「非歴史的ディスクール」
2011/03/29/Tue
揺れてる揺れてる。
ふわーっとね。こう、夢うつつのときに揺れられると妙な気分になる。あーあたしこの状態で大震災喰らったら寝たまま死ぬな、と思った。それって一種幸福な死に方だなと。
いやねー、ほんとにネットって現実逃避だよね。社会すら現実逃避だと考えている人だけど。ラカン的な意味での現実からの逃避として社会という集団傾向があると。
ふわー。
起き抜けにするセックスは、まあほんと眠いときは「死ね」と思うんだが、寝てたままでいいなら、まあ悪くないんだよな。むしろいい。
お互い眠い状態がいいな。おざなりなセックス。だから気持ちいい。
まさに「とろけてる」感じ。
揺れてる揺れてる。
前記事読み返してふと思ったんだが、「「構造的」見方」なるものをぶっといて「ラカンの原典読んでないでしょあーた(笑)」とかって言うの、いわゆる「自爆」だよな。
構造主義においては原典も異文もない。まあ口伝なんかは原典なんて存在しないわけだし。
すべての素材は原典でも異文でもない、あるいは原典でもあり異文でもある。
そもそも構造主義の「三文解説」でよく言われているだろ、
「構造主義とは、それまで通時的な視点しか持っていなかった文化人類学において、共時的な視点を持ち込んだ」
とかなんとか。
具体的に言えば、神話なんてのは大体口伝なんだが、それまでの文化人類学は(わたしは細かくは知らんよ、部外者だし)その神話のルーツをさかのぼるアプローチしかしてこなかった。しかし構造主義は、ルーツをさかのぼる際に棄却されていた異文も解析対象の一部として取り扱う、みたいな。
構造主義の原典ならぬ原点たるソシュール言語学もそうだったよな。それまでの言語学はなんとか語族とかって風にその言語のルーツをさかのぼる作業しかしてこなかった、つまり言語という研究対象について通時的アプローチしかしてこなかった。そこへ共時的な視点を持ち込んだのがソシュールだ、とか。
なあ、こういうのが前提にあって、ジジェクの
=====
科学とは、《存在》のエポックの歴史性というハイデガー的意味においてですら厳密に非歴史的であるディスクールの、 初めての(そしておそらく唯一の)ケースなのである。
=====
って文章になっていると思うんだが。
「通時性」とはもろ「歴史性」だろ。通時的視点を取らない構造主義はまさしく「非歴史的ディスクール」なんだよ。
カテゴリーとしては科学と言えないが、文化人類学や言語学などといった領域に、「欲動としての科学」という態度を持ち込んだのが構造主義だ、ってことなんじゃないの?
だとすれば、「「構造的」見方」なんて言っておきながら「原典、原典」とわめいているその記事は、やっぱり「自爆」だ、ってことになると思うんだが。
この筆者は構造主義者ですらない。
まあそれだけのことさ。
別にいいんだよ、構造主義者なんかじゃなくても。
つかワケワカメだ。その「糖菓」とやら。
ほんと「原典主義」って文系の発想だと思うんだよな。理系は、別に原典をけなすわけではなく、どちらかと言えば、原典も異文も同列の情報として扱う、って発想だ。
だから文系の奴らって臭いんだよな。
ふわーっとね。こう、夢うつつのときに揺れられると妙な気分になる。あーあたしこの状態で大震災喰らったら寝たまま死ぬな、と思った。それって一種幸福な死に方だなと。
いやねー、ほんとにネットって現実逃避だよね。社会すら現実逃避だと考えている人だけど。ラカン的な意味での現実からの逃避として社会という集団傾向があると。
ふわー。
起き抜けにするセックスは、まあほんと眠いときは「死ね」と思うんだが、寝てたままでいいなら、まあ悪くないんだよな。むしろいい。
お互い眠い状態がいいな。おざなりなセックス。だから気持ちいい。
まさに「とろけてる」感じ。
揺れてる揺れてる。
前記事読み返してふと思ったんだが、「「構造的」見方」なるものをぶっといて「ラカンの原典読んでないでしょあーた(笑)」とかって言うの、いわゆる「自爆」だよな。
構造主義においては原典も異文もない。まあ口伝なんかは原典なんて存在しないわけだし。
すべての素材は原典でも異文でもない、あるいは原典でもあり異文でもある。
そもそも構造主義の「三文解説」でよく言われているだろ、
「構造主義とは、それまで通時的な視点しか持っていなかった文化人類学において、共時的な視点を持ち込んだ」
とかなんとか。
具体的に言えば、神話なんてのは大体口伝なんだが、それまでの文化人類学は(わたしは細かくは知らんよ、部外者だし)その神話のルーツをさかのぼるアプローチしかしてこなかった。しかし構造主義は、ルーツをさかのぼる際に棄却されていた異文も解析対象の一部として取り扱う、みたいな。
構造主義の原典ならぬ原点たるソシュール言語学もそうだったよな。それまでの言語学はなんとか語族とかって風にその言語のルーツをさかのぼる作業しかしてこなかった、つまり言語という研究対象について通時的アプローチしかしてこなかった。そこへ共時的な視点を持ち込んだのがソシュールだ、とか。
なあ、こういうのが前提にあって、ジジェクの
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科学とは、《存在》のエポックの歴史性というハイデガー的意味においてですら厳密に非歴史的であるディスクールの、 初めての(そしておそらく唯一の)ケースなのである。
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って文章になっていると思うんだが。
「通時性」とはもろ「歴史性」だろ。通時的視点を取らない構造主義はまさしく「非歴史的ディスクール」なんだよ。
カテゴリーとしては科学と言えないが、文化人類学や言語学などといった領域に、「欲動としての科学」という態度を持ち込んだのが構造主義だ、ってことなんじゃないの?
だとすれば、「「構造的」見方」なんて言っておきながら「原典、原典」とわめいているその記事は、やっぱり「自爆」だ、ってことになると思うんだが。
この筆者は構造主義者ですらない。
まあそれだけのことさ。
別にいいんだよ、構造主義者なんかじゃなくても。
つかワケワカメだ。その「糖菓」とやら。
ほんと「原典主義」って文系の発想だと思うんだよな。理系は、別に原典をけなすわけではなく、どちらかと言えば、原典も異文も同列の情報として扱う、って発想だ。
だから文系の奴らって臭いんだよな。
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