宗教とは強欲である。
2011/02/05/Sat
宗教とは強欲である。
人間の欲望を抑圧させる妄想自体が、強大な欲望機械となっている。
その抑圧は、宗教自体と同一化することにより、解消されるだろう。
「父の名」が排除されるのだろう。
『アンチ・オイディプス』の言う、「オイディプスよりもっと深いところにある、欲望による社会野の無意識的備給」って、結局は「主人のディスクールの無意識にある全体性の幻想」じゃん。
まあそりゃオイディプスではないな、確かに。「全体性」なんだから。
しかしそれは、オイディプスじゃなくてもなんでもいいが、「人なるものに対して特化された欲望」の折り重ねである。
「家族(オイディプスの三角形)の再生産」の折り重ねが「社会の再生産」ではない、としているが、オイディプスじゃなくていいのなら、それは「オイディプスの根源」の折り重ねだよ。
「家族の再生産」も「社会の再生産」も、「人なるものに対して特化された欲望」の折り重ねである。
それから離接しているのは、自然である。
「人なるものに限定しない備給」たる自然である。
『アンチ・オイディプス』の糞なところはここだ。「オイディプスの対照項として社会野を提示している」ところ。
それはなんにも変わらない。
オイディプスへの批判にはなるのかもしれないが、去勢への批判とならない。
『アンチ・オイディプス』は去勢への批判ではない。
ガタリはほんと死ね。あの世でアルトーに一万回殺されろ。
ガタリがアンチ・ファルスを唱えるのは百万年早い。支配欲の塊が。
人間の欲望を抑圧させる妄想自体が、強大な欲望機械となっている。
その抑圧は、宗教自体と同一化することにより、解消されるだろう。
「父の名」が排除されるのだろう。
『アンチ・オイディプス』の言う、「オイディプスよりもっと深いところにある、欲望による社会野の無意識的備給」って、結局は「主人のディスクールの無意識にある全体性の幻想」じゃん。
まあそりゃオイディプスではないな、確かに。「全体性」なんだから。
しかしそれは、オイディプスじゃなくてもなんでもいいが、「人なるものに対して特化された欲望」の折り重ねである。
「家族(オイディプスの三角形)の再生産」の折り重ねが「社会の再生産」ではない、としているが、オイディプスじゃなくていいのなら、それは「オイディプスの根源」の折り重ねだよ。
「家族の再生産」も「社会の再生産」も、「人なるものに対して特化された欲望」の折り重ねである。
それから離接しているのは、自然である。
「人なるものに限定しない備給」たる自然である。
『アンチ・オイディプス』の糞なところはここだ。「オイディプスの対照項として社会野を提示している」ところ。
それはなんにも変わらない。
オイディプスへの批判にはなるのかもしれないが、去勢への批判とならない。
『アンチ・オイディプス』は去勢への批判ではない。
ガタリはほんと死ね。あの世でアルトーに一万回殺されろ。
ガタリがアンチ・ファルスを唱えるのは百万年早い。支配欲の塊が。
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