「加害と被害の区別というのは、人為的な妄想にすぎない」
2011/05/22/Sun
ん、一応ここのコメント欄な。
なんか「わたしいいこと言った」感覚で。
グミのような感触で、それらはつながっているものだから、ちっちゃな胎児のようにも思える。
だけど蜘蛛のようにささっとわさわさと這っていて、糸はおそらく毛細血管だろう。白いけど。脂身? 霜降り肉? まあなんでも。
異常なまでに近づいているけど決して触れていないという距離のあいだで落雷現象。静電気ほどわかりやすくない。もっと微弱な電気で、触れているとしたならムカデが皮膚の上を這っているような、ムカデを連想すると別物になるか。触れていることになるから。
ところでバケツの中にゲロが半分くらいで。ああそうそう、これマジだけど、ゲロってきれいよね。臭いけど。ほんとアート。で、半分くらいのゲロは何かの培養液らしく、小さな生物が大量に発生していて、微妙に、カメラに撮って早回しすればわかりやすいんだけど、ゆっくりと蠢いている。
体中に肛門。キリストは手に肛門。
小学生くらいのわたしがものさしのおもちゃみたいなので四角を作って、つまり額縁に見立てて、いろんなものにあてている。空間を切り取ろうとしている。自分にもあてはめて、自分のバラバラ殺人。レゴブロックでわたしはできている。四角に取り出しても、サイコロステーキの肉なわけだけど、丸い。ああまだだめなんだなあ、と思う。
タピオカとゲロのきれいさって似てる。
なんだっけ。なんでもいいんだけど、どう言えばいいんだろう。熱したフライパンに水滴を落とすと踊るじゃん。ああいう感じで、無数の水滴が踊っていて、蒸発しないで、散弾銃、全方向の散弾銃状態で、撃ち飛ばされている。
大野さん残心のページブクマしててワロタ。意味わかんねえだろなわかんない人は。
こう、大きな卵を抱えるように、あんまり力を入れずに、構えるんだよ。
大きな卵を抱えるように。
大きな卵を。
で、よく知らないけど人間の急所って体の中心線に集中してるらしくてさ、それを防御するのに一番効率的な構えなのね。中段って。
でもさ、そのままのかっこで打てるわけないじゃん。
だから残心なのよ。
身長30センチ近く差がある人とも稽古させられんだぜ? 死ぬ気で打たないと届くわけないじゃん。
大きな卵を投げ捨てるつもりがないと。
卵の中で僕は生まれた
卵の中で僕は育った
卵の中で僕は年老い
卵の中で死んで腐った
この歌の「卵の殻」は、正常人の精神が正常である根拠たる「耐性」でありヘーゲルの言う「否定性」である。
この卵の中では、万能感を維持できる。
異物などない。異世界などない。異文化などない。「世界は一つ」。
シュルレアリスムは、この殻の向こうを見ようとした。
それは芸術の破壊でもあった。
やっぱり、アウトサイダーアートとアートは別物でなくちゃならんよ。
希望の欠片もないのはね、やっぱね。平坦、というか、氷の世界、というか。
かすかに希望が残っているからこそ、絶望となる。
悲劇になる。
わたしの卵、卵(「メガネ、メガネ」のノリで)。
「コップの中に残った一滴の水」? そりゃあれだ、大仰に考えないでいい。条件反射だ。パブロフの犬。
型を覚えるってことはそれを条件反射にするってことだ。
それは歴史じゃなくて意味の連鎖。情報を時系列に並べているのではなく、人間の脳内の意味構造の表出。
歴史は情報を時系列に並べたデータではない。人間が事象を取捨選択して残した情報を、矛盾のないように整えた、物語だ。
だからそれは違う。「表象」だ。つまり嘘だ。
歴史は嘘である。
データを矛盾のないように整えるのはいい。それはいい。だが、人為的な取捨選択があるからだめなのだ。
歴史を考えてはならない。歴史以前を考えなくてはならない。
そうしないと「全体性の幻想」に、男性原理の原理に取り込まれるだろう。
蜜がしゃんしゃんと鳴っている。その生き物は縦であり横であり奥行きである。
ならば、葉書が混ざりあうように、人は生きていない。
数えてみればいい。数通りなのが、その生き物がいないということだ。
