせることが「精神医学における健常な状態」であるならば、非常に正常だったと思う。
「わたし」はとっても正常。
忙殺されることでわたしが出てこなくなっているんだから。
まった前フリ長くなったな。
まあ、ちょっとは調子いいらしい。デパスのおかげかな。眠くなったりはしなかったけどちょっとは効いてるのかもしれない。いやもう飲んでないけど。やっぱレキソタンの方がいいってのは変わらない。
そんなわけで、ブログでも平たく話してみたくなっちゃったのだね。
いやごめん、前フリ長いわりに単純な話なんだけど。
向井雅明ってさ、多分わたしが「向井雅明という症状」として彼を見るようになったら、結構嫌悪感を覚えるタイプだと思うんだ。藤田博史より。
藤田本人がどう思ってるか知らないが、わたしは藤田に敵意はないんだよ。ほんとおもちゃ感覚。「かわいい」みたいな感じ。「かわいいショタ」っていじめたくなるじゃん。腐れの習性として。
ま、それは置いておいて、向井の、藤田が向井にケンカ売るきっかけとなったこのコラムと、藤田に殴り込まれた結果書いたこのコラムの、二つの文章を平たく言ってみたくなったんだよな。
この二つのコラムで向井が言いたいことは、平たく、っていうか2ちゃん的に言うなら、こういうことなんだよ。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」
「ポイズン」
って奴。
向井の表現を借りるなら(いやわたしは個人的にこの比喩はあんまり賛同できないが)、「毛沢東軍の一兵卒」は、「言いたいことを言えた」ってことになると思う。
だけどその「言いたいこと」ってのは向井が書いているように「上司に対する批判」などが含まれているものだ。
「毛沢東軍の一兵卒」の言葉は、軍隊のごときシステマティックな集団に対しては、「ポイズン」となる。
向井がやりたがっている「ヒステリー的主体として振る舞ってする分析家同士のディスクール」ってのは、世間的にはとってもしにくくなっている、って話なわけだ。反町隆史が歌ってしまうほどに。
ま、そんな話かなと思っただけで。
ほら、ちょっと調子いいからどうでもいい記事しか書けないんだよ。
別にボツにしてもいいくらいの文章だけど、まあなんか一応うpっとくわ。
馬鹿になれているときは、体が条件反射でコミュニケーションしてくれる。わたしをどっかに置いておいて「わたし」が一人歩きする。根っこにわたしがないわけだからあっちゃこっちゃ流されるけどね。たとえばこの記事の、
=====
実際その生産技術の先輩と議論する際、わたしは大体ユーザー様の側に立っていたぜ。先に書いた夢でもそうだろ、患者や職員たちのために奔走している。結果は出せてないけど。
=====
ってのがそういう状態だと思う。
わたしの意見なんてない。他人の意見の代弁者としての「わたし」しかいない。
でもな、こういう状態の方が、コミュニケーションはうまく取れるんだ。
「他人の意見の代弁者」ってことは、その他人そのままではないけど、その思考を「演じる」ようなことだと思う。
つまり、一種の舞台演劇。エチュード。
「この役はこういう風な反応をするだろう」=「ユーザー様はこういう反論をするだろう」ってこと。
こういうときの方が、わりあいコミュニケーション上手になるんだよ。なんせ演技なんだから。
わたしじゃない(たとえば)ユーザー様の意見を代弁する「わたし」だから、うまく話せる。
というかこういうときほど「仲間を増やしたがる」症状が出てたように思う。わたしが「正常という精神疾患」に顕著な症状と思っている症状が。
でもさ、ユーザー様なんて一人なわけじゃないし、自論の根拠が他人なわけだから、あっちゃこっちゃなっちゃうんだよ。
本当に「自分の意見がなく他人の意見に則って行動している」だけだから。
その他人が一人ならそうでもないけど、大概複数なわけだ。いや一人でも、人間一貫した意見を言ってる人なんていないわけじゃん。本人は「一貫している」と思っても論理的に考えるとまったく逆の主張をしてたりする。
だから「わたし」の意見はあっちゃこっちゃ行っちゃう。
でもこういうときってね、「難しい技術論を平たく話す」ってのがうまくなるんだよ。
この記事でも書いてたけどわたし技術営業やってたのね。技術営業の仕事の一つには、その技術について素人な客先に対し、(素人ゆえ)理解が困難な技術理論を、わかりやすく、平たく翻訳する、って仕事だ。
ああうん、翻訳者としてのわたしは、社会的生活をつつがなくすごせることが「精神医学における健常な状態」であるならば、非常に正常だったと思う。
「わたし」はとっても正常。
忙殺されることでわたしが出てこなくなっているんだから。
まった前フリ長くなったな。
まあ、ちょっとは調子いいらしい。デパスのおかげかな。眠くなったりはしなかったけどちょっとは効いてるのかもしれない。いやもう飲んでないけど。やっぱレキソタンの方がいいってのは変わらない。
そんなわけで、ブログでも平たく話してみたくなっちゃったのだね。
いやごめん、前フリ長いわりに単純な話なんだけど。
向井雅明ってさ、多分わたしが「向井雅明という症状」として彼を見るようになったら、結構嫌悪感を覚えるタイプだと思うんだ。藤田博史より。
藤田本人がどう思ってるか知らないが、わたしは藤田に敵意はないんだよ。ほんとおもちゃ感覚。「かわいい」みたいな感じ。「かわいいショタ」っていじめたくなるじゃん。腐れの習性として。
ま、それは置いておいて、向井の、藤田が向井にケンカ売るきっかけとなったこのコラムと、藤田に殴り込まれた結果書いたこのコラムの、二つの文章を平たく言ってみたくなったんだよな。
この二つのコラムで向井が言いたいことは、平たく、っていうか2ちゃん的に言うなら、こういうことなんだよ。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」
「ポイズン」
って奴。
向井の表現を借りるなら(いやわたしは個人的にこの比喩はあんまり賛同できないが)、「毛沢東軍の一兵卒」は、「言いたいことを言えた」ってことになると思う。
だけどその「言いたいこと」ってのは向井が書いているように「上司に対する批判」などが含まれているものだ。
「毛沢東軍の一兵卒」の言葉は、軍隊のごときシステマティックな集団に対しては、「ポイズン」となる。
向井がやりたがっている「ヒステリー的主体として振る舞ってする分析家同士のディスクール」ってのは、世間的にはとってもしにくくなっている、って話なわけだ。反町隆史が歌ってしまうほどに。
ま、そんな話かなと思っただけで。
ほら、ちょっと調子いいからどうでもいい記事しか書けないんだよ。
別にボツにしてもいいくらいの文章だけど、まあなんか一応うpっとくわ。