男の子って政治好きよね。
2011/02/09/Wed
ここ。
んー。精神病はパラノイアと統合失調症があって、ラカン派が言う精神病って大概パラノイアなんだよな。
統合失調症についてはほとんど述べられていない。述べられていたとしても解釈できていない。これはラカニアン自身が認めるところだろう。
ラカン理論は、精神病について、パラノイアは語れるが(というかラカン自身最初の論文がパラノイアだったんじゃないっけ)、統合失調症は語れない、ということだ。
確かに精神病とは、『アンチ・オイディプス』などが言うように、「パラノイアと分裂病という二極を横断している」のかもしれない。
しかし、分裂病の臨床実体とパラノイアの臨床実体は明らかに別物であるのも事実だ。
ここら辺ごっちゃにしてないか、この人。
だから次の記事で、
=====
もし、ほんとに、こうであるならば、「対象関係論」者は手のひらを裏返すであろうか(それともこれは微調整かね、ワカラナイ……)。
=====
なんて書いちゃうのか。
正直意味わかんない。なんで「「対象関係論」者は手のひらを裏返す」のか。ラカニアンではあるけど対象関係論よりなわたしから言わせると。
まあ統合失調症を上手く解釈できなかったラカニアンたちにとってすれば、神経症チックな症状も「全般性精神病障害」に含まれることになるわけで、これまでの「精神病としての統合失調症」より解釈しやすくなるだろうな。
それだけのことじゃん。
わたしは個人的には、「分裂病=統合失調症者は一般的に、想像的なものの失調を象徴的なものを過度に使用することで補おうとする傾向がある」って表現はしっくりくるけどなあ。精神分析じゃない論文で、「統合失調症とは運動機能障害だと考えればよい」ってトンデモ主張があったんだが、わたしは結構同意している。認知を運動として考えるという論だ。安永のファントム理論だってそういうものだろ?
あ、ちなみに現代精神医学的には、パラノイアは(実質)精神病じゃなくなって妄想性人格障害とかになってるね。
「精神病」という概念の定義で混乱しているだけに見える。彼一人で。
学派によって定義が微妙に違うのはよくあることだろ、特に精神分析では。
なあ、お前がそこで述べている「精神病」とは、パラノイアかい? 統合失調症かい?
どういう臨床に基づいて、そのような文章を書いているのだい?
んで次の記事。
この筆者、マザコンなんじゃね。バルトのマザコンチックな文章を「好きな文章だ」って挙げてたし。
対象関係論もエディプスコンプレックスも、それぞれ一つの物の見方だ。いや、同じ症状を二つの側面から見ている、とでも言えるか。
それが政治的な対立にまでなってるのなら、そんな政治的対立自体が、「精神分析の政治化」だ。
なあ、ボク、それお前のママを語ってほしくないだけじゃないのか?
そのアンチ対象関係論が、対象関係論的思考に基づいていないか?
『アンチ・オイディプス』がエディプス的思考に基づいていたように。
お前みたいなタイプは対象関係論で心を切り刻んだ方が効率よさそうだな。
だからさー、エディプスでアンチ対象関係論するからだめなんだよ。
「エディプスか対象関係論か」になるだろ?
エディプスも対象関係論も批判すりゃいいんだよ。
わたしが「「(母)親という症状」とはストーカー心理と同じである」とか言ってるみたいに。
なあ、精神分析においては真理は無数にあるんだろ?
なのになぜ「エディプスと対象関係論どっちが正しいか」って思考になるんだ?
