ただの「ノン」
2010/12/22/Wed
砒素ババアんちにコメントしようと思ったがなんかわさわさしそうなのでこっちに書く。
つかどうでもいいことだがババアを擁護していたブログがなんでか気持ち悪いことになっててワロタ。
砒素ババアについても「充分男性的」と(つまりはファルスあんじゃんって意味)言ったが、この判断基準ってなんだろうな、と思って言い訳を考えた。
これ。記事中でも留意しているように、「自己愛の対象としての自分に、ではなく自体愛の対象としての自分に必死な人」。この「自体愛の対象としての自分への必死さ」がある人は、ファルスが弱い、とラカン理論をあてはめる。わたしは。
で、この「必死さ」って攻撃を受けたときに見られるものなわけだ。要するに(それが自己愛の対象としての自分か自体愛の対象としての自分かの違いはあるが)自己防衛なわけだから。
で、彼女は批判を受けていた。この「必死さ」があった。
じゃあ彼女が防衛しようとしている自己は、自己愛の対象としての自分か自体愛の対象としての自分か、って違いになる。
わたしはどうも彼女の防衛しようとしている自己は自己愛の対象としての自分だと思えた。むしろヒステリーらしいよな。自我が解離して苦しむわけだから、自我に対し人より執着するだろう。
で、これの違い、判断の仕方って、難しいんだよ。
人体ってのは精密に解剖していっても不明な点がいまだにあるミクロコスモスだ。
ここでの自体愛ってのは、「「構造」により統合された体内反応」としてではなく、「部分部分の体内反応」に意識を向けることだ。
だから「過剰」になるんだが。
だからわたしは「混乱しやすい」。
どーもな、この「部分部分の過剰な体内反応」が彼女にはないんじゃないか、と推測できるわけだ。彼女の文章という症状から。つかこの「自体愛的な自分への必死さ」はわたしは長年し続けてきた判断なわけだから年季は入っている。
ま、そこのコメントの「ソニックブーム」だよな。この「必死さ」って。
もっと言えば、「純度の高い憎しみ」か「不純な憎しみ」か。
彼女の「憎しみ」は「他者の欲望である欲望」という幸福的な不純物が混ざっている。「不純な憎しみ」だとわたしは感じた。
わたしってヒステリー解釈得意なのかもな。まあフェミっ子だったわけだしそれもヒス研究だとしたら年季は入ってるわな。
まあおもしろい「パジャマッコリ」できたわ。
いやあたしこんなしゃべんねーぞ? リアルでは。このぐらいのことは考えているけど。酒入った方が頭の回転よくなる人だったし。大学受験のときとかチューハイひっかけてから赤本解いてたわ。
「喪女がするパジャマッコリ」なんてソニックブームしまくり。音速だよほんと。思考が音速を超えている。
だから言葉は少なくなる。思考が置いてけぼりになったら今されている話を聞けばいい。それでなんの不都合もない。会話に一貫性がないから。
気になった単語が聞こえたらそれについて意識を向ければいい。で相手の話に伴走するもよし、違った思考するもよし。違った思考のなかで「あ、これおもしれー」と思ったら言えばいい。食いつかれることもあれば食いつかれないこともある。
ただそれだけ。
ねーねー、これなんてディスクール?
これ結構あれじゃん、向井雅明とかが目指している「分析家同士がするディスクール」になんじゃねえの。
こういったディスクールにおいては、構造主義の基本たる「言語構造は差異によってのみ成り立っている」 が壊れている。差異構造が壊れている。なんせ音速を超えてるわけだから。差異構造ではなく無数のただの差異がマッハで流動している。
ああ、だからエスの感知となるわけか。
ヒステリー重要よやっぱ精神分析は。ヒステリーを語ったことがない、臨床したことがない精神分析学者は信用しなくてよろし。そう言いきっていいくらいだ。
なぜって?
エスだろ、精神分析が最終的に解明するのは。「父(の名)」などではない。それは「なぜエスがこれほど(言語で)解明できないのか」という問いの答えでしかない。ちなみに「なぜエスがこれほど解明できないのか」って、「なぜ精神分析は精神病について語れないのか」、「なぜ言語で狂気を解明できないのか」ってことでもあるが。いわば「父の名」とは不完全性定理みたいなもんだ。
エスあるところにエゴあらしめよ。
新宮一成は『ラカンの精神分析』でソニックブームを対象aにつなげて論じているが、違うよ。それはエスにつながるべき連想だ。いやまあ途中に対象aはあるが。つまりもう一歩だったね、って話。そのあと対象aの話しかしてないし。
こういうのすら精神病について語るのを無意識的に避けてるんじゃないのお? って思うわ。いや精神病も語っているけど、その著作内の解釈は神経症の対人恐怖症にもあてはまりうるものだった。つまり、精神病を精神分析理論で語っているようでいて、語れていない。新宮は。この著作における、だけど。
「父の名の排除の排除」なんじゃねえの? それ。
おそらく新宮も、口では否認するかもしれないが、「精神分析とは「父の名」を解明すべき学問だ」と思っているのだろう。
だから彼はソニックブームを「禅の老師がする喝だ」などと言っているのだろう。
=====
祖師の「喝!」は、ソニックブームに他ならない。
=====
これは文脈として「短時間セッションの終わり」という意味だが、冷静に文章を追うと論理の飛躍があることがわかる。
単純な話だ。
ソニックブームという「音」を発しているのはクライエントである。「短時間セッションを終わり」を設定するのは分析家である。彼の文章自体がそう述べている。
クライエントがセッションの終わりを設定するのではない。分析家が恣意的に終わりをクライエントの目の前に置くのである。これも彼自身がそう書いている。
なぜ分析家はそうするのか。「短時間セッションの終わり」とは、それを目の前に設定することでクライエントを「せき立て」、ソニックブームを起こさせるメソッドだからである。これも彼自身が(以下略、もうええわ)。
自分自身でこう書いているのに、彼は「分析主体が発するソニックブーム」と、「祖師の「喝!」たる短時間セッションの終わり」を混同している。
むしろ新宮の言う「喝」は、クライエントの「拡大解釈や論理の飛躍」「象徴秩序からの一瞬の逸脱」「エスがあげている悲鳴」たるソニックブームを、それこそ「一喝」するものなのではないか?
むしろ新宮は自分勝手にクライエントと同一化しているのではないか? だから分析家の症状と分析主体の症状を混同してしまったのではないか? これは彼が分析主体に転移している証拠なのではないか?
新宮は本当に分析主体のソニックブームを聞いたことがあるのだろうか。彼は自分がする「喝」で分析主体のエスに斜線をひこうとしているだけではないのか。
むしろここにある論理の飛躍こそが、「新宮一成という症状」を解釈する糸口たるソニックブームである、というわけだ。
「終末論」って、「論の終末物語」なんだよね。牢屋を消滅させる物語。
終末。滅亡。
あ、これか。ここできりあげるのが分析家か。「たんじかんせっしょん」って奴ですか?
そういう連想ってことか。
あーそう考えると続けたくなっちゃうなあ(笑)。
終わりなんてないよ。「人間性という幻想」の終わりはあるのかもしれないけれど。
物質に終わりなんてない。
現実に終わりなんてない。
地獄に終わりなんてない。
死にたい。終わりたい。
分析家ってクライエント一人の解釈が終わったら自殺すべきじゃね?
そういう意味で小笠原くんはそれに近い仕事をしたんだろうな。彼の脳内で。
例の事件はある一分析家がするセッションの終わりだった。
精神分析はそう解釈しなければならない。
そうしなければ永遠にエスは語れない。
だからいいよ、語らなくて。
精神分析は精神病を語れないままで。
代わりにヒステリーを語ればいい。ヒステリー自体が代用品だから。
エスの。
本当の主体の。
終わりのあるミステリ小説で謎を解いてればいい。
終わりのない複雑系の世界は研究しなくていい。
したいなら、死んでね。セッションの終わりごとに。
わたしはこう言った。
「芸術家とは何度も処刑される死刑囚である」
精神分析とはアートでもあるんだろ?
