疲れマンコ
2011/04/28/Thu
この記事などで書いている「いやな奴」と知りあったいきつけの店にいった。「もういけない」とか書いてるけど。いったら普通だった。そいつはいなかったが。
その店は朝七時までやっていて、そこが〆たあと、朝開店して昼間までやってる水商売の人たち御用達のスナックにいくのが、若い頃の定番コースだったのだが、そんな体力はもうない。そのスナックには最近ほとんどいってない。いってみたいなと思って半分寝ながらがんばっていたのだが、無理だった。年だ。マスターに「朝からいけばいいじゃん」とか言われてそうかそうだよなと思った。
でもなんかさー、たとえば朝6時に起きてそんなスナックいってもさー。そのスナックには客としてじゃなくて知人として用事があったので開店していない昼間にいったことあるけどさー、やっぱ開店前の店と営業中の店は違うじゃん、そういう違いがある気がする。
そうか、と思った。疲弊した状態で、そういったうらびれた店にいくからいいのだな、と思った。
体力の限界の状態は、夢うつつの状態に似ている。
眠剤でもそうなるけどね。違うのか。同じなのか。
同じなら、眠剤を少し大目に飲めばいい。
寝ている状態は体力が蓄積されつつある状態なので、やっぱ違うか。
こう、体が自動的になる。
ロボット、というより壊れたロボット。
この状態のときのセックスは印象に残っている。
「疲れマラ」なんて言葉があるが、女にもそういうのあるのかもしれない。
仕事や飲みやらで、体力を極限まで消耗させた状態でするセックス。
ぱーん。欲求不満かねえ。
ああ、言葉っておもしろい。精神分析は欲求と欲望は別物だとしているが、欲望不満なわけじゃないもんな。むしろ欲望はつねに不満だ。
「欲望とは他者の欲望である」ならば、これは欲望とは言いがたい。
夢も希望もないセックス。ただの動物がする交尾。
ブランデーが好きになっていた。いやたまたま飲んだだけだけど。
お酒のCMもさ、欲望を煽るCMばっかじゃん。いや宣伝という目的を考えればそれはすごく合理的なんだけど。「欲望は他者の欲望である」ってしつけえ。
でもさ、お酒のほんとの、楽しさでもなくよさでもないんだけど。
欲求は煽れないけど。
苦痛は伝染するけど。
そういうCMもあってもよくない? ニッチ商法の発想か。
破滅的な、というか。
いつ犯罪犯すかわかんないな。目的のない殺人。
かわいそう。人間たちが。
「ラストだよ」
あ、ごめん。
「寝てた? 寝るなら帰ってもらうよ」
うん。
「だから寝るなっちゅうに」
ねえ、セックスしない?
「は、何言ってんだこのババア」
ごめん妄想です。
マスターは一時期好きで恋愛かなーと思ったけど、やっぱ体力が疲弊した状態だったからか。「疲れマンコ」。
食ったら飽きるのはわかってるからセックスしない。っていうかそれ以前の問題だが。
喪女の独り言。
その「いやな奴」は、疲弊するための道具でしかなかったんだな。それを彼は何がしかの恋愛だと、欲望だと勘違いした、と。告られたとかそんなんじゃないがな。わたしが勝手に気持ち悪くなっただけ。上から目線のなれなれしさが。
フェミニズムは大事よねー。政治目的でも、こういった男に対し「心理的な断絶」を作るための方便として。
権利なんかいらない。刺激がほしい、ってわけでもない。「刺激なんていつも」。発作になりそうなのを抑えつつ散歩して眠剤飲めばいいだけ。
わかんねえんだろうな、特に男は。
だからマスターにも「いけなくなったこと」は言ってない。ってか実際にいったしな。全然「いけなくなってない」。
演劇でもいいんだよ。テレビは、こう、録画できるじゃん。それが安心感となって疲弊の極限にならなくなる。
脳みそにペニスを刺してるエロイラストがあったんだが、ああいうのかな。「あん」なんてよがらないとは思うが。
「人間らしさ」という習性が、ある脳の一部の機能によるものならば、その機能を切除してセックスしたい。
こんなことを想像したら死姦が連想された。反応する死体。脳死? 体は生きている。体内では生体活動としての反応は維持されている。
マスターもな。風俗好きじゃなければな。つかそんなネタ話されてる時点でだめだろ。病気とかうつされたくねえし。
めんどくさいだけ。
人間であることが。
めんどくさいことを乗り越えてヤっても、飽きるんだし。
そのめんどくさいのはブログでやってるし。精神分析で。反則っぽいけど。
そんな反則使わずにやってるelveさんはえらい。いやそのめんどくさいのが好きなタイプなんだろうが。
現実界は到達不可能なのと同様に、物自体が存在しないのと同様に、セックス自体は存在しない。
美少女が脳みそにペニス刺されてキチガイの表情で「あんあん」言ってるそのイラストは、セックス自体を、享楽を表現しようとしたものだ、と解釈しておく。
脂ちゃんおかえり。何飲む?
