見れーる
2011/02/10/Thu
まあじゃれあいみたいなもんだ。キニスンナ。
つかだめだ。
ほんともうわたしは復帰できない気がする。
ほんとにもう。
うらめしい。うらめしや。
怨霊になれている気がする。
全人類に対する。
想像的か象徴的かじゃねえよ。
現実界の問題だろ、精神病は。
想像的か象徴的かという問いは罠だ。エディプスに、対象関係の母に再取り込みさせる。
欲動と欲望。欲望が想像界と象徴界を連結する。
欲望が意味を生む。
欲望が壊れたら意味が崩壊する。
意味が崩壊しそうになったら欲望して意味を再生産する。
欲望になりきれていない欲動が、欲望を脅かす。
それは欲望を脅かすのだから、アンチ欲望である。ただし抑圧ではない。象徴界ではない。
クリステヴァはだからセミオティックと述べた。
しかしこの表現もいまいちだ。
ここをエディプスじゃなくてもいいが三角形にしたいのだろ。
違うよ。
母も父も元は同じだ。しかし二者関係ではない。自分は世界なのだから、一者だ。
この一者が母や父になる。
わかるか。知覚が、いや思考か、とにかく、自分を構成していた粒子が、自分として散乱する。
「宇宙」とか、胡散臭いだろ?
だけど仕方ないんだよ。他にこれを表す言葉を教えてくれよ。こっちだってそれが科学的な意味での宇宙じゃないことぐらい知ってるわアホ。
何か違う。
何から逃げている?
わたしゃラカンはもっと嫌われていいと思うよ。対象関係論が主流になることを心理学化などとはわたしは言わないが、違う意味での心理学化しそうだから。
この道具と必要とする人間はそう多くないだろう。
必要としない人間が扱うから、骨抜きにされるんじゃないかね。
まあどうでもいいけど。
この記事には同意するよ。
しかし、巷でラカンがファルス中心主義と読まれているのと同様に、あなたも対象関係論を「母との甘い愛」を称揚するものとして理解していないか。
事実なんだろうけどさ、ラカンがファルス中心主義として読まれていることも、対象関係論を「母との甘い愛」主義として読まれているのも。
ああごめん、八つあたり。
でもさ、こういう「こっちの学派が正しいんだ!」って村政治は、必要最小限は必要だと思うけど、いやあれだ、わたしが勝手にあなたをフリーターみたいなもんだと勘違いしてただけか。
=====
私は、ラカン絡みは、ジジェク、ミレール、そしてラカンのいくつかの順序、そして補足として、向井さんのものを読んでいるだけだから、まあつまりは反「対象論」者の片隅にはいるのだろう。
=====
ならいいよ別に。
でもここの軋轢(エディプスと対象関係論、あるいは三角形と二者関係)の違いって、そんなに重要か? って素で思うんだよな。
どっちもスターン的間主観的自己感の形成期をどう表現するかの違い、じゃないの?
心なんて目に見えないものなんだから、それの表現が何種類もあった方が、まあ確かに混乱するデメリットもあるけれど、それがどういうものかより具体化するメリットがあると思うんだが。
観測機械は何台もあった方がいいでしょ。
なんかもう、だめだな。
いや、症状的にはよくなってると思うんだ。
だけど不安感が。わたしのは予期不安じゃないって何度も力説してたけど、これは予期不安かもしれない。ポスト・フェストゥム的な不安。
んー。
んー。
ガールズトークおそるべし。
つかだめだ。
ほんともうわたしは復帰できない気がする。
ほんとにもう。
うらめしい。うらめしや。
怨霊になれている気がする。
全人類に対する。
想像的か象徴的かじゃねえよ。
現実界の問題だろ、精神病は。
想像的か象徴的かという問いは罠だ。エディプスに、対象関係の母に再取り込みさせる。
欲動と欲望。欲望が想像界と象徴界を連結する。
欲望が意味を生む。
欲望が壊れたら意味が崩壊する。
意味が崩壊しそうになったら欲望して意味を再生産する。
欲望になりきれていない欲動が、欲望を脅かす。
それは欲望を脅かすのだから、アンチ欲望である。ただし抑圧ではない。象徴界ではない。
クリステヴァはだからセミオティックと述べた。
しかしこの表現もいまいちだ。
ここをエディプスじゃなくてもいいが三角形にしたいのだろ。
違うよ。
母も父も元は同じだ。しかし二者関係ではない。自分は世界なのだから、一者だ。
この一者が母や父になる。
わかるか。知覚が、いや思考か、とにかく、自分を構成していた粒子が、自分として散乱する。
「宇宙」とか、胡散臭いだろ?
だけど仕方ないんだよ。他にこれを表す言葉を教えてくれよ。こっちだってそれが科学的な意味での宇宙じゃないことぐらい知ってるわアホ。
何か違う。
何から逃げている?
わたしゃラカンはもっと嫌われていいと思うよ。対象関係論が主流になることを心理学化などとはわたしは言わないが、違う意味での心理学化しそうだから。
この道具と必要とする人間はそう多くないだろう。
必要としない人間が扱うから、骨抜きにされるんじゃないかね。
まあどうでもいいけど。
この記事には同意するよ。
しかし、巷でラカンがファルス中心主義と読まれているのと同様に、あなたも対象関係論を「母との甘い愛」を称揚するものとして理解していないか。
事実なんだろうけどさ、ラカンがファルス中心主義として読まれていることも、対象関係論を「母との甘い愛」主義として読まれているのも。
ああごめん、八つあたり。
でもさ、こういう「こっちの学派が正しいんだ!」って村政治は、必要最小限は必要だと思うけど、いやあれだ、わたしが勝手にあなたをフリーターみたいなもんだと勘違いしてただけか。
=====
私は、ラカン絡みは、ジジェク、ミレール、そしてラカンのいくつかの順序、そして補足として、向井さんのものを読んでいるだけだから、まあつまりは反「対象論」者の片隅にはいるのだろう。
=====
ならいいよ別に。
でもここの軋轢(エディプスと対象関係論、あるいは三角形と二者関係)の違いって、そんなに重要か? って素で思うんだよな。
どっちもスターン的間主観的自己感の形成期をどう表現するかの違い、じゃないの?
心なんて目に見えないものなんだから、それの表現が何種類もあった方が、まあ確かに混乱するデメリットもあるけれど、それがどういうものかより具体化するメリットがあると思うんだが。
観測機械は何台もあった方がいいでしょ。
なんかもう、だめだな。
いや、症状的にはよくなってると思うんだ。
だけど不安感が。わたしのは予期不安じゃないって何度も力説してたけど、これは予期不安かもしれない。ポスト・フェストゥム的な不安。
んー。
んー。
ガールズトークおそるべし。
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