2016/01/26/Tue
貴様らも同罪だよ。
そこのゼミ生の二人の男性が、わたしにまったく同じフレーズを述べた。
「うちの先生は女性にもてるよ」
一人にはこの言葉についてつっこんだが、「そういうつもりじゃなかった」と返してきた。
改めて問おう。
この言葉は、どういう意味で言ったのだい?
醜い。
2015/10/25/Sun
いまさらだが中島みゆきの
『君の昔を』って曲が精神分析的すぎてニヤニヤする。
君の昔を誰にもらおうフロイトも出発点とした催眠療法を思い出す。特に想像妊娠したあの子とか。その子が言ってもおかしくないセリフ。
言葉途切れるこの夕暮れに普通に短時間セッションすなあ。
君はうなじを頑なにして 過ぎた景色に戸を閉ざす抑圧(という精神分析に対する抵抗)だったり「性関係は存在しない」だったりしよう。これだけではどちらとは言えんがまあ可能性的に抑圧ってことでいいや。
戻れるものなら戻りたいですか
必ずそらす話が決まってあるよねここがすごい精神分析的。「戻れるものなら戻りたい」ところが「必ずそらす話」であるということ。
これも、「戻れるものなら戻りたい」「必ずそらす話」である「それ」が欲望が満たされていた幼児的万能感であれば抑圧となるだろうし、「それ」がトラウマ(「戻れるものなら戻りたい」というのは快感原則の綻びとしてのトラウマの回帰)とも考えることができる。
分析家は分析主体について「それに戻りたがっているけどそれについては必ず話をそらす」という感覚を持つものだ。
アンビバレンツとか言うの?
あとめんどくさくなったのでええわ。
強迫症の精神分析しか考えられない日本ラカン村とかで学ぶより女=ヒステリーは中島みゆき聴いてた方がよっぽど精神分析的な主体になれるんじゃねえの。
フロイトはタナトスとエロスを「天上で永遠に戦い続ける二者」だとした。
いわばエロスとタナトスの二元論なわけだが、そうじゃないんだな。
それはちょうどソシュールが見出した言語構造と同じものである。シニフィアンとシニフィエである。
エロスというシニフィアンは、つねにすでに、タナトスをシニフィエとしている。
恣意的に。
修辞学的な意味ではなくラカン理論における「隠喩」という概念を用いるなら、エロスとは、つねにすでに、タナトスを隠喩している、となる。
2015/10/25/Sun
まえきじのほそく。
原抑圧まで考えれば「性関係は存在しない」だったりはする。
2015/10/04/Sun
「抑圧」ってのはエロスを「キレイなエロス」と「汚いエロス」にわけて「汚いエロス」を排他し「キレイなエロス」を保持することなんだよ。
あれだよフロイトも書いてた強迫症の「聖女と娼婦」ってやつだ。
ぶっちゃけ両方ともエロスであって、両方とも幻想にすぎない、とするのが「性関係は存在しない」だ。