濃いいの。
「脂ちゃん最近弱くなってるからだめだよ」
脂ちゃんなんて人間は幻想だよ。お前の脳内の。
そっか、なんでこんな店にお金払わなきゃなんねえんだと思ってたんだが、この店はわたしを「人間」に矯正するから、お金を払わなきゃいけないんだな。
「何言ってんのかわかんないけど、お金は払ってもらうよ」
払わないなんて言ってねえだろうが。払うよ。
わたしは人類全員にお金を払わなきゃいけないんだな。
『マジンガーZ』すげえ。
つか主人公ジャッキーチェンだったのな。
一人相撲が自慰になってってるな(笑)。
ファルスって自慰だよね。こういうの見るとすげー納得。
まあガタリよりましか。自分のファルスに気づかずアンチ・ファルスぶる奴より。分析家のくせに。
「はしたない」なんて言わずにこういう風にさらけ出せばいいのだよ。
そしたらわたしも挑発する必要なかったのに。
重要だよ、ファルス。わたしゃよくわかってる。「リビドー的な構造」を「弛緩」させて何度男に殴られたことか。
ヘーゲルの「否定性」は強烈だよ。キチガイじみている。暴走族レベルに。
それをないものとする男の方がタチ悪い。
「引用」で隠蔽したりネカマして「男にもてたー」とか喜んだり「ボクチンは小者だから」とか言っちゃう男の方がな。
ここがネカマとモノホンの違いでもある。
社会的に立場があろうがなかろうが、人間みんな心の奥底では暴走族だ。「現実的なものは殴って殺す」。「女は殴ってレイプする」。愛ゆえに(笑)。
ジジェクによればファルスは「革命」(笑)に必要なものなんだろ。「引用」に固執したり「どうやっても時代に捉えられる」とか言ってないでファルスをさらけ出しな。
こういうものじゃよ、精神分析は。
そこからわたしはやっとケンカできる。「じゃれあい」じゃなくてな。
お前は逆に今なら言えるんでない? 「俺は俺の政治のために精神分析を利用している」と。そらパパくんなんかは「(僕がしている学問的活動は)政治だ」とはっきり言っておったぞ。わたしが今回と似たような粘着コメントした結果だが。最終的にケンカしたけどそのときは納得したんだよな。「政治と自覚してやってるなら仕方ない」「あなたの政治を邪魔するつもりはない、邪魔になってたらすまん」と。東大卒だし(文系だけど)、わたしと同様に逆に「純粋な学問」ってものをなんとなくわかっているのかもしれないな。君という比較対照がある今考えると。まあ何より彼には妻子があるしな。ファルスに自覚的になろう。君独身? 子供は?
