人間津波
2011/03/15/Tue
この記事。
やっぱ海外にいる人間はとんちんかんなこと言うもんだな。
今ネット上では、今回の震災に関して、「拡散」と呼ばれていることが問題になっている。真偽問わない情報を、ネットを使っている人間がコピペして、ネット上に多数書き込む、といったことだ。要するに「(震災に関する)情報の拡散」というような意味である。
しかし、実際の被害者には、そういった「拡散」に対し疑問視している人もいる。
たとえば、震災直後、SNSに被害状況を書き込み(当然ケータイで)、その記事が「拡散」と称され大量にコピペされたことに不満を持っている方がいる。もちろんそのあとの記事で「心配してくれるのはうれしいのですが、拡散は控えてください」という記事を書いたそうだ(わたしはそのSNSに参加していないので見ていない)。
「拡散されても自分にとって必要な情報が得られにくくなる側面もある」
と。
こっそりこんなことも言ってたよ。
「こういう「拡散」している人たちって「自分たちはいいことやっているんだ」って思ってやってるんだろうな。逆に迷惑なんだけど」
と。
その記事から引用。
=====
パニックの特質は、上官の命令がすこしもきかれなくなったり、だれもが他人のことをかまわずに自分のことだけを心配する点にある。相互の結合はやぶれ、巨大な正体のわからぬ不安が解き放たれる。
=====
その通りである。
しかし、実際に災害に遭った人からすれば、「まず自分や自分の身内を心配していて、それ以外の他人は、申し訳ないが、気にかける余裕がない」というのが本音である。
むしろ、それ以外の他人からの心配や気遣いは、物質的な援助ならその限りではないが、無差別な(フロイトの言うところの)「感情のむすびつき(リビドーの備給)」は、わずらわしいこととして作用する場合がある。
あれだ、「同情するなら金をくれ」って奴だ。
「感情のむすびつき」など心に余裕がないとできない。実際の被災者はそんな状態ではない。実際に近しい人からの「感情のむすびつき」はありがたいものだが、海外在住のしたり顔にブログを書いている奴からのそれなど「邪魔なもの」でしかない。そんな赤の他人から押しつけられる「感情のむすびつき」に対応してられる余裕などない。家族の安否確認の方が先である。
=====
しかし、今回はそれ以外の地域の人々も、原発事故をめぐって、全国的に(関東圏を中心に)憂慮することになり、被災地の方々へ向かうべき視線が自らの状況を憂えるほうに傾きがちであり、被災地の方々は、そのことにより、一層、孤立無援感に襲われていると推測される(阪神大震災にくらべて)。
=====
逆だよ。今回の震災は全国的に憂慮されている。「被災地の方々へ視線が向かっている」。
それが本当に被害を軽減せしめるものならばいいのだが、その「視線」とは、赤の他人から勝手に押しつけられる「感情のむすびつき」である。
度を超せばわずらわしいものとなる。
それが臨床として観察できるのが、ネット上における「拡散」問題である。
余計な「感情のむすびつき」などいらん。
必要量あればよい。
そう考える人間からすれば、こういった赤の他人から押しつけてくる「感情のむすびつき」は、ただわずらわしいだけである。
赤の他人と社交辞令を交わすことなんかより、家の中をどう片づけるか、生活をどう立て直すか、町をどう復興するかが先である。
そもそもだ、まず自分のことをなんとかしてからだろ、他人のことを心配するのは。
自分のことがなんとかなっていないのに、「感情のむすびつき」を優先するから、「不安」「恐慌」「パニック」が伝染するんだよ。
まずお前からだ。
お前は大丈夫か?
お前自身のうちにある、お前が無自覚かもしれない「不安」は。
それをなんとかできているのか? お前は?
「きな臭い」なんて書いちゃうお前は。
まずお前のうちのそれをなんとかすべきだろ。
そうでなければ、
=====
被災地の方々の孤立無援感情が増幅されないよう、そしてその他のエリアの人々も含めてパニック状態発生を避けるためにはどうしたらよいのか。
=====
などと言う資格はない。
つかお前さー、こんな記事を書いている自分がいかにもな「対象関係論者」になっていることに気づいているか?