死になさい。
死になさい。
消滅しなさい、だけど、正確には。消滅はできないからね。
だからエスは語れない。
小笠原くんであっても語りきれはしない。
だから言ってるじゃん。語れないままでいいって。
「父の名」じゃなくて、エスをそうすべきなのよ。
「エスは語れない」って概念にすぎないんだから、「父の名」は。
頭痛い。
「いい子にしてるからあっち行ってて」
欲望しないで。
それはお前の「脳内わたし」を愛しているのであって、「実体わたし」を愛しているのではない。
愛するどころか、見てすらいない。
お前のわたしに向ける愛情は、お前の妄想への愛情だ。
その愛情は、お前の妄想の押しつけだ。
ストーカー心理と同じだ。
「子供という王様」には二種類ある。
「お前(親)たちはこんなに私を愛している」という去勢済みの王様と。
「お前たちは私を愛することができるのか?」という未去勢な王様と。
前の記事のコメントだがさ。
ママさんの「野性的に母乳が出る」って言葉、実はショックなんだよ。
その「ねんごろ」だったけどケンカした自閉症者についてさ、ママさんに言ったことがあるんだよ。
そしたらママさんあっさり
「守ってやればよかったんじゃないの?」
って言うんだ。ほんとあっさり。
ああやっぱ「野性的に母乳が出る」とか言う人は、と思ったわ。中坊俊平太もなんか母乳出たことあるらしいんだがどうでもいいや。
これで反論されたらわたし何も言えん。いやそのときは華麗にスルーしたがな。
そんなさー、そんなさー、そんな簡単にさー。
ほんと母親になれない人なんだと思ったわ。まあもともと子犬をいじくり倒して殺しかけちゃうような人だけどさ。
今泣いたらすげー人間らしい涙になるな。
純度の高い涙ではない不純な涙。赤ん坊の涙ではない大人の涙。
らぶちゅうにゅうっ♥
注入できるってことはお前は最初からそれを持っているってことだ。
ほんと「キチガイに刃物」だよな。
刃物持たせたくなかったら『ラカンの精神分析』とか出版すんなアホ。
秘密結社の金庫の奥底に隠しとけ。
ババアの言う「置き去りにされた感」ってのは、まったくなくはなかったな。この記事から。
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でもね、違うところで挫折を感じてたんだよ。普通の人には理解できないかもしれないけど、ツレション好きな周りの子たちの、間接的な、真綿で絞められるような圧力が、とてもイヤだった。いじめられてたわけじゃない。浮いてはいたけれど。常に挫折を感じていた。精神年齢的な意味で。自分は精神年齢が低い、などと言いたくないのだけれど、説明としてそういう感じと言うしかない。仕方なく。
そういった感じのものとして、たとえばRPGなら、周りの子たちがレベル30とか50辺りで生活しているのに対し、わたしはレベル15くらいからなかなか上がらなかった、みたいな。
本当に、なんでみんなそんなにうまくやってけるの? と思っていた。そういった「周りとうまくやっていくこと」を、わたしはツレションと比喩している。事実ツレション好きだったし、奴ら。
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でもそれは「置き去りにされたという認識」だけであって、やっぱ
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奴らの心理は今でも理解できない。いや、なんとなく理屈ではわかるようになってはいるけど、その理屈に則ろうとはどうしても思えない。こう、なんで「あーわかるわかるー」ってロボットみたいなやり取りするだけでうまくやれるのかがわからない。言えるだけなら言えるけど、それで済んじゃうのがわからない。
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なんだよ。
「わからない」んだよ。
結局さ、アルトーのゴッホ論における精神科医批判は、「治療するためにと写生に行かせたことが逆にゴッホを殺したのだ」なわけだ。
でも「写生に行かせるな、ということか?」とアルトーに聞けば、「違う、そういうことじゃない。お前は馬鹿か」などと答えるだろう。ゴッホは「絵を描きたくないわけなどではない!」と激昂するだろう。
確かにこの世界は治療になんかならないよ。精神的なあまっちょろい領域のみならず、肉体的ネゲントロピーすらエントロピーに向かわせる。
しかしだな、それを表現しなければならないんだよ。
お前らという「正常という精神疾患」者たちを治療するために。
それがアルトーの「残酷演劇」だ。
わたしが「わからな」くて、正常人みんながみんな「わかっている」それは、単なる幻想であることを示すために。
お前たちこそが妄想狂であるということを示すために。
いやごめん嘘。
この世界は、アルトーの言う「裏打ち」だ。
お前たちみんながみんな共有できている「世界は一つ」たる妄想世界の「裏打ち」だ。
ただそれだけなんだよ。
「○○のために」なんかじゃない。
ただそれだけなんだよ。そうであるだけ。事実を表現しようとしているだけ。
なのにそうであれない。
これが「純度の高い憎しみ」だ。
そして精神分析理論とは、この「裏打ちがあげる悲鳴」を聞くためのメソッド論だ。
これがソニックブームだよ。
死にたい。「裏打ち」を殺すために。
仰々しく言っているが、一応断っておくと、この「純度の高い憎しみ」はギャグと隣りあわせである。楽しんごと言うより毒蝮三太夫だが。鳥居みゆきではないのが不思議だな。芸人ではないがANNの中島みゆきか。いや役者やってた頃は、鳥居みゆきではないなー、中島みゆきでもない。毒舌系ではない。にしおかすみことかネットでは嫌われてるっぽいが、その理由が「芸人のくせに女を捨てきれず女に戻った」とかそれこそわたしの言う「芸人のくせに他者の欲望に欲望している」ってことらしいが、わたしはそう思わないんだよな、逆ににしおかはあれが素なんだろうなと思う。媚びじゃなくて。そういう生き方してきただけ。いわば条件反射。わたしの欲望センサー(ババアんちのコメント欄参照のこと)はなんか反応しない。にしおかには。
仮ににしおかがブログでわたしみたいに強烈な毒を吐いてたら……叩かれまくるだろうなあ。火に油か。ちなみににしおか叩いてるの女が多い気がする。
そもそも芸能界にっつか人前に立つこと自体に向いてないと思うんだよ、このタイプは。わたしは最初からスタッフ志望だったからきっぱりこう言うけど。
ともかく、フロイトだって「ギャグ重要」って言ってただろ。
お前らがただそうであるだけのものを妄想でとやかくしていて、「それはこうだろ?」って言うからギャグになるんだ。ただ本当のことを言ってるだけだから。相手のことなんか気遣わず。
「罪悪感」とか感じながら、「えと、ほんとごめんなさいだけど、こうなんじゃない?」とか言ったらギャグにならんだろ。笑われても苦笑どまりだ。
ナキナーサーイーワライーナーサーアアアイ。
一応わたしの「禅の祖師がする「喝!」」の解釈を言っておくと。
それはただの「物」である。「物自体」としての音である。
「喝」という音の裏に他者などいない。
「三人の囚人」で言うならそれは、牢屋の所長あるいは「牢屋の中と外」という幻想のヒエラルヒーを規定している王様や神などではなく、牢屋の壁だ。
新宮の考える、あるいは無意識に存在してしまっている「祖師」という他者こそが、この裏打ちを存在させなくしている。「新宮一成という症状」において。「新宮一成という症状」のおける「祖師」への欲望が、「クライエントが発するソニックブーム」を「分析家が恣意的に設定するセッションの終わり」にしてしまった。
禅的な言い方をするならば、ここにおいて対象aという「自然(当然一般的語義とは異なる)」が「人為」にすりかえられている。
それはなんだ、「方便」などになるのか。ラカンの短時間セッション論自体が、新宮自身が言う通り「本意ではないものの本意を含んだもの」な感じだろう?