精神分析否定派のそらパパくんより君は分析主体でいることが下手だ。
あと著作権の記事また自爆してるぞ。
ジジェクは「身体なき器官」としてファルスを述べているが、わたしは『アンチ・オイディプス』の言う「器官なき身体」は、アルトーの原文の意味を劣化させて、ファルスにしたものだと思っている。アルトーのは「器官なき身体」だが『アンチ・オイディプス』の「器官なき身体」は「身体なき器官」になっている、ってことだな。
「器官なき身体」も「身体なき器官」も(非オイディプスという意味で)「孤児」である。
しかしこの二人の「孤児」には決定的違いがある。
この差異は谷山浩子(タイトルそのまんますぎるが)『よその子』が見事に表現できている。
丘の上から見下ろす町は いくつもの家 いくつもの窓
全ての窓はあかない窓だ そう言って君は泣いたよ
燃えあがる赤い夕焼け 町を焼き尽くせ 跡形もなく
これが「器官なき身体」。
それでも僕は 全ての家の 全ての人の幸せを
祈れるくらいに強い心を
強い心を僕は持ちたい
これが「身体なき器官」。
まさにキリスト。言いすぎなら『アンチ・オイディプス』の「オイディプスの三角形以前にある社会野」でもよい。
多分お前の脳内わたしはこっちなんだろう。お前にもあるファルスを投影されて。
わたしが殺そうとしているのは、この子。
多くの人間のうちにいるこの子のせいで、「壊れたロボット」はセックスができない。
君はよその子 母に憧れ
君はよその子 母を憎んだ
これとかとってもクライン的、ってか全体がクラインだよな。
「愛で死の欲動を凌駕させる」。
前半はもろラカン的分析主体だな。
=====
そもそも、分析における「主体」とは、「語る存在において想定されたもの」であり、実体的な主体でもなければ、思考の主体でも認識の主体でもない。「分析主体[analysant]」の主体は、分析という特殊な状況においてのみ、垣間見ることができるものなのである。
=====
オイディプスの三角形の隙間から聞こえるくぐもった声。
エスとファルスを揺らいでる、って考えればアルトーもそうだな。
揺らいだまま、演劇にしようとしたのが「残酷演劇」。
要するに「母」や「父」の登場により「リビドー的な構造」が形成されるのではなく、「母との蜜月関係」や「父にぶたれる」以前に、「オイディプスの三角形以前にある社会野」たる想像的かつ象徴的なその下地がある、ってことだな。
あ、ごめん最後の方デムパ。妄想。いつもだけど。
ぶっちゃけ、わたし暴走族とかなんで「反社会的」って言われるのかわかんないんだよな。よく言われるように暴走族ってのは厳しいルールがあったりして組織化されている。彼らなりの社会がある。大人たちの、もっと大きな社会からすれば反抗的になるだけで。
別に暴走族を擁護するわけではなく、言葉の意味としておかしいよな、って思ってた。
そういう意味では、見た目社会に従順な生き方をしてきたわたしの方が反社会的だ。暴走族なんかより。いや別に反社会的でいたいわけじゃないけど。
むしろ暴走族の子の方がオイディプスだよな。家庭幻想っつか。
まあ、ほんと自覚してやってくれ。
精神分析は「ばか」を「利口」にする学問じゃないってことを。
「退行」を毛嫌いするなら、精神分析やんない方がいいよ。
つか「分析家同士のディスクールはヒステリー的主体として行われるべきだ」と主張してる向井とかはこいつ批判しねえの? こいつに対し「ヒステリーのディスクール」しねえの?