自分自身がこの記事で批判している「気持ち悪いおっさん」になっていることに。
お前も結局は「対象関係論者」になってんじゃん。
キモチワル。
ほんとこの記事癇に障るわ。
うちも結構揺れたし。PC倒れるわ冷蔵庫倒れるわ。
その記事で書かれている「パニック」になることとは、(ラカン的な意味での)現実と対峙していることを言っている。
正常な人間が現実からつねにすでに目をそむけているからそうなる、って話だろ、フロイトのその文章も。
=====
パニックのさいの不安は、集団のリビドー的な構造の弛緩を前提とするものであって、その弛緩にたいする当然の反応であり、けっしてその逆ではない。つまり、集団のリビドー的な結合が危険にたいする不安のために消滅してしまうわけではない。
=====
ってなそういう話だ。「集団のリビドー的な構造」とはラカン論で言う象徴界と想像界すなわち非現実界だ。
この筆者は、フロイトのその文章を歪曲している。
己のリビドーの備給を目的として。
フロイトがなぜ、元々は「軍隊」の話であるそれを、「たとえば、劇場や娯楽場で火事が突発したときに実現される条件だが」と言い直したかよく考えてみろよ。
「感情のむすびつき」が「パニック」を緩和するのではない。「感情のむすびつき」を媒介にして「パニック」は伝染するのだ。
「被災者を心配したい」というのは、お前たち自身のリビドー(の備給)である。
まずそれを自覚することだ。
それ(によるお前の症状)が被災者をわずらわせていないか。むしろ被災者たちの作業を増やしていないか。「社交辞令の交換」だって一つの作業だ。
こう考えるのが本当の「思いやり」ではないのか。
いや、お前たちのリビドーをなくせなどとは言っていない。ただ、それは「他人のため」などではなくお前自身のリビドーによる症状だと自覚しろ、と言っているだけ。
心配してくれるのはいいがわきまえろ。
こっちはてめえのことで精一杯なんだ。
そういう話。
いやまあ、「社交辞令の交換」は、目の前の惨状をどうにかしなければならない現実的な作業からの逃避として、「パニック」を回避する作用があるのは否定しないが。
そこに書かれている「感情のむすびつき」「集団のリビドー的な構造」とは現実逃避なんだよ。
ニートがネトゲにはまるのと一緒。精神構造は。
逆に言えば「不安」「恐慌」「パニック」が(一般的な語義とは違うって意味でしつこく言うが、「命のしかめっ面」たるラカン的な意味での)現実。
どんな幻想にも(アルトー的な意味での)「裏打ち」として現実はくっついてくるもんだ。
お前いいこと書いてるじゃん。「押し寄せてくる現実のみに基づいて書くこと」だなんて。わたしは中上の小説に「押し寄せてくる現実感」は感じなかったがな。
いまだによく揺れてんだよな。
なんかもう酒で揺れてるのか余震なのかわからんわ。
水とか売り切れてんのに酒は全然残ってるんだけど(笑)。うちの近所のスーパー。
以下の「お前」は一般論な。
お前自身が、「パニック」とは言わんが「不安」がってるだけだろ。
お前自身の「不安」を解消するために、別にお前なんかと会話しても「不安」は解消されないどころか「迷惑」に思える当事者に対し、「感情のむすびつき」を、転移を強制しているんだ。
そんな余裕なんてねえよバカ。
もちろん当事者だって「不安」だよ? 高みの見物者なんかより「不安」だろう。
だからこそお前が抑圧している「不安」にも敏感に反応するんだ。
「感情のむすびつき」とはそういったことでもあるんだよ。
そんなわたしから見れば、お前らは、「(本人のでも当事者のでもいいが)不安を解消するため」とはまったく逆で、「抑圧してるけどどうしようもない奥底の不安」を見つけ出してほしくて、ちょっかい出してきているように思えるんだがな。
当事者を助けたくて、ではなく、「不安」に満ち満ちた当事者になりたがっているように思えるんだが。
この推論は精神分析理論にも合致するよな。いわば「リビドーの備給」とは「同一化」なんだから。
ほんと気持ち悪いな、「どう論じても最終的に自分のリビドーを肯定することになってしまう奴」って。
こういった震災があるたびに「また死にそびれた」と思う。
「感情のむすびつき」という津波。
リビドーの津波。
人間津波。
つかさー。
=====
集団の倫理的態度(諦念や無私や理想への献身、そして個人的な利益の忘却など)をしばらくなりとも維持することになる筈なのだが……。
