目的などない。
2011/11/17/Thu
目的などはない。あるとしても仮定の目的だけ。仮説と同じ。
目的を設定することとは終わりを設定することだ。
「苦しいのは今だけ」
苦痛の終わりを設定すること。
ここに快楽原則がある。
人間が自然を誤認する原因。
自然科学は「現状認識に甘んじている」のではなく、「現状認識が優先される」学問である。
現状認識に終わりはない。
目的などない。
苦痛に終わりなどない。
無間地獄。
遺体の冷凍保存は、2000年初頭には民間ベースで実用化されていた。当然この頃の冷凍技術には不備があったのかもしれない、また管理する民間会社の経営破綻などもあって、ほとんどの遺体は蘇生されずじまいだった。
しかし、ほとんど奇跡的に、ある一人の女性が、約二十年後に蘇生された。
彼女が遺体として冷凍されたのは2012年。当時46歳。死因は心臓発作。
親族がメディアに積極的に対応したこともあり、このニュースは世間を騒がせた。
これを機に、遺体の冷凍保存は、社会に認知され、技術も飛躍的に発展していった。
とはいえ、蘇生された彼女が生前とまったく同じ人生を歩んだとはとても言えない。
まず、生前にそんな記録はないのに、重篤な認知症が見られた。死ぬ直前まで現役の弁護士として精力的に活動していた彼女の生まれ変わった知能は、幼児とほぼ変わらないものになっていた。
また身体的にも、免疫力が非常に低下しており、原因は不明だった。彼女の二度目の人生はそのほとんどをクリーンルームの中で過ごさねばならなかった。
そんな彼女の世話を献身的に行う親族たちの姿が世間の同情を誘ったのは事実だろう。
蘇生してから五年後、彼女は息を引き取った。
親族は遺体を埋葬した。
二度目の死因は「自然死」とされている。
それから十四年後の現在。
遺体冷凍保存は、筆者のような貧乏人が気軽に申し込めるほどではないけれども、ある程度余裕のある人間なら誰でも可能な、(こう言っていいのかわからないが)一般的な医療技術となっている。
例えば臓器移植が必要な患者の場合、適合する臓器が現れるのを待っているあいだに死亡してしまうケースがある。
こういった際、遺体を冷凍保存しておくのが一般化しつつある。死後、必要とする適合臓器が提供され、遺体を解凍し、移植手術が行われる。
運が良ければ、冷凍されている、つまり死んでいる期間は、半年ほどで済む場合もある。実際の患者にも、経過は良好でほぼ生前と変わらない人生を送っている者がいる。
よく考えてみれば、遺体冷凍保存が行われる前から臓器移植は行われていた。移植される臓器は、運搬中、冷凍保存とまではいかないが、組織が劣化しないように氷漬けにされているものである。
昔からそうだったのだ。ある特定の臓器か、それ以外の組織の集合体かの違いだけ。
以上は、筆者の遺体冷凍保存医療に対する「疑問はあるが批判するつもりはない」という曖昧な立場の表明である。
ただし、たとえば一部では、冷凍されている遺体を、「遺体」と、つまり「死んでいる」と見なすべきではない、という意見がある。これについては、「生きている人間を冷凍保存してはならない」とする医師法と矛盾するので、反対の立場を取っている。先の文章でわざわざ「死んでいる期間」と書き直したのはこういった引っかかりが自分にあったのだろう。
そういったことはともかく、これから書く事柄は、その人物は確かに遺体冷凍保存医療を受けた患者であるが、遺体冷凍保存医療自体の是非を問う目的ではないため、このような長い前置きを書いた。
目的を設定することとは終わりを設定することだ。
「苦しいのは今だけ」
苦痛の終わりを設定すること。
ここに快楽原則がある。
人間が自然を誤認する原因。
自然科学は「現状認識に甘んじている」のではなく、「現状認識が優先される」学問である。
現状認識に終わりはない。
目的などない。
苦痛に終わりなどない。
無間地獄。
遺体の冷凍保存は、2000年初頭には民間ベースで実用化されていた。当然この頃の冷凍技術には不備があったのかもしれない、また管理する民間会社の経営破綻などもあって、ほとんどの遺体は蘇生されずじまいだった。
しかし、ほとんど奇跡的に、ある一人の女性が、約二十年後に蘇生された。
彼女が遺体として冷凍されたのは2012年。当時46歳。死因は心臓発作。
親族がメディアに積極的に対応したこともあり、このニュースは世間を騒がせた。
これを機に、遺体の冷凍保存は、社会に認知され、技術も飛躍的に発展していった。
とはいえ、蘇生された彼女が生前とまったく同じ人生を歩んだとはとても言えない。
まず、生前にそんな記録はないのに、重篤な認知症が見られた。死ぬ直前まで現役の弁護士として精力的に活動していた彼女の生まれ変わった知能は、幼児とほぼ変わらないものになっていた。
また身体的にも、免疫力が非常に低下しており、原因は不明だった。彼女の二度目の人生はそのほとんどをクリーンルームの中で過ごさねばならなかった。
そんな彼女の世話を献身的に行う親族たちの姿が世間の同情を誘ったのは事実だろう。
蘇生してから五年後、彼女は息を引き取った。
親族は遺体を埋葬した。
二度目の死因は「自然死」とされている。
それから十四年後の現在。
遺体冷凍保存は、筆者のような貧乏人が気軽に申し込めるほどではないけれども、ある程度余裕のある人間なら誰でも可能な、(こう言っていいのかわからないが)一般的な医療技術となっている。
例えば臓器移植が必要な患者の場合、適合する臓器が現れるのを待っているあいだに死亡してしまうケースがある。
こういった際、遺体を冷凍保存しておくのが一般化しつつある。死後、必要とする適合臓器が提供され、遺体を解凍し、移植手術が行われる。
運が良ければ、冷凍されている、つまり死んでいる期間は、半年ほどで済む場合もある。実際の患者にも、経過は良好でほぼ生前と変わらない人生を送っている者がいる。
よく考えてみれば、遺体冷凍保存が行われる前から臓器移植は行われていた。移植される臓器は、運搬中、冷凍保存とまではいかないが、組織が劣化しないように氷漬けにされているものである。
昔からそうだったのだ。ある特定の臓器か、それ以外の組織の集合体かの違いだけ。
以上は、筆者の遺体冷凍保存医療に対する「疑問はあるが批判するつもりはない」という曖昧な立場の表明である。
ただし、たとえば一部では、冷凍されている遺体を、「遺体」と、つまり「死んでいる」と見なすべきではない、という意見がある。これについては、「生きている人間を冷凍保存してはならない」とする医師法と矛盾するので、反対の立場を取っている。先の文章でわざわざ「死んでいる期間」と書き直したのはこういった引っかかりが自分にあったのだろう。
そういったことはともかく、これから書く事柄は、その人物は確かに遺体冷凍保存医療を受けた患者であるが、遺体冷凍保存医療自体の是非を問う目的ではないため、このような長い前置きを書いた。
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