「身内だからできない」ってなら藤田から「党派活動だ」って批判されても仕方あるまい。藤田派にもあてはまる批判だが。
よくわからん、そういう「暗黙のルール」みたいな。
っていうかさ、ネカマはブログで堂々とやれるのに、「自分の考え」を述べるのが「はしたない」からできない、って明らかに異常だよな。
っていうかネカマのときは「引用」少ないよな。「自分の考え」を述べている。「優雅に自分の言葉に置き換えている」。
ネカマだから「はしたない」ことができる、ってわけか。
もう君の精神構造の基本が「自分の欠点を他人に(以下略)」なんだろうな。
このこと自体が「はしたない」と思えないのがわからん。
死ねよクズ。
あ、ちなみに彼のこの媚記事、藤田博史にも指摘した「「お前にあんだけ罵倒されたが俺にはこんなに仲間がいるんだぞ」症候群」だと思うよ。
=====
あとさ、藤田くんの新しいコメントだけれども。
わたしこういうこと別に精神科医に限らず誰でもやっちゃうのね。「すました奴の仮面をはぎたがる」って言うかね。
でさ、ライトノベル作法研究所でもよくやったんだ、こういうの。それこそ今藤田にやってるようなこと。「かっこつけてるけどお前のその行動見方を変えたらすげー情けないものじゃんwww」みたいなね。
でおもしろい傾向を発見したんだ。
まあ大体「話になんねえ」つって議論は終わるんだけどな。わたしにそうされた奴って、必ずと言っていいくらい、議論の直後、他のチャット参加者に激しく気を遣うんだな。なぜか観客に媚びたがる。
多分な、わたしの言葉は彼に通用したんだろう。いや当然そいつら精神科医じゃないし。ただのアマチュアライトノベル作家たちだからさ。
だからな、「自分はそんな情けない人間じゃない」ってことにしたくて、他のチャット参加者たちに媚を売ったんだと思う。
つまり、わたしに「欲望とは他者の欲望である」を指摘され、それが崩れかけてしまったから、「欲望とは他者の欲望である」関係を維持しようと、他のチャット参加者たちに媚を売りまくった、と。
ほんとにね、おもしろいくらいみんなそうするんだ。
藤田くんのこの、文脈もない「ただの思いつき」でしかなさそうなこの新しいコメントも、そういうのと同じ反応だとわたしは思っちゃったりなんかしちゃったりするんだけど、考えすぎかな?
どう? 藤田くん?
まあ要するに「お前にあんだけ罵倒されたが俺にはこんなに仲間がいるんだぞ」症候群、とでも言おうか。
=====
「リビドー的な構造の弛緩に対する反応」の具体例。
「弛緩の原因である相手を攻撃する」ってのはフロイトも嫉妬妄想の論文で指摘してるけど、もう一つ、「原因の相手以外とリビドー的関係を強化しようとする」ってのがあると思う。まあ当然だよな、何か大事なものが壊されたら、壊した奴を攻撃し、壊されたものを修復する、って話で。
ほんとみんなおもしろいくらいにそうするんだよ。それまでちょっとクールなキャラを演じてた奴でも別人のように誰かに媚びはじめる。
2ちゃんでもよくある。2ちゃんなんて基本が「殺伐」だし、匿名だし、ツイッターやミクシなんかより「リビドー的な構造」が「弛緩」している場だと思うけど、それでも雑談スレとか「なれあい」すなわち「リビドー的な構造」があるからね。
今回の震災なんかそれこそ大きな「リビドー的な構造の弛緩」なわけだけど、「弛緩の原因である相手を攻撃する」ってのが東電吊るしあげで、「原因の相手以外とリビドー的関係を強化しようとする」ってのがわたしの言う「人間津波」だ、ってことだな。
ちなみに東電は社会人時代ちょろっとつきあったことがあるので某スレで内部情報(ってほどでもないが)リークしたけど相手にされなかった。
『オーメン』だっけか、
「悪魔とは、たとえば二国間で戦争があった場合、そのどちらかがそうなのではない。戦争を激化させるのが悪魔である」
とかってセリフがあったと思うけど、まあ戦争自体は「リビドー的な構造の弛緩」だけど、国内の「リビドー的な構造」を強化させることにもなるでしょ、ナチスみたいに。プラマイゼロ。だから二国間の戦争自体は悪魔じゃない、って話なんだと思う。
わたしはやっぱ悪魔だな。そんなつもりはないけど。
その店は朝七時までやっていて、そこが〆たあと、朝開店して昼間までやってる水商売の人たち御用達のスナックにいくのが、若い頃の定番コースだったのだが、そんな体力はもうない。そのスナックには最近ほとんどいってない。いってみたいなと思って半分寝ながらがんばっていたのだが、無理だった。年だ。マスターに「朝からいけばいいじゃん」とか言われてそうかそうだよなと思った。