=====
こうやって災害をネタに「自分は「無私」である! リビドーなどない!」なんて潔癖症者が増加するのが今から目に見えるようだわ。
「私は清く正しく美しい人間だ!」というパラノイアックな妄想が増幅する。
現代精神医学が「正常な精神状態」とする人間たちの。
ボランティア活動をすることで自我の同一性を保つ人間たちの。
「こういう「拡散」している人たち」のその症状も、同じ病理だよ。
「こういった災害を防ぐために文明は発展した」と思っている奴。
大事なことだからもう一回言うね。前記事から。
=====
ある地震学者は言う。
「何も建物を作らなければ被害はない。人類は地震の被害を大きくするために文明を発展させてきたかのように思える。」
=====
お前たちの「私」をまず考えろ。
こういったときにこそ。
「リビドーなどないこと」へのリビドー、か。
ほんと人間って動物は自分のしっぽを追ってくるくる回る犬みたいだな。
まああれだ、そのブログ筆者と「わたし」は「ネット上の知人」らしいから、一応(わたしなりの)気を遣っておくと、
=====
しかし、災害によって被災民、国民感情の両方に(多少の差は別にして)「共同体感情」が普段以上に生まれているには違いない。
=====
という文章は、わたしの言う「人間津波」に対する警句である、とも解釈可能だ。
だとするならば、お前自身はどうなんだ? という話である。
お前も津波の一部じゃないのか、と。
津波だって波紋だ。距離が遠くなれば小さくなる。
なぜ小さくなるのか。
水分子全員が津波だとは限らないからだよ。
お前が言うような「倫理」こそが「共同体感情」なんだ。
ここでも似たようなこと書いてあるだろ、あたし。
人間津波を減衰させたいのならば、個々の粒子がブラウン運動すればいいんだよ。
「他人のことをかまわずに自分のことだけを」やっていればいい。
あらためて「ほんとお前って政治好きなんだな」って思ったわ。「ネット上の知人」として。
「そうならざるを得ない」なんて否認を否認するようなこと言わないで、「俺は政治が好きだ!」と公言してみればあ。「今度の災害は天罰だ。津波で日本人は我欲を洗い流した方がいい」とか言っちゃう石原慎太郎みたいに。まだその方が「ああ高みの見物者が高みの見物者としてなんか言ってる」程度で済むわ。「天罰」なんてもろ高みからの物言いだろ。
それならそれでいいんだよ。わたしだって家が倒壊したわけじゃないし。わたしよりひどい被害を受けている人もいる。わたしより被害が軽い人もいる。それだけの話。
村の実態を知らない政治家が「議会」の中でなんか言っているだけ。
別に実態を知ってもらう必要はないよ。彼らの仕事は「議会」なんだから。そもそもその実態をいかに改造していくかが彼らの仕事なんだから。理想論を議論するのが「議会」の仕事。科学の仕事じゃない。
お前の言う「倫理」も「無私」も、欲望を譲歩しているだけ。欲望を抑圧したがっているだけ。
その抑圧も結局は「父への欲望」だろ、と、そう「議会」の外から見えているだけ。わたしは。
己のリビドーから目をそらしたがってるだけじゃん、と独り言を言っているだけ。
自分がしたがっているのは「議会」の発言だと自覚してやってくれよ。科学としての精神分析を政治の道具にすんな阿呆。この記事なんか明らかに「理想の模索」じゃないか。
精神分析は、科学は、理想論を構築する目的でなされる言説ではない。
ただ目の前にある物質を研究した結果の言葉である。
この記事から。
=====
「学者は真理を探究しているのではない。ただ目の前にある物質を研究するのみ。その結果真理が見えてくる場合もあろう。しかし先に真理を追い求めるのは間違っている。真理はあとからついてくるものだ。特に哲学者などはここを理解できていない。」
=====
こういうことだよ。
科学者の研究結果たる言説は、つねに発展途上なのだ。
研究対象物としての、地震も核分裂性物質も、「いまだわかっていないことが多い」と言ってるじゃないか。
それこそ科学者として真摯な態度だよ。
そんな科学者に対し「議会」の政治家が「そんなんでは困る」と言っているだけだろ。
科学からも高みの見物をしてそう言っている。
どんだけ高みに立ちたいんだよ、お前らは。
全然欲望を抑圧できてねえじゃん。
あ、これがポモで言う「メタ視点」って奴ですか(嘲笑)。