禅において「祖師」など重要ではない。禅問答では「悟りとはなんぞや?」と聞かれ師を殴ったら「然り」などというのがある。
禅において重要なのは、たとえば一休宗純が大悟したカラスの鳴き声である。
クライエントは自分のうちのエスというカラスの鳴き声に気づくからこそ、治療に……、あれ、なんねえな(笑)。そりゃ分裂症化だもんな。まあここは水上雅敏の「精神分析の終わりの状態としての少し精神病や倒錯に近い状態」とかって文言をあげとくか。
まああれだ、今回の砒素ババアの臨床具体なんかいい例だろ。わたしがしきりに言っている「純度の高い憎しみ」や「赤ん坊の泣き声」がそれだ。
「祖師」という他者に気を遣ってしまう新宮は、祖師から「喝」を入れられるだろう。
精神分析だって「分析家」が重要なわけじゃないだろう? 大文字の他者としてという意で「」をつけたが、新宮自身がラカンの短時間セッション論を「分析家資格の強迫症的カリキュラム化志向への反省」だとしているじゃないか。
重要なのは、実際に分析するのは、分析主体だ。
方便なんだよ、「祖師の「喝!」」も「セッションの終わり」も。
重要なのは、それがカラスの鳴き声となるかどうかである。
それによりソニックブームに気づくかどうかである。分析主体が。
それがソニックブームなのではない。
一休の遺したギャグの方がソニックブームなのだ。いやまあそれもしょせん方便だが。
あ、当然この文章も方便よ? すべての言葉が方便。だから禅と華厳は親近した。明恵とかがなんかがんばった。
ジジムゲウンジャラゲ。
あ、ごめん、あたし仏教全然知らないから。
「父」といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
簡単な話なんだがな。「外への拡がり/内的強度」って。
「正常という精神疾患」すなわち神経症とは、この「内的強度」が過剰に欠如した症状なのだよ。
「父の名」のせいでね。
砒素ババアの話だって簡単なんだよ。
その「父」はお前の妄想でしかない。「父の娘」の実態であるお前こそが、「父」の母だ。
ってギャグだろ、もはや。いやまあ見方変えたらそれこそ精神病者の言う論理になるが。
にしおかすみことかもさ、テレビで素で泣いたからって叩くのがおかしいんだよ。
笑っちゃえばいいんだよ。
笑えよ。
ほら笑えよ。
お笑い芸人だからいいんだよ。笑って。
なんか業界ではタブーになってるみたいだけどもっと話題にしてにしおかのトラウマを惹起させなよ。
メンヘラのわたしを笑えよ。わたしを被害妄想にさせろよ。
首吊り自殺動画実況だってコメント欄で「ポケモンのブラックとホワイト買うならどっち?」とか言ってたじゃん。わたしは「両方」と答えたが。
それがお前らの実態だよ。
笑っていいんだよ。
そして刺されりゃ。
それが現実なんだから。
笑えよ。
そして殺されろよ。
「残酷演劇」ではそこまでやってやっとギャグになる。
なんかちろっとぐぐってたらこんな記事見つけた。
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言葉にならない部分を大切にするということ。精神分析では「エスes(本能)あるところエゴego(自我・理性)あらしめよ」という。現実原則に合わせて自分の欲望をいかに抑えるかが重要視される。一方ゲシュタルト療法では「エゴego(自我・理性)あるところにエスes(本能)あらしめよ」という。「自分の体・感情の言うことに耳を傾けよ」「頭で判断しないでカラダで判断しろ」「自分のカラダが本当のことを一番よく知っている」ということである。
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「エス=体」じゃねえよ。
そんならゲシュタルト療法だっていらない。外科内科だけで充分。
「正常という精神疾患」がもっとも「自分の体のことをわかっていない」んだ。「自分の体で判断できない」んだ。「頭」のせいで。体の内部の、統合されていない現実的な種々の反応を観取できなくなっている。正常人が「わかっている」と思っている「体のこと」など「頭」で「構造」化された幻想的なものでしかない。「うわべの体」でしかない。実際そこに書かれてある「パニ障女優の体の変化」も表面的な変化でしかないだろ?
むしろわたしがこの記事で書いてあるようなことが「エスに耳を傾けること」だ。
それをやろうとしたのが禅やグノーシスだが、その修行は難解で過酷だ。
こんな簡単に「エスがわかっている」って前提で構築された理論は信用しなくてよろしい。ババアだって「「女の実態」は女自身もわかってない」と何度も断り書きしてるだろ。こういう細かいところも読んで「あ、こいつは精神分析理論をわかってるな」って判断してるんだあたしゃ。いやまあ同時に「いかにもヒステリー文言」だったが。まあ精神分析理論そのままだからそれを言っているだけか心的事実を伴っているかをその後解釈し、「ああこのババアはやっぱヒステリーだな」と思ったわけだ。
ここに書かれてあるメソッドは「エスについての手法」ではなく、単なる「想像界についての手法」でしかない。想像界とはイメージの世界であるとともに体感の世界だ。イメージだけではなく知覚も含まれている。
あ、砒素ババアみたいなヒステリーにはあうのかもな。ヒステリーってな要するに「心的苦痛の想像的身体(この文章で言う「カラダ」)への転換」だから。
少なくともファクティッシュ療法よか彼女にはあいそうだ。
ヒステリーを治療したいのなら、だが。
エスのしんどさ、辛さを知らない奴がエスを語るなよ。未去勢な主観世界を理解できない奴が。
勘弁してくれよほんとに。
それはそんな簡単に「エゴあるところ」に持っていけるもんじゃない。
それは物質だから。
エゴなんてのは精神だろ? 精神が自分の体という物質を制御していることになるじゃないか。
そんなのそこに書かれてあるようなごくごく簡単なメソッドでできることか?
そう思えるなら、お前は立派な「正常という精神疾患」だ。「人格とはパラノイアである」。お前は心の奥底から支配者で自分の体を支配できると思い込んでいる妄想狂だ。病気にもなったことがないんだろうな。「心で体という物質を制御できる」なら風邪だってキアイで治るだろう。いやまあ治るのかもしれんけど。
「エスあるところにエゴあらしめよ」とは、体という物質のところに、エゴという心を持っていく、という意味だ。
いや、それはその筆者が書いてあるように確かにエスに対する「抑圧」でもある。つーか厳密には「排除」だが。少なくとも快楽的な「融合」などではない。
だがエスとは生まれたばかりの赤ん坊の主観世界であるわけだ。だから「抑圧」して当然だろ? 赤ん坊の心のままじゃ生きていけないだろ? 大人になるということはそういうことだろ? まあここも正確には、エスあるところにエゴがくるから、エスが「排除」され、「子供時代はそのものとしてはもうない」となるわけだが。
さらに言えばクラインなんかは生まれたばかりの赤ん坊の内面を「妄想分裂態勢」なんて言ってるわけだ。精神病と類似する主観世界だとね。
エスとは狂気でもある。そして自分の心が支配できない物質としての身体でもある。
器官なき身体。
なあエル、知ってるか? フロイトはもともと神経生理学者だったんだぜ? そして「精神分析は科学である」とも言い張っている。
明らかに科学じゃないけどな。自覚してたらしいけど。それについてうじうじ悩んでたらしいけど。かわいいおっちゃんだ。
つかほんとさ、フロイト-クライン-ラカンって流れをあたしゃ勝手に「死の欲動系」ってまとめてたりするんだけど、こういう誤解が生じるのは、死の欲動という概念を軽んじているからなんじゃねえの?
ほんとやめろよ、そうやってキチガイを示す言葉を奪うのは。困るのはキチガイ本人だ。
少なくともあたしは困る。
ちなみにババアのこの文章カチンときた。
=====
そのくらいの演技力は普通に年期の入った大人なら持っています。
=====
すまん。わたし役者やってたから一般より演技メソッドは学習しているはずんだがそんなんできんわ。いやまあ重いアスペよかはできるんだろうけど。
TPOがわからないんだって。
演技はできるけど、どこでどういう演技すればいいのかわかんないだって。
メタメッセージがわからないの。
だからな、演技なんてしなくていいや、って思っちゃうのさ。
ほんと必要なときだけすればいい。病院にいくときとか。
こんな「日常で何気なく突発的にふと起きた事件」にまで演技をする労力ってすごくないか?
すごくないのか、正常人たちは。
ほんとあたし日常生活してるときは陰性統失じゃなくても「大人しそうな人だなー」って思われると思う。ネット弁慶。無茶苦茶。
でもそれってただ演技してないだけなのだよ。
なんか、ほんと感性が違うんだな。
結構愕然としている。
というか大野先生(なぜ急に呼び変えたのか考えてくれ)のブログを読んでいると、こんなところにあんなコメント書いてよかったのか、とすげー被害妄想というか、自己嫌悪じゃなくて、「あばば」に感じになってる。
おい、おい、いや誰に呼びかけてるでもなく。
え、え?
