南三条
2011/01/04/Tue
やっちまった。いい加減学べよわたし。
中坊さんちも結構人きてたらしいんだが、抑鬱くんが多かったのかわたし以外のコメント者そんないなかったしな。議論するブログでもなかったし。ネタブログって認知なんだろうな。体感として人の多さは感じなかった。
むしろ「お前らもっとコメント書き込めよ」だ。大野センセんちではな。
そしたらわたしは検証できる。解釈できる。
いやそれもしんどいだろうが、タガがはずれたら本当に「解釈機械」になると思う。死ぬまでオナニーする猿と一緒。死ぬまで解釈し続ける。全力で。あたかも不眠不休で「自己増殖する机」を制作する分裂症者のごとく。
それは無為である。『アンチ・オイディプス』が言う「生産」などただのアジテーションでしかない。
自己嫌悪。実際にやっちまってから自己嫌悪するタイプ。パニック発作もそうなんだよな。予期不安ってのは少ない、わたし。
レキソタンじゃラリれなくなったな。
まだ大丈夫だけどな。戻れる。結構よくあるレベル。
よくやるよ、みんな。すげえよ、正常人って。ほんと強い。
あ、大野センセが怖いのか。
「慣れ」ではあると思うよ。社会人時代なら朝まで飲んでそのまま会社行けば忘れるレベル。
でもなー。
「お前本当に治りたいのか」と聞かれても答えられない。混乱した頭で冷静に考えて。
「治りたいです(棒読み)」
文章書いてると落ち着く。「自分語り」してると落ち着く。自分に数学の証明という整形手術を施している。
高校生の頃だかノート一面にどこの国のものでもない文字を書いたことがある。あとで統失の「新語創作」とか知ってびびったわ。「まー思春期にはよくあることだろ」とも思ってるけど。
象徴だよ、言葉だよ。
「愛」以前にファルスはある。
酒酒。
もうちっとひどくなってターンしたら離人チックになる気がする。経験論から。
人間は、単語一つ取っても微妙に違う意味でしゃべってる。その瞬間はその微妙な違いなどないかのようにコミュニケーションしているのに、その微妙な違いが大きな意見の対立になることが多い。大喧嘩の原因になることが多い。
なぜだ? その瞬間はそんな微妙な差異などないかのようにしゃべっていたじゃないか。気づいているのはわたしだけじゃないか。
不思議だ。
なのにあとになって意見が対立する。意見の対立を分析すると、そういった微妙な差異が原因だったりする。
それが「超自我による抑圧」って奴じゃないのか?
あとわたしだってメイクするよ。相手によるが。elveさんとかにはメイクしてたな。だあって昔似たようなタイプとメイクしてつるめてたんだもん。体が覚えているって奴?
あとそんなに読者いるんならこの記事間違ってたかもね。ごめんね木田原くん。復活しなよ。
不倫の子も楽しんでたのかなー。まだメイクはできてたわけだし。よく「スイッチがわからない」って言われたわ。別の人だけど。タイプも違うな。
elveさんもまあうまい方になるな、わたしとの距離の取り方。その知人と比べたら全然だが、文章だけだと考えればうまいと思う。大野センセはわからん。臨床していると心的距離どうのこうのとは違う次元にいる気がする。
中坊さんみたいな抑鬱症タイプは、そもそも心的距離が遠すぎるんだよな。だから距離の取り方なんて考えなくていい。自分勝手にオナニーしてればいい。それはそれでまあ楽っちゃー楽。
「治りたいです」。嘘じゃない。嘘じゃないけど嘘。これを手放すのはちょっとなって気分もある。
南三条 泣きながら走った
この歌詞で『寄生獣』ってマンガの化物が頭半分ない無頭児状態でけらけら笑いながら街を走っていたシーンを連想するのはパニ障だからなんだろうな。
無頭児になりたい。
メイクを使いこなすための努力量は人によって違う。正常をふるまうための努力量は人によって違う。
中島みゆきいいなやっぱ。この涙は正常人に近い涙だ。感情が整形されていると思う。無頭児が流す涙では……あるけど、半分、正常人に近い涙。
昔聞いたからかな。
みゆきも昔の歌はちょっと情動コントロール障害的な歌い方してるじゃん? 不倫の子によくカラオケで歌わされたんだよ。いやわたしも好きだから歌ったけど。
でも不倫の相談はうざかった。ほんといやだった。いやだった。「わたしに相談するより」とか言った。ちゃんと拒否した。
でも助けられてたのかもしれない。中島みゆきを歌わされることで。わたしは情動を安定化できた。ああいう歌なのに。
ウゼー。
違うか。
でもな。
elveさんの方が媚びてるな。いまだあってもない男に。いやまあ離婚したてと不倫真っ最中の症状を比べるのもあれか。
あ、気悪くすんなよ。ただいじめてるだけ。
不倫の子もいじめてたってことになるのか。そだな。大体説教してたしな。
あと今さらだが「恐怖」って表現は微妙に違う気がする。「こええ」ならいいんだけどな。わからん。純粋な「怖い」じゃないってことか。むしろ「純粋な恐怖」なんて存在しないんじゃないか?
