極座標
2011/08/12/Fri
極座標の方がわかりやすい。
わたしは他人と話すときは、いわば芝居の稽古のエチュードのように、いわば体に覚えさせた技術として話すときと、そうじゃなく会話をしようとするときがあって。
後者の場合、つねに自分の言葉、相手の言葉を翻訳してなければならない。
このときの翻訳の仕方が、極座標から直交座標に変換しているのと似てると思った。
「俺ルール」について考えてた。
「俺」も「ルール」も別に構わない。
でも、「ルール」なんてしたがっている人にしてみれば「それは「俺ルール」じゃない」と思っているだろうが、ルールの外部からすれば「そりゃ「お前のルール」だろ」となる。
かと言って、やっぱり「ルール」がだめ、って話ではない。
「俺ルール」の「俺」は、「ルール」に「ルール」外の感情的な何かを持っていて、それを「ルール」に乗っけている。その感情的な何かとは、「信頼」やらそういったもの。極端に言えば「信仰」とか。
「ただのルール」で、それにしたがっている人なだけなら、「俺ルール」でも構わない。その「ルール」にわたしがしたがうかどうかは関係ないから。
「「ルール」を「信仰」「信頼」していなければ、したがえない」
それこそが「俺ルール」だ。
「ルール」は「ルール」であり、「信仰」「信頼」などという心理的なこととは別次元の話だ。どっちが上か下かではなく。
「ただのルール」にしたがっているだけなら、別にその「ルール」を疑ってもいい。疑義を投げかけてもいい。
「感情的な何かをこびりつかせたルール」は、それを許さない。
それが「俺ルール」だから、わたしはいやだ。
「俺ルール」が直交座標系で、「ただのルール」が極座標系なんだよな。
「信仰」が直交軸を作るのか。
「信仰」していないのに「ルール」にしたがっているわたしなどは、別の直交軸になるのだろう。「俺ルール」の「俺」からすれば。
なんか違うな。それなら別にいいやと思う。
直交軸のままでいさせられてくれるなら、ってわかった、自分の軸じゃない直交軸にさせられるからいやなのか。フェミなら「男」を批判すればすべて「女」になるがごとく。
極座標系なんだよ。わたしの脳内は。
では、精神分析は、と言うと。
クライエントは分析家を「信頼」してなければならないのか。
「信頼」とは転移の一種にすぎないのではないか。
であれば、それによるディスクールは、分析家が観察しようとしているものではなくなるのではないか。
何かいまいちピンとこねえな、この言い換え。
わたしは他人と話すときは、いわば芝居の稽古のエチュードのように、いわば体に覚えさせた技術として話すときと、そうじゃなく会話をしようとするときがあって。
後者の場合、つねに自分の言葉、相手の言葉を翻訳してなければならない。
このときの翻訳の仕方が、極座標から直交座標に変換しているのと似てると思った。
「俺ルール」について考えてた。
「俺」も「ルール」も別に構わない。
でも、「ルール」なんてしたがっている人にしてみれば「それは「俺ルール」じゃない」と思っているだろうが、ルールの外部からすれば「そりゃ「お前のルール」だろ」となる。
かと言って、やっぱり「ルール」がだめ、って話ではない。
「俺ルール」の「俺」は、「ルール」に「ルール」外の感情的な何かを持っていて、それを「ルール」に乗っけている。その感情的な何かとは、「信頼」やらそういったもの。極端に言えば「信仰」とか。
「ただのルール」で、それにしたがっている人なだけなら、「俺ルール」でも構わない。その「ルール」にわたしがしたがうかどうかは関係ないから。
「「ルール」を「信仰」「信頼」していなければ、したがえない」
それこそが「俺ルール」だ。
「ルール」は「ルール」であり、「信仰」「信頼」などという心理的なこととは別次元の話だ。どっちが上か下かではなく。
「ただのルール」にしたがっているだけなら、別にその「ルール」を疑ってもいい。疑義を投げかけてもいい。
「感情的な何かをこびりつかせたルール」は、それを許さない。
それが「俺ルール」だから、わたしはいやだ。
「俺ルール」が直交座標系で、「ただのルール」が極座標系なんだよな。
「信仰」が直交軸を作るのか。
「信仰」していないのに「ルール」にしたがっているわたしなどは、別の直交軸になるのだろう。「俺ルール」の「俺」からすれば。
なんか違うな。それなら別にいいやと思う。
直交軸のままでいさせられてくれるなら、ってわかった、自分の軸じゃない直交軸にさせられるからいやなのか。フェミなら「男」を批判すればすべて「女」になるがごとく。
極座標系なんだよ。わたしの脳内は。
では、精神分析は、と言うと。
クライエントは分析家を「信頼」してなければならないのか。
「信頼」とは転移の一種にすぎないのではないか。
であれば、それによるディスクールは、分析家が観察しようとしているものではなくなるのではないか。
何かいまいちピンとこねえな、この言い換え。
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