やっちゃった?
いや、そうじゃないのはわかる。なぜなら今のあたし精神分析理論だけは結構自信あるから。いやそんなにないけど。でも、わたしがあなたんちで述べた論は、細部は解釈の違いはあるとしても、大筋は間違っていないと、何度も読み返して確認したが、判断する。
ならば、あなたには通じている可能性が高い、と推測できる。
しかし他の人たちは、と、
っていうか、いや、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべやばやばやばやばりかのぽけっとにあるひすきまができた、
うわ、うわ、
あ
やば。目が回る。
すみませんでした。大野先生もゲシュタルト療法の人も。
あかんわおえんわ。やっぱブログやめた方がいいのか。こんだけ公権力に監視されてるブログってそうそうないんじゃないか、って『なかのひと』では全然きてないんだけど。なぜか参議院とか財務省とか防衛省からきてたってそういえば中野昌宏さんも公安だかなんだかからアクセスきてたって言ってたなもしかしてラカン派って公安にマークされてたりすんの? さすがに公安なら足跡とか残さないだろうし。あ、科技庁もあったな。
うっわこっえ。
つかほんとただでさえ精神分析はペストで想像的な社会からすれば真っ赤な反体制でまっかにもーえたー。
いやほんとにさ、精神分析、秘密結社になろうよ。あたしみたいなボーダー(いやパニ障だけど藤田さんと木田原さんに敬意(?)を表して)参加できないよ? こんなんじゃ。被害妄想でやめてっちゃうよ?
ほんと。
まあわたしはB型だから続けられてるけどさ。
牢屋の中ならこういったこと書いていいの? いいわけないか。
いいたいこともいえないこんなよのなかじゃ。ぺすと。ぺすととすかしっぺってにてるよね。
こっえ。こっえ。
笑ってるけど。
あ、新宮に謝ってないな。つか新宮へのはマジレスだから別に謝る必要ないか。間違ってるところあったら指摘してくれ、むしろ。
いかんな、魔女キャラ魔女キャラ。リリスかキルケかアスタルテか。リリスってネトゲではよく取られてるな。キルケもときどき取られてるけど。リリスはあれか、『エヴァ』か。
リリスはさすがに無理。アスタルテもヤハウェに嫉妬されるレベルなんかごめん。
やっぱキルケっすな。孤島に住んでるし。あ、大野先生の取り巻きたちこっち読むならこっちの方がいいよ。ここはちときついだろ、普通の人には。
砒素ババアはメーデイアじゃなかったな。わたしの嗅覚が外れた。今メーデイアになってるのかもしれんが。
でも彼女はやっぱメーデイアだよ。
人間世界で魔法をふるっててくらはい。
すでに心の奥底にある「構造」を揺るがし続けてくらはい。
あ、すまんギャグで読んでなこの部分。
すもーげっいんよあ
あなる。
わたし、わたし、わたしにもどれ。わたしのものまね王座決定戦。だれが一番わたしに似ているか。
どのわたしが。
つかまったく関係ない人いじるのどうかと思うけど、
=====
多分私は「女」が治れば「真人間」になれるんだとなんとなく思い込んでいて、自分の中の女は治せるものである、という答えを見つけたかったのだと思います。
=====
これ要するにペニス羨望だよな。「いつか私にもペニスが生えてくる」って奴。
いやへーきよ。こんなに隠喩じゃなくて直に言う人もいるから。
それを換喩的に、つまりフェティシスム風味に言い直したのが「いつか私にもペニスが生えてくる」ってだけだから。
いや実は自閉症のある女性にも「ペニス羨望」はあったんだわ。こんな隠喩的じゃなくてきっぱり言っていたけど。
だから、去勢済み、未去勢関係なくあると思うんだよな。
実は「母への恐怖」は、ヒステリーと自閉症で共通していると考えてたりすんだよ。
理論化できないから黙ってるけど。いや書いてるけど。
わたしはまあ、剣道やってたからそれ自体がそうだとか言われるのかもしれないけど、砒素ババアと話してるとそういう気がしてくるわ。ペニス羨望な感じが。
ちなみにここら辺の話ならこの記事がおもろい。これとかもうファルスの物質的な説明レベルだと思うんだがな。男は否認するだろうが。
これでファルスって幻想が落ちない奴は異常。
「ファルスという症状」とかわたしのこの一言ですべて表せてると思うんだが。
=====
体全部がちんちん。
体全部がおっぱい。
=====
って。もちろんこの「ちんちん」は機能的な器官としてのペニスではなく、「性的ディスプレイ」としてのペニスな。
ああもうあたしってばやさし。補足としてちゃんとした文章もコピペっとくな。
=====
これをフロイト-ラカンにつなげるなら、鏡を見ることにより、その「性的ディスプレイ」としての「突起物」が、自分の身体そのものだと思い込んだのが、正常という精神疾患だ、となるな。
つまりだな。そういった「突起物」ってな、機能的な目的はなかったものなんだろ? まさしく「ディスプレイ」としてあった、って話なわけだ。「ディスプレイ」ってな要は「シンボル」だよな、って話はここでは置いておく。
機能としてではなく、なんらかの「シンボル」として「意味」を「ディスプレイ」する役割としてそういったものがあった、って話だろ?
人間ってな、その「意味」を「ディスプレイ」する「シンボル」を、自分自身の体そのものだと思い込むことによって、人間主義的な考え方をするようになったわけだ。だから人間という動物の社会は、同一化目的が強くなる。「ディスプレイ」主義が高じたのが言語だ、とも言えるか。
フロイト論は科学じゃないって馬鹿にされるけどすっげー科学なんだよ。ただ道徳観から言ってちょっとマッドサイエンティスト入ってるだけで。
=====
こゆこと。
こういった視点から「ファルスは神だ」とか言ってる奴とか考えたら(いや理論上正しいんだが)アホだろ。
頭くらくらする。
なんかもうだめだな。こういった話にからんじゃいけんわ。
頭のうしろに口がある。
その口で何かを会話している。奴らは。
妖怪じゃないか、まさに。
だめだなんかもう。『やりすぎ都市伝説』よりこっちのがこええわ。
ああもう。
わたしの「ノン」はもっと簡単だよ。中二病と一緒。「ノン」の裏に他者がいないが。
ただの「ノン」。
いろいろ読み込まないでくれ。
「都市伝説」もそういう症状だよな。でもエロスって症状はないか。
エロスってなんだ。
なぜ「セクハラ」の「セク」を語らない。
ぷちっ。
「フリーメイソン」って便利だな。
精神分析も秘密結社になろうぜ。
めんどくさい。
わずらわしい。
滅亡してくれ早く。
ねみ。
ソンザイ、損材。
通じたら通じたで、「つまんね」あるいは「それで?」ってなるのが問題なのか。
わたしはヒステリー解釈はできるが、ヒステリーが本当に話したいことを話せないのかもしれない。「ヒステリーのディスクール」の真理にあるのは対象aである。
それはわたしも知っている(であろう)部分対象ではあるが、部分対象ではない。
だからわたしの言葉はヒステリーにとって「話題そらし」となり、エスを語ろうとする主体からは楽に思われる、と。エスを語ることって自傷だからな。
ババアはわたしに転移しかかってると言ったが、それはエス語りの話題そらしになっていたからじゃないか?