だってここは享楽の場所なんだろ?
今でもいきつけのカラオケスナックでリクされるんだよ、まあ常連だし、歌うまいってわけじゃないけど、みゆきとか戸川純とかはほんとウケてるってわかるんだよね。ほんと話したこともない客が泣いて握手されたこともある。谷山浩子好きなんだけどこれはだめなんだよな、カラオケでは。酒焼けしてるからか。
わたしの「中島みゆきという代用品」か。
でもわたし中島みゆきじゃないし。声全然違うし。モノマネじゃないし。似てるとか言われたことないし。
みゆきになりたいなんて思わなかったし。
この曲は好きだったけど、そういう歌が好きだっただけ。
最初からメイクをメイクとわかる人間は、メイクしか好きになれないのかもしれない。つかこの歌い方いいな。これ的歌い方つか。
魔女が焼き殺されたとき、「構造」の一部も焼失している。キリスト教は今でも魔女狩りという火傷を背負っている。
魔女は「構造」の悪性腫瘍だが、転移性はなくはないが、本体を脅かすほどの転移性はない。本体には「抗体」がある。
しかし腫瘍として現出すれば、それは切除しなければならなくなる。それは本体の一部を切除することでもある。
切除された腫瘍は消滅する。本体に残るのは傷跡だけ。
その傷跡からペストなどといった菌が入り込み、また別の腫瘍ができる。
中坊さんちも結構人きてたらしいんだが、抑鬱くんが多かったのかわたし以外のコメント者そんないなかったしな。議論するブログでもなかったし。ネタブログって認知なんだろうな。体感として人の多さは感じなかった。
むしろ「お前らもっとコメント書き込めよ」だ。大野センセんちではな。
そしたらわたしは検証できる。解釈できる。
いやそれもしんどいだろうが、タガがはずれたら本当に「解釈機械」になると思う。死ぬまでオナニーする猿と一緒。死ぬまで解釈し続ける。全力で。あたかも不眠不休で「自己増殖する机」を制作する分裂症者のごとく。
それは無為である。『アンチ・オイディプス』が言う「生産」などただのアジテーションでしかない。
自己嫌悪。実際にやっちまってから自己嫌悪するタイプ。パニック発作もそうなんだよな。予期不安ってのは少ない、わたし。
レキソタンじゃラリれなくなったな。
まだ大丈夫だけどな。戻れる。結構よくあるレベル。
よくやるよ、みんな。すげえよ、正常人って。ほんと強い。
あ、大野センセが怖いのか。
「慣れ」ではあると思うよ。社会人時代なら朝まで飲んでそのまま会社行けば忘れるレベル。
でもなー。
「お前本当に治りたいのか」と聞かれても答えられない。混乱した頭で冷静に考えて。
「治りたいです(棒読み)」
文章書いてると落ち着く。「自分語り」してると落ち着く。自分に数学の証明という整形手術を施している。
高校生の頃だかノート一面にどこの国のものでもない文字を書いたことがある。あとで統失の「新語創作」とか知ってびびったわ。「まー思春期にはよくあることだろ」とも思ってるけど。
象徴だよ、言葉だよ。
「愛」以前にファルスはある。
酒酒。
もうちっとひどくなってターンしたら離人チックになる気がする。経験論から。
人間は、単語一つ取っても微妙に違う意味でしゃべってる。その瞬間はその微妙な違いなどないかのようにコミュニケーションしているのに、その微妙な違いが大きな意見の対立になることが多い。大喧嘩の原因になることが多い。
なぜだ? その瞬間はそんな微妙な差異などないかのようにしゃべっていたじゃないか。気づいているのはわたしだけじゃないか。
不思議だ。
なのにあとになって意見が対立する。意見の対立を分析すると、そういった微妙な差異が原因だったりする。
それが「超自我による抑圧」って奴じゃないのか?
