まずお前の「私」はどうなんだ?
2011/03/18/Fri
この記事。
「人間津波」をネットのせいにするなよ。
ネットなんてただの道具にすぎない。
その道具を使っている奴らの問題だろ。
パニックの一要因である「情報の過飽和」の原因は、お前ら自身のリビドーだ。ネットはお前らのリビドーによる症状の道具として使われたにすぎない。
この問題の原因は、弱者に対し過度な関心を寄せてしまうお前らの症状だ。
ここのコメント欄で、
=====
要するに、信仰すなわち神と同一化することと、女の子を殺したその犯人の心理は、同類の構造である、と精神分析はしているわけです。
=====
と書いたが、それはこういうことだよ。
お前たち全員が、その女の子を殺した犯人と基本的に同じ心理だから、「人間津波」が起こるんだ。
この記事を思い出した。
=====
わたしはむしろ、人の死より、人の死が惹起する集団的な何かに、目が向いてしまう。人の死という祭祀に群がる衆人のぎらぎらした目が、わたしを取り囲んでいる。
=====
死者なんてもっとも弱者だろうが。社会的に。「死人に口なし」。
ネットなんかなくても葬儀には人が集まるだろうが。
あれこそが純粋欲望の症状だよ。
精神分析視点から見た「人間津波」の原因だ。
その記事の意見を採用してやるならば、逆に言ってネットがお前らの症状を浮き彫りにしているだけ。
「わたしがブスなのはクレンジングクリームのせいだ」と言っているようなもんだ。
ほんとお前らって「私」について言及するの徹底的に避けるよな。
こういった災害時だからこそ、個々人が自分の「私」をよく考えろ、と言っているんだバカ。
なんか新記事きてた。
こういう歌詞は、乱暴されて殺された三歳の女の子が自分を欲望していると思わせてくれるから、気持ちいいんだろ?
レイプ被害者がレイプに同意していると思わせてくれるから、安心するんだろ?
親たちが、子供たちはなんだかんだ言って大人である自分を欲望していると思い込めるから、感動するんだろ?
違うの?
それを「ファルスじゃない」と言うところが、「ラカン理論の苛烈さ」を否認していることにならないか?
いや言っとくけどあたし大貫妙子好きだよ。教授よか。
現実逃避できるから。
「心の底からその歌詞みたいに言えたらなあ」
という。まさに否認。
逆に言えば大貫とか「そう言ってるだけです~」って軽さがあるだろ。ちょっと不気味なところあるじゃん。
つか百パーセント満足できる愛やセックスなど現実にあるのか?
わたしの恋愛が悪かっただけ?
たとえそれがただの一部分であっても、いやなものはいやだろ。
こういうことを考えるのに対象関係論は便利なんだがな。
その歌詞なんて要するに「投影」だろ。
お前みたいな文系は特にそうなんだが、こういったことをセンチメンタルにしか語れない。
それを科学的に語っているのが対象関係論だよ。
まあそうできていない対象関係論者も多いのは事実だがな。
お前も科学として語れていない対象関係論者も同じ穴の狢だ。
それを否認しているだけ。
わたしゃそれを「原罪」だなんて言わないよ。
石原慎太郎みたいに「天罰」だなんて言わない。
ただ、人間という動物に多く見られる動物行動学的な一つの傾向だ、と言っているだけ。
「苛烈」でもなんでもない。ただそうであるものをそう言っているだけ。「王様は裸だ」。
クラインもそういう態度だったと思うんだがなあ。子供に対して冷徹じゃん、あのババア。クリステヴァなんて自分の子供ですら解剖学的視点で観察してたぞ。
普通の親でもやってるだろ。赤ん坊が風邪ひいたらまずその解剖学的な体のことを考えるだろうが。
「自分のリビドーを肯定する目的」でやってる巷の対象関係論者は知らん。つかウィニコットのせいだと思うんだけどな、クライン派がそういった気持ち悪い奴らの温床になったのは。「子供を持つ親」たちの教祖状態だったんだろ、ウィニコットって。
ああまあ、クラインもクリステヴァも最終的にリビドー肯定派になったがね。
そこには失望している。
「途中」を考えろよ。「結果」だけ考えるから混乱するんだよ。お前らがそうでしか考えられないから、お前らと会話するわたしは混乱するんだ。
この記事で言う「自己というものを持つには,一定程度の時間が必要」ってのはそういうことなんじゃねえのか?