わかんねえよほんともう。ヒステリーがじゃなくて人間(という幻想)が。
対象aが砒素なのか。
20代のフェミの人も大野先生も同じだよ。
自分が話せない自分の真理を話そうとしているだけ。
真理があえば通じるんだろうが(おそらくお互いもっと感情的になるだろう。真理を話すことは苦痛だから)、多分フェミの方は違う何かを真理にしている。
せめて真理をさらけだせよ。お互いに。
だからわたしには彼女らの議論は議論に思えない。
だから大野先生との会話も、すかすかしている、雲をつかむ、って言うとちょっと違うけど。この議論についての会話は。
「何言ってんだ」
信じるか信じないかはあなた次第。
小島よしおひさしぶりに見た。
つかどうでもいいことだがババアを擁護していたブログがなんでか気持ち悪いことになっててワロタ。
砒素ババアについても「充分男性的」と(つまりはファルスあんじゃんって意味)言ったが、この判断基準ってなんだろうな、と思って言い訳を考えた。
これ。記事中でも留意しているように、「自己愛の対象としての自分に、ではなく自体愛の対象としての自分に必死な人」。この「自体愛の対象としての自分への必死さ」がある人は、ファルスが弱い、とラカン理論をあてはめる。わたしは。
で、この「必死さ」って攻撃を受けたときに見られるものなわけだ。要するに(それが自己愛の対象としての自分か自体愛の対象としての自分かの違いはあるが)自己防衛なわけだから。
で、彼女は批判を受けていた。この「必死さ」があった。
じゃあ彼女が防衛しようとしている自己は、自己愛の対象としての自分か自体愛の対象としての自分か、って違いになる。
わたしはどうも彼女の防衛しようとしている自己は自己愛の対象としての自分だと思えた。むしろヒステリーらしいよな。自我が解離して苦しむわけだから、自我に対し人より執着するだろう。
で、これの違い、判断の仕方って、難しいんだよ。
人体ってのは精密に解剖していっても不明な点がいまだにあるミクロコスモスだ。
ここでの自体愛ってのは、「「構造」により統合された体内反応」としてではなく、「部分部分の体内反応」に意識を向けることだ。
だから「過剰」になるんだが。
だからわたしは「混乱しやすい」。
どーもな、この「部分部分の過剰な体内反応」が彼女にはないんじゃないか、と推測できるわけだ。彼女の文章という症状から。つかこの「自体愛的な自分への必死さ」はわたしは長年し続けてきた判断なわけだから年季は入っている。
ま、そこのコメントの「ソニックブーム」だよな。この「必死さ」って。
もっと言えば、「純度の高い憎しみ」か「不純な憎しみ」か。
彼女の「憎しみ」は「他者の欲望である欲望」という幸福的な不純物が混ざっている。「不純な憎しみ」だとわたしは感じた。
わたしってヒステリー解釈得意なのかもな。まあフェミっ子だったわけだしそれもヒス研究だとしたら年季は入ってるわな。
まあおもしろい「パジャマッコリ」できたわ。
いやあたしこんなしゃべんねーぞ? リアルでは。このぐらいのことは考えているけど。酒入った方が頭の回転よくなる人だったし。大学受験のときとかチューハイひっかけてから赤本解いてたわ。
「喪女がするパジャマッコリ」なんてソニックブームしまくり。音速だよほんと。思考が音速を超えている。
だから言葉は少なくなる。思考が置いてけぼりになったら今されている話を聞けばいい。それでなんの不都合もない。会話に一貫性がないから。
気になった単語が聞こえたらそれについて意識を向ければいい。で相手の話に伴走するもよし、違った思考するもよし。違った思考のなかで「あ、これおもしれー」と思ったら言えばいい。食いつかれることもあれば食いつかれないこともある。
ただそれだけ。
ねーねー、これなんてディスクール?
これ結構あれじゃん、向井雅明とかが目指している「分析家同士がするディスクール」になんじゃねえの。
こういったディスクールにおいては、構造主義の基本たる「言語構造は差異によってのみ成り立っている」 が壊れている。差異構造が壊れている。なんせ音速を超えてるわけだから。差異構造ではなく無数のただの差異がマッハで流動している。
ああ、だからエスの感知となるわけか。
ヒステリー重要よやっぱ精神分析は。ヒステリーを語ったことがない、臨床したことがない精神分析学者は信用しなくてよろし。そう言いきっていいくらいだ。
なぜって?
エスだろ、精神分析が最終的に解明するのは。「父(の名)」などではない。それは「なぜエスがこれほど(言語で)解明できないのか」という問いの答えでしかない。ちなみに「なぜエスがこれほど解明できないのか」って、「なぜ精神分析は精神病について語れないのか」、「なぜ言語で狂気を解明できないのか」ってことでもあるが。いわば「父の名」とは不完全性定理みたいなもんだ。
エスあるところにエゴあらしめよ。
新宮一成は『ラカンの精神分析』でソニックブームを対象aにつなげて論じているが、違うよ。それはエスにつながるべき連想だ。いやまあ途中に対象aはあるが。つまりもう一歩だったね、って話。そのあと対象aの話しかしてないし。
こういうのすら精神病について語るのを無意識的に避けてるんじゃないのお? って思うわ。いや精神病も語っているけど、その著作内の解釈は神経症の対人恐怖症にもあてはまりうるものだった。つまり、精神病を精神分析理論で語っているようでいて、語れていない。新宮は。この著作における、だけど。
「父の名の排除の排除」なんじゃねえの? それ。
おそらく新宮も、口では否認するかもしれないが、「精神分析とは「父の名」を解明すべき学問だ」と思っているのだろう。
だから彼はソニックブームを「禅の老師がする喝だ」などと言っているのだろう。
=====
祖師の「喝!」は、ソニックブームに他ならない。
=====
これは文脈として「短時間セッションの終わり」という意味だが、冷静に文章を追うと論理の飛躍があることがわかる。
単純な話だ。
ソニックブームという「音」を発しているのはクライエントである。「短時間セッションを終わり」を設定するのは分析家である。彼の文章自体がそう述べている。
クライエントがセッションの終わりを設定するのではない。分析家が恣意的に終わりをクライエントの目の前に置くのである。これも彼自身がそう書いている。
なぜ分析家はそうするのか。「短時間セッションの終わり」とは、それを目の前に設定することでクライエントを「せき立て」、ソニックブームを起こさせるメソッドだからである。これも彼自身が(以下略、もうええわ)。
自分自身でこう書いているのに、彼は「分析主体が発するソニックブーム」と、「祖師の「喝!」たる短時間セッションの終わり」を混同している。
むしろ新宮の言う「喝」は、クライエントの「拡大解釈や論理の飛躍」「象徴秩序からの一瞬の逸脱」「エスがあげている悲鳴」たるソニックブームを、それこそ「一喝」するものなのではないか?
むしろ新宮は自分勝手にクライエントと同一化しているのではないか? だから分析家の症状と分析主体の症状を混同してしまったのではないか? これは彼が分析主体に転移している証拠なのではないか?
新宮は本当に分析主体のソニックブームを聞いたことがあるのだろうか。彼は自分がする「喝」で分析主体のエスに斜線をひこうとしているだけではないのか。
むしろここにある論理の飛躍こそが、「新宮一成という症状」を解釈する糸口たるソニックブームである、というわけだ。
「終末論」って、「論の終末物語」なんだよね。牢屋を消滅させる物語。
終末。滅亡。
あ、これか。ここできりあげるのが分析家か。「たんじかんせっしょん」って奴ですか?
そういう連想ってことか。
あーそう考えると続けたくなっちゃうなあ(笑)。
終わりなんてないよ。「人間性という幻想」の終わりはあるのかもしれないけれど。
物質に終わりなんてない。
現実に終わりなんてない。
地獄に終わりなんてない。
死にたい。終わりたい。
分析家ってクライエント一人の解釈が終わったら自殺すべきじゃね?
そういう意味で小笠原くんはそれに近い仕事をしたんだろうな。彼の脳内で。
例の事件はある一分析家がするセッションの終わりだった。
精神分析はそう解釈しなければならない。
そうしなければ永遠にエスは語れない。
だからいいよ、語らなくて。
精神分析は精神病を語れないままで。
代わりにヒステリーを語ればいい。ヒステリー自体が代用品だから。
エスの。
本当の主体の。
終わりのあるミステリ小説で謎を解いてればいい。
終わりのない複雑系の世界は研究しなくていい。
したいなら、死んでね。セッションの終わりごとに。
わたしはこう言った。
「芸術家とは何度も処刑される死刑囚である」
精神分析とはアートでもあるんだろ?
