まじょのがっこう
2011/08/26/Fri
さて。今日はどんな話をしようか。
……あー、あったらしいねー。……ほう、お前らはそっちの方に興味がいってるのか。わたしはむしろ民衆たちの過敏な反応の方が気になったがな。まあいいわ。
んじゃ、「才能ある魔女」の話でもするかね。
まず、「魔法を使う才能」なんだが、これは人間世界で言う「才能」とは別物だ。人間が「才能」と認める「才能」とは、むしろ対立、相克する。「弁舌の才能」、「感情に訴えかける才能」、「理知の才能」、「運動の才能」などなど、そういった才能が豊かだと、「魔法の才能」は弱化する。それらの才能に抑制される。
では、もっとも「魔法の才能」が高いのは、受精卵だ、ということになるが、ただの極論だ。
出産後に限ろう。人間がもっとも「魔法の才能」が高い可能性があるのは、生まれたばかりの赤ん坊だ、となる。
しかし、すべての赤ん坊に「魔法の才能」があるわけではない。そこはまあ、「元素の精霊の息吹」などと言っておくか。いろいろ文句はあるが。ここではわたしもそういう立場だからな。
つまり、「魔法の才能」を抑制する、人間が「才能」と認めるさまざまな「才能」、「人間の才能」と言っておこうか、それをまだ学んでいない赤ん坊時代に、「元素の精霊の息吹」を受けた人間が、もっとも「才能ある魔女」になりうる、ということだ。
ちなみに、この「息吹」を受け、「魔法の才能」と「人間の才能」をうまく組みあわせることができたなら、そいつは「英雄」と呼ばれるだろうな。
とはいえ、それらの才能の本質として相克するのは変わらないから、「英雄」たちはそれらをつねに組みあわせて生きなくてはならないだろう。「英雄には英雄の悩みがある」ってな。根の深い悩みだろうの。
また、その組みあわせが決定的に破綻した場合、彼は「独裁者」となるだろう。
要するに、「英雄」と呼ばれている者の多くは、魔女の亜種だということだ。
話がそれたな。
その東方の魔女、名前はまあ、お前らも知っている通り魔女にとって名前は忌避すべきものなのだが、仮に「リリス」としておこうか。
おそらく「リリス」も生後まもなく「元素の精霊の息吹」を受けたのだろう。
しかし、それだけでもだめだ。人間と交わりながら生きていけば、「人間が「才能」と認めるさまざまな「才能」」を獲得していくことになる。彼女の「魔法の才能」は抑制されていく。
また話がそれちまうが、こういった、「才能のある魔女」が「人間の才能」に潰されてきた事例はよくある。というかそれがわたしの専門分野だ。
そういった者はどうなるのか。「魔女」にも「英雄」にもなれないまま「英雄のような悲愴な最後」を遂げる、ってのがほとんどだね。
リリスはね、まあ師匠がな、わたしの知己なんだが。たまたま彼女に拾われたから、あのような才能あふれる魔女になった、というわけだ。
しかしこの界隈で言われているような、師匠が赤ん坊のリリスの才能を見抜いた、ってのは眉唾だねえ。
魔女であっても、その赤子が「元素の精霊の息吹」を受けたかどうか判断するのは困難だ。わたしなら、一人の赤子について判定するのに、数ヶ月、まあ少なく見積もって六ヶ月はかかるだろう。
とはいえ、赤子だって、「人間の才能」をまったく持っていない、というわけではない。それをまったく持ってないのは「受精卵」や「無頭児」だろう。
とすれば、「魔法の才能」とかすかな「人間の才能」の相克が観察できるかもしれない。
それさえ観察できれば、六ヶ月などという期間は必要なく、「元素の精霊の息吹」を受けている、と判断してもよかろう。
リリスの師匠は、たまたま赤子のその瞬間を見かけただけ、というのが本当のところだろうよ。
また、六ヶ月かけた判断だろうが、相克を見かけた一瞬の判断だろうが、百パーセントではない、とも言っておく。二、三割くらいは判断ミスをする。
要するに、リリスがああなったのは、さまざまな偶然が重なっただけ、ということだ。
リリスね。おそらくあたしも敵わないんじゃないか。噂を真に受けるなら。
では、だ。
ここに集っている、歪んだ人格の者や反社会的な人格の者、つまりお前たちは、というと、可能性だけで考えれば、「元素の精霊の息吹」も受けておらず、すなわち「魔法の才能」も最初からなく、のほほんと人間の群れの中で「人間の才能」を鍛錬してきた者たちがほとんどだろう。
となると、「人間の才能」と「魔法の才能」は相克するのだから、まず「人間の才能」を忘却しなければならない。これはわたしはたびたび言っているな、「己が人間であることを忘れろ」と。今お前たちが受けている苦痛に満ち満ちた修行はそういう目的で行われている。
しかし、「人間の才能」をある程度忘却し、それが希薄になったとしても、お前らが魔法を使えるとは限らない。お前たちが赤子のときに「元素の精霊の息吹」を、かすかでも受けていなかったら、お前たちのやっていることは無駄に終わる。
これは、ここにきたとき、最初に言われているはずだ。「ここで学んだとしても魔女になれるとは限らない」と。
修行を受けなければ魔法を使えるかどうかわからない。修行をまっとうしたとしても使えない場合も大いにある。
そういう話だ。
……ま、今日はこのくらいかね。
リリスなあ。どうもあやしいところがある気がするのよなあ。しかし彼奴とあったら今度こそどちらかが死ぬだろうしなあ(ブツブツ……)。
