まず四コママンガからはじめたら?
2011/04/15/Fri
どうでもいいんだけど。
elveさんがコメント欄にこんなことを書いていた。
=====
Midasさん曰くみんなが美少女になってチヤホヤされたいご時世らしいからな
(10年以上前にDQ4コマ劇場で西川秀明さんがやってたネタだなぁっと思う。
じいさんが変化の杖を欲しがってて「ギャルになってチヤホヤされたひ」みたいなことを病んだ表情で言ってて勇者がはやく魔王(だっけ?)を倒さなきゃって決意を新たにするオチ)
=====
すげーな四コママンガ。こいつの症状も十年前にすでにネタにされてるんだな。
新宮一成が「マンガ家は現代の詩人である」とかって言ってたんだが、それが如実に表れているのは四コママンガだと思うわ。ほんとに。この記事でもちらっと書いたけど。
精神分析やってる人で、実際の人間を臨床するのが怖いって話なら、まず四コママンガからはじめたらどう?
揶揄とかじゃなくて素で言ってる。
もいっこどうでもいいことだけど。
=====
本をバイアスをもってしか読めなくなる気分だ
=====
それまで自分はバイアスをもって読んでなかったとでも思ってるのだろうか。
重篤だなあ、こいつの「自分という主体は存在しないと思い込んでしまう病」は。
「服の下には何もありません。裸なんてありません」
そうか、だから服だけ見てればいいって話か。
なんかこう、哀れに思えてきた。
彼の蓮實好きも、彼の精神疾患的症状を抑圧するためのものだったんだろうな。そしてその補償としての「対象関係を容認する」ネカマキャラ、って構図か。
典型的な現代オタクの精神構造だよな、これ。
ふと思った。
フロイトはある女性患者に対し「あんたその夢の男にレイプされたがってんだよ」と言って怒らせ、治療を失敗させたことがあるらしいが。
今この状態そうだよな。わたしがフロイトで彼が女性患者。
わたしとフロイトの違うところは、治療の失敗すなわち症状の悪化も、一つの精神の変化として考える「逆精神分析」を唱えているところだが。
まあぶっちゃけ『アンチ・オイディプス』の分裂分析と似たようなもんだがね。それをより実践的なものとする概念。
いやそれだけ。
向井のこのコラムも、問題は向井が論じているところではなく、ラカン派自身にある「父への欲望」だと思うんだがな。
もちろんクライン派にも「母への欲望」があるだろう。
そこを論じないと意味ないと思うんだがな。
まあそうしたらラカン派やクライン派という精神分析をやっている人間に精神分析理論を適用するってことになっちゃうんだけど。
そうあるべきなんじゃないのかね。「分析家同士のディスクール」って。
あ、わたしはただの野次馬ですから。きゃっきゃ。いや精神分析理論をどんどん適用してもらって構わないけど。リアルでメンヘラなわけだし。躊躇する理由などない。
ラカン村ヲチおもすれー。
elveさんがコメント欄にこんなことを書いていた。
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Midasさん曰くみんなが美少女になってチヤホヤされたいご時世らしいからな
(10年以上前にDQ4コマ劇場で西川秀明さんがやってたネタだなぁっと思う。
じいさんが変化の杖を欲しがってて「ギャルになってチヤホヤされたひ」みたいなことを病んだ表情で言ってて勇者がはやく魔王(だっけ?)を倒さなきゃって決意を新たにするオチ)
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すげーな四コママンガ。こいつの症状も十年前にすでにネタにされてるんだな。
新宮一成が「マンガ家は現代の詩人である」とかって言ってたんだが、それが如実に表れているのは四コママンガだと思うわ。ほんとに。この記事でもちらっと書いたけど。
精神分析やってる人で、実際の人間を臨床するのが怖いって話なら、まず四コママンガからはじめたらどう?
揶揄とかじゃなくて素で言ってる。
もいっこどうでもいいことだけど。
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本をバイアスをもってしか読めなくなる気分だ
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それまで自分はバイアスをもって読んでなかったとでも思ってるのだろうか。
重篤だなあ、こいつの「自分という主体は存在しないと思い込んでしまう病」は。
「服の下には何もありません。裸なんてありません」
そうか、だから服だけ見てればいいって話か。
なんかこう、哀れに思えてきた。
彼の蓮實好きも、彼の精神疾患的症状を抑圧するためのものだったんだろうな。そしてその補償としての「対象関係を容認する」ネカマキャラ、って構図か。
典型的な現代オタクの精神構造だよな、これ。
ふと思った。
フロイトはある女性患者に対し「あんたその夢の男にレイプされたがってんだよ」と言って怒らせ、治療を失敗させたことがあるらしいが。
今この状態そうだよな。わたしがフロイトで彼が女性患者。
わたしとフロイトの違うところは、治療の失敗すなわち症状の悪化も、一つの精神の変化として考える「逆精神分析」を唱えているところだが。
まあぶっちゃけ『アンチ・オイディプス』の分裂分析と似たようなもんだがね。それをより実践的なものとする概念。
いやそれだけ。
向井のこのコラムも、問題は向井が論じているところではなく、ラカン派自身にある「父への欲望」だと思うんだがな。
もちろんクライン派にも「母への欲望」があるだろう。
そこを論じないと意味ないと思うんだがな。
まあそうしたらラカン派やクライン派という精神分析をやっている人間に精神分析理論を適用するってことになっちゃうんだけど。
そうあるべきなんじゃないのかね。「分析家同士のディスクール」って。
あ、わたしはただの野次馬ですから。きゃっきゃ。いや精神分析理論をどんどん適用してもらって構わないけど。リアルでメンヘラなわけだし。躊躇する理由などない。
ラカン村ヲチおもすれー。
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