でもなんかさー、たとえば朝6時に起きてそんなスナックいってもさー。そのスナックには客としてじゃなくて知人として用事があったので開店していない昼間にいったことあるけどさー、やっぱ開店前の店と営業中の店は違うじゃん、そういう違いがある気がする。
そうか、と思った。疲弊した状態で、そういったうらびれた店にいくからいいのだな、と思った。
体力の限界の状態は、夢うつつの状態に似ている。
眠剤でもそうなるけどね。違うのか。同じなのか。
同じなら、眠剤を少し大目に飲めばいい。
寝ている状態は体力が蓄積されつつある状態なので、やっぱ違うか。
こう、体が自動的になる。
ロボット、というより壊れたロボット。
この状態のときのセックスは印象に残っている。
「疲れマラ」なんて言葉があるが、女にもそういうのあるのかもしれない。
仕事や飲みやらで、体力を極限まで消耗させた状態でするセックス。
ぱーん。欲求不満かねえ。
ああ、言葉っておもしろい。精神分析は欲求と欲望は別物だとしているが、欲望不満なわけじゃないもんな。むしろ欲望はつねに不満だ。
「欲望とは他者の欲望である」ならば、これは欲望とは言いがたい。
夢も希望もないセックス。ただの動物がする交尾。
ブランデーが好きになっていた。いやたまたま飲んだだけだけど。
お酒のCMもさ、欲望を煽るCMばっかじゃん。いや宣伝という目的を考えればそれはすごく合理的なんだけど。「欲望は他者の欲望である」ってしつけえ。
でもさ、お酒のほんとの、楽しさでもなくよさでもないんだけど。
欲求は煽れないけど。
苦痛は伝染するけど。
そういうCMもあってもよくない? ニッチ商法の発想か。
破滅的な、というか。
いつ犯罪犯すかわかんないな。目的のない殺人。
かわいそう。人間たちが。
「ラストだよ」
あ、ごめん。
「寝てた? 寝るなら帰ってもらうよ」
うん。
「だから寝るなっちゅうに」
ねえ、セックスしない?
「は、何言ってんだこのババア」
ごめん妄想です。
マスターは一時期好きで恋愛かなーと思ったけど、やっぱ体力が疲弊した状態だったからか。「疲れマンコ」。
食ったら飽きるのはわかってるからセックスしない。っていうかそれ以前の問題だが。
喪女の独り言。
その「いやな奴」は、疲弊するための道具でしかなかったんだな。それを彼は何がしかの恋愛だと、欲望だと勘違いした、と。告られたとかそんなんじゃないがな。わたしが勝手に気持ち悪くなっただけ。上から目線のなれなれしさが。
フェミニズムは大事よねー。政治目的でも、こういった男に対し「心理的な断絶」を作るための方便として。
権利なんかいらない。刺激がほしい、ってわけでもない。「刺激なんていつも」。発作になりそうなのを抑えつつ散歩して眠剤飲めばいいだけ。
わかんねえんだろうな、特に男は。
だからマスターにも「いけなくなったこと」は言ってない。ってか実際にいったしな。全然「いけなくなってない」。
演劇でもいいんだよ。テレビは、こう、録画できるじゃん。それが安心感となって疲弊の極限にならなくなる。
脳みそにペニスを刺してるエロイラストがあったんだが、ああいうのかな。「あん」なんてよがらないとは思うが。
「人間らしさ」という習性が、ある脳の一部の機能によるものならば、その機能を切除してセックスしたい。
こんなことを想像したら死姦が連想された。反応する死体。脳死? 体は生きている。体内では生体活動としての反応は維持されている。
マスターもな。風俗好きじゃなければな。つかそんなネタ話されてる時点でだめだろ。病気とかうつされたくねえし。
めんどくさいだけ。
人間であることが。
めんどくさいことを乗り越えてヤっても、飽きるんだし。
そのめんどくさいのはブログでやってるし。精神分析で。反則っぽいけど。
そんな反則使わずにやってるelveさんはえらい。いやそのめんどくさいのが好きなタイプなんだろうが。
現実界は到達不可能なのと同様に、物自体が存在しないのと同様に、セックス自体は存在しない。
美少女が脳みそにペニス刺されてキチガイの表情で「あんあん」言ってるそのイラストは、セックス自体を、享楽を表現しようとしたものだ、と解釈しておく。
脂ちゃんおかえり。何飲む?