やっぱ海外にいる人間はとんちんかんなこと言うもんだな。
今ネット上では、今回の震災に関して、「拡散」と呼ばれていることが問題になっている。真偽問わない情報を、ネットを使っている人間がコピペして、ネット上に多数書き込む、といったことだ。要するに「(震災に関する)情報の拡散」というような意味である。
しかし、実際の被害者には、そういった「拡散」に対し疑問視している人もいる。
たとえば、震災直後、SNSに被害状況を書き込み(当然ケータイで)、その記事が「拡散」と称され大量にコピペされたことに不満を持っている方がいる。もちろんそのあとの記事で「心配してくれるのはうれしいのですが、拡散は控えてください」という記事を書いたそうだ(わたしはそのSNSに参加していないので見ていない)。
「拡散されても自分にとって必要な情報が得られにくくなる側面もある」
と。
こっそりこんなことも言ってたよ。
「こういう「拡散」している人たちって「自分たちはいいことやっているんだ」って思ってやってるんだろうな。逆に迷惑なんだけど」
と。
その記事から引用。
=====
パニックの特質は、上官の命令がすこしもきかれなくなったり、だれもが他人のことをかまわずに自分のことだけを心配する点にある。相互の結合はやぶれ、巨大な正体のわからぬ不安が解き放たれる。
=====
その通りである。
しかし、実際に災害に遭った人からすれば、「まず自分や自分の身内を心配していて、それ以外の他人は、申し訳ないが、気にかける余裕がない」というのが本音である。
むしろ、それ以外の他人からの心配や気遣いは、物質的な援助ならその限りではないが、無差別な(フロイトの言うところの)「感情のむすびつき(リビドーの備給)」は、わずらわしいこととして作用する場合がある。
あれだ、「同情するなら金をくれ」って奴だ。
「感情のむすびつき」など心に余裕がないとできない。実際の被災者はそんな状態ではない。実際に近しい人からの「感情のむすびつき」はありがたいものだが、海外在住のしたり顔にブログを書いている奴からのそれなど「邪魔なもの」でしかない。そんな赤の他人から押しつけられる「感情のむすびつき」に対応してられる余裕などない。家族の安否確認の方が先である。
=====
しかし、今回はそれ以外の地域の人々も、原発事故をめぐって、全国的に(関東圏を中心に)憂慮することになり、被災地の方々へ向かうべき視線が自らの状況を憂えるほうに傾きがちであり、被災地の方々は、そのことにより、一層、孤立無援感に襲われていると推測される(阪神大震災にくらべて)。
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逆だよ。今回の震災は全国的に憂慮されている。「被災地の方々へ視線が向かっている」。
それが本当に被害を軽減せしめるものならばいいのだが、その「視線」とは、赤の他人から勝手に押しつけられる「感情のむすびつき」である。
度を超せばわずらわしいものとなる。
それが臨床として観察できるのが、ネット上における「拡散」問題である。
余計な「感情のむすびつき」などいらん。
必要量あればよい。
そう考える人間からすれば、こういった赤の他人から押しつけてくる「感情のむすびつき」は、ただわずらわしいだけである。
赤の他人と社交辞令を交わすことなんかより、家の中をどう片づけるか、生活をどう立て直すか、町をどう復興するかが先である。
そもそもだ、まず自分のことをなんとかしてからだろ、他人のことを心配するのは。
自分のことがなんとかなっていないのに、「感情のむすびつき」を優先するから、「不安」「恐慌」「パニック」が伝染するんだよ。
まずお前からだ。
お前は大丈夫か?
お前自身のうちにある、お前が無自覚かもしれない「不安」は。
それをなんとかできているのか? お前は?
「きな臭い」なんて書いちゃうお前は。
まずお前のうちのそれをなんとかすべきだろ。
そうでなければ、
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被災地の方々の孤立無援感情が増幅されないよう、そしてその他のエリアの人々も含めてパニック状態発生を避けるためにはどうしたらよいのか。
=====
などと言う資格はない。
つかお前さー、こんな記事を書いている自分がいかにもな「対象関係論者」になっていることに気づいているか?