あほらし。
そいつの「父(という妄想)」を解体するならエディプス、「母(という妄想)」を解体するなら対象関係論、でいいんじゃね。
あ、ごめーん、あたしにとって精神分析って「心にダメージを与える道具」だからさ。
学問なんてただの道具だぞ? 知のための。
ほんと学問を政治化すんのやめろよ。
こことか笑ったわ。
=====
DSMの黒船来襲以来、「明治維新」途上ではありながら、そろそろ体制が整ってきたわけかね。
=====
きっとこの人脳内で自分を少年ジャンプかなんかの主人公みたいに仕立てあげてるんだろうなあって。
余談。「精神病」って概念には、パラノイアと分裂病以外に、昔はてんかんも含まれてたんだぜ。
器質因が確認できるようになったから精神疾患じゃなくなったけど。
彼のブログって引用が散乱してて、それが「作品」としておもしろくはあるんだけど、こう一旦「自分の言葉」で語りはじめると、彼の頭につまっている知識はおがくずみたいなものだなあ、と思ってしまうことがある。
「おがくずの知」はおがくずだから頭に大量につめこめる。
「生きた知」「生々しい知」は、心的負担が大きいから、体にまで影響を及ぼす知だから、つめこめられない。
「名前をつけて保存」できない。「上書き保存」になる。
ハードディスクという物質に影響を及ぼすデータなのだから。
蓮實重彦の頭につまっているのも「おがくずの知」。
中村雄二郎や渡邊守章の頭に(ときどき)あるのが「生きた知」。
んー。精神病はパラノイアと統合失調症があって、ラカン派が言う精神病って大概パラノイアなんだよな。
統合失調症についてはほとんど述べられていない。述べられていたとしても解釈できていない。これはラカニアン自身が認めるところだろう。
ラカン理論は、精神病について、パラノイアは語れるが(というかラカン自身最初の論文がパラノイアだったんじゃないっけ)、統合失調症は語れない、ということだ。
確かに精神病とは、『アンチ・オイディプス』などが言うように、「パラノイアと分裂病という二極を横断している」のかもしれない。
しかし、分裂病の臨床実体とパラノイアの臨床実体は明らかに別物であるのも事実だ。
ここら辺ごっちゃにしてないか、この人。
だから次の記事で、
=====
もし、ほんとに、こうであるならば、「対象関係論」者は手のひらを裏返すであろうか(それともこれは微調整かね、ワカラナイ……)。
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なんて書いちゃうのか。
正直意味わかんない。なんで「「対象関係論」者は手のひらを裏返す」のか。ラカニアンではあるけど対象関係論よりなわたしから言わせると。
まあ統合失調症を上手く解釈できなかったラカニアンたちにとってすれば、神経症チックな症状も「全般性精神病障害」に含まれることになるわけで、これまでの「精神病としての統合失調症」より解釈しやすくなるだろうな。
それだけのことじゃん。
わたしは個人的には、「分裂病=統合失調症者は一般的に、想像的なものの失調を象徴的なものを過度に使用することで補おうとする傾向がある」って表現はしっくりくるけどなあ。精神分析じゃない論文で、「統合失調症とは運動機能障害だと考えればよい」ってトンデモ主張があったんだが、わたしは結構同意している。認知を運動として考えるという論だ。安永のファントム理論だってそういうものだろ?
あ、ちなみに現代精神医学的には、パラノイアは(実質)精神病じゃなくなって妄想性人格障害とかになってるね。
「精神病」という概念の定義で混乱しているだけに見える。彼一人で。
学派によって定義が微妙に違うのはよくあることだろ、特に精神分析では。
なあ、お前がそこで述べている「精神病」とは、パラノイアかい? 統合失調症かい?
どういう臨床に基づいて、そのような文章を書いているのだい?
んで次の記事。
この筆者、マザコンなんじゃね。バルトのマザコンチックな文章を「好きな文章だ」って挙げてたし。
対象関係論もエディプスコンプレックスも、それぞれ一つの物の見方だ。いや、同じ症状を二つの側面から見ている、とでも言えるか。
それが政治的な対立にまでなってるのなら、そんな政治的対立自体が、「精神分析の政治化」だ。
なあ、ボク、それお前のママを語ってほしくないだけじゃないのか?
そのアンチ対象関係論が、対象関係論的思考に基づいていないか?
『アンチ・オイディプス』がエディプス的思考に基づいていたように。
お前みたいなタイプは対象関係論で心を切り刻んだ方が効率よさそうだな。
だからさー、エディプスでアンチ対象関係論するからだめなんだよ。
「エディプスか対象関係論か」になるだろ?
エディプスも対象関係論も批判すりゃいいんだよ。
わたしが「「(母)親という症状」とはストーカー心理と同じである」とか言ってるみたいに。
なあ、精神分析においては真理は無数にあるんだろ?
なのになぜ「エディプスと対象関係論どっちが正しいか」って思考になるんだ?
あほらし。
そいつの「父(という妄想)」を解体するならエディプス、「母(という妄想)」を解体するなら対象関係論、でいいんじゃね。
あ、ごめーん、あたしにとって精神分析って「心にダメージを与える道具」だからさ。
学問なんてただの道具だぞ? 知のための。
ほんと学問を政治化すんのやめろよ。
こことか笑ったわ。
=====
DSMの黒船来襲以来、「明治維新」途上ではありながら、そろそろ体制が整ってきたわけかね。
=====
きっとこの人脳内で自分を少年ジャンプかなんかの主人公みたいに仕立てあげてるんだろうなあって。
余談。「精神病」って概念には、パラノイアと分裂病以外に、昔はてんかんも含まれてたんだぜ。
器質因が確認できるようになったから精神疾患じゃなくなったけど。
彼のブログって引用が散乱してて、それが「作品」としておもしろくはあるんだけど、こう一旦「自分の言葉」で語りはじめると、彼の頭につまっている知識はおがくずみたいなものだなあ、と思ってしまうことがある。
「おがくずの知」はおがくずだから頭に大量につめこめる。
「生きた知」「生々しい知」は、心的負担が大きいから、体にまで影響を及ぼす知だから、つめこめられない。
「名前をつけて保存」できない。「上書き保存」になる。
ハードディスクという物質に影響を及ぼすデータなのだから。
蓮實重彦の頭につまっているのも「おがくずの知」。
中村雄二郎や渡邊守章の頭に(ときどき)あるのが「生きた知」。
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