職人意識が高じた退行
2011/03/21/Mon
『スタジオジブリ物語』をだらだら見てたんだが、一個軽く驚いたことがある。
『ラピュタ』の製作のとき、パヤオこう言っているんだよな。
「今冒険活劇は難しい。まだまっさらな少年が一人前になっていく、冒険活劇とはそういうものでなければならない」
え? と思ったんだよなあ、個人的に。
パヤオこれ自分ではビルドゥングスロマンのつもりで作ったのか、と。
いやまあ、確かにあらすじとかそういった形式的なところを考えるとそうなんだけどさ。
むしろ、「大人になったつもり」の現代人を、退行させようと、自覚して作ったもんだと思い込んでた。
はあ、あれが成長過程なのかあ、と。
まあパヤオ自身がどんどん退行していってるしな。パヤオ自身はそれを大人になっていくことだと思ってるんだろう。
だから、ビルドゥングスロマンを作るつもりで観客を退行させる物語を作ってしまった、と。
しかしまあ、インタビュー見れば見るほど、パヤオって普通の人なんだなあ、って思うわ。
職人ではあろうけど。
職人気質が高じてああなっちゃったのか。退行した、と。
どうもラピュタって諦念みたいな感じを受けるのだよなあ。
主人公少年を去勢させるもっと大きな諦念。
少年視点じゃないんだよな。あの映画。
『魔女宅』が一番つまらないな。
女を描けないんだよね、パヤオって。だからラブストーリーである『ハウル』がもっともつまらない。
あの人他人から「形式」を与えてもらった方がいい作品作れるんじゃねえの。
職人ってそういうもんでしょ。アーティストじゃなく。
『おもひでぽろぽろ』はもっとも嫌いだけど、その分いい作品じゃねえの、って思えるんだよな。
あっちのがまだマシ。
「アニメ思想」なるものがあるのなら高畑の方が面白いだろうな。
アニメは思想じゃないけど。
別に思想であってもいいけど。
(一般用語的な)「アート」になるだろうな、そういうアニメ。
あ、『紅の豚』は若干好きだ。
ああいう自分でも言っている「酸欠状態で見る映画」でもいいんだろうな。
どんなストーリーでも、職人技術によって他人事になっちゃうから。あの人の作品。『ラピュタ』もビルドゥングスロマンというストーリーが他人事になっちゃった、と。
『ぽんぽこ』もまあまあ好きだな。
ああまあ『もののけ姫』がピークではあろうな。つか『もののけ』の方がビルドゥングスロマンになってると思うんだが。アシタカの。
宮崎自身がビルドゥングスロマンだったんだろうなあ。
宮崎の職人魂がストーリーと並存できているって『カリオストロ』とか『ナウシカ』とか初期のものはそうだよな。
まあアニメなんて原作があってナンボだったしな。
ストーリーは借り物、ってのは正しいんだけど、借り物だから大切にしなきゃなんないと思うんだよなあ。
最近の作品ストーリーなんてあってないようなもんでしょ。『もののけ』当時のインタビューで「解決不可能なことをそのまま描く」って言ってたけど、それはいわばストーリーの放棄でもある。いや『もののけ』にはストーリーはあると思うけど。
『もののけ』が一つの分水嶺みたいなん感じなんじゃねえの。その後の「ストーリーがあってないような作品群」の。
押井もそうなんだよな。自分の思想の作品化になる。それはそれでいい。それは彼らしいと思える。
しかし宮崎がそんなんやるのはなんかぎこちない。
押井ってどっか「他人の評価なんて関係ない」ってところあるじゃん。いや関係なくはないけど。
宮崎は「他人の評価を気にしている」タイプだと思うんだよな。
押井はストーリーを捨ててもなんかあいつらしいと思えるけど、宮崎がそうするのは否認に見える。
『ラピュタ』の製作のとき、パヤオこう言っているんだよな。
「今冒険活劇は難しい。まだまっさらな少年が一人前になっていく、冒険活劇とはそういうものでなければならない」
え? と思ったんだよなあ、個人的に。
パヤオこれ自分ではビルドゥングスロマンのつもりで作ったのか、と。
いやまあ、確かにあらすじとかそういった形式的なところを考えるとそうなんだけどさ。
むしろ、「大人になったつもり」の現代人を、退行させようと、自覚して作ったもんだと思い込んでた。
はあ、あれが成長過程なのかあ、と。
まあパヤオ自身がどんどん退行していってるしな。パヤオ自身はそれを大人になっていくことだと思ってるんだろう。
だから、ビルドゥングスロマンを作るつもりで観客を退行させる物語を作ってしまった、と。
しかしまあ、インタビュー見れば見るほど、パヤオって普通の人なんだなあ、って思うわ。
職人ではあろうけど。
職人気質が高じてああなっちゃったのか。退行した、と。
どうもラピュタって諦念みたいな感じを受けるのだよなあ。
主人公少年を去勢させるもっと大きな諦念。
少年視点じゃないんだよな。あの映画。
『魔女宅』が一番つまらないな。
女を描けないんだよね、パヤオって。だからラブストーリーである『ハウル』がもっともつまらない。
あの人他人から「形式」を与えてもらった方がいい作品作れるんじゃねえの。
職人ってそういうもんでしょ。アーティストじゃなく。
『おもひでぽろぽろ』はもっとも嫌いだけど、その分いい作品じゃねえの、って思えるんだよな。
あっちのがまだマシ。
「アニメ思想」なるものがあるのなら高畑の方が面白いだろうな。
アニメは思想じゃないけど。
別に思想であってもいいけど。
(一般用語的な)「アート」になるだろうな、そういうアニメ。
あ、『紅の豚』は若干好きだ。
ああいう自分でも言っている「酸欠状態で見る映画」でもいいんだろうな。
どんなストーリーでも、職人技術によって他人事になっちゃうから。あの人の作品。『ラピュタ』もビルドゥングスロマンというストーリーが他人事になっちゃった、と。
『ぽんぽこ』もまあまあ好きだな。
ああまあ『もののけ姫』がピークではあろうな。つか『もののけ』の方がビルドゥングスロマンになってると思うんだが。アシタカの。
宮崎自身がビルドゥングスロマンだったんだろうなあ。
宮崎の職人魂がストーリーと並存できているって『カリオストロ』とか『ナウシカ』とか初期のものはそうだよな。
まあアニメなんて原作があってナンボだったしな。
ストーリーは借り物、ってのは正しいんだけど、借り物だから大切にしなきゃなんないと思うんだよなあ。
最近の作品ストーリーなんてあってないようなもんでしょ。『もののけ』当時のインタビューで「解決不可能なことをそのまま描く」って言ってたけど、それはいわばストーリーの放棄でもある。いや『もののけ』にはストーリーはあると思うけど。
『もののけ』が一つの分水嶺みたいなん感じなんじゃねえの。その後の「ストーリーがあってないような作品群」の。
押井もそうなんだよな。自分の思想の作品化になる。それはそれでいい。それは彼らしいと思える。
しかし宮崎がそんなんやるのはなんかぎこちない。
押井ってどっか「他人の評価なんて関係ない」ってところあるじゃん。いや関係なくはないけど。
宮崎は「他人の評価を気にしている」タイプだと思うんだよな。
押井はストーリーを捨ててもなんかあいつらしいと思えるけど、宮崎がそうするのは否認に見える。
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