無差別殺人
2010/11/15/Mon
なんかだめだ。
本当に殺されそうな気がする。
実際問題そんなことになるわけじゃないのに、本当に誰かに殺されそうな気がしてどうしようもない。
いや普通に買い物とか行ってるんだけどね。
以外とこういうの慣れてるのかも。慢性的にそうなんだよ。
「周囲の人間に殺気を向けられている」
という妄想の環境に。
妄想だって思ってる部分があるから大丈夫だってのはあると思う。
でも妄想だとわかってても、この、何? わかんない、なんかが消えない。
無差別殺人とかこうやってするんだろうな、と思った。
でもこの感覚が妄想だとわかっている自分もいるので、衝動的なそれじゃなくて、計画的な犯行をするんだろうな。わたしのような精神状態のメンヘラは。
あ、わたしはしないよ?
体力ないし。
なんだろうな。
藤田のせいじゃないんだよな。どっちかって言ったら水上のせいっぽい。この状態。
んー。
「しょせん精神分析家もぐちゃぐちゃ言っているくせに普通の「詐欺師としての心理カウンセラー」と変わらないんだな」
ってことか。
いやわかってたつもりだったんだけどね。
つまり、わたしから言えば、世の中のほぼ大多数の人間は詐欺師なんだよ。
で、彼らの詐欺の手口から言えば、わたしのようにそれを詐欺だと暴こうとする人間は消滅していなければならない。
わたしのような存在は「無」でなければならない。
だから殺されるような気がするのか。
ああ、そんな感じ。
わたしの解釈では、藤田は強迫症的人格傾向で、水上は抑鬱症的人格傾向だ、となる。双方ポスト・フェストゥムやね。
強迫症より抑鬱症が怖いんだな。
わかる。この記事でも書いているように、わたしには抑鬱症者の方がファロセントリストに見える。
いや別に「藤田あるいは水上に殺される」ってわけじゃなくてね。
誰かに殺されるっていうんじゃない。
ただ、わたしは殺される、というのがあるだけ。
詐欺だからやめろ、って言ってるんじゃないよ?
もっとうまい詐欺をして、って言ってるの。
わたしが暴けないくらいの詐欺を。
ほんと、「嘘が嘘として自然に成立している」、「嘘を教えて」なんだよ。
すべてが嘘なのはわかってるから。あなたたち去勢済み主体の主観世界は。
「嘘じゃなくならせろ」なんて言ってるんじゃないよ?
んなの「未去勢者になれ」ってのと等値だからな。
高度な、と言うと「無」という幻想を土台にした幻想、つまり水上がするような「具体を伴わないディスクール」になっちゃうのか、お前らの思考回路だと。
「具体を伴った高度な嘘をついてくれ」と言っているんだよ。
あれだよ、「どうして偉いのか」がわかってる人なら「この人は偉い」って思えるんだろうけれど、それがわからない人間から見ると「この人なんで上から目線でしゃべってるんだろう?」になるんだよな。
まさに子供が叫ぶ「王様は裸だ」。
世間で言われている「礼儀」ってほんとそうなんだよな、わたしにとって。「裸の王様の服をほめること」なんだな。嘘としか思えない。だから「世界は劇場、人生は夢」が座右の銘だった。わたしにとって。
あ、だからこそ「嘘としての礼儀」ならいいのよ。「嘘も方便」ってのはわかってるつもりだし。そこまで意固地じゃないんだよ、あたし。
でもさー、他の多くの人の「礼儀」って自己防衛として使ってること多いじゃん。藤田みたいに。自己防衛として使うから「礼儀」に執着している。「嘘も方便としての礼儀」になっていない。
つか「自己防衛のための礼儀」って語義としてすでに間違ってるだろ。「相手に礼を尽くす」のが「礼儀」じゃないのかい? 「自分の世間的評判や心が傷つくから」と「相手に礼を強制する」のは「礼儀」じゃないだろ。
わたしにとっては「相手の本性を暴くこと」が「礼儀」だ。「すました仮面をはぐこと」が「礼儀」だ。
あなたたちは「相手の人格」に「礼儀」は尽くすものだと思っているのだろうが、わたしは「相手という具体」に「礼儀」を尽くしている。
それはわかったから。あなたたちが「嘘も方便としての礼儀」じゃなくて自己防衛の手段として「礼儀」を使ってるのはわかったから。
それはラカン理論で言えば「主人のディスクール」って概念に相当する具体であるだけで。
そんな場所いくらでもあるじゃん。社会なんてのの九割は「主人のディスクール」会場だ。
勘違いされそうだから言っとくけど、「王様は裸だ」と言い張り続けているんじゃなくて(「反射的に事実をそのまま述べてしまう」という機制でそう言うことはある)、そういう子供にも、「いや王様は裸のように見えるけども、実は服を着ているんだ」と、「服という実体があるんだよ」と信じ込ませる嘘をついてくれ、って話。
わかるー?