消火栓は消火しない。その生き物は流れ、さらさらと、お前の手足とともに。
手足、手足、手足があるじゃないか。
こう言えば、こう言うことが、葉書は物理法則を無視している。
だから嘘だ。
葉書は四角くなどない。
がりがりと地面を削るように、生き物が生きている。
それとこれとは関係ない。
「否定性」は物を消滅させていない。消滅させないように、ストーカーが腕をつかんでくるように、すがりついているのだ。
その生き物に。放射能に。
終点などではない。始点などない。
赤ん坊が生きているのと同様に、死体も物質として生きているのだ。
人間が勝手に定義した「生きる」という意味にあっていないだけ。
いや、むしろ、死体を「生きていない」とするために、消極的な理由で、「生きる」という意味が設定されているのだ。
物としての言葉が、「否定性」を病理にしている言葉を、治療するのだ。
精神病者が、正常という精神疾患を治療している。それがプレコックス感である。
死は「死」ではない。死を意味から棄却するために「生」という意味が設定され、二次的、間接的、事後的、言い訳的に矛盾を補完するために「死」という意味を設定した。
正常という精神疾患者の「生死観」とはこういうものであり、嘘である。この嘘の「生」を刷り込むのが「母」であり嘘の「死」を刷り込むのが「父」である。「母」も「父」も赤ん坊を騙す詐欺師なのだ。
「生」を殺してこそ物質として生きられる。
偉大なる作曲家 死んで土の中
腐敗して溶けて 分解して骨
分解して骨
『テルー』のあとに『鏡の中のあなたへ』聞くと妙にクル。
大野さんちがいい感じにキチガイのすくつになってるな。
(^o^)/のりこめー。
まあ実際に子供が自閉症児であるママさんと比べるのもかわいそうだけど、うん、よくやってるよ。才能ある方なんじゃね。アート業界とかよく知らんが。
復帰する気はないのかね。
銀杏並木でやじろべえ。けんけんぱっ。ゲロ踏まないようにね。
わたしは簀巻きでいいよ。
コロイドだよなあ。分散して形を保つ。ゲル。
なんか「わたしいいこと言った」感覚で。
グミのような感触で、それらはつながっているものだから、ちっちゃな胎児のようにも思える。
だけど蜘蛛のようにささっとわさわさと這っていて、糸はおそらく毛細血管だろう。白いけど。脂身? 霜降り肉? まあなんでも。
異常なまでに近づいているけど決して触れていないという距離のあいだで落雷現象。静電気ほどわかりやすくない。もっと微弱な電気で、触れているとしたならムカデが皮膚の上を這っているような、ムカデを連想すると別物になるか。触れていることになるから。
ところでバケツの中にゲロが半分くらいで。ああそうそう、これマジだけど、ゲロってきれいよね。臭いけど。ほんとアート。で、半分くらいのゲロは何かの培養液らしく、小さな生物が大量に発生していて、微妙に、カメラに撮って早回しすればわかりやすいんだけど、ゆっくりと蠢いている。
体中に肛門。キリストは手に肛門。
小学生くらいのわたしがものさしのおもちゃみたいなので四角を作って、つまり額縁に見立てて、いろんなものにあてている。空間を切り取ろうとしている。自分にもあてはめて、自分のバラバラ殺人。レゴブロックでわたしはできている。四角に取り出しても、サイコロステーキの肉なわけだけど、丸い。ああまだだめなんだなあ、と思う。
タピオカとゲロのきれいさって似てる。
なんだっけ。なんでもいいんだけど、どう言えばいいんだろう。熱したフライパンに水滴を落とすと踊るじゃん。ああいう感じで、無数の水滴が踊っていて、蒸発しないで、散弾銃、全方向の散弾銃状態で、撃ち飛ばされている。
大野さん残心のページブクマしててワロタ。意味わかんねえだろなわかんない人は。
こう、大きな卵を抱えるように、あんまり力を入れずに、構えるんだよ。
大きな卵を抱えるように。
大きな卵を。
で、よく知らないけど人間の急所って体の中心線に集中してるらしくてさ、それを防御するのに一番効率的な構えなのね。中段って。
でもさ、そのままのかっこで打てるわけないじゃん。