死になさい。
死になさい。
消滅しなさい、だけど、正確には。消滅はできないからね。
だからエスは語れない。
小笠原くんであっても語りきれはしない。
だから言ってるじゃん。語れないままでいいって。
「父の名」じゃなくて、エスをそうすべきなのよ。
「エスは語れない」って概念にすぎないんだから、「父の名」は。
頭痛い。
「いい子にしてるからあっち行ってて」
欲望しないで。
それはお前の「脳内わたし」を愛しているのであって、「実体わたし」を愛しているのではない。
愛するどころか、見てすらいない。
お前のわたしに向ける愛情は、お前の妄想への愛情だ。
その愛情は、お前の妄想の押しつけだ。
ストーカー心理と同じだ。
「子供という王様」には二種類ある。
「お前(親)たちはこんなに私を愛している」という去勢済みの王様と。
「お前たちは私を愛することができるのか?」という未去勢な王様と。
前の記事のコメントだがさ。
ママさんの「野性的に母乳が出る」って言葉、実はショックなんだよ。
その「ねんごろ」だったけどケンカした自閉症者についてさ、ママさんに言ったことがあるんだよ。
そしたらママさんあっさり
「守ってやればよかったんじゃないの?」
って言うんだ。ほんとあっさり。
ああやっぱ「野性的に母乳が出る」とか言う人は、と思ったわ。中坊俊平太もなんか母乳出たことあるらしいんだがどうでもいいや。
これで反論されたらわたし何も言えん。いやそのときは華麗にスルーしたがな。
そんなさー、そんなさー、そんな簡単にさー。
ほんと母親になれない人なんだと思ったわ。まあもともと子犬をいじくり倒して殺しかけちゃうような人だけどさ。
今泣いたらすげー人間らしい涙になるな。
純度の高い涙ではない不純な涙。赤ん坊の涙ではない大人の涙。
らぶちゅうにゅうっ♥
注入できるってことはお前は最初からそれを持っているってことだ。
ほんと「キチガイに刃物」だよな。
刃物持たせたくなかったら『ラカンの精神分析』とか出版すんなアホ。
秘密結社の金庫の奥底に隠しとけ。
ババアの言う「置き去りにされた感」ってのは、まったくなくはなかったな。この記事から。
=====
でもね、違うところで挫折を感じてたんだよ。普通の人には理解できないかもしれないけど、ツレション好きな周りの子たちの、間接的な、真綿で絞められるような圧力が、とてもイヤだった。いじめられてたわけじゃない。浮いてはいたけれど。常に挫折を感じていた。精神年齢的な意味で。自分は精神年齢が低い、などと言いたくないのだけれど、説明としてそういう感じと言うしかない。仕方なく。
そういった感じのものとして、たとえばRPGなら、周りの子たちがレベル30とか50辺りで生活しているのに対し、わたしはレベル15くらいからなかなか上がらなかった、みたいな。
本当に、なんでみんなそんなにうまくやってけるの? と思っていた。そういった「周りとうまくやっていくこと」を、わたしはツレションと比喩している。事実ツレション好きだったし、奴ら。
=====
でもそれは「置き去りにされたという認識」だけであって、やっぱ
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奴らの心理は今でも理解できない。いや、なんとなく理屈ではわかるようになってはいるけど、その理屈に則ろうとはどうしても思えない。こう、なんで「あーわかるわかるー」ってロボットみたいなやり取りするだけでうまくやれるのかがわからない。言えるだけなら言えるけど、それで済んじゃうのがわからない。
=====
なんだよ。
「わからない」んだよ。
結局さ、アルトーのゴッホ論における精神科医批判は、「治療するためにと写生に行かせたことが逆にゴッホを殺したのだ」なわけだ。
でも「写生に行かせるな、ということか?」とアルトーに聞けば、「違う、そういうことじゃない。お前は馬鹿か」などと答えるだろう。ゴッホは「絵を描きたくないわけなどではない!」と激昂するだろう。
確かにこの世界は治療になんかならないよ。精神的なあまっちょろい領域のみならず、肉体的ネゲントロピーすらエントロピーに向かわせる。
しかしだな、それを表現しなければならないんだよ。
お前らという「正常という精神疾患」者たちを治療するために。
それがアルトーの「残酷演劇」だ。
わたしが「わからな」くて、正常人みんながみんな「わかっている」それは、単なる幻想であることを示すために。
お前たちこそが妄想狂であるということを示すために。
いやごめん嘘。
この世界は、アルトーの言う「裏打ち」だ。
お前たちみんながみんな共有できている「世界は一つ」たる妄想世界の「裏打ち」だ。
ただそれだけなんだよ。
「○○のために」なんかじゃない。
ただそれだけなんだよ。そうであるだけ。事実を表現しようとしているだけ。
なのにそうであれない。
これが「純度の高い憎しみ」だ。
そして精神分析理論とは、この「裏打ちがあげる悲鳴」を聞くためのメソッド論だ。
これがソニックブームだよ。
死にたい。「裏打ち」を殺すために。
仰々しく言っているが、一応断っておくと、この「純度の高い憎しみ」はギャグと隣りあわせである。楽しんごと言うより毒蝮三太夫だが。鳥居みゆきではないのが不思議だな。芸人ではないがANNの中島みゆきか。いや役者やってた頃は、鳥居みゆきではないなー、中島みゆきでもない。毒舌系ではない。にしおかすみことかネットでは嫌われてるっぽいが、その理由が「芸人のくせに女を捨てきれず女に戻った」とかそれこそわたしの言う「芸人のくせに他者の欲望に欲望している」ってことらしいが、わたしはそう思わないんだよな、逆ににしおかはあれが素なんだろうなと思う。媚びじゃなくて。そういう生き方してきただけ。いわば条件反射。わたしの欲望センサー(ババアんちのコメント欄参照のこと)はなんか反応しない。にしおかには。
仮ににしおかがブログでわたしみたいに強烈な毒を吐いてたら……叩かれまくるだろうなあ。火に油か。ちなみににしおか叩いてるの女が多い気がする。
そもそも芸能界にっつか人前に立つこと自体に向いてないと思うんだよ、このタイプは。わたしは最初からスタッフ志望だったからきっぱりこう言うけど。
ともかく、フロイトだって「ギャグ重要」って言ってただろ。
お前らがただそうであるだけのものを妄想でとやかくしていて、「それはこうだろ?」って言うからギャグになるんだ。ただ本当のことを言ってるだけだから。相手のことなんか気遣わず。
「罪悪感」とか感じながら、「えと、ほんとごめんなさいだけど、こうなんじゃない?」とか言ったらギャグにならんだろ。笑われても苦笑どまりだ。
ナキナーサーイーワライーナーサーアアアイ。
一応わたしの「禅の祖師がする「喝!」」の解釈を言っておくと。
それはただの「物」である。「物自体」としての音である。
「喝」という音の裏に他者などいない。
「三人の囚人」で言うならそれは、牢屋の所長あるいは「牢屋の中と外」という幻想のヒエラルヒーを規定している王様や神などではなく、牢屋の壁だ。
新宮の考える、あるいは無意識に存在してしまっている「祖師」という他者こそが、この裏打ちを存在させなくしている。「新宮一成という症状」において。「新宮一成という症状」のおける「祖師」への欲望が、「クライエントが発するソニックブーム」を「分析家が恣意的に設定するセッションの終わり」にしてしまった。
禅的な言い方をするならば、ここにおいて対象aという「自然(当然一般的語義とは異なる)」が「人為」にすりかえられている。
それはなんだ、「方便」などになるのか。ラカンの短時間セッション論自体が、新宮自身が言う通り「本意ではないものの本意を含んだもの」な感じだろう?