自分自身がこの記事で批判している「気持ち悪いおっさん」になっていることに。
お前も結局は「対象関係論者」になってんじゃん。
キモチワル。
ほんとこの記事癇に障るわ。
うちも結構揺れたし。PC倒れるわ冷蔵庫倒れるわ。
その記事で書かれている「パニック」になることとは、(ラカン的な意味での)現実と対峙していることを言っている。
正常な人間が現実からつねにすでに目をそむけているからそうなる、って話だろ、フロイトのその文章も。
=====
パニックのさいの不安は、集団のリビドー的な構造の弛緩を前提とするものであって、その弛緩にたいする当然の反応であり、けっしてその逆ではない。つまり、集団のリビドー的な結合が危険にたいする不安のために消滅してしまうわけではない。
=====
ってなそういう話だ。「集団のリビドー的な構造」とはラカン論で言う象徴界と想像界すなわち非現実界だ。
この筆者は、フロイトのその文章を歪曲している。
己のリビドーの備給を目的として。
フロイトがなぜ、元々は「軍隊」の話であるそれを、「たとえば、劇場や娯楽場で火事が突発したときに実現される条件だが」と言い直したかよく考えてみろよ。
「感情のむすびつき」が「パニック」を緩和するのではない。「感情のむすびつき」を媒介にして「パニック」は伝染するのだ。
「被災者を心配したい」というのは、お前たち自身のリビドー(の備給)である。
まずそれを自覚することだ。
それ(によるお前の症状)が被災者をわずらわせていないか。むしろ被災者たちの作業を増やしていないか。「社交辞令の交換」だって一つの作業だ。
こう考えるのが本当の「思いやり」ではないのか。
いや、お前たちのリビドーをなくせなどとは言っていない。ただ、それは「他人のため」などではなくお前自身のリビドーによる症状だと自覚しろ、と言っているだけ。
心配してくれるのはいいがわきまえろ。
こっちはてめえのことで精一杯なんだ。
そういう話。
いやまあ、「社交辞令の交換」は、目の前の惨状をどうにかしなければならない現実的な作業からの逃避として、「パニック」を回避する作用があるのは否定しないが。
そこに書かれている「感情のむすびつき」「集団のリビドー的な構造」とは現実逃避なんだよ。
ニートがネトゲにはまるのと一緒。精神構造は。
逆に言えば「不安」「恐慌」「パニック」が(一般的な語義とは違うって意味でしつこく言うが、「命のしかめっ面」たるラカン的な意味での)現実。
どんな幻想にも(アルトー的な意味での)「裏打ち」として現実はくっついてくるもんだ。
お前いいこと書いてるじゃん。「押し寄せてくる現実のみに基づいて書くこと」だなんて。わたしは中上の小説に「押し寄せてくる現実感」は感じなかったがな。
いまだによく揺れてんだよな。
なんかもう酒で揺れてるのか余震なのかわからんわ。
水とか売り切れてんのに酒は全然残ってるんだけど(笑)。うちの近所のスーパー。
以下の「お前」は一般論な。
お前自身が、「パニック」とは言わんが「不安」がってるだけだろ。
お前自身の「不安」を解消するために、別にお前なんかと会話しても「不安」は解消されないどころか「迷惑」に思える当事者に対し、「感情のむすびつき」を、転移を強制しているんだ。
そんな余裕なんてねえよバカ。
もちろん当事者だって「不安」だよ? 高みの見物者なんかより「不安」だろう。
だからこそお前が抑圧している「不安」にも敏感に反応するんだ。
「感情のむすびつき」とはそういったことでもあるんだよ。
そんなわたしから見れば、お前らは、「(本人のでも当事者のでもいいが)不安を解消するため」とはまったく逆で、「抑圧してるけどどうしようもない奥底の不安」を見つけ出してほしくて、ちょっかい出してきているように思えるんだがな。
当事者を助けたくて、ではなく、「不安」に満ち満ちた当事者になりたがっているように思えるんだが。
この推論は精神分析理論にも合致するよな。いわば「リビドーの備給」とは「同一化」なんだから。
ほんと気持ち悪いな、「どう論じても最終的に自分のリビドーを肯定することになってしまう奴」って。
こういった震災があるたびに「また死にそびれた」と思う。
「感情のむすびつき」という津波。
リビドーの津波。
人間津波。
つかさー。
=====
集団の倫理的態度(諦念や無私や理想への献身、そして個人的な利益の忘却など)をしばらくなりとも維持することになる筈なのだが……。
=====