濃いいの。
「脂ちゃん最近弱くなってるからだめだよ」
脂ちゃんなんて人間は幻想だよ。お前の脳内の。
そっか、なんでこんな店にお金払わなきゃなんねえんだと思ってたんだが、この店はわたしを「人間」に矯正するから、お金を払わなきゃいけないんだな。
「何言ってんのかわかんないけど、お金は払ってもらうよ」
払わないなんて言ってねえだろうが。払うよ。
わたしは人類全員にお金を払わなきゃいけないんだな。
『マジンガーZ』すげえ。
つか主人公ジャッキーチェンだったのな。
一人相撲が自慰になってってるな(笑)。
ファルスって自慰だよね。こういうの見るとすげー納得。
まあガタリよりましか。自分のファルスに気づかずアンチ・ファルスぶる奴より。分析家のくせに。
「はしたない」なんて言わずにこういう風にさらけ出せばいいのだよ。
そしたらわたしも挑発する必要なかったのに。
重要だよ、ファルス。わたしゃよくわかってる。「リビドー的な構造」を「弛緩」させて何度男に殴られたことか。
ヘーゲルの「否定性」は強烈だよ。キチガイじみている。暴走族レベルに。
それをないものとする男の方がタチ悪い。
「引用」で隠蔽したりネカマして「男にもてたー」とか喜んだり「ボクチンは小者だから」とか言っちゃう男の方がな。
ここがネカマとモノホンの違いでもある。
社会的に立場があろうがなかろうが、人間みんな心の奥底では暴走族だ。「現実的なものは殴って殺す」。「女は殴ってレイプする」。愛ゆえに(笑)。
ジジェクによればファルスは「革命」(笑)に必要なものなんだろ。「引用」に固執したり「どうやっても時代に捉えられる」とか言ってないでファルスをさらけ出しな。
こういうものじゃよ、精神分析は。
そこからわたしはやっとケンカできる。「じゃれあい」じゃなくてな。
お前は逆に今なら言えるんでない? 「俺は俺の政治のために精神分析を利用している」と。そらパパくんなんかは「(僕がしている学問的活動は)政治だ」とはっきり言っておったぞ。わたしが今回と似たような粘着コメントした結果だが。最終的にケンカしたけどそのときは納得したんだよな。「政治と自覚してやってるなら仕方ない」「あなたの政治を邪魔するつもりはない、邪魔になってたらすまん」と。東大卒だし(文系だけど)、わたしと同様に逆に「純粋な学問」ってものをなんとなくわかっているのかもしれないな。君という比較対照がある今考えると。まあ何より彼には妻子があるしな。ファルスに自覚的になろう。君独身? 子供は?
