手強いぞ、「無機質な透明性」
2012/03/17/Sat
自分で前記事読み返して気持ち悪く思ったのでメモ。
「無機質な透明性」はそんな簡単なものじゃない。
いや理論的にそういう原理なのはそうかもしれないが。
「被支配者たちは自分たちの文化を文明化してほしいと思っていて、私たちはそうしてあげているのだ。私たち植民地支配者は、被支配者たちがしようとしていることをしてあげているのであり、したがってそれは私たちの権力でも欲望でもない」
リビドー備給構造としてはそうなのかもしれないが、そこにいたるまではもう少し複雑な論が必要となる。
むしろこうだ。
「発展途上国もやがて私たちの文化のように文明化されるに決まっている。私たち植民地支配者はそれを手伝っているだけである」
同様に親の言い分でもこれは成り立つ。
「子供もやがて私たちのような大人になるに決まっている。私たち親はそれを手伝っているだけである」
したがって、
「それは私たちの権力でも欲望でもない」
となる。
「主人のディスクール」あたりだな。
「主人のディスクール」はその無意識下に/S◇aという幻想を生じさせる。それは「全体性の幻想」である。
先の文章の前半部分、
「発展途上国もやがて私たちの文化のように文明化されるに決まっている」
「子供もやがて私たちのような大人になるに決まっている」
がそれにあたる。
この植民地支配者も親も、無意識下の「全体性の幻想」によってそういった考えをするのである。
彼らと、彼らの脳内被支配者、脳内子供は「主人のディスクール」をしている。
この「全体性の幻想」、わかりやすく言うのなら、ぶっちゃけカルヴァニズムの予定説だ。
ユング論で言えばシンクロニシティなどになろう。「シンクロニシティの法悦」とでも言えるような。
批判的に言えばファシズムなどもこれを原理としているのだろう。ファシズムじゃねえか、全体主義。
「無機質な透明性」はそんな簡単にひびを入れられるものではない。
神経症者たちは、おそらく文明という事象が生じた時から、それの防衛策を講じ続けている。
生半可な論証ではそれにひびを入れられることはできない。
手強いぞ、それは。
甘く見すぎだお前は。
へえすみません。
「無機質な透明性」はそんな簡単なものじゃない。
いや理論的にそういう原理なのはそうかもしれないが。
「被支配者たちは自分たちの文化を文明化してほしいと思っていて、私たちはそうしてあげているのだ。私たち植民地支配者は、被支配者たちがしようとしていることをしてあげているのであり、したがってそれは私たちの権力でも欲望でもない」
リビドー備給構造としてはそうなのかもしれないが、そこにいたるまではもう少し複雑な論が必要となる。
むしろこうだ。
「発展途上国もやがて私たちの文化のように文明化されるに決まっている。私たち植民地支配者はそれを手伝っているだけである」
同様に親の言い分でもこれは成り立つ。
「子供もやがて私たちのような大人になるに決まっている。私たち親はそれを手伝っているだけである」
したがって、
「それは私たちの権力でも欲望でもない」
となる。
「主人のディスクール」あたりだな。
「主人のディスクール」はその無意識下に/S◇aという幻想を生じさせる。それは「全体性の幻想」である。
先の文章の前半部分、
「発展途上国もやがて私たちの文化のように文明化されるに決まっている」
「子供もやがて私たちのような大人になるに決まっている」
がそれにあたる。
この植民地支配者も親も、無意識下の「全体性の幻想」によってそういった考えをするのである。
彼らと、彼らの脳内被支配者、脳内子供は「主人のディスクール」をしている。
この「全体性の幻想」、わかりやすく言うのなら、ぶっちゃけカルヴァニズムの予定説だ。
ユング論で言えばシンクロニシティなどになろう。「シンクロニシティの法悦」とでも言えるような。
批判的に言えばファシズムなどもこれを原理としているのだろう。ファシズムじゃねえか、全体主義。
「無機質な透明性」はそんな簡単にひびを入れられるものではない。
神経症者たちは、おそらく文明という事象が生じた時から、それの防衛策を講じ続けている。
生半可な論証ではそれにひびを入れられることはできない。
手強いぞ、それは。
甘く見すぎだお前は。
へえすみません。
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