剥製や標本を大量に作って「自然を保存しようとしている」と言っているようなもん。
2011/10/22/Sat
何がいやなんだろう、と考えた。
ある一部の人間個体、傾向的に男性に多いが、「父への欲望」を、「神」や「真理」や「イデア」を求めていることとして、欲望じゃないとしたがる人たち。
このすりかえがまず一つ。
欲望とは他者の欲望である。「どんな他者か」を「神」や「真理」や「イデア」(を持っている人)としているだけ。
次に、「父への欲望」、つまり「神」や「真理」や「イデア」や、あるいはもう少しやんわり言って「大人らしさ」を求めるのは、繰り返しになるが結局は他者の欲望であり欲望なのだが、別の他者の欲望である欲望を、否定する根拠になっている。
ここで否定されるのは、古典的な言い方だが(古典物理のような考え方を仮にする、というようなこと)、「母への欲望」だと言っても構わないだろう。
「否定の否定」か。否定を否定するためではなく、それは「父への欲望」だから、「母への欲望」を否定しなければならないんじゃないか?
「父への欲望」と「母への欲望」の差異は、死の欲動を下敷きにしているか、である。「母への欲望」においては、死の欲動は全否定される。
しかし、「父への欲望」は死の欲動の保存ではない。それはあくまで「母への欲望」と同じ構造の心理である。
死の欲動の保存が目的ならば、つまり「母への欲動」は死の欲動を全否定してしまうからそれを妨害するという目的ならば、「父への欲望」はまったく的外れである。
剥製や標本を大量に作って「自然を保存しようとしている」と言っているようなもんだ。
つまり非合理的なのだ。「父への欲望」とは。
それは理(ことわり)ではない。
あれだよ、過去の恋愛を男は「名前をつけて保存」するが、女は「上書き保存する」とかって。
その保存されたフォルダは相手そのものではない。
原父とはセックス日記をつけているオヤジと同じだ。「なんとなくクリスタル」ってか。
ある一部の人間個体、傾向的に男性に多いが、「父への欲望」を、「神」や「真理」や「イデア」を求めていることとして、欲望じゃないとしたがる人たち。
このすりかえがまず一つ。
欲望とは他者の欲望である。「どんな他者か」を「神」や「真理」や「イデア」(を持っている人)としているだけ。
次に、「父への欲望」、つまり「神」や「真理」や「イデア」や、あるいはもう少しやんわり言って「大人らしさ」を求めるのは、繰り返しになるが結局は他者の欲望であり欲望なのだが、別の他者の欲望である欲望を、否定する根拠になっている。
ここで否定されるのは、古典的な言い方だが(古典物理のような考え方を仮にする、というようなこと)、「母への欲望」だと言っても構わないだろう。
「否定の否定」か。否定を否定するためではなく、それは「父への欲望」だから、「母への欲望」を否定しなければならないんじゃないか?
「父への欲望」と「母への欲望」の差異は、死の欲動を下敷きにしているか、である。「母への欲望」においては、死の欲動は全否定される。
しかし、「父への欲望」は死の欲動の保存ではない。それはあくまで「母への欲望」と同じ構造の心理である。
死の欲動の保存が目的ならば、つまり「母への欲動」は死の欲動を全否定してしまうからそれを妨害するという目的ならば、「父への欲望」はまったく的外れである。
剥製や標本を大量に作って「自然を保存しようとしている」と言っているようなもんだ。
つまり非合理的なのだ。「父への欲望」とは。
それは理(ことわり)ではない。
あれだよ、過去の恋愛を男は「名前をつけて保存」するが、女は「上書き保存する」とかって。
その保存されたフォルダは相手そのものではない。
原父とはセックス日記をつけているオヤジと同じだ。「なんとなくクリスタル」ってか。
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