だから残心なのよ。
身長30センチ近く差がある人とも稽古させられんだぜ? 死ぬ気で打たないと届くわけないじゃん。
大きな卵を投げ捨てるつもりがないと。
卵の中で僕は生まれた
卵の中で僕は育った
卵の中で僕は年老い
卵の中で死んで腐った
この歌の「卵の殻」は、正常人の精神が正常である根拠たる「耐性」でありヘーゲルの言う「否定性」である。
この卵の中では、万能感を維持できる。
異物などない。異世界などない。異文化などない。「世界は一つ」。
シュルレアリスムは、この殻の向こうを見ようとした。
それは芸術の破壊でもあった。
やっぱり、アウトサイダーアートとアートは別物でなくちゃならんよ。
希望の欠片もないのはね、やっぱね。平坦、というか、氷の世界、というか。
かすかに希望が残っているからこそ、絶望となる。
悲劇になる。
わたしの卵、卵(「メガネ、メガネ」のノリで)。
「コップの中に残った一滴の水」? そりゃあれだ、大仰に考えないでいい。条件反射だ。パブロフの犬。
型を覚えるってことはそれを条件反射にするってことだ。
それは歴史じゃなくて意味の連鎖。情報を時系列に並べているのではなく、人間の脳内の意味構造の表出。
歴史は情報を時系列に並べたデータではない。人間が事象を取捨選択して残した情報を、矛盾のないように整えた、物語だ。
だからそれは違う。「表象」だ。つまり嘘だ。
歴史は嘘である。
データを矛盾のないように整えるのはいい。それはいい。だが、人為的な取捨選択があるからだめなのだ。
歴史を考えてはならない。歴史以前を考えなくてはならない。
そうしないと「全体性の幻想」に、男性原理の原理に取り込まれるだろう。
蜜がしゃんしゃんと鳴っている。その生き物は縦であり横であり奥行きである。
ならば、葉書が混ざりあうように、人は生きていない。
数えてみればいい。数通りなのが、その生き物がいないということだ。
消火栓は消火しない。その生き物は流れ、さらさらと、お前の手足とともに。
手足、手足、手足があるじゃないか。
こう言えば、こう言うことが、葉書は物理法則を無視している。
だから嘘だ。
葉書は四角くなどない。
がりがりと地面を削るように、生き物が生きている。
それとこれとは関係ない。
「否定性」は物を消滅させていない。消滅させないように、ストーカーが腕をつかんでくるように、すがりついているのだ。
その生き物に。放射能に。
終点などではない。始点などない。
赤ん坊が生きているのと同様に、死体も物質として生きているのだ。
人間が勝手に定義した「生きる」という意味にあっていないだけ。
いや、むしろ、死体を「生きていない」とするために、消極的な理由で、「生きる」という意味が設定されているのだ。
物としての言葉が、「否定性」を病理にしている言葉を、治療するのだ。
精神病者が、正常という精神疾患を治療している。それがプレコックス感である。
死は「死」ではない。死を意味から棄却するために「生」という意味が設定され、二次的、間接的、事後的、言い訳的に矛盾を補完するために「死」という意味を設定した。
正常という精神疾患者の「生死観」とはこういうものであり、嘘である。この嘘の「生」を刷り込むのが「母」であり嘘の「死」を刷り込むのが「父」である。「母」も「父」も赤ん坊を騙す詐欺師なのだ。
「生」を殺してこそ物質として生きられる。
偉大なる作曲家 死んで土の中
腐敗して溶けて 分解して骨
分解して骨
『テルー』のあとに『鏡の中のあなたへ』聞くと妙にクル。
大野さんちがいい感じにキチガイのすくつになってるな。
(^o^)/のりこめー。
まあ実際に子供が自閉症児であるママさんと比べるのもかわいそうだけど、うん、よくやってるよ。才能ある方なんじゃね。アート業界とかよく知らんが。
復帰する気はないのかね。
銀杏並木でやじろべえ。けんけんぱっ。ゲロ踏まないようにね。
わたしは簀巻きでいいよ。
コロイドだよなあ。分散して形を保つ。ゲル。
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