精神分析否定派のそらパパくんより君は分析主体でいることが下手だ。
あと著作権の記事また自爆してるぞ。
ジジェクは「身体なき器官」としてファルスを述べているが、わたしは『アンチ・オイディプス』の言う「器官なき身体」は、アルトーの原文の意味を劣化させて、ファルスにしたものだと思っている。アルトーのは「器官なき身体」だが『アンチ・オイディプス』の「器官なき身体」は「身体なき器官」になっている、ってことだな。
「器官なき身体」も「身体なき器官」も(非オイディプスという意味で)「孤児」である。
しかしこの二人の「孤児」には決定的違いがある。
この差異は谷山浩子(タイトルそのまんますぎるが)『よその子』が見事に表現できている。
丘の上から見下ろす町は いくつもの家 いくつもの窓
全ての窓はあかない窓だ そう言って君は泣いたよ
燃えあがる赤い夕焼け 町を焼き尽くせ 跡形もなく
これが「器官なき身体」。
それでも僕は 全ての家の 全ての人の幸せを
祈れるくらいに強い心を
強い心を僕は持ちたい
これが「身体なき器官」。
まさにキリスト。言いすぎなら『アンチ・オイディプス』の「オイディプスの三角形以前にある社会野」でもよい。
多分お前の脳内わたしはこっちなんだろう。お前にもあるファルスを投影されて。
わたしが殺そうとしているのは、この子。
多くの人間のうちにいるこの子のせいで、「壊れたロボット」はセックスができない。
君はよその子 母に憧れ
君はよその子 母を憎んだ
これとかとってもクライン的、ってか全体がクラインだよな。
「愛で死の欲動を凌駕させる」。
前半はもろラカン的分析主体だな。
=====
そもそも、分析における「主体」とは、「語る存在において想定されたもの」であり、実体的な主体でもなければ、思考の主体でも認識の主体でもない。「分析主体[analysant]」の主体は、分析という特殊な状況においてのみ、垣間見ることができるものなのである。
=====
オイディプスの三角形の隙間から聞こえるくぐもった声。
エスとファルスを揺らいでる、って考えればアルトーもそうだな。
揺らいだまま、演劇にしようとしたのが「残酷演劇」。
要するに「母」や「父」の登場により「リビドー的な構造」が形成されるのではなく、「母との蜜月関係」や「父にぶたれる」以前に、「オイディプスの三角形以前にある社会野」たる想像的かつ象徴的なその下地がある、ってことだな。
あ、ごめん最後の方デムパ。妄想。いつもだけど。
ぶっちゃけ、わたし暴走族とかなんで「反社会的」って言われるのかわかんないんだよな。よく言われるように暴走族ってのは厳しいルールがあったりして組織化されている。彼らなりの社会がある。大人たちの、もっと大きな社会からすれば反抗的になるだけで。
別に暴走族を擁護するわけではなく、言葉の意味としておかしいよな、って思ってた。
そういう意味では、見た目社会に従順な生き方をしてきたわたしの方が反社会的だ。暴走族なんかより。いや別に反社会的でいたいわけじゃないけど。
むしろ暴走族の子の方がオイディプスだよな。家庭幻想っつか。
まあ、ほんと自覚してやってくれ。
精神分析は「ばか」を「利口」にする学問じゃないってことを。
「退行」を毛嫌いするなら、精神分析やんない方がいいよ。
つか「分析家同士のディスクールはヒステリー的主体として行われるべきだ」と主張してる向井とかはこいつ批判しねえの? こいつに対し「ヒステリーのディスクール」しねえの?