……あー、あったらしいねー。……ほう、お前らはそっちの方に興味がいってるのか。わたしはむしろ民衆たちの過敏な反応の方が気になったがな。まあいいわ。
んじゃ、「才能ある魔女」の話でもするかね。
まず、「魔法を使う才能」なんだが、これは人間世界で言う「才能」とは別物だ。人間が「才能」と認める「才能」とは、むしろ対立、相克する。「弁舌の才能」、「感情に訴えかける才能」、「理知の才能」、「運動の才能」などなど、そういった才能が豊かだと、「魔法の才能」は弱化する。それらの才能に抑制される。
では、もっとも「魔法の才能」が高いのは、受精卵だ、ということになるが、ただの極論だ。
出産後に限ろう。人間がもっとも「魔法の才能」が高い可能性があるのは、生まれたばかりの赤ん坊だ、となる。
しかし、すべての赤ん坊に「魔法の才能」があるわけではない。そこはまあ、「元素の精霊の息吹」などと言っておくか。いろいろ文句はあるが。ここではわたしもそういう立場だからな。
つまり、「魔法の才能」を抑制する、人間が「才能」と認めるさまざまな「才能」、「人間の才能」と言っておこうか、それをまだ学んでいない赤ん坊時代に、「元素の精霊の息吹」を受けた人間が、もっとも「才能ある魔女」になりうる、ということだ。
ちなみに、この「息吹」を受け、「魔法の才能」と「人間の才能」をうまく組みあわせることができたなら、そいつは「英雄」と呼ばれるだろうな。
とはいえ、それらの才能の本質として相克するのは変わらないから、「英雄」たちはそれらをつねに組みあわせて生きなくてはならないだろう。「英雄には英雄の悩みがある」ってな。根の深い悩みだろうの。
また、その組みあわせが決定的に破綻した場合、彼は「独裁者」となるだろう。
要するに、「英雄」と呼ばれている者の多くは、魔女の亜種だということだ。
話がそれたな。
その東方の魔女、名前はまあ、お前らも知っている通り魔女にとって名前は忌避すべきものなのだが、仮に「リリス」としておこうか。
おそらく「リリス」も生後まもなく「元素の精霊の息吹」を受けたのだろう。
しかし、それだけでもだめだ。人間と交わりながら生きていけば、「人間が「才能」と認めるさまざまな「才能」」を獲得していくことになる。彼女の「魔法の才能」は抑制されていく。
また話がそれちまうが、こういった、「才能のある魔女」が「人間の才能」に潰されてきた事例はよくある。というかそれがわたしの専門分野だ。
そういった者はどうなるのか。「魔女」にも「英雄」にもなれないまま「英雄のような悲愴な最後」を遂げる、ってのがほとんどだね。
リリスはね、まあ師匠がな、わたしの知己なんだが。たまたま彼女に拾われたから、あのような才能あふれる魔女になった、というわけだ。
しかしこの界隈で言われているような、師匠が赤ん坊のリリスの才能を見抜いた、ってのは眉唾だねえ。
魔女であっても、その赤子が「元素の精霊の息吹」を受けたかどうか判断するのは困難だ。わたしなら、一人の赤子について判定するのに、数ヶ月、まあ少なく見積もって六ヶ月はかかるだろう。
とはいえ、赤子だって、「人間の才能」をまったく持っていない、というわけではない。それをまったく持ってないのは「受精卵」や「無頭児」だろう。
とすれば、「魔法の才能」とかすかな「人間の才能」の相克が観察できるかもしれない。
それさえ観察できれば、六ヶ月などという期間は必要なく、「元素の精霊の息吹」を受けている、と判断してもよかろう。
リリスの師匠は、たまたま赤子のその瞬間を見かけただけ、というのが本当のところだろうよ。
また、六ヶ月かけた判断だろうが、相克を見かけた一瞬の判断だろうが、百パーセントではない、とも言っておく。二、三割くらいは判断ミスをする。
要するに、リリスがああなったのは、さまざまな偶然が重なっただけ、ということだ。
リリスね。おそらくあたしも敵わないんじゃないか。噂を真に受けるなら。
では、だ。
ここに集っている、歪んだ人格の者や反社会的な人格の者、つまりお前たちは、というと、可能性だけで考えれば、「元素の精霊の息吹」も受けておらず、すなわち「魔法の才能」も最初からなく、のほほんと人間の群れの中で「人間の才能」を鍛錬してきた者たちがほとんどだろう。
となると、「人間の才能」と「魔法の才能」は相克するのだから、まず「人間の才能」を忘却しなければならない。これはわたしはたびたび言っているな、「己が人間であることを忘れろ」と。今お前たちが受けている苦痛に満ち満ちた修行はそういう目的で行われている。
しかし、「人間の才能」をある程度忘却し、それが希薄になったとしても、お前らが魔法を使えるとは限らない。お前たちが赤子のときに「元素の精霊の息吹」を、かすかでも受けていなかったら、お前たちのやっていることは無駄に終わる。
これは、ここにきたとき、最初に言われているはずだ。「ここで学んだとしても魔女になれるとは限らない」と。
修行を受けなければ魔法を使えるかどうかわからない。修行をまっとうしたとしても使えない場合も大いにある。
そういう話だ。
……ま、今日はこのくらいかね。
リリスなあ。どうもあやしいところがある気がするのよなあ。しかし彼奴とあったら今度こそどちらかが死ぬだろうしなあ(ブツブツ……)。
/ 未分類