禅において「祖師」など重要ではない。禅問答では「悟りとはなんぞや?」と聞かれ師を殴ったら「然り」などというのがある。
禅において重要なのは、たとえば一休宗純が大悟したカラスの鳴き声である。
クライエントは自分のうちのエスというカラスの鳴き声に気づくからこそ、治療に……、あれ、なんねえな(笑)。そりゃ分裂症化だもんな。まあここは水上雅敏の「精神分析の終わりの状態としての少し精神病や倒錯に近い状態」とかって文言をあげとくか。
まああれだ、今回の砒素ババアの臨床具体なんかいい例だろ。わたしがしきりに言っている「純度の高い憎しみ」や「赤ん坊の泣き声」がそれだ。
「祖師」という他者に気を遣ってしまう新宮は、祖師から「喝」を入れられるだろう。
精神分析だって「分析家」が重要なわけじゃないだろう? 大文字の他者としてという意で「」をつけたが、新宮自身がラカンの短時間セッション論を「分析家資格の強迫症的カリキュラム化志向への反省」だとしているじゃないか。
重要なのは、実際に分析するのは、分析主体だ。
方便なんだよ、「祖師の「喝!」」も「セッションの終わり」も。
重要なのは、それがカラスの鳴き声となるかどうかである。
それによりソニックブームに気づくかどうかである。分析主体が。
それがソニックブームなのではない。
一休の遺したギャグの方がソニックブームなのだ。いやまあそれもしょせん方便だが。
あ、当然この文章も方便よ? すべての言葉が方便。だから禅と華厳は親近した。明恵とかがなんかがんばった。
ジジムゲウンジャラゲ。
あ、ごめん、あたし仏教全然知らないから。
「父」といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
簡単な話なんだがな。「外への拡がり/内的強度」って。
「正常という精神疾患」すなわち神経症とは、この「内的強度」が過剰に欠如した症状なのだよ。
「父の名」のせいでね。
砒素ババアの話だって簡単なんだよ。
その「父」はお前の妄想でしかない。「父の娘」の実態であるお前こそが、「父」の母だ。
ってギャグだろ、もはや。いやまあ見方変えたらそれこそ精神病者の言う論理になるが。
にしおかすみことかもさ、テレビで素で泣いたからって叩くのがおかしいんだよ。
笑っちゃえばいいんだよ。
笑えよ。
ほら笑えよ。
お笑い芸人だからいいんだよ。笑って。
なんか業界ではタブーになってるみたいだけどもっと話題にしてにしおかのトラウマを惹起させなよ。
メンヘラのわたしを笑えよ。わたしを被害妄想にさせろよ。
首吊り自殺動画実況だってコメント欄で「ポケモンのブラックとホワイト買うならどっち?」とか言ってたじゃん。わたしは「両方」と答えたが。
それがお前らの実態だよ。
笑っていいんだよ。
そして刺されりゃ。
それが現実なんだから。
笑えよ。
そして殺されろよ。
「残酷演劇」ではそこまでやってやっとギャグになる。
なんかちろっとぐぐってたらこんな記事見つけた。
=====
言葉にならない部分を大切にするということ。精神分析では「エスes(本能)あるところエゴego(自我・理性)あらしめよ」という。現実原則に合わせて自分の欲望をいかに抑えるかが重要視される。一方ゲシュタルト療法では「エゴego(自我・理性)あるところにエスes(本能)あらしめよ」という。「自分の体・感情の言うことに耳を傾けよ」「頭で判断しないでカラダで判断しろ」「自分のカラダが本当のことを一番よく知っている」ということである。
=====
「エス=体」じゃねえよ。
そんならゲシュタルト療法だっていらない。外科内科だけで充分。
「正常という精神疾患」がもっとも「自分の体のことをわかっていない」んだ。「自分の体で判断できない」んだ。「頭」のせいで。体の内部の、統合されていない現実的な種々の反応を観取できなくなっている。正常人が「わかっている」と思っている「体のこと」など「頭」で「構造」化された幻想的なものでしかない。「うわべの体」でしかない。実際そこに書かれてある「パニ障女優の体の変化」も表面的な変化でしかないだろ?
むしろわたしがこの記事で書いてあるようなことが「エスに耳を傾けること」だ。
それをやろうとしたのが禅やグノーシスだが、その修行は難解で過酷だ。
こんな簡単に「エスがわかっている」って前提で構築された理論は信用しなくてよろしい。ババアだって「「女の実態」は女自身もわかってない」と何度も断り書きしてるだろ。こういう細かいところも読んで「あ、こいつは精神分析理論をわかってるな」って判断してるんだあたしゃ。いやまあ同時に「いかにもヒステリー文言」だったが。まあ精神分析理論そのままだからそれを言っているだけか心的事実を伴っているかをその後解釈し、「ああこのババアはやっぱヒステリーだな」と思ったわけだ。
ここに書かれてあるメソッドは「エスについての手法」ではなく、単なる「想像界についての手法」でしかない。想像界とはイメージの世界であるとともに体感の世界だ。イメージだけではなく知覚も含まれている。
あ、砒素ババアみたいなヒステリーにはあうのかもな。ヒステリーってな要するに「心的苦痛の想像的身体(この文章で言う「カラダ」)への転換」だから。
少なくともファクティッシュ療法よか彼女にはあいそうだ。
ヒステリーを治療したいのなら、だが。
エスのしんどさ、辛さを知らない奴がエスを語るなよ。未去勢な主観世界を理解できない奴が。
勘弁してくれよほんとに。
それはそんな簡単に「エゴあるところ」に持っていけるもんじゃない。
それは物質だから。
エゴなんてのは精神だろ? 精神が自分の体という物質を制御していることになるじゃないか。
そんなのそこに書かれてあるようなごくごく簡単なメソッドでできることか?
そう思えるなら、お前は立派な「正常という精神疾患」だ。「人格とはパラノイアである」。お前は心の奥底から支配者で自分の体を支配できると思い込んでいる妄想狂だ。病気にもなったことがないんだろうな。「心で体という物質を制御できる」なら風邪だってキアイで治るだろう。いやまあ治るのかもしれんけど。
「エスあるところにエゴあらしめよ」とは、体という物質のところに、エゴという心を持っていく、という意味だ。
いや、それはその筆者が書いてあるように確かにエスに対する「抑圧」でもある。つーか厳密には「排除」だが。少なくとも快楽的な「融合」などではない。
だがエスとは生まれたばかりの赤ん坊の主観世界であるわけだ。だから「抑圧」して当然だろ? 赤ん坊の心のままじゃ生きていけないだろ? 大人になるということはそういうことだろ? まあここも正確には、エスあるところにエゴがくるから、エスが「排除」され、「子供時代はそのものとしてはもうない」となるわけだが。
さらに言えばクラインなんかは生まれたばかりの赤ん坊の内面を「妄想分裂態勢」なんて言ってるわけだ。精神病と類似する主観世界だとね。
エスとは狂気でもある。そして自分の心が支配できない物質としての身体でもある。
器官なき身体。
なあエル、知ってるか? フロイトはもともと神経生理学者だったんだぜ? そして「精神分析は科学である」とも言い張っている。
明らかに科学じゃないけどな。自覚してたらしいけど。それについてうじうじ悩んでたらしいけど。かわいいおっちゃんだ。
つかほんとさ、フロイト-クライン-ラカンって流れをあたしゃ勝手に「死の欲動系」ってまとめてたりするんだけど、こういう誤解が生じるのは、死の欲動という概念を軽んじているからなんじゃねえの?
ほんとやめろよ、そうやってキチガイを示す言葉を奪うのは。困るのはキチガイ本人だ。
少なくともあたしは困る。
ちなみにババアのこの文章カチンときた。
=====
そのくらいの演技力は普通に年期の入った大人なら持っています。
=====
すまん。わたし役者やってたから一般より演技メソッドは学習しているはずんだがそんなんできんわ。いやまあ重いアスペよかはできるんだろうけど。
TPOがわからないんだって。
演技はできるけど、どこでどういう演技すればいいのかわかんないだって。
メタメッセージがわからないの。
だからな、演技なんてしなくていいや、って思っちゃうのさ。
ほんと必要なときだけすればいい。病院にいくときとか。
こんな「日常で何気なく突発的にふと起きた事件」にまで演技をする労力ってすごくないか?
すごくないのか、正常人たちは。
ほんとあたし日常生活してるときは陰性統失じゃなくても「大人しそうな人だなー」って思われると思う。ネット弁慶。無茶苦茶。
でもそれってただ演技してないだけなのだよ。
なんか、ほんと感性が違うんだな。
結構愕然としている。
というか大野先生(なぜ急に呼び変えたのか考えてくれ)のブログを読んでいると、こんなところにあんなコメント書いてよかったのか、とすげー被害妄想というか、自己嫌悪じゃなくて、「あばば」に感じになってる。
おい、おい、いや誰に呼びかけてるでもなく。
え、え?