お前はまだその「一定程度の時間」に降りられていない。
「結果」から「途中」に遡行できていない。
お前の無意識は。
誰のせいでもない雨が降っている
仕方のない雨が降っている
黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
リンゴが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている
眠らぬ子供が責められる
そっと通る黒い飛行機があることも
すでに赤子が馴れている
センチメンタルにならせてくれよ。みゆき歌ってるときくらい。
早く月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ
「途中」にしかいられない人間の泣き声をまず聞け。
「私」という「結果」の「途中」たる赤ん坊の泣き声を。
あ、ここ象徴的だな。
船は港を出る前に沈んだと
早すぎる伝令が火を止めにくる
わたしたちの船は
永く火の海を沈みきれずに燃えている
それをどうにかしようとファルスという妄想をこさえた人間は、そのせいで対象aという妄想を失いましたとさ。
どっとはらい。
「人間津波」をネットのせいにするなよ。
ネットなんてただの道具にすぎない。
その道具を使っている奴らの問題だろ。
パニックの一要因である「情報の過飽和」の原因は、お前ら自身のリビドーだ。ネットはお前らのリビドーによる症状の道具として使われたにすぎない。
この問題の原因は、弱者に対し過度な関心を寄せてしまうお前らの症状だ。
ここのコメント欄で、
=====
要するに、信仰すなわち神と同一化することと、女の子を殺したその犯人の心理は、同類の構造である、と精神分析はしているわけです。
=====
と書いたが、それはこういうことだよ。
お前たち全員が、その女の子を殺した犯人と基本的に同じ心理だから、「人間津波」が起こるんだ。
この記事を思い出した。
=====
わたしはむしろ、人の死より、人の死が惹起する集団的な何かに、目が向いてしまう。人の死という祭祀に群がる衆人のぎらぎらした目が、わたしを取り囲んでいる。
=====
死者なんてもっとも弱者だろうが。社会的に。「死人に口なし」。
ネットなんかなくても葬儀には人が集まるだろうが。
あれこそが純粋欲望の症状だよ。
精神分析視点から見た「人間津波」の原因だ。
その記事の意見を採用してやるならば、逆に言ってネットがお前らの症状を浮き彫りにしているだけ。
「わたしがブスなのはクレンジングクリームのせいだ」と言っているようなもんだ。
ほんとお前らって「私」について言及するの徹底的に避けるよな。
こういった災害時だからこそ、個々人が自分の「私」をよく考えろ、と言っているんだバカ。
なんか新記事きてた。
こういう歌詞は、乱暴されて殺された三歳の女の子が自分を欲望していると思わせてくれるから、気持ちいいんだろ?
レイプ被害者がレイプに同意していると思わせてくれるから、安心するんだろ?
親たちが、子供たちはなんだかんだ言って大人である自分を欲望していると思い込めるから、感動するんだろ?
違うの?
それを「ファルスじゃない」と言うところが、「ラカン理論の苛烈さ」を否認していることにならないか?
いや言っとくけどあたし大貫妙子好きだよ。教授よか。
現実逃避できるから。
「心の底からその歌詞みたいに言えたらなあ」
という。まさに否認。
逆に言えば大貫とか「そう言ってるだけです~」って軽さがあるだろ。ちょっと不気味なところあるじゃん。
つか百パーセント満足できる愛やセックスなど現実にあるのか?
わたしの恋愛が悪かっただけ?
たとえそれがただの一部分であっても、いやなものはいやだろ。
こういうことを考えるのに対象関係論は便利なんだがな。
その歌詞なんて要するに「投影」だろ。
お前みたいな文系は特にそうなんだが、こういったことをセンチメンタルにしか語れない。
それを科学的に語っているのが対象関係論だよ。
まあそうできていない対象関係論者も多いのは事実だがな。
お前も科学として語れていない対象関係論者も同じ穴の狢だ。
それを否認しているだけ。
わたしゃそれを「原罪」だなんて言わないよ。
石原慎太郎みたいに「天罰」だなんて言わない。
ただ、人間という動物に多く見られる動物行動学的な一つの傾向だ、と言っているだけ。
「苛烈」でもなんでもない。ただそうであるものをそう言っているだけ。「王様は裸だ」。
クラインもそういう態度だったと思うんだがなあ。子供に対して冷徹じゃん、あのババア。クリステヴァなんて自分の子供ですら解剖学的視点で観察してたぞ。
普通の親でもやってるだろ。赤ん坊が風邪ひいたらまずその解剖学的な体のことを考えるだろうが。
「自分のリビドーを肯定する目的」でやってる巷の対象関係論者は知らん。つかウィニコットのせいだと思うんだけどな、クライン派がそういった気持ち悪い奴らの温床になったのは。「子供を持つ親」たちの教祖状態だったんだろ、ウィニコットって。
ああまあ、クラインもクリステヴァも最終的にリビドー肯定派になったがね。
そこには失望している。
「途中」を考えろよ。「結果」だけ考えるから混乱するんだよ。お前らがそうでしか考えられないから、お前らと会話するわたしは混乱するんだ。
この記事で言う「自己というものを持つには,一定程度の時間が必要」ってのはそういうことなんじゃねえのか?
お前はまだその「一定程度の時間」に降りられていない。
「結果」から「途中」に遡行できていない。
お前の無意識は。
誰のせいでもない雨が降っている
仕方のない雨が降っている
黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
リンゴが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている
眠らぬ子供が責められる
そっと通る黒い飛行機があることも
すでに赤子が馴れている
センチメンタルにならせてくれよ。みゆき歌ってるときくらい。
早く月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ
「途中」にしかいられない人間の泣き声をまず聞け。
「私」という「結果」の「途中」たる赤ん坊の泣き声を。
あ、ここ象徴的だな。
船は港を出る前に沈んだと
早すぎる伝令が火を止めにくる
わたしたちの船は
永く火の海を沈みきれずに燃えている
それをどうにかしようとファルスという妄想をこさえた人間は、そのせいで対象aという妄想を失いましたとさ。
どっとはらい。
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