こうやって災害をネタに「自分は「無私」である! リビドーなどない!」なんて潔癖症者が増加するのが今から目に見えるようだわ。
「私は清く正しく美しい人間だ!」というパラノイアックな妄想が増幅する。
現代精神医学が「正常な精神状態」とする人間たちの。
ボランティア活動をすることで自我の同一性を保つ人間たちの。
「こういう「拡散」している人たち」のその症状も、同じ病理だよ。
「こういった災害を防ぐために文明は発展した」と思っている奴。
大事なことだからもう一回言うね。前記事から。
=====
ある地震学者は言う。
「何も建物を作らなければ被害はない。人類は地震の被害を大きくするために文明を発展させてきたかのように思える。」
=====
お前たちの「私」をまず考えろ。
こういったときにこそ。
「リビドーなどないこと」へのリビドー、か。
ほんと人間って動物は自分のしっぽを追ってくるくる回る犬みたいだな。
まああれだ、そのブログ筆者と「わたし」は「ネット上の知人」らしいから、一応(わたしなりの)気を遣っておくと、
=====
しかし、災害によって被災民、国民感情の両方に(多少の差は別にして)「共同体感情」が普段以上に生まれているには違いない。
=====
という文章は、わたしの言う「人間津波」に対する警句である、とも解釈可能だ。
だとするならば、お前自身はどうなんだ? という話である。
お前も津波の一部じゃないのか、と。
津波だって波紋だ。距離が遠くなれば小さくなる。
なぜ小さくなるのか。
水分子全員が津波だとは限らないからだよ。
お前が言うような「倫理」こそが「共同体感情」なんだ。
ここでも似たようなこと書いてあるだろ、あたし。
人間津波を減衰させたいのならば、個々の粒子がブラウン運動すればいいんだよ。
「他人のことをかまわずに自分のことだけを」やっていればいい。
あらためて「ほんとお前って政治好きなんだな」って思ったわ。「ネット上の知人」として。
「そうならざるを得ない」なんて否認を否認するようなこと言わないで、「俺は政治が好きだ!」と公言してみればあ。「今度の災害は天罰だ。津波で日本人は我欲を洗い流した方がいい」とか言っちゃう石原慎太郎みたいに。まだその方が「ああ高みの見物者が高みの見物者としてなんか言ってる」程度で済むわ。「天罰」なんてもろ高みからの物言いだろ。
それならそれでいいんだよ。わたしだって家が倒壊したわけじゃないし。わたしよりひどい被害を受けている人もいる。わたしより被害が軽い人もいる。それだけの話。
村の実態を知らない政治家が「議会」の中でなんか言っているだけ。
別に実態を知ってもらう必要はないよ。彼らの仕事は「議会」なんだから。そもそもその実態をいかに改造していくかが彼らの仕事なんだから。理想論を議論するのが「議会」の仕事。科学の仕事じゃない。
お前の言う「倫理」も「無私」も、欲望を譲歩しているだけ。欲望を抑圧したがっているだけ。
その抑圧も結局は「父への欲望」だろ、と、そう「議会」の外から見えているだけ。わたしは。
己のリビドーから目をそらしたがってるだけじゃん、と独り言を言っているだけ。
自分がしたがっているのは「議会」の発言だと自覚してやってくれよ。科学としての精神分析を政治の道具にすんな阿呆。この記事なんか明らかに「理想の模索」じゃないか。
精神分析は、科学は、理想論を構築する目的でなされる言説ではない。
ただ目の前にある物質を研究した結果の言葉である。
この記事から。
=====
「学者は真理を探究しているのではない。ただ目の前にある物質を研究するのみ。その結果真理が見えてくる場合もあろう。しかし先に真理を追い求めるのは間違っている。真理はあとからついてくるものだ。特に哲学者などはここを理解できていない。」
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こういうことだよ。
科学者の研究結果たる言説は、つねに発展途上なのだ。
研究対象物としての、地震も核分裂性物質も、「いまだわかっていないことが多い」と言ってるじゃないか。
それこそ科学者として真摯な態度だよ。
そんな科学者に対し「議会」の政治家が「そんなんでは困る」と言っているだけだろ。
科学からも高みの見物をしてそう言っている。
どんだけ高みに立ちたいんだよ、お前らは。
全然欲望を抑圧できてねえじゃん。
あ、これがポモで言う「メタ視点」って奴ですか(嘲笑)。
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