「身内だからできない」ってなら藤田から「党派活動だ」って批判されても仕方あるまい。藤田派にもあてはまる批判だが。
よくわからん、そういう「暗黙のルール」みたいな。
っていうかさ、ネカマはブログで堂々とやれるのに、「自分の考え」を述べるのが「はしたない」からできない、って明らかに異常だよな。
っていうかネカマのときは「引用」少ないよな。「自分の考え」を述べている。「優雅に自分の言葉に置き換えている」。
ネカマだから「はしたない」ことができる、ってわけか。
もう君の精神構造の基本が「自分の欠点を他人に(以下略)」なんだろうな。
このこと自体が「はしたない」と思えないのがわからん。
死ねよクズ。
あ、ちなみに彼のこの媚記事、藤田博史にも指摘した「「お前にあんだけ罵倒されたが俺にはこんなに仲間がいるんだぞ」症候群」だと思うよ。
=====
あとさ、藤田くんの新しいコメントだけれども。
わたしこういうこと別に精神科医に限らず誰でもやっちゃうのね。「すました奴の仮面をはぎたがる」って言うかね。
でさ、ライトノベル作法研究所でもよくやったんだ、こういうの。それこそ今藤田にやってるようなこと。「かっこつけてるけどお前のその行動見方を変えたらすげー情けないものじゃんwww」みたいなね。
でおもしろい傾向を発見したんだ。
まあ大体「話になんねえ」つって議論は終わるんだけどな。わたしにそうされた奴って、必ずと言っていいくらい、議論の直後、他のチャット参加者に激しく気を遣うんだな。なぜか観客に媚びたがる。
多分な、わたしの言葉は彼に通用したんだろう。いや当然そいつら精神科医じゃないし。ただのアマチュアライトノベル作家たちだからさ。
だからな、「自分はそんな情けない人間じゃない」ってことにしたくて、他のチャット参加者たちに媚を売ったんだと思う。
つまり、わたしに「欲望とは他者の欲望である」を指摘され、それが崩れかけてしまったから、「欲望とは他者の欲望である」関係を維持しようと、他のチャット参加者たちに媚を売りまくった、と。
ほんとにね、おもしろいくらいみんなそうするんだ。
藤田くんのこの、文脈もない「ただの思いつき」でしかなさそうなこの新しいコメントも、そういうのと同じ反応だとわたしは思っちゃったりなんかしちゃったりするんだけど、考えすぎかな?
どう? 藤田くん?
まあ要するに「お前にあんだけ罵倒されたが俺にはこんなに仲間がいるんだぞ」症候群、とでも言おうか。
=====
「リビドー的な構造の弛緩に対する反応」の具体例。
「弛緩の原因である相手を攻撃する」ってのはフロイトも嫉妬妄想の論文で指摘してるけど、もう一つ、「原因の相手以外とリビドー的関係を強化しようとする」ってのがあると思う。まあ当然だよな、何か大事なものが壊されたら、壊した奴を攻撃し、壊されたものを修復する、って話で。
ほんとみんなおもしろいくらいにそうするんだよ。それまでちょっとクールなキャラを演じてた奴でも別人のように誰かに媚びはじめる。
2ちゃんでもよくある。2ちゃんなんて基本が「殺伐」だし、匿名だし、ツイッターやミクシなんかより「リビドー的な構造」が「弛緩」している場だと思うけど、それでも雑談スレとか「なれあい」すなわち「リビドー的な構造」があるからね。
今回の震災なんかそれこそ大きな「リビドー的な構造の弛緩」なわけだけど、「弛緩の原因である相手を攻撃する」ってのが東電吊るしあげで、「原因の相手以外とリビドー的関係を強化しようとする」ってのがわたしの言う「人間津波」だ、ってことだな。
ちなみに東電は社会人時代ちょろっとつきあったことがあるので某スレで内部情報(ってほどでもないが)リークしたけど相手にされなかった。
『オーメン』だっけか、
「悪魔とは、たとえば二国間で戦争があった場合、そのどちらかがそうなのではない。戦争を激化させるのが悪魔である」
とかってセリフがあったと思うけど、まあ戦争自体は「リビドー的な構造の弛緩」だけど、国内の「リビドー的な構造」を強化させることにもなるでしょ、ナチスみたいに。プラマイゼロ。だから二国間の戦争自体は悪魔じゃない、って話なんだと思う。
わたしはやっぱ悪魔だな。そんなつもりはないけど。
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