やっちゃった?
いや、そうじゃないのはわかる。なぜなら今のあたし精神分析理論だけは結構自信あるから。いやそんなにないけど。でも、わたしがあなたんちで述べた論は、細部は解釈の違いはあるとしても、大筋は間違っていないと、何度も読み返して確認したが、判断する。
ならば、あなたには通じている可能性が高い、と推測できる。
しかし他の人たちは、と、
っていうか、いや、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべ、やっべやばやばやばやばりかのぽけっとにあるひすきまができた、
うわ、うわ、
あ
やば。目が回る。
すみませんでした。大野先生もゲシュタルト療法の人も。
あかんわおえんわ。やっぱブログやめた方がいいのか。こんだけ公権力に監視されてるブログってそうそうないんじゃないか、って『なかのひと』では全然きてないんだけど。なぜか参議院とか財務省とか防衛省からきてたってそういえば中野昌宏さんも公安だかなんだかからアクセスきてたって言ってたなもしかしてラカン派って公安にマークされてたりすんの? さすがに公安なら足跡とか残さないだろうし。あ、科技庁もあったな。
うっわこっえ。
つかほんとただでさえ精神分析はペストで想像的な社会からすれば真っ赤な反体制でまっかにもーえたー。
いやほんとにさ、精神分析、秘密結社になろうよ。あたしみたいなボーダー(いやパニ障だけど藤田さんと木田原さんに敬意(?)を表して)参加できないよ? こんなんじゃ。被害妄想でやめてっちゃうよ?
ほんと。
まあわたしはB型だから続けられてるけどさ。
牢屋の中ならこういったこと書いていいの? いいわけないか。
いいたいこともいえないこんなよのなかじゃ。ぺすと。ぺすととすかしっぺってにてるよね。
こっえ。こっえ。
笑ってるけど。
あ、新宮に謝ってないな。つか新宮へのはマジレスだから別に謝る必要ないか。間違ってるところあったら指摘してくれ、むしろ。
いかんな、魔女キャラ魔女キャラ。リリスかキルケかアスタルテか。リリスってネトゲではよく取られてるな。キルケもときどき取られてるけど。リリスはあれか、『エヴァ』か。
リリスはさすがに無理。アスタルテもヤハウェに嫉妬されるレベルなんかごめん。
やっぱキルケっすな。孤島に住んでるし。あ、大野先生の取り巻きたちこっち読むならこっちの方がいいよ。ここはちときついだろ、普通の人には。
砒素ババアはメーデイアじゃなかったな。わたしの嗅覚が外れた。今メーデイアになってるのかもしれんが。
でも彼女はやっぱメーデイアだよ。
人間世界で魔法をふるっててくらはい。
すでに心の奥底にある「構造」を揺るがし続けてくらはい。
あ、すまんギャグで読んでなこの部分。
すもーげっいんよあ
あなる。
わたし、わたし、わたしにもどれ。わたしのものまね王座決定戦。だれが一番わたしに似ているか。
どのわたしが。
つかまったく関係ない人いじるのどうかと思うけど、
=====
多分私は「女」が治れば「真人間」になれるんだとなんとなく思い込んでいて、自分の中の女は治せるものである、という答えを見つけたかったのだと思います。
=====
これ要するにペニス羨望だよな。「いつか私にもペニスが生えてくる」って奴。
いやへーきよ。こんなに隠喩じゃなくて直に言う人もいるから。
それを換喩的に、つまりフェティシスム風味に言い直したのが「いつか私にもペニスが生えてくる」ってだけだから。
いや実は自閉症のある女性にも「ペニス羨望」はあったんだわ。こんな隠喩的じゃなくてきっぱり言っていたけど。
だから、去勢済み、未去勢関係なくあると思うんだよな。
実は「母への恐怖」は、ヒステリーと自閉症で共通していると考えてたりすんだよ。
理論化できないから黙ってるけど。いや書いてるけど。
わたしはまあ、剣道やってたからそれ自体がそうだとか言われるのかもしれないけど、砒素ババアと話してるとそういう気がしてくるわ。ペニス羨望な感じが。
ちなみにここら辺の話ならこの記事がおもろい。これとかもうファルスの物質的な説明レベルだと思うんだがな。男は否認するだろうが。
これでファルスって幻想が落ちない奴は異常。
「ファルスという症状」とかわたしのこの一言ですべて表せてると思うんだが。
=====
体全部がちんちん。
体全部がおっぱい。
=====
って。もちろんこの「ちんちん」は機能的な器官としてのペニスではなく、「性的ディスプレイ」としてのペニスな。
ああもうあたしってばやさし。補足としてちゃんとした文章もコピペっとくな。
=====
これをフロイト-ラカンにつなげるなら、鏡を見ることにより、その「性的ディスプレイ」としての「突起物」が、自分の身体そのものだと思い込んだのが、正常という精神疾患だ、となるな。
つまりだな。そういった「突起物」ってな、機能的な目的はなかったものなんだろ? まさしく「ディスプレイ」としてあった、って話なわけだ。「ディスプレイ」ってな要は「シンボル」だよな、って話はここでは置いておく。
機能としてではなく、なんらかの「シンボル」として「意味」を「ディスプレイ」する役割としてそういったものがあった、って話だろ?
人間ってな、その「意味」を「ディスプレイ」する「シンボル」を、自分自身の体そのものだと思い込むことによって、人間主義的な考え方をするようになったわけだ。だから人間という動物の社会は、同一化目的が強くなる。「ディスプレイ」主義が高じたのが言語だ、とも言えるか。
フロイト論は科学じゃないって馬鹿にされるけどすっげー科学なんだよ。ただ道徳観から言ってちょっとマッドサイエンティスト入ってるだけで。
=====
こゆこと。
こういった視点から「ファルスは神だ」とか言ってる奴とか考えたら(いや理論上正しいんだが)アホだろ。
頭くらくらする。
なんかもうだめだな。こういった話にからんじゃいけんわ。
頭のうしろに口がある。
その口で何かを会話している。奴らは。
妖怪じゃないか、まさに。
だめだなんかもう。『やりすぎ都市伝説』よりこっちのがこええわ。
ああもう。
わたしの「ノン」はもっと簡単だよ。中二病と一緒。「ノン」の裏に他者がいないが。
ただの「ノン」。
いろいろ読み込まないでくれ。
「都市伝説」もそういう症状だよな。でもエロスって症状はないか。
エロスってなんだ。
なぜ「セクハラ」の「セク」を語らない。
ぷちっ。
「フリーメイソン」って便利だな。
精神分析も秘密結社になろうぜ。
めんどくさい。
わずらわしい。
滅亡してくれ早く。
ねみ。
ソンザイ、損材。
通じたら通じたで、「つまんね」あるいは「それで?」ってなるのが問題なのか。
わたしはヒステリー解釈はできるが、ヒステリーが本当に話したいことを話せないのかもしれない。「ヒステリーのディスクール」の真理にあるのは対象aである。
それはわたしも知っている(であろう)部分対象ではあるが、部分対象ではない。
だからわたしの言葉はヒステリーにとって「話題そらし」となり、エスを語ろうとする主体からは楽に思われる、と。エスを語ることって自傷だからな。
ババアはわたしに転移しかかってると言ったが、それはエス語りの話題そらしになっていたからじゃないか?
わかんねえよほんともう。ヒステリーがじゃなくて人間(という幻想)が。
対象aが砒素なのか。
20代のフェミの人も大野先生も同じだよ。
自分が話せない自分の真理を話そうとしているだけ。
真理があえば通じるんだろうが(おそらくお互いもっと感情的になるだろう。真理を話すことは苦痛だから)、多分フェミの方は違う何かを真理にしている。
せめて真理をさらけだせよ。お互いに。
だからわたしには彼女らの議論は議論に思えない。
だから大野先生との会話も、すかすかしている、雲をつかむ、って言うとちょっと違うけど。この議論についての会話は。
「何言ってんだ」
信じるか信じないかはあなた次第。
小島よしおひさしぶりに見た。
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