あとわたしだってメイクするよ。相手によるが。elveさんとかにはメイクしてたな。だあって昔似たようなタイプとメイクしてつるめてたんだもん。体が覚えているって奴?
あとそんなに読者いるんならこの記事間違ってたかもね。ごめんね木田原くん。復活しなよ。
不倫の子も楽しんでたのかなー。まだメイクはできてたわけだし。よく「スイッチがわからない」って言われたわ。別の人だけど。タイプも違うな。
elveさんもまあうまい方になるな、わたしとの距離の取り方。その知人と比べたら全然だが、文章だけだと考えればうまいと思う。大野センセはわからん。臨床していると心的距離どうのこうのとは違う次元にいる気がする。
中坊さんみたいな抑鬱症タイプは、そもそも心的距離が遠すぎるんだよな。だから距離の取り方なんて考えなくていい。自分勝手にオナニーしてればいい。それはそれでまあ楽っちゃー楽。
「治りたいです」。嘘じゃない。嘘じゃないけど嘘。これを手放すのはちょっとなって気分もある。
南三条 泣きながら走った
この歌詞で『寄生獣』ってマンガの化物が頭半分ない無頭児状態でけらけら笑いながら街を走っていたシーンを連想するのはパニ障だからなんだろうな。
無頭児になりたい。
メイクを使いこなすための努力量は人によって違う。正常をふるまうための努力量は人によって違う。
中島みゆきいいなやっぱ。この涙は正常人に近い涙だ。感情が整形されていると思う。無頭児が流す涙では……あるけど、半分、正常人に近い涙。
昔聞いたからかな。
みゆきも昔の歌はちょっと情動コントロール障害的な歌い方してるじゃん? 不倫の子によくカラオケで歌わされたんだよ。いやわたしも好きだから歌ったけど。
でも不倫の相談はうざかった。ほんといやだった。いやだった。「わたしに相談するより」とか言った。ちゃんと拒否した。
でも助けられてたのかもしれない。中島みゆきを歌わされることで。わたしは情動を安定化できた。ああいう歌なのに。
ウゼー。
違うか。
でもな。
elveさんの方が媚びてるな。いまだあってもない男に。いやまあ離婚したてと不倫真っ最中の症状を比べるのもあれか。
あ、気悪くすんなよ。ただいじめてるだけ。
不倫の子もいじめてたってことになるのか。そだな。大体説教してたしな。
あと今さらだが「恐怖」って表現は微妙に違う気がする。「こええ」ならいいんだけどな。わからん。純粋な「怖い」じゃないってことか。むしろ「純粋な恐怖」なんて存在しないんじゃないか?
だってここは享楽の場所なんだろ?
今でもいきつけのカラオケスナックでリクされるんだよ、まあ常連だし、歌うまいってわけじゃないけど、みゆきとか戸川純とかはほんとウケてるってわかるんだよね。ほんと話したこともない客が泣いて握手されたこともある。谷山浩子好きなんだけどこれはだめなんだよな、カラオケでは。酒焼けしてるからか。
わたしの「中島みゆきという代用品」か。
でもわたし中島みゆきじゃないし。声全然違うし。モノマネじゃないし。似てるとか言われたことないし。
みゆきになりたいなんて思わなかったし。
この曲は好きだったけど、そういう歌が好きだっただけ。
最初からメイクをメイクとわかる人間は、メイクしか好きになれないのかもしれない。つかこの歌い方いいな。これ的歌い方つか。
魔女が焼き殺されたとき、「構造」の一部も焼失している。キリスト教は今でも魔女狩りという火傷を背負っている。
魔女は「構造」の悪性腫瘍だが、転移性はなくはないが、本体を脅かすほどの転移性はない。本体には「抗体」がある。
しかし腫瘍として現出すれば、それは切除しなければならなくなる。それは本体の一部を切除することでもある。
切除された腫瘍は消滅する。本体に残るのは傷跡だけ。
その傷跡からペストなどといった菌が入り込み、また別の腫瘍ができる。
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