まじで死にたい。
殺されそうだから死にたい。
隠喩に殺される。
いろいろ情報収集中。フヒヒ。
本当に殺されそうな気がする。
実際問題そんなことになるわけじゃないのに、本当に誰かに殺されそうな気がしてどうしようもない。
いや普通に買い物とか行ってるんだけどね。
以外とこういうの慣れてるのかも。慢性的にそうなんだよ。
「周囲の人間に殺気を向けられている」
という妄想の環境に。
妄想だって思ってる部分があるから大丈夫だってのはあると思う。
でも妄想だとわかってても、この、何? わかんない、なんかが消えない。
無差別殺人とかこうやってするんだろうな、と思った。
でもこの感覚が妄想だとわかっている自分もいるので、衝動的なそれじゃなくて、計画的な犯行をするんだろうな。わたしのような精神状態のメンヘラは。
あ、わたしはしないよ?
体力ないし。
なんだろうな。
藤田のせいじゃないんだよな。どっちかって言ったら水上のせいっぽい。この状態。
んー。
「しょせん精神分析家もぐちゃぐちゃ言っているくせに普通の「詐欺師としての心理カウンセラー」と変わらないんだな」
ってことか。
いやわかってたつもりだったんだけどね。
つまり、わたしから言えば、世の中のほぼ大多数の人間は詐欺師なんだよ。
で、彼らの詐欺の手口から言えば、わたしのようにそれを詐欺だと暴こうとする人間は消滅していなければならない。
わたしのような存在は「無」でなければならない。
だから殺されるような気がするのか。
ああ、そんな感じ。
わたしの解釈では、藤田は強迫症的人格傾向で、水上は抑鬱症的人格傾向だ、となる。双方ポスト・フェストゥムやね。
強迫症より抑鬱症が怖いんだな。
わかる。この記事でも書いているように、わたしには抑鬱症者の方がファロセントリストに見える。
いや別に「藤田あるいは水上に殺される」ってわけじゃなくてね。
誰かに殺されるっていうんじゃない。
ただ、わたしは殺される、というのがあるだけ。
詐欺だからやめろ、って言ってるんじゃないよ?
もっとうまい詐欺をして、って言ってるの。
わたしが暴けないくらいの詐欺を。
ほんと、「嘘が嘘として自然に成立している」、「嘘を教えて」なんだよ。
すべてが嘘なのはわかってるから。あなたたち去勢済み主体の主観世界は。
「嘘じゃなくならせろ」なんて言ってるんじゃないよ?
んなの「未去勢者になれ」ってのと等値だからな。
高度な、と言うと「無」という幻想を土台にした幻想、つまり水上がするような「具体を伴わないディスクール」になっちゃうのか、お前らの思考回路だと。
「具体を伴った高度な嘘をついてくれ」と言っているんだよ。
あれだよ、「どうして偉いのか」がわかってる人なら「この人は偉い」って思えるんだろうけれど、それがわからない人間から見ると「この人なんで上から目線でしゃべってるんだろう?」になるんだよな。
まさに子供が叫ぶ「王様は裸だ」。
世間で言われている「礼儀」ってほんとそうなんだよな、わたしにとって。「裸の王様の服をほめること」なんだな。嘘としか思えない。だから「世界は劇場、人生は夢」が座右の銘だった。わたしにとって。
あ、だからこそ「嘘としての礼儀」ならいいのよ。「嘘も方便」ってのはわかってるつもりだし。そこまで意固地じゃないんだよ、あたし。
でもさー、他の多くの人の「礼儀」って自己防衛として使ってること多いじゃん。藤田みたいに。自己防衛として使うから「礼儀」に執着している。「嘘も方便としての礼儀」になっていない。
つか「自己防衛のための礼儀」って語義としてすでに間違ってるだろ。「相手に礼を尽くす」のが「礼儀」じゃないのかい? 「自分の世間的評判や心が傷つくから」と「相手に礼を強制する」のは「礼儀」じゃないだろ。
わたしにとっては「相手の本性を暴くこと」が「礼儀」だ。「すました仮面をはぐこと」が「礼儀」だ。
あなたたちは「相手の人格」に「礼儀」は尽くすものだと思っているのだろうが、わたしは「相手という具体」に「礼儀」を尽くしている。
それはわかったから。あなたたちが「嘘も方便としての礼儀」じゃなくて自己防衛の手段として「礼儀」を使ってるのはわかったから。
それはラカン理論で言えば「主人のディスクール」って概念に相当する具体であるだけで。
そんな場所いくらでもあるじゃん。社会なんてのの九割は「主人のディスクール」会場だ。
勘違いされそうだから言っとくけど、「王様は裸だ」と言い張り続けているんじゃなくて(「反射的に事実をそのまま述べてしまう」という機制でそう言うことはある)、そういう子供にも、「いや王様は裸のように見えるけども、実は服を着ているんだ」と、「服という実体があるんだよ」と信じ込ませる嘘をついてくれ、って話。
わかるー?
まじで死にたい。
殺されそうだから死にたい。
隠喩に殺される。
いろいろ情報収集中。フヒヒ。